近所の老人ホームの前庭に、とうもろこしが植えられていた。
いつのまにか背が伸び、頭頂部のふさふさした雄蕊が揺れ、毎朝通る道なのに、どうしていままで気がつかなかったんだろうと、自分の迂闊さを情けなく思った。六、七本も植わっていただろうか。穂はどの黍にもたくさん付いていたが、この大きな老人ホームの全員に行きわたるだけの余裕があるかは分からない。虫がついたり盗まれたりしなければいいのだが。
曾祖母の畑で作られる夏の野菜のなかでは、決まって毎年とうもろこしがいちばん出来の良い作物であったように思う。トマトも大きく、美味しかったけれど、とにかく凹凸が極端だった。茄子はところどころ紫の肌が破れて壁紙が露出したようにベージュのしみができてしまいがちだったし、きゅうりは曲がって苦くなったりもした。曾祖母は好奇心が強く、ズッキーニなどといった珍しい種に挑戦したりもしたのだが、彼女は食べるよりも作って収穫して食べるのを想像するまでが好きだったようなふしがあり、きっと自分の作ったズッキーニなど食べずじまいに終わっただろう(うちの食卓には出た。なんだかよくわからない味だった)。また一度は、畑の隅でかぼちゃが穫れたことがある。それは野菜のくずなどを捨てる穴から、種がこぼれて発芽したのだった。当然、人知れず実になった実のことだ。水っぽくてお世辞にも美味いとは言えなかった、けれど、世話もされず面倒も見られずによくもまあ「野菜」になったものだ。その事実にやたら感動したのを覚えている。
脱線した。とうもろこしに戻ろう。とてもじゃないが自分たちで食べる以外にない容姿をしていた他の野菜の傍らで、世話が丁寧だったからだろうか、土が合っていたのだろうか、とうもろこしだけはスーパーの店頭に並べても恥ずかしくない立派な姿で収穫された。曾祖母のとうもろこしは、甘くて大きかった。
実の魅力はもちろんのこと、それにもまして好きだったのは、あの背の高い茎が立ち並ぶ景色だ。もちろん「立ち並ぶ」と言っても大したことはない。十数本のとうもろこしが斜面の一角を占めているだけ。けれど、小学生にはそれで充分だった。一粒の種が数カ月で自分の背丈の倍ほどにもなって自分を取り囲んでいるということに、不思議な満足を覚えていたのだ。夏休みみなどはラジオ体操の後、用事もないのにとうもろこし畑の中を一通り探索してから家に帰ったりした。葉で腕や頬に切り傷を作ったり、あのひげをちぎったりして怒られたりしたことを覚えてる。
そういえば先日実家に電話をしたときに、「こうちゃんが、とうもろこし折ってしまったが」と母が言っていた(こうちゃん、というのは甥のことです)。どうやら珍しがって触っているうちにうっかり一本やってしまったらしい。甥は子供の頃の兄(つまり父親)にそっくりである。手を伸ばして、ひょろひょろと緑のススキみたいな植物に触れ、茎を握ったはずみに、ぽきっ。思わず目を丸くして、家(兄の家は曾祖母の家の跡に建てられた)のほうに駆けてゆく。そんな光景がありありと浮かんで、とてもおかしくなった。兄は若かりし日の自分の分身に、果たしてなんと言っただろうか。
いずれにせよ、子供たちにはどうしても、そして長い歳月を経て子供に回帰した大人たちにもたぶん、夏が必要な気がする。
posted by youcan at 23:04|
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日々、時々雨
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