2013年03月05日

はかまいり

 自分の利益を考えてやったことで、うまくいったためしがない。だいたいが途中でめちゃくちゃになってしまうし、どんなことでも最後には結局だいなしになるか、そのあとで大きなしっぺ返しがくる。きっとバランスをとって、あちらもこちらも立てて丸く収めて…というようなことが下手なのだと思う。
 それでもいつしかまた何かを欲しいなんて思ってしまうのは、懲りてるつもりで懲りてない、学んでるつもりで学んでない、それとも業というやつなのかもしれないが、ともあれ思い知らされた苦い味がまた戻ってくるような出来事は結局起こるもので、そのたびに思うことは、新しく得るよりも失ったものを取り返すほうがはるかに困難だということだ。
 こんなあれこれを、いじいじと考えてみても話す相手はいない。なにしろ問題は自分が仕出かした(あるいは巻き込まれた)過去なのだから、誰に話したって解決の糸口ははじめからない。
 話す相手がないときには、どうするか。ほんとうにどうしようもなくなったときには、墓参りに行くのがいいと思う。

 ぼくは、信心深いほうではない。夏が来るたびラジオ体操のあとにお寺に上がって読経させられたり、灌仏会も地蔵盆もおみこしも、地域の神事仏事はほぼ皆勤賞だったりしたけれど、他生も、運気も、あまり信じてはいない(あまり、というのは確実にあるともないとも言えないから)。それでも、墓参りには行く。墓参りに行って、墓の中にいるはずの人にこころのなかで話しかける。あまり細かくは説明しない。手短に、でも、ありのままに。それは報告といったほうがいいのかもしれない。

 大塚という、実家から歩いて30分ほどの集落のお寺に曾祖父母のお墓がある。いや、正確には、まだある。もうすぐ大叔父つまり祖母の弟さんが名古屋に引き取ってしまうという話があって、正月にそれを聞いたとき、もう墓参はできなくなってしまうかもしれないと思ったけれど、幸いにも今日、行くことができた。

 曾祖父の家紋は、木瓜だ。百姓紋とも呼ばれることがあるそうで、越前越中越後あたりの浄土真宗のうちにはよくある家紋らしい。たしかにそのお寺の裏に並ぶお墓たちに刻まれた紋は、若林さんも高井さんも、木瓜ばかりだった。そのなかから「坪田」というお墓を探し(方向音痴で、何度来ても正確な場所を覚えられない)、二つ、手を合わせる。花やろうそくを買ってきたらよかったなあと思うけれど、いつも忘れてしまうんだ。
 曾祖父母が眠っているお墓はまだ平成四年に大叔父の手で建て替えられている。まだ新しいツヤを保っている御影石は、冬の空気の中でより青黒さを増しているように見えた。夕日がずいぶんと傾いてちょうどお墓の後ろに太陽が落ちてゆく。普段は目を閉じて手を合わせるのだけれど、今日は「累代ノ墓」という文字に視線を据えたままにしていた。ひんやりした斜陽が目を刺して、視線をぼやけさせてゆく。何の変哲もない農村の夕方にこんな神秘的な一瞬があるのだということに驚きながら、いっそ何か聞こえてほしいと思うけれど、当然ぼくには聞こえっこない。

 しばらく手を合わせて、ひさしぶりに念仏を唱えてみて、また来ますと言い残して墓地を出た。国道を越えて、田んぼをまた渡ってゆくときに、けれどぼくは曾祖母が話してくれたことを、ひとつひとつ思い出せそうな気がしていた。物心つくまえに亡くなってしまった曾祖父は別にして、学校帰りによく立ち寄った家で聞かされた曾祖母の茶飲み話は自分の中にすっかり根を下ろしていたようだ。普段は思い出すことも少ないけれど、お墓の前に立ってみると、夫の苦労話も夫に苦労させられた話も、孫(つまり父)を背負って医者まで駈けた話も、庭の手入れの仕方まで、その笑い顔さえもがそのままに、脳裏の引き出しから飛び出してくるのだった。
 だいたい曾祖母と曾孫の関係とはそういうものだと思うのだけど、ぼくは彼女についぞ相談などしたことがなかった。書初めのあとに書いた習字を見せに行く(一番目は学校に提出するから、二番目を見せることになる)のと、学期の終わりに通信簿を見せに行くのはお決まりではあったが。そのときにも上手に書けたとか、よくできましたとかなんとか、一通りの褒め言葉のあとはすぐに取り留めのない話に移ってしまうのが常だった。あれらの話の意味や教訓を考えたことはない。彼女もただ話したいから話しただけだろう。でも、その話しっぷりは面白かった。いま思い出してもなかなかのストーリーテラーだったのではないかと思う(そういや昔は「話す人」自体がメディアだったんだろうな。だからじいちゃんばあちゃんの話はみんな面白いんだ)。  

 畦道を歩きながら、頭の中で彼女の話を反芻した。その声の抑揚を頭の中でもう一度追いかけてゆくと、だんだんと彼女の語りのスタイルや、好んで取り上げたテーマ、そして物事についての考え方がわかるような気がした。それがどんなものかはここでは書く必要がないとして、ようやく実家のある集落へ戻ってきた頃にふと思ったことがある。曾祖母の話に関係あるような、ないようなことー
 たとえば、卑怯に振る舞えると知っているからこそ誠実さを大切にしなくてはならない。妬みがあると知っているからこそ妬みのない場所を目指さなくてはならない。たとえ罰だとしても因果応報があるほうが不条理だけの世の中よりも幾分かましである。過去は取り戻せないが、過去を語ることはできる。そして死者の声を聴くことができないからこそ、わたしたちは死者の声を聴かなくてはならない。 そんなこと言われてもわたしにはわからんわー、という声が聞こえる気もするけれど、ひいばあちゃん、あなたが言っているのはたぶんそういうことなんだろうと勝手に思いました。名古屋に引っ越す前にもう一度会いに行きますね。


posted by youcan at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする