2010年08月21日

庭のこと

 生家には、庭がある。

 限られた面積を区切って、なんとなく作られた築山の上に、ほとんどでたらめにいろいろな木が植えられている。風情も何もないのだが、久しぶりに家に帰って感心したことには、この庭はぼくが物心ついたその時分と、ほとんど変わりがないように見えるのだ。
立ち枯れた木もない。毒虫がついて大騒ぎしたことのある椿や松もいまだ健在、けして立派でもないが椿は椿、松は松らしい枝ぶりを見せている。毎年夏が来るたびに病葉を落としてばかりいた貧弱な泰山木はすこし健やかになっただろうか。
 造られて40年ほどの庭である。幼いころにここまで連れてこられた木々は、その狭い地面を各々分け合いながら暮らしてきた。いま雑然としながらも落ち着いた風貌で立ち並ぶ彼らを見ていて、なんとなくであるが、お互いを運命共同体だと思っているのではないか、という気がしてくる。

 記憶している限り、我が家の庭で伐られた木は、無花果と朴の木だけだ。無花果は小学校に上がる頃、伐られてしまった。なぜ伐られたかは覚えていない。それは裏庭にあった。一度だけその実を食べたように思う。実は割れていた。鴉が食べに集まるから、という理由だっただろうか。だがいまでもスーパーで無花果を買ってきて食べると、我が家の裏庭のことを思い出す。灯油缶とスキー板と荒縄が仕舞ってある、埃っぽい納屋の隣にあった無花果。祖母と一緒に食べた、ジャムみたいに甘い無花果。
 朴の木は、縁側のガラス戸の真正面だ。居間から見える庭の景色といえば、この朴の木だった。夏にはよくある季節のスナップ写真よりも見事な構図で蝉が止まり、秋には朴葉焼きの店が出来るほどに端正な葉を落とした。ぼくは一人で遊ぶのが好きな子供だったけれど、とくに好きなのは庭をあちこち歩いて棒きれで叩いたり石を積んだり落ち葉を拾ったりすること、なかでもいちばんだったのは(どういうわけか)この朴の木のまわりをぐるぐる回ることだった。象の皮膚にも似た幾何学的なざらつき、そのうえ乾いて清潔な木肌。大きくて見事な意匠の葉を夏には青々と繁らせ、秋には惜しげもなく落とす。ぼくはきっとこの木のさっぱりとしたおおらかさを誇りに思っていたのだ。それが自分の家にあるということが、とてもうれしかったのだ。

 高校2年生の春だった。その頃には朴の木は大きくなりすぎていた。周囲の木を圧倒し、不要な日陰を作ってしまうというので、父は植木屋さんを呼び、あまりにあっけなく朴の木は伐られた。退屈な高校生活だったので他に大した記憶がないせいか、その日の窓の外の景色だけはいまでもありありと思い出せる。切り株だけになった朴の木。昨日までは見えなかった、しらじらとしたコンクリートの壁。

 その翌年、家をはなれて京都に引っ越した。何年か経った。どのくらいだったろう。5年か、10年か。朴の木は新しい枝を伸ばした。切り株から二本、すこしその元で捩れ、あとはピースサインをするようにV字に、すらっとした枝を伸ばす。いや、これは新しい幹と呼ぶべきかもしれない。その枝からは次の枝が分かれ、またあの端正な大きい葉が風に揺れていたのだ。

 そして今年。お盆に帰省して、まだ子供の二の腕ほどの幹に、蝉が帰ってきているのを見つけた。網戸を開けて、玄関から下駄を取ってきて縁側へ落とし、思わず庭へ出た。ツクツクボウシだった。蝉の止まっていないほうの幹に手を触れる(蝉は、逃げなかった)。木肌の感触は、覚えているまま、ほとんど変わっていなかった。ぼくは夏が好きだったことを思い出した。のどが渇いたのでまた縁側から家に上がり、すっかり小さくなった祖母と、扇風機を目いっぱい回しながら麦茶を飲んだ。



posted by youcan at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする