2009年01月13日

書き落とすことはたくさんある

ひとつひとつの出来事を、ゆっくりと振り返ってぽつりぽつり話したいのだけど、時間がない。いろんなことに手を出し過ぎなのだろうけど・・・これはこれでとても楽しい。


覚書をひとつ。


音楽はひとつの船にすぎず、きみはその中になんだって載せられる。
財宝でもいい。野心でもいい。うまく生きられないルサンチマンだっていい。
形があるもの、ないもの、どんな種類の荷物だって運ぶことができる。
ただ、自分がなにを運ぼうとしているのかは、知っておかなくちゃならない。
それを知るまでには時間がかかる。知っていると思っているうちに、積荷がすりかえられたりすることもある。
でも、口を開くその瞬間に僕の船はこれを運んでいるのだと、はっきりさせることができるひとの歌は、強い。


ということ。



明後日から関西へ行きます。


久しぶりのSOLE CAFEでは、なんとPARAのキーボード(いつも上手で弾いてる)家口さんのソロと一緒。
ゆーきゃんは、このライブのあと、京都ではしばらくやらないと思います。
たぶん、いま、SOLE CAFEが京都では一番ゆーきゃんの歌を正確に響かせることの出来る場所です。
いとおしむように、丁寧にやります。


日曜東京へ戻って来て、その足でtake it eetee!!!。
このパーティは、DJとライブが幸福に出会うパーティの、ひとつの理想形だと思います。
オールナイトはちょっと・・・というひとにも楽しめる、イヴニング・パーティです。
僕は10時半ごろに出ます。が、最初から最後までいても、ちょっとだけいても、絶対に楽しいはず。どうぞ遊びに来て下さい。


そうだ。
関西ではライブの隙間を縫って今年最初のボロフェスタ会議をします。
動き出しますよ。また。



posted by youcan at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月08日

ある街で

何も始まらない悲しみだ、と彼女は言った。

たしかに歴史や地形や地理や社会環境が悲しみを蓄積させることはあるかもしれない。現に、鈍行で東京から丸半日かけても辿り着かない(僕らは失敗した)その街を「最果て」と呼んでも差し支えなかったのかもしれない。

でも、肝心なのは生命がどんな状況下でも何かを始めようとして震えだすことだ。

展望室で初老の男性が何にもないところだなと悪気さえなく切り捨てたその隣、僕はあの山並みと蛇行する河と新幹線の軌跡をめちゃくちゃに美しいと思ったし、

正月のデパートを逆さにひっくり返すほどのミニチュアめいた初売り騒ぎを抜け出して登った城跡ではあの詩人が十五歳のこころを吸わせたという空の名残がいまでも確かに残っていたし、

なにより街を出た若者や街を出ようとする若者や街に残った若がぎっしりと詰め掛けた瀟洒な居酒屋などは、その空間の一切がささやかで鮮やかなはじまりに満ちていたように見えた。


この街のどこかでは、きっと誰かがいいことも悪いこともたく企んでいるだろうさ。ロック・フェスをやりたがっている大学生だっているに違いない。きみたちの悲しみが細かな震えを束ねるなら、それは大きな波になるだろう(これを数学用語で逆フーリエ解析というらしい)。

僕は日本中どこにいっても変わらない味とおかわりサービスを提供してくれるちっとも悲しくないドーナツショップのちっとも悲しくないコーヒーを啜りながら、そんなふうに思った。

表通りは、美しい街並みだった。
posted by youcan at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする