リリースの挨拶回りを兼ねて、家に帰ってきた。
家族は相変わらずで、
兄夫婦はすぐ近くに住んでいて、
小学校2年生の姪と2歳になる甥が、
とても騒々しく可愛らしい。
彼らはときどき帰って来るこの変な髪型の痩せた大人をなんとなく覚えているので、
ほんとうは興味津々なのだけれどなかなか近付いてこない。でも窓ガラス越しに手を振るととても嬉しそうに振り返してくれる。
仕草のはしばしが、
兄と僕の子供のころによく似ているのだそうだ。
そういえばよくこんなことで喧嘩してたなと、
思い出しながら眺めていた。
家の裏手から畑の縁に沿って走る砂利道は、僕が幼稚園に通う道だった。
いまも、まだ鋪装されずに残っている。
歩く速さは数倍になっても、見える景色はそんなに変わっていなかった。
ビニールハウス、古い家、踏切、狭い公園、工事現場、まだ田植えの始まっていない田圃・・
みやこ音楽祭の途中だったか後だったのか忘れてしまったが、
岸田くんがこんなことを話してくれた。
ひとにはルーツがあり、
音楽にはルーツがある。
生まれて育った世界の風景や色が、
そのひとを、その歌を、支えている。
だから僕らにとってもっとも自然で、
もっとも心を打つのは、
その根の上に花を咲かせ実をつけた音楽なのだ、と。
自宅の古びた応接間でビールを飲みながら、
兄が口にしたことばが驚く程それに似ていた。
ただし兄のはだめな弟に対する説教だったけれど・・・
(僕には説教してくれる人が何人かいて、それらはいつも的確でポジティブで、必ずシリアスな中にユーモアも含まれているのだ。僕がひとに恵まれているのかはたまた説教される才能があるのか)
僕が子供の頃にはまだ建てられていなかった、
郊外の超大型ショッピングモールを何軒か廻る。
その中に入っているCD屋さんにサンプルと紙資料を渡してお願いに行く。
土曜日の忙しい中、話を聞いてくださった店員さんに感謝。
CDが並ぶと良い。たくさんの人が買ってくれるともっと良い。
何も知らずに小学校の同級生が買ったりしたら面白いのに。
その夜は実家に泊まり、
翌早朝、京都に帰る電車の中で夢をみたのだけれど、
それはここに書かないことにする。
とにかく、
自分の歴史をフルに使い切ることだ。
そして、未来においても生かされる歴史をいま耕すことだ。
笑いながら、いまにみていろ、と思っている。
posted by youcan at 01:42|
Comment(2)
|
TrackBack(7)
|
日々、時々雨
|

|