サンダーバード号の中では泥のように眠りこけて、富山に着いたときには日が暮れていました。その二週間前、青森で見たほどではありませんでしたが、それでもあちこちに積もった雪を見て、はじめて正月だったことを思い出したのでした。
元旦の夜、そして二日と、実家にはほんの短い間しか滞在しませんでしたが、兄夫婦や姪と甥と一緒に晩ご飯を食べたり、母方の祖母と叔母に年賀へ行ったり、墓参りをしたり、お正月に最低限必要なことは済ませたつもりです。
祖母は氷見という港町に住んでいます(藤子不二雄先生の出身地、といえば分かるでしょうか)。普段はケアハウスにお世話になっているのですが、年末年始の間、近くの叔母の家へ戻ってきていました。彼女は、ぼくが物心ついたときからずっと「おかげさまで、と思いなさい。ご先祖を大事にしなさい、ありがとう、を忘れてはいけない」ということを繰り返し話してくれたひとで、いまではすっかり耳も遠くなり、わたし、あたまがおかしくなってねえ・・・と恥ずかしそうに小声で話し、あ、このひと、次男坊やったよねえ、とだけ言ったあとで、久しぶりに会ったぼくを思い出すまで一時間ほどかかったのですが、それでも帰り際にぎゅっと手を握ってくれて、あんたはいい人やから、余計に心配や、愉快に過ごしなさい、友だちを大事にしなさい、神さま仏さまを拝みなさい、頼らぬ衆生は救いがたし、よ、と、いつものばあちゃんの、あの泣きそうな笑顔を見せてくれて、すっかり背も曲がって小さく小さくなった姿を置いて父の車に乗る、それだけで涙があふれてきたのは、どうしてなのでしょう。
姪は今年で小学校を卒業、甥は幼稚園を卒業、どちらも、兄(パパ)と叔父(つまり、ぼくです)と同じ幼稚園で小学校で中学校に通います。姪と甥の仲の良さは、兄夫婦に言わせるとしょっちゅう喧嘩しながら、アニメとゲームのことになると意気投合するとのことで、ふたりを見ていると、性別こそ違え、ぼくも幼稚園の時分には小学生の兄によく遊んでもらったなあと、フラッシュバックする光景がたくさんありました。家に置きっぱなしの、調律もすっかりされていないピアノで姪が弾いてくれた「エリーゼのために」。甥が覚えたてのトランプをせがむので、パパと叔父と甥の三人でババ抜きを三回戦ほどやり、ぼくが見事に二敗しました。こんど帰るときには、彼女と彼はどんなふうになっているでしょうか。こどもはちょっと見ないうちにすぐ大きくなるので、油断がならないのです。
三日は、始発のサンダーバード号で京都に戻り、仕事に少しだけ手を付けて、何故か観光に来ていた森ゆにさんと、キツネの嫁入り夫婦との四人で伏見稲荷に行きました。南座の前で待ち合わせたのですが、三が日の祇園は、さすがに猛烈な混み様なのですね。おなじく、伏見稲荷の駅を降りてから千本鳥居をくぐって奥宮へ上がるまで、あまりにも行列が続くので、こんなにたくさんの人が一度に願い事を言っても、叶える神様の耳も手も足りないんじゃないか、と心配になるほど。そういえば、いざお賽銭を投げ入れ、鐘を鳴らし、柏手をうったところで、はて何を願おうかと真っ白になり、とりあえず今年もがんばります、ご照覧あれとだけ呟いて帰ってきたのでした。