子供たちが遊ぶその傍らで、行商の漬物売りが露天を出すその上で、何も言わずにはらはらと、桜色の鱗を落としている。ときおり風が吹いてはアーケードの向こうへ、無造作に置かれた自転車のサドルへ、一旦停止のタクシーのボンネットにまで、その花弁は降りかかってゆく。
咲いたと思えば散る花。かりそめの席を若葉に譲るようにして枝から離れ、アスファルトを一面に染めてゆく花。ときに僕らは、桜の散る様を眺めて美しいと愛でるけれど、その残酷さは僕らのものか、桜自身のものか、あるいは春という装置に備わった基底音そのものが、容赦ない音色をしているのだろうか。
ふと、若くして殺されてしまった鎌倉時代の将軍の歌を思い出す。中学校で習った、生まれながらに将軍の息子、神童と騒がれ、これを詠んだ後であっけなく死んでしまった人の、歌。
しづ心なく花の散るらん
何百年が経ち、天下人から市井の平凡な歌うたいに見る者が替わっても、この感慨だけは相も変わらず花と一緒に風に舞っているのだった。