2017年01月22日

any alarm and any surprise

 あの頃のことを覚えている人は思い出して。
 まだ若くて想像できない人も、この曲を聴いて、それからテレビやネットで見たり聞いたりしたことのある「20年」を思い出しながら、読んでほしい。


 偶々に立ち寄ったガソリンスタンドで、Radioheadの”No Surprises”が流れていた。



a job that slowly kills you,
bruises that won't heal.
You look so tired-unhappy,
bring down the government,
they don't, they don't speak for us.

 1998年1月リリースのシングル、アルバムは97年の12月だから、この曲が書かれてからもう20年になろうとしている。
 でも、<仕事にゆっくりと奪われる命>や<わたしたちを代弁してくれない新政府>−こんなフレーズたちは、つい最近の出来事を思い起こさせないだろうか、それはつまり、あのころと僕らは何も変わっていない、ということなのかもしれない。

 そのなかでも、
“they don't, they don't speak for us.”
の”us”について、いまは考えてみたい。「わたしたち」とは誰か、ということだ。

 大学に入って最初に出た講義は「偏見・差別・人権」という名前だった。「日本国憲法」と併せて、これは全学部生必履修であり、要するにヒヨッコが曲がりなりにも「市民」となるために絶対に身につけておかなくてはならない教養であったといえる。

 あの時の授業の内容について、だいぶ記憶はぼやけてしまったけれど、そこで取り上げられたテーマが何であったかについては、しっかりと覚えている。なにしろ、それらは今も同じようにテレビで、新聞紙上で、ネットで、あれこれ言われ続けているのだから。

 ジェンダー、LGBT、同和問題、宗教と道徳、外国人と国籍…わたしたちが、「わたしたち」と「わたしたち以外の人々」に線を引きたがる心の仕組みは本能的なものだとして、すくなくとも、その線の位置を動かしたり、線の濃さをぼやかしたりすることはできる。そんな希望のために言葉を紡ぎ、行進し、歌をうたい、制度を変えようとした人々はたくさん居ただろう。夢を語り道を指し示すリーダーや思想家が生まれ、理想を信じ、共有し、実現に向かって努力をした人々の数は数えきれないだろう。けれど、同じように、その理想を信じられず、むしろ脅かされたと感じ、嫌悪の情を覚え、自分を守ろうとー自分たちを守ろうとする人々が計り知れないほど現れたこともまた、ほとんど確かめる必要すらないに違いない。

 あいつらが仕事を奪う。あいつらは郷に入っても郷に従わない。あいつらはこちらの価値観を踏みにじり、わたしたちが作ったルールを受け入れようとしない。
 わたしたち以外の誰かが、いつもおいしい思いをしている。わたしたちは報われず、奪われ、無視されている―この20年の間に生まれた世界中の「わたしたち」は、こんなふうに、割に合わない気分にもとづく連帯のように思える。常に「わたしたち以外」への警戒や恨みを規約にもった互助会のように思える。

 大統領が代替わりし、ホワイトハウスのウェブサイトからLGBTの権利、公民権、気候変動、そしてオバマケアに関するページが削除された。このニュースは、現代史の主戦場がどこにあるのかを指し示しているひとつのものさしではあるけれど、その根っこにある「気分」については、いまさら分析するまでもなくて、ぼくらの国をはじめとして世界中で「誰が叩かれ、何が禁じられたのか」を見ていけばなんとなく分かるだろう。

 排外主義も、理不尽な差別も、水に落ちた犬を叩くようなさもしい心根も、すべて<心の安定がほしい>という種をもっている。

Such a pretty house
and such a pretty garden.

No alarms and no surprises,
no alarms and no surprises,
no alarms and no surprises please.

 心の安定を願う気持ちは、誰の心の中にもある。それが弱さに振れていく場面も珍しくないということも、誰もがよく知っているはずだ。ただ、だからといって自分がその森に迷い込む必要はない。
 その種を分かち合うために生まれて増殖し、互いに食い荒らしては分裂していく、ゾンビのような<わたしたちの群れ>に、取り込まれないでいること。群れのなかで、ひたすらに<わたし>であることーダイバーシティとは、そのような孤高と、表裏一体なのだと思う。
 alarmもsurpriseも、できる限り恐れずに進まなくてはならない。可能な限り受け入れたい。
 “There’s no countries”と歌ったあの人は、きっと国境線だけを指していたのではなくて、あらゆる境界線を、あらゆる分断を、ぼくたちが越えていける日のことを夢想していたに違いないのだ。最初に踏み越えるべき線は、自分の中にあるのだとあらためて確かめながら、2017年はじめの投稿を。今年は毎月ブログを書くことを目標にします。がんばる。
posted by youcan at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月04日

マニック・マンデーのための覚書

 千石モールという商店街がある。
 商店街の入り口にアーチが立っていて、入ってすぐのところにセカンドビートというレコード屋さんがある。その手前にシンバルというイタリアン・バルがある。この二軒に時折行く以外は、自分にとってもあまり馴染みのない商店街だ。
 少し奥へ進んだところに、定食屋さんがあった。というより、いまもあるかどうか知らないだけで、まだやっているのかもしれない。高校生のときに一回使ったきりの、たぶん何の変哲もない食堂だったと思う。

 高校時代におけるぼくのコミュニケーション能力の欠如については、いまさら恥じ入っても仕方のないことで、体育祭をはじめとして、みんなが輪になって何かをするような学校行事は軒並みボイコットしようとする、なんとも嫌な奴だったのだけれど、一度だけ、みんなの見ている中で、ほんのちょっと活躍したことがある。2年生の文化祭だった。

 隣のクラスにナルセという男子がいた。たしかバスケ部に入っていて、髪の毛はさらさらだし、ユーモアもあって友達は多く、ぼくとは遠い世界に住んでいるように思っていた彼が、ある日ぼくを訪ねてきた。文化祭でバンドをやるので、ベースを弾かないか、という誘いだった。ぼくがベースを持っているということをどこで聞いたのか不思議にも思ったが、「宿題を見せてくれ」以外で誰かから頼られることはまんざらでもなく、快諾した。
 ナルセが集めたメンバーは、確か7人だったと思う。ボーカルが1人、ギターが2人、キーボードボーカルの女子、ドラムは後輩で、ベースがぼく。顔は知っているけれど普段交流することはなく、授業で一緒になるのは体育くらいだけど、体育が大嫌いだったぼくはその50分を空気になりきることしか考えていなかったので、まあほとんど初対面みたいなものだ。何より同じ高校に通うメンバーでバンドをやるというのが面白くて、普段木彫り人形みたいに同じ表情で一日を過ごしていたぼくにしては、精一杯の社交性を見せて参加したつもりだった。

 日曜日、みんなで千石モールに集まって、ボーカルだったヨッチの家で選曲会議をした。選曲は、ガンズアンドローゼスとかエアロスミスとか、ハードロック中心だったと思う。一曲だけキーボードのNがバングルスを歌うことになった(いま思うとあの時代にバングルスというのは凄く渋いし、センスあるチョイスだったのではないか)。ぼくは何でもよかったので―文化祭でソニック・ユースをやったって誰も喜ばないことくらい知っていたし、普段あんまり聴かない曲を演奏するのもまた楽しみだった―相槌ばかり打っていた。演奏曲が決まって、Nとドラムの後輩は帰っていったが、残ったみんなで飯でも食いに行くかということになった。ちょっと時間が遅くなって、ランチタイムはもう過ぎていた。商店街を適当に歩いて、どこか目についた店に入ろうということになり、たまたま空いていた定食屋に入った。
 ぼくはその頃から好き嫌いがひどくて、重いものが食べられなかった。ほぼ一択という感じでざるそばを頼んだ。みんながちょっとびっくりした。定食屋にざるそばがあるんや。お前そんなんでいいんか。うん。みんなに運ばれてきたのは、いかにも定食屋、といった、懐かしい感じのエビフライ定食、とんかつ定食、ハンバーグ定食だった。ざるそばの味は覚えていない。食べながら話したことも他愛のない、さして面白くもなかったことだったように思う。でも、なぜかあの光景は忘れることができない。窓際の4人掛けだった。曇り空、淡い灰色の石畳に跳ね返る光が、狭くて薄暗い店内に差していた。

 それから数回スタジオで練習した。文化祭のステージはまずまずで、みんなで打ち上げにも行った。ドラムの後輩とはその後も数度スタジオやステージで一緒になった(リズム楽器に需要があるのは今も昔も変わらないだろう)けれど、他のメンバーとは再び疎遠になった。ぼくはまた付き合いの悪い、何を考えているのかよくわからない木彫り人形に戻って、千石モールへは卒業まで足を踏み入れることがなかった。

 一昨年の秋、東京で、卒業してから初めてナルセに会った。いまは作曲や編曲を職業にしているのだという。ジャニーズやアニソンなど、大きな仕事もしているようで、とても誇らしく思う。ほかのメンバーのことはわからない。後輩はお父さんがスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドにも参加しているミュージシャンで、本人もスティールパン奏者で生計を立てたいと言っていたから、夢を叶えていてほしい。キーボードのNは摂食障害になったという話で、しばらくしてからあまり学校に来なくなった。数年前に別の友人から、彼女が高校生活で一番楽しかったのはあの文化祭だったと言っていた、という話を聞いた(友人がそれを聞いたのは、さらにずいぶん前なので、もう昔話だ)。高校生離れしたアンニュイな雰囲気の、きれいな女の子だった。
 富山に帰ってきてすぐの正月、友人と飲んだのがシンバルだった。シンバルの山本夫妻は音楽がお好きで、フジロッカーでもあり、お店にはトム・ヨークの似顔絵が飾ってある。以来、折に触れて訪ねるようになって、ワイン二本開けて椅子から転げ落ちたりしている。迷惑をかけっぱなしなのにいつも暖かく迎えてくださる、ありがたいお店だ。奥さんはさっぱりして人懐っこく、全然違ったタイプの女性なのだが、なぜだか時々Nを思い出す。場所が記憶と結びつく力というのはほんとうに面白いものだね。


posted by youcan at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

みずうみ

IMG_3099[1].jpg

 最後に有峰湖に行ったのは小学生のときだったと思う。しかもその湖がどこにあるかも知らず、ただバスに揺られて行った。たしか町内会の行事か何かで、近所の電気屋のおっちゃんに率いられた小学生の一団は湖畔のキャンプ場にテントを張り、カレーを作ってトランプをして一泊し(おっちゃんがつまみに持ってきたさきいかを勝手に食べてしまって怒られた)、ラジオ体操をして帰ってきたのだった。意外にも詳細に覚えているという事実から考えると、それはそれで楽しかったらしい。それでもあの湖に行ったのはそのたった一回だけ、それからの有峰湖は富山県全県地図の右下のほうにある青色の貝ひもでしかなかった。

 東京に住んでいる友人がこちらに遊びに来た。海とか山とか大自然を満喫したいと言ったので、ちょっと思案したあげく有峰へ連れて行くことにした。とりあえず立山のほうへとは決めていたのだけど、早起きできない性分だし、山歩きができるかも不安だったので、車に乗って到達できる一番「奥」へ案内するのがいいと考えたのだ。

 数週間前に寄越したLINEではやたらと落ち込んでいて、これはもう強制的にでも気分転換させるしかないと、それなりに心配して、遊びに来なよと誘ってみたのだけど、到着するなりあっさり「もう大丈夫になった」と言うので、なんだ拍子抜けだなあと心の中でつぶやきつつ、でもまあよかったね、と、あとは共通の知人や音楽の話、とりとめのない会話をしながら2時間のドライブ。有料の林道に入って、一車線の桟道を走って、オレンジ色の天井の灯りもない、真っ暗なトンネルを幾つも抜けて、湖を右手に見ながら展望台まで行ってみた。ダムの資料展示、カモシカの剥製、当時の時代考証、ぼくらのほかには誰も居ない5階建てのビル、展望台といいつつ上ってみればただの屋上、友人はそこからさらに梯子をつかんで出入り口の上、一番高いと ころから湖を見ていた。スコットランドに似てるかなあ、馬鹿言うなよ、そんないいもんじゃないよ。

 なぜか昼寝をしようという話になり、湖と反対側にある芝生のエリアに降りた。バーベキューエリアやフィールドアスレチックゾーンと案内図に書かれてあったそこは、正確には、芝生かと思っていたらちょっと違ったようだ。やわらかい草とコケの仲間とが入り交じって生える(さすが高山地帯)緑の絨毯の上で横になって、1時間ほどだろうか、鳥と虫と木々のざわめき以外ほとんど何の音もしない薄曇り空の下でまどろんだ。

 いま思えば何をしに来たんだろうか、写真なんかでときどき見る、ダムの上を走っていく林道のほうへも廻らずに、昼寝をし、寝起きにアイスクリームを食べ、ぼくらはそれきり満足して帰ってきたのだ。往復4時間かけて!笑われても仕方ないことかもしれない。でも、ひとつ知ったことがある。この世界にはどうやら、聴きとることのできる、そして触れることができる種類の「静けさ」があるらしいのだ。聴くといっても耳で聴くのではなく、触れるといっても指で触れるのではないそれは、言うなればあの、有峰の鈍い陽射しの中にそっと忍ばせてあったように思う。それとも、湖というものは天然の吸音材なのだろうか。十和田湖、諏訪湖、奥琵琶湖、それほど多くの湖を知っているわけではないけれど、そういえば湖のそばで暮らす人たちには、はにかみ屋が多かった気がする。彼らの胸には、いつもあの静けさがとぽん、と沈んでいるのかもしれない。ぼくらの慌ただしい暮らしにも、ときどき湖を補給すれば、もう少し穏やかに生きていけるのかな。
posted by youcan at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする