2010年06月19日

無題

 梅雨の晴れ間だった。覆いは取り払われ、もうそれは青色のキューブではなくて立派なマンションの姿をしていた。公園の欅は剪定されていた。トラックで乗り付けた年かさの男性が三人、ばっさりと切り落とされた大小の枝を拾い集めているところだった。夏は虫がつくからだろうか、それとも病葉が増えるからだろうか、あるいは広がりすぎて電線にぶつかりそうだったからなのか、ずいぶんと刈り込まれた欅の姿をみて、男性だな、と思った。幹はほっそりとして、木肌も灰白がかっているし、なだらかな曲線を描いて先端へむかってゆくのこぎり状の葉なども優雅な感じがするけれど、たとえば阿佐ヶ谷のあの圧倒的に美しい並木と違って(あの、トンネル状に通りを包み込む欅たちに、ぼくは女性コーラスグループのような華やかさを覚える)、枝をまとめてすっとそこに居る夷川公園の欅は、とても好ましい青年のように思えたのだ。雨降りが続くこの頃、今日だけは解き放たれたように青さを見せる空と、夏に向けて濃さを増してゆく最中の特徴ある鋸葉の枝を天にかざして立つ木、そのコントラストは美しかった。
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2010年06月04日

無題

 小川通りと西洞院通りの間、夷川の角にある公園は、陽成院の跡地だという。『源氏物語』に出てくる二条院のモデルだ。当たり前だが、いまはその面影など望むべくもなく、ぼくもただ公園に立つ説明板で知った。

 陽成上皇はその放恣と残虐な性格ゆえに、たったの15歳で帝位を追われたそうだが、年端も行かぬうちに祭り上げられ、その日々は関白・藤原家などに都合よく利用されていただろうから、伝えられている”滅茶苦茶な行い”の根に何があったかは慮ることができる。
 ともあれ、その人生の早々に押し込められた場所で何を想いながら日々を過ごしたのだろう(なにしろ、その後さらに65年も生きたのだ。当時にしては異例の長寿だったに違いない)。それは放逐だったのか、あるいは解放だったのか、もう知る由はないが、とにかく1200年を経て、あなたの庭は公園になりました。


 公園は東西に長く、夷川通りに沿って桜の木が植えられている。今頃の、新緑を卒業し、夏に向けてだんだんと強さを色に込めつつある葉が風にそよぐさまは本当に頼もしい。時折木陰のベンチに寝転がって昼寝をするタクシーの運転手を見かけるが、その気持ちはよくわかる。

 さらにその北には建設中か改築中か、とにかく青色の防護シートに覆われたマンションがある。四階、もしくは五階建て、遠目にみるその青いキューブはまだ「暮らし」を纏えず、中京の静かな街並みにほんのすこし違和感を差し挟んでそこに組み立てられている。
二、三日前の、おそらくもう時計は午後七時に差しかろうという頃だった。仕事帰りの父親と小学校中学年くらいの息子が、桜の傍らでシーソー。「シーソーをしていた」と言うのはすこし違うかもしれない。左、白シャツの父はシーソーに対して直角に座り、右、息子は板にうつ伏せになって顔だけを横に向けていた。ぼくが歩いているのは柵のこちら側、夷川通りを帰り道だ。お父さん、急に立ち上がってはいけませんよ、と思いつつ、歩いてその後ろを通り過ぎようとしたのだが、なにやら耳に入ってきた二人の会話が、面白くて、つい立ち止まってしまった。

 父が指さす。息子は腕を伸ばして、上半身だけを起こす。あそこからやで。え、なら、あっちは空?ちゃう、あれはちょうど看板の部分―

 親子はどこからがマンションで、どこからが空かについて話していたらしい。まだ暮れなずんでいるとはいえ、だんだんとあたりの景色が闇に溶け始めた時間帯、たしかにあの青いキューブは紺色に変わり、さらに進んで夜空と同調しつつあった。その稜線の部分だけをレリーフのように光らせて、かろうじて自分が「もの」であると主張していたけれど、もしかするとレリーフの内側にあった青色は、太陽とともにどこかへ沈んでいったのかもしれなかった。

 そういえば、陽成院は恋心が積もって淵になってしまった、と歌っていたように覚えている。あの未完成の建物だって、完成したものに成りたかろう。日がなセメントを塗られ、窓枠を嵌められ、壁を塗られてまだ出来あがらなかった、その希いが積もりに積もって、淵のような夜に溶けてゆく、、などと飛躍するぼくの妄想をよそに、親子はひたすらに互いの指で夜の輪郭をなぞり合っているのだった。

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