一年前の今日、離れた街に、いる。
まだ見慣れたままの町並みに行きかう顔は初めて親元を離れてやってきた十八歳の若者たちや、ときおりは同行してきた母親(おそらく今日が入学式なのだろう)、そして新入生を歓迎したり勧誘したりすべく手ぐすねひいて待ち構える大学生、
とにかく、ああこれが京都の春だったのだと、ほんの少しだけ懐かしくなる面ぶれ-しかもぼくはその誰とも会ったことがない-ばかりだった。
嵐電に乗れば、桜を見るべく各方面からやって来た老若男女(年かさのいった人が多い)があの小さなホームに溢れていて、でもたった二両の路面電車にすし詰めになった乗客の誰も、苛立ってはいない。それはそうだ、だって彼らには嵐山渡月橋の桜、もしくは嵐電名物の桜のトンネルが待っているんだから。
幸運にも押しやられた車両前方の扉ぎわに張り付いて、ぼくもまた、車窓を過ぎる緑や家々を眺めることができた。
御室仁和寺。宇多野。鳴滝。常盤。帷子ノ辻。有栖川。車折神社-なんと美しい駅名が並んでいるのだろう。それらの地名を口の中で転がしているだけで、たのしくなる。
この一年、はじめてあったいろんな人に、京都から来ましたと自己紹介するたび、あそこはいいところだね、どうしてあんないいところを離れようと思ったの?と聞かれた。ぼくは、とはいえそんなにいいところじゃないよ、とこころの底で思いながら、お茶を濁すような返事ばかりしてきた。
説明するのは難しく、かつ面倒なので多くは書かないが、ぼくは京都が終始一貫して好きだった。でもその良さについては、すめばすむほどだんだんと見えなくなっていったのだ。
いま、ここに実家があるでもない、お墓があるでもないぼくが、とくに帰ってくるというわけでもなく再び歩いた四月の京都には、だんだんと色褪せ見失っていた良さが、またあちこちに顔を覗かせている気がした。
この街に居た時期、とくにその終わりごろ、たとえばもう少しこころが安らかであったなら、それは見つけることができたのだろうか。
焦りや苛立ちや嫉妬や欲に汚れた色眼鏡をはずすことが出来ていたなら、それは鮮やかに目に映っただろうか。
いまとなっては分かるすべもないし、そもそもここを離れたことを正しいとも間違いとも思っていないのにに、今更こんなことを考えるのも野暮なのだけれど、
あまりにうららかで、胸を締め付けるように、穏やかな春の空気が沈殿する盆地の底を歩きすぎた今日だけは、こんな風にこころを遊ばせてもいいだろうと、自分勝手に納得することにした。
posted by youcan at 18:17|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日々、時々雨
|
|