ボロフェスタが終わってから、ずっと体調を崩している。熱がなかなか下がらず、せきが止まらず、すぐに疲れて眠くなる。
昨日JJに電話でそのことを話すと「精密検査行ったほうがいいんじゃない?...でも、お前そんなに頑張ってたっけ?」と、半ば本気で半ば冗談めいたコメントが。
いや、その通り、なんにもしてないんだ。だから余計に、困ってるんだよ。
実際、今年はブッキングも、スケジューリングも、あらゆるセクションのプロデュース、あらゆる局面のディレクション、すべてがみんなの手で、ぼくがやるよりもずっと手際よく、進められていた。ぼくはといえば、あれができてない、これはこうしろ、おまえ何やってんねん、など、ずっと叱られっぱなしだった。仕込み作業中に夜食のドーナツを買ってきたことくらいがぼくの手柄だが、それだってクレハに(買うと決めていたのに)「まだ買ってきてへんのか!」と怒られて飛んで行ったわけで・・・・
それなのに、仕込みと設営期間中の睡眠時間は3時間を切っていた。本番が始まるころには体力はほとんど残っていなかったように思う。初日起きた運営上のトラブルのいくつかは、疲れすぎて判断力を失ったぼくミスに起因する。みんなごめん。ぼくは一体何をしてたんだろう?
そんなぼくの無能にもかかわらず、と言いたい。11年目のボロフェスタは、過去最高の完成度だった。
2006年のボロフェスタが終わった後に、ぼくはこんなブログを書いている。
http://blogs.dion.ne.jp/youcan/archives/2006-1013.html 実際この年は悲惨だった。我ながらすごいフェスだったことは痛いほど分かったし、お客さんが楽しんでくれていることも見えていた。けれどそれはまったくお客さんの力だったわけで、スタッフはあちこちで泣いていて、ぼくは何が何だかわからないまま、今年と同じように設営で力を使い果たし、ボロボロになって右往左往していただけだ。
ただ、あの時あの場所でふと感じた時間のゆがみ、音楽フェス自体がふわりと舞いあがり、勝手に飛んでゆくような感覚、いま思い返しても「あれ」としか名づけようない空気―ぼくが07年以降もボロフェスタを続けている理由の大本は、この「あれ」が忘れられないからだ、という気がしている(そのほかにも理由はあるのだが、自分でも複雑すぎてうまく説明できないので、あえてこれを大本だという「気がしている」と書く)。
そして、今年、「あれ」が戻って来た。いや、戻って来たというには、それはあの時ほど凶暴ではなかったし、スタッフはみな充実した顔をしていたし、「あれ」とはまた別の「あれ」だったかもしれない(そうであってよかったと思っている)。
ぼくの言っていることは、なんだか抽象的すぎて伝わらないだろうか。でも、今年のボロフェスタに来てくれたひと、一緒にがんばったスタッフは、この感覚、なんとなく共有してくれるんじゃないだろうか。JJが言う「非日常」、クレハの言う「巨大なグルーヴ」、2006年にぼくが書いている「夢のような時間」、それに近い「あれ」だ。
繰り返して言うけれど「あれ」を呼んできたのは、もちろんぼくではないし、そのほかの特定の「誰か」でもない。参加一年目にして会場のデコレーションをデザインした彼女たち、日ごとに左京区の工場跡や休業中のnanoにあつまって看板を描き倒しPOPを切り出しつづけた彼や彼女、仕事を休みバイトをサボり、東京から駆けつけ、戦場のような現場を見事に仕切ったベテラン勢、そして自分でも呆れるほどに過酷な会議ラッシュに耐えて様々なプランを練り上げたみんな(かろうじて、この端っこにはぼくも加えさせてもらっていいかな…と思っている。が、会議の雰囲気を過酷にした戦犯はやっぱりぼくだったりもして、だから結局は功罪相半ばで何にもしてないことになる、など…以上は余談)、そして出演してくれたミュージシャン、照明と音響、KBSホール(管理人の山本さんは神さま!)、それらすべての要素の力が掛け合わさってお客さんに届き、お客さんがまたそれをフィードバックさせる…そういう反響のなかで「あれ」が目覚めたのだ。つまるところ、祝祭は「全員」が揃わないと始まらず(この単純な条件がめちゃくちゃに難しいのだが)、今年のボロフェスタはありがたいことに、ついに「全員」がそろった、ということだろう。
しかし、それにしても11年目にして一番かというほどにたくさん叱られ、駄目を出され、あまつさえ初日の夜(というか明け方)に倒れ、最終日には本人抜きでイベントが進行するも運営には一切支障をきたさない、というのは、なんという主催メンバーだろうか。そのくせ終わった後も体調を崩しなかなか社会復帰できずにいるとなれば(さすがに今日から11月、なんとか完治させなくてはと思い、予定を全部キャンセルして日がな一日ひたすら眠り続けた。だいぶ良くなったので、忘れないうちにと思いこの記事を書いている)、自嘲癖を抜きにしても、笑わずにはいられない。これで出演当日ちゃんとライブが出来てなかったら、いまではお日さまの下を歩けないくらいだっただろうな...。
さて、また薬が効いて、眠くなってきた。最後に一つ、今年一番うれしかったことを書いて、終わろうか。
ライブ中のMCで、ぼくはこう言った―ボロフェスタはデコレーションも、設営も、運営も、音響と照明以外はすべて自分たちでやっています。ボランティアです。もしみなさんが、このイベントを楽しいな、いいイベントだな、と思ってくださるなら、どうか、いま、(ゆーきゃんでなく)ぼくたちスタッフに拍手をください。
この時の拍手は、文字通り、鳴りやまなかったんだ。
ぼくが合図替わりに叩き始めた手を止め、ゆっくりと水を飲み、チューニングをして、次の曲の最初のコードを確かめているその間にも、拍手は続いていた。ぼくは、たったいま、この瞬間にホールの中に居ない、ロビーでクロークを預かっているはずの彼女にも、受付で定時のチェックをしているはずの彼にも、お客さんにTシャツを売っている、生ビールを注いでいる、立ち入り禁止のパネルを持って座っている彼や彼女にも、この拍手が聞こえていればいいのにな、と思った。
posted by youcan at 23:04|
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