振り返る人もいる、
立ち止まる人もいる、
まったく気にかけず往き過ぎる人もいる。
同じ歩道橋の上で演奏するバンドや歌うひとたちごとに表現の仕方はさまざまで、それでいてひとつの共通するルールのようなものがあるように思える。
うまく言い顕わすことはできないが、つまりストリートが、いつだって声高なものが強い世界だった、という実感にも似た、ルールというよりも掟に近い何か。
それは確実に僕には不足しているもので、
2日目、隣で振り絞るように歌う女の子のことを、はじめて羨ましいと思ったりした。
僕がここでうたっていることがそれだけでひとつのステイトメントであると分かったのは時間を経てから、何晩目かに警官に止められたその後のことだ。
いま、いつものステージどおり、はだしで歩道橋の上に立っている。
この芯のない空気のような声が空気のような詩を安い15Wのアンプから梅田の空に放つとき、いつもよりすこしだけ多くの、願いのようなものをそこに含ませるように、うたっている。
どんなに多くの言葉を費やしても、
どんなに美しいメロディを紡いでも、
どんなにすばらしい声で力強い日々の賛歌や希望を高らかに歌っても零れ落ちるだけの言い表せない何かを
うたうこと、
オルタナティヴな"うた"の系譜の先に、立つこと。
SAL CULTUREは、僕がそうあるために必然として身を投じた流れだった。
ボロフェスタの代用でもなく、単純な続きでもなく、ゆーきゃんがゆーきゃんであるためにコミットしなくてはならなかった新しい夢。僕が僕のうたをリアルなものにするために、とにかく賭けなくてはならない大博打。
去年の春に始めてこのイベントについて話をしたときなのか、ボロフェスタの撤収作業後に西部のテーブルに座って笑い合ったときなのか、"LOVE SOFA"主催のサンデー上出がわざわざ大阪から京都まで来てくれて北大路のスターバックスでブッキングの話をしたときなのか―ここから!と線引きが出来るはずもないが、とにかく僕のSAL CULTUREはもう始まっていて、水面ぎりぎりのところを微流のままだんだん加速しながら、JJのSAL CULTUREと加藤さんのSAL CULTUREとJACKやHOSOMEやサンデー上出やおっぺけやSAL CULTURESのみんなそしてたくさんのボランティアスタッフの作り出すSAL CULTUREという流れと合流しながら、もうすぐ途方もなく大きな渦になろうとしながら、注ぎ込む場所を目指している。
こう書いたって、
きみには僕が何を言っているのか分からないかもしれない。
でも、分からなくってもいいんだ。
きみが今週末に見る光景は、僕らの提示しようとしたある新しさの、ひとつの開花だ。
あるアンチテーゼが、ある渇望が、ある馬鹿げた理想が、メトロで野音でサンスイで、音を立てて次々と花開くだろう。
それは純粋に目撃されるべきもので、心を動かされるためには、けっして理解を必要としないから。理解しようとすればするほどに、零れ落ちてゆくものだから。
ただ感じに来てほしい。ただ遊びに来てほしい。
SAL CULTUREはもう始まっているのだ。そしてそれが成就されるためには、きみの力が必要なんだ。
SAL CULTURES 弾き語り@梅田某所
<時間(予定)>
3/25 18:00-
3/26 22:00-
3/27 22:00-
(3/26 3/27 は野音の仕込作業後になりますので、時間が遅くなります。ご了承ください)
http://www.salculture.com
当日券の発売決定! 前売り券もまだあります。
タイムテーブルも公開中、ぜひチェックを!!