2012年11月10日

『あかるい部屋』発売記念ライブについて

2013年1月20日(日)京都 磔磔(http://www.geisya.or.jp/~takutaku/
共演 SAKANA / キツネの嫁入り
開場 17:00 / 開演 18:00

2013年1月26日(土)名古屋k.d.japon(http://www2.odn.ne.jp/kdjapon/
共演 YOK / シラオカ
開場 18:00 / 開演 18:30

2013年2月3日(日)東京 南池袋ミュージックオルグ(http://minamiikebukuromusic.org/
共演 王舟 / よしむらひらく
開場 18:00 / 開演 18:30


 全公演、チケット代は前売 2,000円/ 当日 2,500円 (ともに1ドリンク代別途)です。予約は各会場の電話/メール/予約フォームからお申込みいただくのが一番確実ですが、ゆーきゃんのホームページからでもお取り置きできます。

 東京は王舟君とよしむらひらく君、ともにバンドセットで出演してくれます。

 ぼくらのメンバーは、京都はゆーきゃん(うた/ギター)+田代貴之(ベース)+森ゆに(ピアノ/コーラス)+妹尾立樹(ドラム)の4人編成、名古屋と東京にはさらに田辺玄(ギター)の5人でお送りする予定。例の思い付きでメンバーは増えるかも、増えないかも。

 いちおう、これが第一弾日程ということになっています。このあとも、いろんな街へ行きたいと思っています(みんなの日程と予算の都合のつくかぎり。みんな旅好きだから、あそこへ行きたいねーとか、すでに勝手に盛り上がっています)。もしうちにも来てほしい、というかたがいらっしゃったら、ぜひご協力ください。『あかるい部屋』を『あかるい部屋』たらしめている、最高のメンバーの演奏。たくさんの人に、直に触れて欲しいと思います。


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2012年11月09日

歌のはなし(経過報告)

 フロムの『愛するということ』という本を、何年ぶりかで読みかえしている。
 内容について詳しく書くのはやめておくけれど、むかしは腑に落ちなかったことが、いまはなんとなく伝わってくるようになった。愛とは技術である、という命題は、失敗を経ないと分からないことだったんだろう。

 実際、そんなふうに思っていなかったことが、実は「技術」だったりすることがよくある。いや、技術というよりは作法とか、呼吸とか言ったほうがいいか。

 ボロフェスタで久しぶりに会った、ロボピッチャーの加藤さんに「おまえ、歌うまなったな!」と誉めてもらった。言われた当人は「?」という感じで、ありがとうございます!と笑いつつ、そうかなあと思っている。こないだも、ライブ音源を聴きながら、なんにも上手くなってねえやと苦笑いしたところなのに!

 けれど、ちょっと考えてみた。

 中学生くらいまで、歌うことは大好きだった。音楽の授業でも、合唱コンクールでも、カラオケでも、とにかく歌うべきメロディを与えられることが嬉しくてたまらなかった。今思うと、どうしてあんなに易々と朗々と声を紡いでいられたのか、不思議でしかたがない。
 やがて、ひとりで曲を書き、人前で歌う、ということを始めると、事情はがらりと変わる。歌うことは一転して「重力」になった。歌には全然近づくことができず、正体も見えず、そのくせやたらとぼくを拘束した。思うようにいかない、重いからだと心を引きずるようにして、あきらめずに歌い続けたその理由は、ぼくにも分からない。いわゆる「歌姫ブーム」がライブハウスにも及び、また街ではいまよりずっとたくさんのストリートミュージシャンがあちこちで喉を披露していた時代、軽々と誇らしげに歌いあげる彼らを見ながら、自分の貧乏くさい頼りない歌唱について恥じることがなかったのは、なぜなんだろう。

 今、あの頃と比べても、たいして歌とぼくの距離は縮まってない。相変わらず歌は自由にならず、気ままで、すぐにそっぽを向いてどこかへいってしまう。でも、それはもうただの重力ではない。ときどき歌がこちら側まで手を差し伸べてくれる、そして歌のほうからふとその重みを解除してくれる―そんなときが、しばしばある気がする。
 「歌」そのものに意志があり、主体性があり、こちらを見ていたり、許したり、許さなかったりする、ということ。これもやっぱり、歌に苦しんだから、うまくいかない時期を経たから、知ることができたんだと思う。これもまたある主の姿勢というか、作法というか、技術だと言えないだろうか。
 そういえばフロムは、こうも言っていた。愛の問題は、愛されることの問題ではなくて、愛することの問題である、と。これは歌でいうと、逆だろう。究極的には、曲を歌おうとしても無駄だ。最高の瞬間においては、曲がぼくを歌っているとも言っていい。ただし、なんにもしないで「歌ってもらえる」ということはなくて、すくなくとも凡人のぼくは10年かそこら、どうやったら歌ってもらえるか、歌になれるか、そのことばっかりを考えて、試行錯誤してきたのだとも言える。「歌の問題は、歌うことの問題ではなくて、歌われることの問題なのである」―偉そうに書くと、こんな感じか。堅苦しすぎてよく分かんないな。


 気管支炎をこじらせてしまって、昨夜のleteは終始ガラガラ声で2時間ちょっとを通した。それでも歌は、苦い顔をしながらも、ときどきいい瞬間を与えてくれた。あの時間が「もった」のも、ひとえにお客さん、田代くん、lete、そして歌、歌が力を貸してくれたおかげだと思う(それから、詩を朗読させてもらったブローティガンとラングストン・ヒューズと不可思議/wonderboyにも、感謝)。
 '06年に『sang』を買って以来はじめてライブに来た、という方がご夫妻でいらっしゃっていた。とうめいロボのちひろさんにも会えた。どんなに集客が少ないときもleteにはかならず観に来てくださる何人かの心強いお客さん達、帰り際に『あかるい部屋』を聴くたびに泣いてしまうと話してくださった女性、みんなとてもありがたい。のど飴もいっぱいいただいてしまった。どれもこれも、すべて「歌」がなければ存在しなかった縁だ。ずっとうまく歌えなかったこと、誰も聴いてくれなかったこと、そういう無数の恥ずかしい経歴を経て、やっといまかろうじて「歌うたい」で居られる、ということをとても幸運に思う。


 それにしても、書けば書くほど、愛することと歌うことは似ているんだなあと気付かされる。そして、どちらもまだまだ道は遠いのだ...あとどのくらい失敗しなくてはならないのか、それを考えるとちょっと恐ろしくもある。でも、まずはズルしたり怠けたり嘘ついたり人のせいにしたりするの、いい加減にやめなきゃなあ。
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2012年11月07日

あかるい部屋 補遺

 リリースからもうすぐひと月、『あかるい部屋』というアルバムについて、書きたいと思っている。書きたいと思っているのだけど、何度やっても冗長で自慢たらしい文章になってしまうので、困っている。困っているところに、ライブのついでで名古屋のCD屋さんへあいさつに行ったら「全然売れてないじゃないですか!もっと頑張んなきゃだめですよ」と叱咤をいただいてしまった。自己満足してる場合じゃないということか。

 ちなみに、このアルバムを知人に聴かせると、ほとんど決まって「売れないと思う。地味だから。でも、よく聴くとすごく良い」という感想が返ってくる。ちぇっ。なんでそんなことを悪意もなくむしろ誉めるような言い方で言うんだろう。それを正しい評価だと思う自分も馬鹿馬鹿しい。
 わざと地味にしようなんてことは思わなかったけれど、今回のテーマは「普通」だったことは確かだ。曲を書くのも普通にやった。アレンジもメンバー任せだ。プロダクションについても奇をてらったことは何もしていない―でも、あの音量で、全員で一発録音したのは、チャレンジであるといえば大きなチャレンジだった。みんなこの小さい声を、モニターも無しでよく聴きとれたものだ。そしてみんな、めちゃくちゃにプレイが良い。難しいことなんてなにひとつしていない、まさに「普通」の素敵さは、田代くんと森ゆにさんとりっきーと玄さんの素敵さなのだと思う。

 音質については、生々しいという評もあるけれど、多少はこだわっている。玄さんもぼくもまずは「音圧をあげない」ということで一致していて、そのなかで空気の鳴りを生かし、いちばん良く声が聴こえるイコライジングを探し、音のばらつきを整え、コンプ感をちょっとだけ出して、という作業を繰り返した。玄さんは、上手、耳がいい、とかいう以前に「うたが好きな人」なんだと思う。うたが好きな人にしか見えてこない景色があって、それを掘り出してくるセンスとスキルがある。録音からマスタリングまで、全部を通して任せてみて、ぼくのぼんやり見ている世界の質感ととても近いのに驚いた。世代が同じだからというのもあるのかな。

 そういえば、ジャケットに使われている写真も、玄さんがiphoneで撮ってくれた。映っているのは、ヘッドフォンをしているので、もしゃもしゃの髪が小さくなっているけれど、ぼくだ。
 あの白州のスタジオは、じつは、もう無い。『あかるい部屋』を録音してほどなく、大家さんが破産して、競売に掛けられてしまったそうだ。まだ設備が整う前に、試験的に『あかるい部屋』を録ったので、まさに幻のスタジオ・キャメルハウス作、というわけ。とても魅力的な鳴りを備えた部屋だったので、残念だけれど...

 あちこちで指摘される通り、タイトルは、バルトの本からなのだけれど、もういまとなっては何でもいいというか、ただこの響きが圧倒的に好きだから、といったほうがいいかもしれない。先日のインタビューでも偉そうに「バルトはね...」とか蘊蓄を垂れたふりをして、ものすごく後悔している。正直に言うとバルトなんて、ぼくに理解できているはずがない。でも、あの本からは、とてもロマンチックでセンチメンタルで、そして必死な何かが伝わって来た。考えることと書くことが生きることと同値の人間が、喪失というもの対してに本気で向き合った記録だと思っている。それだけを言えばよかったんだけど、見栄とは怖ろしいものだ。
 とりあえずあの世で会えたら、このアルバムを渡したいと思っている(同じところに行けるかは分からないけど)。

  収録曲については一言ずつ触れる。「太陽」は高円寺駅前の風景だったのが、新宿アルタ前でのいとうせいこうさんのアジテーションを聴いたり(あの有名な「デモ隊の諸君、きみたちは路上の花だ」というやつ)、官邸前抗議に行ったりする中で変わっていった。「smalltown,smalldawn」は北盛岡の歌。何かの本で読んだ、上代では「愛しい」という文字にも「かなしい」という読みを充てていた、という記事にも触発されている。「0764」は呉羽駅と姪と甥のこと。0764は富山市の一部に昔使われていた局番。「雪の朝」は(これが一番古い)京都市内にまだ30cmも雪の積もるころに書いた曲。「わすれもの」は春の訪れと失恋とミサワホームのショウルームに並ぶミッフィーにいついて。「最後の朝顔」はガロリンズのよしえさんに捧げた。「ウルトラマリン日和」は2010年に書いた詩を推敲し直したもの。我ながら予言めいていてどきりとした。「611」は6月11日雨の東京都中野区鷺ノ宮のお話。どの曲にも背景と思い入れがある、と書いてみたらなんだかもっとたくさんの人に聴いてもらいたくなってきた。こんな地味なアルバムを「いいですね!」と言って出してくれた術ノ穴への恩返しのためにも、やっぱり頑張らないと、なあ。
posted by youcan at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月01日

ボロフェスタ2012

 ボロフェスタが終わってから、ずっと体調を崩している。熱がなかなか下がらず、せきが止まらず、すぐに疲れて眠くなる。
 昨日JJに電話でそのことを話すと「精密検査行ったほうがいいんじゃない?...でも、お前そんなに頑張ってたっけ?」と、半ば本気で半ば冗談めいたコメントが。
 いや、その通り、なんにもしてないんだ。だから余計に、困ってるんだよ。

 実際、今年はブッキングも、スケジューリングも、あらゆるセクションのプロデュース、あらゆる局面のディレクション、すべてがみんなの手で、ぼくがやるよりもずっと手際よく、進められていた。ぼくはといえば、あれができてない、これはこうしろ、おまえ何やってんねん、など、ずっと叱られっぱなしだった。仕込み作業中に夜食のドーナツを買ってきたことくらいがぼくの手柄だが、それだってクレハに(買うと決めていたのに)「まだ買ってきてへんのか!」と怒られて飛んで行ったわけで・・・・
 それなのに、仕込みと設営期間中の睡眠時間は3時間を切っていた。本番が始まるころには体力はほとんど残っていなかったように思う。初日起きた運営上のトラブルのいくつかは、疲れすぎて判断力を失ったぼくミスに起因する。みんなごめん。ぼくは一体何をしてたんだろう?
 
 そんなぼくの無能にもかかわらず、と言いたい。11年目のボロフェスタは、過去最高の完成度だった。
 2006年のボロフェスタが終わった後に、ぼくはこんなブログを書いている。
 http://blogs.dion.ne.jp/youcan/archives/2006-1013.html

 実際この年は悲惨だった。我ながらすごいフェスだったことは痛いほど分かったし、お客さんが楽しんでくれていることも見えていた。けれどそれはまったくお客さんの力だったわけで、スタッフはあちこちで泣いていて、ぼくは何が何だかわからないまま、今年と同じように設営で力を使い果たし、ボロボロになって右往左往していただけだ。
 ただ、あの時あの場所でふと感じた時間のゆがみ、音楽フェス自体がふわりと舞いあがり、勝手に飛んでゆくような感覚、いま思い返しても「あれ」としか名づけようない空気―ぼくが07年以降もボロフェスタを続けている理由の大本は、この「あれ」が忘れられないからだ、という気がしている(そのほかにも理由はあるのだが、自分でも複雑すぎてうまく説明できないので、あえてこれを大本だという「気がしている」と書く)。

 そして、今年、「あれ」が戻って来た。いや、戻って来たというには、それはあの時ほど凶暴ではなかったし、スタッフはみな充実した顔をしていたし、「あれ」とはまた別の「あれ」だったかもしれない(そうであってよかったと思っている)。

 ぼくの言っていることは、なんだか抽象的すぎて伝わらないだろうか。でも、今年のボロフェスタに来てくれたひと、一緒にがんばったスタッフは、この感覚、なんとなく共有してくれるんじゃないだろうか。JJが言う「非日常」、クレハの言う「巨大なグルーヴ」、2006年にぼくが書いている「夢のような時間」、それに近い「あれ」だ。
 繰り返して言うけれど「あれ」を呼んできたのは、もちろんぼくではないし、そのほかの特定の「誰か」でもない。参加一年目にして会場のデコレーションをデザインした彼女たち、日ごとに左京区の工場跡や休業中のnanoにあつまって看板を描き倒しPOPを切り出しつづけた彼や彼女、仕事を休みバイトをサボり、東京から駆けつけ、戦場のような現場を見事に仕切ったベテラン勢、そして自分でも呆れるほどに過酷な会議ラッシュに耐えて様々なプランを練り上げたみんな(かろうじて、この端っこにはぼくも加えさせてもらっていいかな…と思っている。が、会議の雰囲気を過酷にした戦犯はやっぱりぼくだったりもして、だから結局は功罪相半ばで何にもしてないことになる、など…以上は余談)、そして出演してくれたミュージシャン、照明と音響、KBSホール(管理人の山本さんは神さま!)、それらすべての要素の力が掛け合わさってお客さんに届き、お客さんがまたそれをフィードバックさせる…そういう反響のなかで「あれ」が目覚めたのだ。つまるところ、祝祭は「全員」が揃わないと始まらず(この単純な条件がめちゃくちゃに難しいのだが)、今年のボロフェスタはありがたいことに、ついに「全員」がそろった、ということだろう。

 しかし、それにしても11年目にして一番かというほどにたくさん叱られ、駄目を出され、あまつさえ初日の夜(というか明け方)に倒れ、最終日には本人抜きでイベントが進行するも運営には一切支障をきたさない、というのは、なんという主催メンバーだろうか。そのくせ終わった後も体調を崩しなかなか社会復帰できずにいるとなれば(さすがに今日から11月、なんとか完治させなくてはと思い、予定を全部キャンセルして日がな一日ひたすら眠り続けた。だいぶ良くなったので、忘れないうちにと思いこの記事を書いている)、自嘲癖を抜きにしても、笑わずにはいられない。これで出演当日ちゃんとライブが出来てなかったら、いまではお日さまの下を歩けないくらいだっただろうな...。


 さて、また薬が効いて、眠くなってきた。最後に一つ、今年一番うれしかったことを書いて、終わろうか。
 ライブ中のMCで、ぼくはこう言った―ボロフェスタはデコレーションも、設営も、運営も、音響と照明以外はすべて自分たちでやっています。ボランティアです。もしみなさんが、このイベントを楽しいな、いいイベントだな、と思ってくださるなら、どうか、いま、(ゆーきゃんでなく)ぼくたちスタッフに拍手をください。
 この時の拍手は、文字通り、鳴りやまなかったんだ。
 ぼくが合図替わりに叩き始めた手を止め、ゆっくりと水を飲み、チューニングをして、次の曲の最初のコードを確かめているその間にも、拍手は続いていた。ぼくは、たったいま、この瞬間にホールの中に居ない、ロビーでクロークを預かっているはずの彼女にも、受付で定時のチェックをしているはずの彼にも、お客さんにTシャツを売っている、生ビールを注いでいる、立ち入り禁止のパネルを持って座っている彼や彼女にも、この拍手が聞こえていればいいのにな、と思った。
posted by youcan at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする