2010年04月24日

無題

 ちょっとした撮影があって、朝、嵐電に乗って鹿王院まで行った。普段使っていないから、ではあるけれど、嵐電に乗るとそれだけで嬉しくなる。
 電車を降りてまず向かったのは、緑の多い、こじんまりとした団地。平屋の集会場を囲むようにして、二階建ての長屋、マンション型の集合住宅が何棟か並ぶ。
 何枚かの写真を撮り終えたのち、撮影ディレクタに連れられて、その先の路地を抜けてゆくと、小さな踏切があった。ここで撮ります、と彼女は言い、ぼくらは渡りきらずに真中で立ち止まり、石の上に降りる。遠くを見れば、嵯峨野線のまっすぐな線路がずっと続いて、やがて掠れてゆく。とてもよい眺めだった。


 帰り道は、ふとした気まぐれで天龍寺に立ち寄る。並ぶのが嫌だったので本堂は諦めて、庭だけの拝観料を払って小さな門をくぐる。
 石庭を抜けて、池を眺め、築山を登って、降りて、一回りした。庭中のあちこちにいろんな花。とくに印象に残ったのは、何種類ものつつじ、しゃくなげ、山吹、藤もどき(藤と間違えた)、八重桜、そして蘇芳。色の名に「すおう」(赤黒い色)という呼称を残しているくせに、白い花を付けているものもあって、考えると可笑しかった。

 4月終わりの緑は本当に美しいと思う。木々が放散する色のなかで、いちばん鮮やかだ。
その中を歩くだけで満足してしまって、すっかり忘れていたのだが、あの庭は、嵐山に借景していたのだった。それを見ておけばよかったと、いま思い返して悔んでいる。

 庭を歩くのは楽しい。誰がどんな目的で築いたのか、歩くだけのぼくらは気にしても気にしなくてもいい。たとえば夢想疎石という人がどんな思想を以てここを作ったのか、どんなメッセージをこの池に託したのか、この花はどういう効果を期待して植えられているのか ― 知っていても知らなくても、ただ眺め、巡り、憩うことができる庭。
 そしてこういう庭を、カフェやバーと同じように、みんな幾つかお気に入りとして自分の中にもっておけばいい、と思うのだ。

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2010年04月08日

無題

 三条会商店街のアーケードを行くとだしぬけに現れる公園、その角に桜の木がある。ソメイヨシノ。零れ落ちるように花を付け、花を落とすのもまた彼の仕事だ。

 子供たちが遊ぶその傍らで、行商の漬物売りが露天を出すその上で、何も言わずにはらはらと、桜色の鱗を落としている。ときおり風が吹いてはアーケードの向こうへ、無造作に置かれた自転車のサドルへ、一旦停止のタクシーのボンネットにまで、その花弁は降りかかってゆく。

 咲いたと思えば散る花。かりそめの席を若葉に譲るようにして枝から離れ、アスファルトを一面に染めてゆく花。ときに僕らは、桜の散る様を眺めて美しいと愛でるけれど、その残酷さは僕らのものか、桜自身のものか、あるいは春という装置に備わった基底音そのものが、容赦ない音色をしているのだろうか。

 ふと、若くして殺されてしまった鎌倉時代の将軍の歌を思い出す。中学校で習った、生まれながらに将軍の息子、神童と騒がれ、これを詠んだ後であっけなく死んでしまった人の、歌。

 しづ心なく花の散るらん

 何百年が経ち、天下人から市井の平凡な歌うたいに見る者が替わっても、この感慨だけは相も変わらず花と一緒に風に舞っているのだった。
posted by youcan at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする