2013年05月31日

髪を切るのにうってつけの日

 これは、昔つきあっていた女の子がくれたメールの表題。たぶん、サリンジャーの"A Perfect Day for Bananafish"をもじったのだと思う。

 悼む、という動詞にはどうしてもぴんとこなくて、フェイスブックにはハナムケと書いたんだけどそれもどうも違う気がして、とにかく吉村さんに見せられないから意味があるのかないのかも分からないまま、それでも自己満足だけじゃないってことはほとんど確実な気持ちで、白梅町に最近できたばかりらしい美容院に駆けこんで、パーマの当たってるところと茶色のところを全部切り落としてくださいとお願いして、さくさくと落ちてゆくくるくるの髪を見るたび名残惜しいような爽快なような微妙な気持ちで何枚も写真を撮った。美容師さんは呆れたような共感するような、こちらもまた微妙な目でそれを眺めていた。

 「バナナフィッシュにうってつけの日」の主役は、バナナを食べる魚の話をする。バナナ魚たちはバナナ穴へ飛び込んだとたん行儀が悪くなり、バナナをむさぼり食べて太りすぎてしまい、入った穴からもう戻れずにバナナ熱にかかって死んでしまうそうだ。彼はその話を友人の娘に語って聞かせ、その晩ピストルで自分の頭を撃ち抜いてしまった。バナナフィッシュとは彼のことだったのだろうか。いつかバナナ穴へ入らなくてはならない自分の運命を知っていて、戻れなくなることに耐えられなかったんだろうか。

 ぼくは髪を切っただけだから、それが何か意味づけを必要とするほど大それたことではないし、いくらなんでも感傷的すぎるというものだ。まあ、考え事をするときに髪をくしゃくしゃにする癖がもう役に立たないと知るのはそれなりにショックだったけれど。

 みんなどんどん年をとってゆくわけで、作るものはどんどん色あせるわけで、そんな中でも諦めることなく自分に向かって問いかけと答えを繰り返してゆかなくてはならなくて、この先にも問わねばならない物事と回答期限の迫った白紙の答案用紙がないまぜになって山積みだと知りながらも、とりあえず今日のライブは駅まであの曲とあの曲とあの曲を口ずさみなながら歩いてゆくことだけ決めている。悪い大人の手本は一足先に行ってしまったけれど、これからもたくさんの人に愛され続けるに違いないあの人とあの人の音楽、その後ろからここでもまたひとり、いまだ大人になりきれない中途半端なうたうたいが彼の歌を鼻歌で。


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2013年05月17日

いつまでも世界は...のこと

 「いつまでも世界は...」というサーキットイベントが、明後日、京都で開催されます。

 ザ・シックスブリッツのマモルくんが主催で、ぼくも企画チームに参加しています。四条・新京極界隈、京都市内の真っただ中の八会場を使って、昼の一時から夜十時すぎまで続く長時間のイベントです。
 イベントの概要はホームページに載っているので、ここでは詳しく説明しません。開催にあたってのマモルくんの宣誓も読むことができるので、覗いてみてください。

 http://sekaiwa.info/

 さらに、OTOTOYではマモルくんとぼく、そして編集長でもありボロフェスタの代表、飯田くんも交えた鼎談を企画していただきました。こういうふうに記事になるといつも思うのは、話をしているときは普段と同じように喋っているつもりなのに、活字にするとどうしてこんなに生意気で癪にさわるんだろうと。まあ、それはいいとして、このイベントに寄せたぼくらの意思がちょっとでも伝わるといいと思います。

 http://ototoy.jp/feature/index.php/20130423

 このイベントは、ぼくのほかにも、MUSEの行貞店長、もぐらくん、シンガーソングライターのタカダスマイルさん、メトロでbelobelobeloというパーティを主催するDJのシンくん、ボロフェスタのスタッフでもあるそめさん、BAA BAA BLACKSHEEPSのディノ、そして何人かのスタッフやライブハウスのクルーたち(名前ぜんぶ挙げたいけど書き出すとキリがないので割愛します。みんなごめん!)で作っています。もちろん中心はマモルくん。
 それぞれの仕事があるので、集まるのは日曜の昼間か、深夜。昨夜も朝方まで最後の詰めをしていました(おかげでいま、猛烈に眠い)。それでもどうしても会う時間がとれなくなりがちなので、LINEでやりとりしながら物事を進めてゆきます(これがとても新鮮!情報化社会は日々進化しているのですね)。

 マモルくんは勇者かたぎ(かれがゲーム好きだからあえてRPG風な喩えをしてみているわけではなくて、なぜかこう書くのが一番しっくりくるんです)といいますか、にこにことマイペースに構えていながら、話すことの面白さとその夢の大きさで周りの人を引き込んでゆく不思議な力があります。
 もちろんミュージシャンとしても真摯で、ステージに立った時の輝きも大きな魅力ですし、気付かないうちにこんなに動いてるんや!というバイタリティとフットワークにも驚かされることもしばしば。そんなかれが一人づつ説き伏せたり頭を下げたりして集まった「パーティ」は、和気あいあいとしながらも、なかなかの手練れぞろいです。みんなハコの店長をしたり、大きなイベントを作ってきたり、なによりも社会経験豊かなオトナばかりなので、それはもう、手際の良いこと!資料の見やすさ、印刷物への知識、段取りの見事さ…あんなふうに気取って取材には応じたりしてみても、いざぼくが現場でできることは、適当なアイディアを放り出したり、ポエティックな意見を差し挟んだり、心配事をこぼしたりするだけで、かれらには何一つかないません。実はなんにも身についてなかったんだなあと、あらためて思わされる毎日です。



 最近、あらためて「持ち場」について考えます。持ち場を守っている人間は、なんと確かなことでしょうか。それも、あそこへ行けここに立て、と命令されるのではなく、自ら手を挙げ旗印を掲げて駆けてゆき、ひとつところへ陣取ったときの人間が見せる充実というのは、金でも地位でも競り落とせないような気がします。

(こんな風に書くと、身内を褒めたいだけに見えるかもしれません。まあ、それも少しありますが…今回のことのほかにも、最近出会った人や、顔見知りの中に改めて発見した表情からも、なにかにつけそんなふうに感じることが多かったもので!)

 『スイミー』に出てくる、赤い小さな魚たちのこと。真っ黒の、賢いスイミーに導かれて編隊を組み、大きな魚よりもさらに大きな魚に擬態して、平和を取り戻す魚たちのこと。ぼくは、あのお話のほんとうの主人公はかれらだと思っています(もちろんスイミーの勇気と知恵、そしてあの「ぼくが、目になろう」というセリフにはただただ、しびれるだけですが)。レオ・レオニが書かなかった、かれらの一匹いっぴき、たとえば背びれの一番端っこを受け持った魚、たとえば尾びれの付け根を守った魚、たとえばくちばしになって一番最初に大きな相手へ向かった魚、何の変哲もない、知らない人からは他の魚と見分けのつかない赤い魚の一匹いっぴきのこと、かれらがどんな気持ちで持ち場について、持ち場を守って、大きな魚たちを追い出した後はまたありふれた赤い小魚に戻って、どんな暮らしをしていったのか。かれらの声を聴きたいです。彼らの表情を見たいです。いつかだれか続きで書いてくれないかなあ。

 おっと。脱線してしまいました。なにはともあれ五月十九日「いつまでも世界は...」まであと二日です。ぼくは、シグナレス(そういえば今年初ライブ!)とソロで二回出演します。西島衛の「希望の話」がどんなふうに広がってゆくのか、スタッフとしてぼくも力のかぎり八面六臂飛び回ろうと思っていますが、歌については持ち場は一つしかありません。お時間のあるかたは、ぜひ遊びに来て、一日かけて音楽の中を泳いで、そして歌を聴いていただければと思います。
posted by youcan at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月14日

東京でのライブ

 昨日のブログを読んだかたから何通かメールをいただいて、なんというか、とても恐れ入っています。

 とくに悲壮な気持ちで書いたわけでもなく、ただいつか、ぼくもやめてしまう時が来るのかなあという漠然とした予感のまま、それをことばにしてみただけなのです。だから、気にしないでください(初めっから書かなきゃいいじゃないか、というご批判もあるかと思いますが)。でも、ありがとう。

 時期を同じくして(ブログとは関係なく)別の、とあるバンドマンも、音楽活動から身を引いた後のことを思って、思い余って、ぼくにメールをくれました。まだ二度目の応答を返せていないのですが、ぼくよりおそらく5つ6つ年下の、彼の焦りや不安や悩みや諦めは、もっとずっと切実なもので、身につまされました。

 つまりは、そういう季節なのかもしれません。こんな文脈で使うのもどうかと思いつつ、万物は流転するわけで、だれもがそれぞれのフェイズを生きていかなくてはならない。あらゆる場所で、フェイズが転がり出している、そんな季節。

 ぼくは、もうちょっとやりますよ。ただ「もうちょっと」が、どのくらいになるかは、神のみぞ知るということにさせてください。


さて、お知らせできていなかったのですが、今週土曜日に東京でライブがあります。

5/18(土) 下北沢 THREE
http://www.toos.co.jp/3/

「β」

【出演】
ふらむきりん
ゆーきゃん

start 20:00 
adv \2000 /door \2500 (+1d)

 もしお時間のある方がいらっしゃったらぜひ。
 よろしくおねがいします。
posted by youcan at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 予定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月13日

いつか音楽をやめてしまうきみに

 きみはmmmという女の子を覚えているだろうか。ほら、まだサンレインレコードが高円寺にあったころ、ぼくらは彼女の一枚目の作品を受け取ったのだったよ。そのあと達久からめちゃくちゃいい歌うたいがいる、と教えてもらって、そのあと数年して彼女は見汐さんとデュオを組んだりした(サンレインや達久や見汐さんのことは忘れてないよね。職場と同僚なんだから)。
 つまり、ぼくらは彼女が世に出るくらいのころを知っていて(はじめての円盤ジャンボリーのときはとても緊張した、という話も聞いた)、そしてとんとん拍子(に、見えた)で界隈の人たちはmmmの歌のすばらしさに驚嘆するようになり、ぼくらも何度か共演させてもらって、そのたびにいつもかなわないなあと思っていた。あの日のザンパノ(ほら、京都の元田中にあったカフェだよ。にーやんが店主だった!)で、たぶん初めてくらいちゃんと長めの話をして、ちょっと相談めいたこともあって、びっくりしたり共感したり、まあ結局あたりさわりのない、つまんない見解しか言えなかったんだけど、そのあと数か月たって彼女は引退を発表した。
 こないだそのニュース記事をネットで見かけてから、ずっと考えているんだ。あのとき、もっと役に立つ答えをしておけばよかった、とか、次に彼女に会ったらなんて話そうか、とか、いつかまた帰ってくるのを待つことにしようとか、そういう第三者的な思いのいくつかに混じって、ぼんやりとだけど、きみのことをさ。

 きみが、いったい何年先を暮らしているのか、ぼくには皆目見当がつかない。いまのところ来年の一月まではざっくりと予定が入っていたりするから、そのあとだとは思うんだけど、たとえば再来年の今頃にはもうこの手紙を開封してしまっている、なんてことも、万に一つ、ないとも限らない。そんな相手にどうしてこんなことを書こうかと思ったか、というのには、一つには弱気の虫が出たからかもしれない。また一つには今のうちに正直に書く必要があると思ったのかもしれない。

 ことあるごとに、音楽になりたい、と言ってきた。酔っぱらって気分が大きくなったときには、音楽を生きるんだ、詩を生きるんだ、なんて恥ずかしい科白を吐き散らかしたような気もする。けれどこのあいだ、ふと思ってしまったのは、音楽が鳴り止んだ後、ぼくはどうやって生きているんだろうか、ということだ(mmmでさえ――ほら、ぼくよりも確かに軽やかに音楽を呼吸していた彼女でさえ、音楽の後を生きなくてはならないんだから)。つまりその瞬間に、きみが生まれてしまったんだ。生まれてしまったきみを祝福すべきか呪うべきか、まだわからないんだけど、とりあえず挨拶しておかなくちゃ、というわけでこのメッセージが打たれているっていうわけさ。

 彼女が音楽をやめるといった本当の理由を聞いておけばよかったな。きみ(つまりぼく)が音楽をやめた理由は、なんだろう。嫉妬だろうか。疲れたんだろうか。お金のことだろうか。そういえば先週、ばあちゃんがついに寝たきりになったんだ。もう話すこともできないし、目も開けない、食べることがなにより大好きだったのに、もうお粥を口に運ばれて呑み込むくらいしかできなくなってしまった。倒れる直前までぼくのことを心配していて、母親もずいぶん当たられたらしい。癇癪と偏った意見のかたまりのような人だったけれど、ぼくは間違いなくおばあちゃん子だったから、就職も、結婚も、なにひとついいニュースを届けてあげられないままだったのがとても情けなかったよ。いまは何とか持ちこたえているけれど(持ちこたえる、というのは変な表現かもしれないとしても)、この先はこういうことのひとつひとつが、お前はなにをしてきたのだ、と重々しく問いかけてくるんだろうと思う。きみなら分かってくれると思うけど、どうせぼくのことだから、普段はどんな華々しい理想、決然とした覚悟を口にしていても、結局は搦め手から落とされてしまうのかもしれないな。
 ボロフェスタとサンレイン、そのどちらかがなくなるってことも理由になるかも、と思ったりする。どんな状況になっても、どんな暮らし向きになっても、歌をうたうことはやめないだろうと、いまのところ信じてはいるんだけどさ、でも仮に(近い未来の自分が一番信用ならない、というのは実に滑稽だけれど)、イベントオーガナイザーとCDショップ店主とシンガーソングライターという、三つの別々のあり方を無理やりにまとめようとしているバランスがひとたび崩れてしまったら、それでなんとかなると思ってた自分への罰をうんと厳しくしようとか、あるいは自暴自棄とか、やり場のないままの復讐めいた気持ちとかで、なにもかもをゼロにしてしまおうと思ったりするなんてのは、ぼくにすれば、とてもありそうなことだよ。

 まあ、理由はなんでもいいだろう。だって少なくともぼくにはまだ先のことだし、きみにとってはもう過ぎたことだから。そんなことより、さしあたっていまは、きみのことをちょっと聞かせてほしい。

 音楽が鳴り止んで、きみは幸せだろうか。奏でることをやめて、きみはなお音楽を聴くんだろうか。どんな音楽を聴いているのかな。いままでずーっとたずさわってきたような、日本のインディにはまだ興味を持っている?ライブハウスには時々行ったりする?きみがもうおじいちゃんなんだとしたら、そんなやかましい現場からはとっくに足を洗っているかな(だとしたら、まずは長生きできてよかったね、それとも、驚きだね、と言おうか。そして、もしもそんな高齢にも関わらず時々ライブハウスに顔を出すというのであれば、日本も、いつか話したメルボルンみたいになったということかな)。
 CDは売れている?そんなフォーマットはもうとっくに消えてしまった?みんなはいまどんな形で音楽を聴いている?フェスはまだあちこちで開催されている?オーディエンスは自分の耳で確かめている?ミュージシャンは自立している?いや、余計なことを聞いてしまったっかもしれない。きっときみはもうそんなことには興味がないんだろう。でも、音楽から離れたとしたら、きみの楽しみはいったい何が残っているんだろうか、それはとても心配だ。読書と、散歩と、あとはせいぜい美術館くらいだろう。それだけで残りの人生を埋め尽くすことができればいいのだけれど。あ、お酒は控えるんだよ。たぶんいまでさえ相当脳みそは縮んじゃってるに違いないんだから。

 いつか見てろ、と思ってきたのは紛れもない事実だけど、それと同時に、報われる報われないとはそもそも関係のない道をずっと歩いてきたとも思っている。実際、キャリアだけが重なって、ほとんど何もついて来ていない自分に愕然とすることもあるし、友人や後輩たちがどんどん自分を追い越してゆくなあと(いったいそれが何の基準にもとづいているのか、正確には説明できないくせに)寂しさのようなものを感じることもある。でも、これは隣の芝生は青いとか、あのぶどうは酸っぱいとか、いう感情じゃないんだ。むしろ、いつまでも最前線に、地べたに、誤解や無視が信頼と愛と同じくらい混じりあったまなざしの中に、立ち続けることへの奇妙な誇りもあって…うまく言えないんだけど、自分の中だけではっきりしているこの気持ちを、きみはまだわかってくれるだろうか。一体いくつになるまでナイーヴなばかげた生きかたをしてきたのか、と笑うだろうか。これこそが傲慢だ、と思い出して恥ずかしくなるだろうか。ナイーヴで傲慢なのはいまのうちに認めておくよ。それがあちこちで自分自身の足を引っ張ってきたのも。変なことを言うけれど、ぼくは音楽をやめるのはもう怖くなくなったように思う(とは言え、いざやめなくてはいけないときにはものすごい気分になるんだろうけど)。いまだに怖いのは、感受性を失うことだけだ、でも、そもそも感受性を研ぎ澄ましておきたいと思うことでさえ表現のためであるとしたら、きみにとってはそんなことはとっくに重みを失って、もっと別の何か――教養とか、実行力の伴った思いやりとか、そういったことのほうが大事な価値になっているのかもしれない。


 いろいろ書きたいと思っていたはずなんだけど、結局は自分の理屈っぽい愚痴をぶつけるだけに終わってしまった。いちおう、こんなことを昔の自分が言っていたよという意図で残しておくから、読み終わったら消しておいてもらえるだろうか。ただ、やっぱり何度でも繰り返すけれど、ぼくが気になっているのは、音楽が鳴り止んだ後にも生活は残るわけで、その後にもきみが無事生きているのか、暮しているのか、なにかちょっとでも誰かの役に立ったり、世の中のためになったりしているのか、ということだ。まあ、歌うたいより役に立つ生き方なんてたくさんあるだろうから、余計なお世話だといいんだけど。
 それから、最後にひとつ(失礼を覚悟で書くんだけど、自分のことだから大目に見てくれると期待する)。ぼくにとっては、できる限りきみがぼくの人生の続きの中に現れてくれないことが、いちばんの希望だ。でも、もしきみがほんとうに登場し、それがぼくらの望むものではなく、不本意の結果であったとしても、どうか過去を呪わないでほしい。ぼくはぼくの対価を、できるだけいま払っておくつもりだし、ぼくがここで得たり失ったりしたものが、きっときみの容貌や思想に結びついているんだから。後で出会うか出会わないかはおいといて、せいぜい、きみに少しでもいいものを残せるように、がんばるよ。ただしお金や名声はあてにしないでね。それじゃあ―Don't think twice,it's all right.
posted by youcan at 14:04| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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