2013年09月12日

ボロフェスタのこと

 Webマガジン”AMeeT(アミート)”に、JJ(LImited Express(hsa gone?))のインタビュ―が掲載されました。
http://www.ameet.jp/feature/feature_20130904/#page_tabs=0

 AMeeTは「Art Meets Technology」の略。「京都から世界へ」をコンセプトに掲げて、京都で起こっている面白いアートやアーティストをピックアップしています。JJはリミエキのメンバーとして、そしてボロフェスタの代表として、インタビューに答えています。

 ぼくは、ボロフェスタのホームページに、開催に寄せた文章を書きました。
 http://borofesta.ototoy.jp/feature/index.php/about

 文中でもちょっと触れていますが、ぼくらにとって、ボロフェスタは一つの「作品」です。時間をかけて、アイディアを絞って、ユーモアと美学を同じくらい働かせて、議論して、手配して、うまくいったりいかなかったりして、何カ月も試行錯誤し、何百もの時間を費やします。
 ありがたいことに、いろんな人に支えられ(迷惑をかけたと云う方が正確かも)、十二年も続きました。始めた頃には歯牙にもかけられなかった事務所のかたが今では「ボロフェスタ、お誘い光栄です」と云ってくださいます。お客さんにも数千人といった規模で集まっていただけてるようになり、続けてゆくことの重みをひしひしと感じています。
 出演者も豪華、来客も盛況、ということは、つまり、たくさんのお金が動きます。いつも収支表を見てびっくりするくらい。いつか掲示板で「商業主義のクソイベント」という批判をいただいたことがありますが、帳簿上で計上される金額だけを指すなら、そして儲けの有無を根拠にしないなら、まあぎりぎりこいつも「商業」と呼べるのかもしれないですね…(苦笑)

 でも、たとえ規模が大きくなって、季節の名物行事になって、ミュージシャンたちにとっては多少のステータスをもたらすイベントになっっていったとしても、やっぱり譲れないのは、これが自分たちの「表現」なのだということです。

 ボロフェスタの開催期間はたった三日。たったの三日でパーティは終わり、KBSホールはまた何もない平たい床だけになります。あんなに集まったはずのお金も、支払のあとで残る額はたかが知れていて、翌年に向けてプールすることを決めたり、ボランティアスタッフの打ち上げを開いたりするうちに、主催陣の手元に入ってくるものなんてほとんどなくなってしまう。
 どんなにうまく行った年も、たしかにフェスの実績にはなるのでしょうが、ぼくらは「主催アーティスト」であると同時に、いちばんの裏方です。(すくなくともぼく個人ですが)どちらにしろ名声を得たという実感はありません。CDのセールスが伸びるわけではなく、めちゃくちゃライブの集客が増えるわけでもなく、ボロフェスタの制作がなにか別の仕事に繋がるわけでもなく、長い準備期間と狂騒の三日間を終え、一息つこうと座って自分を見てみると、あいかわらず平凡なミュージシャンのまま。

 儚いなあ、と、終わるたびに思います。

 ならば、そんなことを、どうして続けるのでしょう。かたちに残る、たとえばアルバム一枚を一生懸命つくったほうが意味があるんじゃないのか。プロモーション・ツールとしての価値がないことはもうとっくにはっきりしているんじゃないのか。
 うーん。どうやら、ぼくはあの「つくった作品が、また更地に戻る」感覚が好きなようです。
数年前までお世話になっていたある人に―詳しいことは知らないのですが、彼はたしか、テント芝居の設営や大道具として日本中を旅していたひとでした―こんなふうに云われたことがあります。

 ―サーカスやテント芝居がなぜあんなに素敵なのか知ってるか?あれはなんにもないところにある日突然現れて、去っていったあとにはまた何も残っていないから、いいんだよ。

 彼は、またいつかこうも云っていました。

 ―儚いって、ヒトへんにユメって書くだろ。どんなにあっけなくても、確かにそこにヒトがいて、ユメはあったんだよな。

 文字にすると金八先生みたいな空気になりそうですが、でも、大きな焚火の前で、焼酎でへべれけになりながら、ぽつりと呟かれたそのことばは、ほんとうに胸に響くものだったのです。その後、ぼくの不甲斐なさのせいで彼にひどく迷惑をかけてしまうことがあり、それ以来すっかり疎遠になってしまいましたが、いままで人から話されたことばで、いちばん影響を受けたのは、あの酩酊の中のひとことかもしれない。

 おっと。今回のお話は、べつに感傷的になりたくて書いているわけじゃありませんでした。なんにもないところから作り上げたものが形になって、それがたくさんのひとを楽しませたり感動させたりして(JJもインタビューの中で書いているとおり、そこにはお客さんだけではなく、スタッフ、ミュージシャン、応援してくれる街のお店も含まれます)、最後はまたゼロに戻ってゆく…そういうストーリーそのものと、そこに流れ込んでくる様々なユメが、ボロフェスタの大きな魅力(それはいろんなフェスの底に共通して在る魅力かもしれません。ストーリーの展開の仕方がフェスの個性になっている気がします)であり、ぼくにとって離れがたいものなんだろうというということが云いたかったのです。

 9月に入って、準備のために決めなくちゃいけない案件、会いに行かなくちゃいけないひと、まとめなくちゃいけない情報、そのほか考えたり議論したりしなくてはいけないことが飛躍的に増えてきました。今夜は、明日のミーティング用の資料をつくるつもりです。エクセルが一向に使えるようにならないので、あたまが沸きそうになる。それ以外にも、ほんとうに向いてないなと毎年思い知ることがあまりに多いボロフェスタですが、束になってやってくる卑小感と逃げ出したい気持ちを、ちいさな鑿で削るようにして(あるいはみんなに何もかも助けられて)なんとか乗り越えたあとに見える景色は、いかんとも形容しがたい。今年もがんばります。泣きながら。

posted by youcan at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする