2013年11月29日

Goodbye's too good a word, mate(オーストラリア式にマイト、と読んでほしい)

 来月、こんなイベントがあります。


「さらば、ゆーきゃん」

12月27日 (金)木屋町UrBANGUILD(http://www.urbanguild.net

[出演]
▼ゆーきゃん「あかるい部屋」バンドセット
田代貴之/田辺玄/森ゆに/妹尾立樹
▼ゆーきゃん&フェザー・リポート
日下部"だいちゃん"裕一/岩橋真平/岡村寛子
▼ゆーきゃん with his best friends
ラリー藤本/伊藤拓史/柴田康平/赤井裕/植木 晴彦
▼Ur食堂バンド(オリジナルあくび)
石渡新平/ひさよ
▼ライブペインティング:足田メロウ

うた:ゆーきゃん

OPENING GUEST:井原羽八夏

写真撮影:勝俣信乃
PA:粕谷茂一
企画制作:マドナシ(キツネの嫁入り)

OPEN 18:00 / START 19:00
adv.2000 yen + 1drink / door.2500 yen + 1drink

チケット予約 / 詳細
UrBANGUILD 
MAIL:urbanguild@w7.dion.ne.jp 
TEL:075 212 1125


 いろんな人から、どうせまたすぐもどってくるんでしょ、と云われるんですが、今回ばっかりは「まあね、待っててよ」と軽口めいた答えを返すのがためらわれます。生まれてこのかた、それまで思いもよらなかった道ばかり歩いてきたので、この先どうなるか全然わかんねえや、というような状況にはすっかり慣れっこなんですが、京都はぼくを自由に泳がせてくれ、育ててくれた水槽でした。いや、アイデンティティのひとつにさえなっていた感があります。ステージの始まりに「きょうとし、かみぎょうく、かみしちけんからきました、ゆーきゃんといいます」と挨拶してからギターを弾き始めると、すーっと気持ちが歌のほうに向いていったのをいまでも覚えています。そんな馴染の街を離れるにあたって寂しくないはずもなく、「とはいえ、名残惜しいよね」とあちこちで愚痴めいた話をしていたら、見かねた旧友・マドナシが「ほんなら俺が送別会をやってやる」と、こんな素敵な、というよりも無謀なイベントを企画してくれました。ひとが来るのかどうか、全然自信がないのですが、とりあえずこれだけ縁あるプレイヤーを呼んでおけば、すくなくともぼくはこころぼそくない、むしろめっぽう楽しいのは間違いありません。

 知り合いの間では昔から、ゆーきゃんは何をやってるのかよく分からん、というのが定評でした。オーガナイザーなのか、レコ屋なのか、ミュージシャンなのか…音楽をやるにせよいったい幾つバンドやるんだよ、と。いい加減になにか一つに絞んないと大成しないよ、というアドバイスも度々いただいたことがあります。道理としては返す言葉もない、我ながら迷走だなあと思ったこともしばしば、それでも自分のこころ―というほどのものでもなくて、もっと胃袋の奥のほうにある何か―では、誰の云うことも聞くものかという底意地がずっと消えずに残り続けて、そればかりか、遠回りということはそれだけたくさんの道を歩けるんだなどと変な理屈を思いついたりして、いままでてくてくと寄り道しながら歩き続けてきたのでした。
 その、たどってきた道を振り返ってみるにつけ、経済的な成功も、名声も、業界的な評価も、もしかしたら客観的には音楽的な熟練や深みさえも、結局なんにも手にできてはいないんですが、不思議なことに口惜しいと思わないのです。いまここに15年前の自分があらわれて、オマエはなんのために頑張ってきたんだと肩を掴まれても、はっきりとした答えはなにひとつありません。いや、オレとは別の生き方もいいと思うよ、なんてことすら云いかねない、そのくせ、ゆーきゃんを続けてきてよかったかと聞かれれば、まちがいなくよかったと答えるんだと思います。ややこしいのか、単純なのか、こんなもんでしょうか。
 

 今回集まってくれるみんなとは、演奏を介して、ツアーで、酒の席で、とにかくいろんな場面を過ごしてきました。一番古くてもうGとメロウくんとモイチさんは13年の付き合い、一番あたらしいのは植木くんですが、去年の大晦日にふたりでB’zのALONEを熱演する(しかも僕はユキサダ店長にビリビリに破かれたノースリーブとホットパンツ)という非常にシュールな時間を共にしたりもして、みんな高いミュージシャンシップと馬鹿馬鹿しい遊び心を併せ持った、信頼できる音楽人ばかり。死にいたる病(たぶん今で云うところの中二病)のリハビリのつもりで歌い始めたときから、ひたすら(上手く表現できない自分と受け止めてくれない世界に)苛立った時期も、妙に(勘違いの)野心家だった時期も、(はじめからできやしない)打算や立ち回りで自縄自縛だった時期も、(調子に乗って東京なんて出るものだから)すっかり自分を見失ってしまった時期も、裏方とSSWの両立に悩んだ(この頃がいちばん呑んだなあ)時期も、借金に苦しんでも恋人に出ていかれても、結局「すべてを指して、ゆーきゃんと云うのだと」思わせてくれたのは音楽、彼らと一緒に奏でて生み出した音楽そのものだったのです。

 ここまで書いて、ふと読み返しましたが、なんだか引退する人が心残りに書いた最後のメッセージのようになってしまいました。いや、そんな大げさなものではなくて、これは単なる送別会とでもいいましょうか。お互い会える機会は減るけれど、元気でいこう、絶望するなよ!ということを云い合えればいいなあと、思っているだけです。富山に帰って、春からの暮らしがどんなものになるか、例によってまだ全然予想だにつかないんですが、きっと音楽はやめませんから。いや、たぶん向こうがぼくを離してくれない。逃げても逃げても、そこには音楽があるでしょう。西遊記のお釈迦様みたいなものです。

(余談ですが、正直に告白しておくと、3月にnanoの10周年があって、それにも誘われているのです。大切な場所の節目のお祝いなので、できるだけ駆けつけたいと思っています―おい全然さらばじゃないやんけ、と云われようと!)

 というわけで12月27日、忘年会を休みたいかた、仕事納めが早く終わったかた、そのほかお時間のあるかた、よかったらアバンギルドにお越しください。会場外で私物CD/レコード/本etc..の放出なんかもやってしまおうと思っていますので、別にライブは観なくてもいいや、というかたもぜひ。あ、でも長野から来てくれる井原さんの歌は聴いたほうがいい。いろいろ悩んでいたぼくに、やっぱり真摯に歌おうと思い出させてくれたひとです。


posted by youcan at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月26日

Ride (Slowly) Into The Sun

 気仙沼に行ってきた。行ってきた、とみじかく言い切った中に自分にとってどれほどの重みが潜んでいるのか―実はまだはっきりと見えてきていない。滞在は一晩、街の中は少し歩いて、パーティでライブをして、バスに乗って、また歩いて、電車に乗って帰った。それでも、二週間経ったいまも未消化の何かが内側にいっぱいこびりついたままでいる。だから、まとまらないままにだらだらと、思い出すことを書いてみようと思う。

 出発は土曜日の朝、でも、はじめからうまくいかない―飛行機に乗り遅れた。伊丹空港を使ったのも初めてだったし、格安航空券の会社が時間についてほとんど何も知らせてくれなかったということもあったし、言い訳はいくらでもできるにしても、要はチェックインカウンターへ到着したとき既に出発20分前を切っていたというわけ。手荷物検査の長い列の最後尾で途方に暮れていたところ、係の人が目ざとく声をかけてくれて、30分後の便に空席があるということで何とか事なきを得た。彼女はこういう困った風の客を見つけては聞きだす、という仕事で終日を過ごしているのだろうか。大変な仕事だと思いつつ、ありがたかった(そういえば今回はチケットの手配に苦労して、生まれて初めてANAを利用してみたのだけど、お金がかかるということは、つまりこういう細かなサービスに手間ひまをかけているということでもあるんだよね、と再認識した。と同時にそしてやっぱり、飛行機は苦手だなあ)。

 仙台空港に着いてからも、あまりにも空と紅葉が綺麗すぎて名取で降りてしまったり、乗換で降りた一ノ関のホームでぼーっとしていたり、なかなかたどり着かない。大船渡線の仮の終着駅(その先はいまだ復旧しておらず、バス輸送システムに切り替えとなる)である気仙沼駅に着いた時には午後四時を回っていた。

 市役所前まで歩いて、路線バスに乗った。今夜の主催のひとりであるワタルくんにメールして、降りる停留所を教えてもらう。バスはどんどん市街地を離れ、海沿いの道を行くかと思えば坂道を登り降りする。リアス式海岸を走るとはこういうことなのかと変な感慨を抱きながら、ふと考えた<車内には路線図ひとつ貼り出されていない。自動音声のアナウンスを聞きのがすと困ったことになるぞ>と。
 それなのに(いや、あるいは案の定だろうか)こういうとき人間はとことん迂闊になるもので「つぎは、大釜半造入口」と停留場名を告げられたとき、勝手に<入口があるっていうことは、この先には「大釜半造」(目的地)があるんだろう>などと思い込む。降りずに次の停留所。次。次。その次。いつまでたってもお目当ての名前は呼ばれない。バスはどんどん進む。ついに「本日はミヤコーバスをご利用くださいまして、ありがとうございました」。終点へ来てしまった。もうぼく以外皆降りてしまって、車内に乗客は誰も居ない。日も暮れ、あたりは真っ暗だ。運転手さんに尋ねる。戻りのバスって、ありますよね。ありませんよ。えっ、まだ六時前ですよね。でもこれが今日最後のバスです―なんということだ。携帯電話の充電も切れそう。たぶんワタルくんが教えてくれたはずの「大釜半造入口」からここまでは二十分ほどかかった、ということは徒歩だと…

 ―お客さん、どこまで行きたかったんですか。大釜半造です。えっ?入口があるってことは、その先もあるんだろうと思ってしまって。うーん、わかりました。会社に戻るんで、ほんとうはだめなんですけど、乗せていってあげますね。回送でひと乗せてたら怒られちゃうんで車内真っ暗にしますけど、我慢してください。

 冗談みたいなエピソード。気仙沼でバスを乗り過ごす。人生初の真っ暗な回送車両に乗る。あのネコバスってこんな感じかなあと、おかしなことを考えてみる。サツキだけを載せた猫の額に目的地「めい」と書かれたパネルが現れたときのことを思いだす(ネコバスの車内は真っ暗じゃなかったし、乗っているのはけなげな女の子じゃなくてただの間抜けな男だし、ぜんぜん比較にはならないんだけど)。

 そんなこんなで、会場の半造レストハウスに到着したのは午後六時半。もうパーティは始まっていた。オーガナイザーのひとり、佐々木健二さんのDJから。気仙沼の地酒を飲みながら、ゆらゆら踊った。東京からバスツアーで来たひと、東北各地から集まったひと、気仙沼のひと。出演者もお客さんも入り混じってのライブ、スピン、お酒を飲んで、フロアで音楽を浴びて、ストーブを囲んで話をして、バーベキューをやったりカレーを食べたり、疲れたら布団が敷いてあって、眠れる。レストハウスからすぐ先は海だ。太平洋。天気がよくて月も星もよく見えるけれど、波は激しい。海岸にそって続く岩場に当たっては砕ける音。左のほうを見ると、街の明かり。あれは陸前高田かな。右手には気仙沼の市街。レストハウスではヒップホップのレコードが大きな音で鳴らされている。これはなんだろう、夢かな。数日前に見汐さんがくれたメールには<半造レストハウス行くんだね。すごくいいとこだよ!ただそれだけ言いたくてメールした。>うん。すごくいいところ。それだけを云いたくてメールする気持ちがよくわかる。

 東京から来た友人たちとひさしぶりにゆっくり喋った。初めてお会いする青森や山形のお客さんやDJさんたちと共通の友人についてあれこれ言い合っては笑いあったり。この町の若者、そしてレストハウスのお二人から、あの日のことやそれからのことを話していただいたりもした。ライブは零時を回ってから。フロアに椅子を置きDJブースの前で歌う、このポジションがとても好きだ。濃厚なダンスミュージックが続く中にぽっかりと空いた余白そのものになった気分で歌うと、すこしずつ椅子の回りに体操座りの半円ができてゆく。届いたのかな、と思う瞬間。加えてこの夜は、いつか気仙沼で「太陽」を歌いたいと思っていた、その願いを叶えることができた。

 夜が更けて寒さが増してきたけれど、やっぱり演奏後はビールに限る。たのしくて、また呑み過ぎてしまう。結局ストーブ前のベンチで仮眠したのだが、うつらうつらとした後、あっ!と思って飛び起きた。午前六時、そうだ。朝日が昇るのだ。レストハウスを出て、海辺に向かって小走りで。あたりはすっかり白んでいた。
 昨夜、闇の中で白く岩を噛んでいた波は、あいからわらずの強さにもかかわらず印象がまったく違った。すさまじさは消え、清冽な力強さに満ちている。海の色は深く、空を反射して不思議なニュアンスで輝いている。

 気がつけば、みんな岬の先端に集まってきていた。日の出は六時一七分だという。あと十分ほど、寒くて、眠くて、途方もなく長い時間のように思いながら待っていると、誰かが、来た、と一言。暗い桃色の球体が水平線から切り離されるように昇って来る。それは徐々に大きくなり、やがて暗い桃色から暗い橙色へ、そして明るい橙色へと、目にもはっきり分かるスピードで色を変えていった。
おどろいたのは海の色の変化だ。朝日に目を奪われてしまっていた最中、ふと海に目をやると、一面が乳白色をしているではないか。まるで朝が来たのを喜ぶように、歓声をあげて迎えるように、静かに音もなく沸き立っている。これはいったい何だ、と思った。こんな儀式が誰に見せるともなく毎日執り行われているのか、ここでは。

 さらにもうひとつ鮮烈なイメージがぼくらを捉える。朝日が高度を上げてゆくにつれ、その光が海に一筋の道を作った。こちらにむけて一直線に、高い波に盛り上がりさざ波に揺らいだりしながらも、まるで歩けそうな―そう、海を割りなんかしなくても、そのまま歩いてゆけそうな―まっすぐに延びる道。ゆっくりと時間をかけて道幅を広げ、やがて太陽が昇り切ったところで海に拡散していった。
 ぼくは前夜のステージでルーリードのことを思いながら”Femme Fatale”のカヴァーを演っていたのだけど、朝日が海に敷設した一本道を見ながら思った―どうせヴェルヴェッツをやるのなら”Ride Into The Sun”が正解だったな、と。

 パーティは午前九時まで続いた(最後のほうは眠ってしまっていたので、覚えていないけど)。そのあと会場の掃除、記念撮影をして、地元の小学校の校庭で開催されていた「牡蠣まつり」をふらふらと見学したあと、ツアーバスに乗って気仙沼港へ戻った。ぼくはここでみんなとお別れして、三十分ほどの道のりを駅まで歩く。修理中の桟橋、プレハブの「復興屋台村」。流された家たちの土台。”震災 GROUND ZERO”と書かれた立て札。あたらしく何かが建つらしい工事現場に停めっぱなしのショベルカー。なんにもなくなったバスセンター、まるで駐車場のようなそこにバスが入り、ささやかに置かれた案内板の前で人を乗せて出て行く。ふと脇道に入ると、神社の石段があった。足が笑うほどの段差を上り切ったところにちいさな天神さんが構えてあった。街を見る。海を思いだす。降りてゆくと、高校生が四人、駅のほうへ歩いてゆく。同じ電車だった。剣道部だったりバスケ部だったり、それぞれちがったジャージとスポーツバッグを持っている。もしかしたら高校も違うのかもしれない。マンガを読んだり、ゲームをしたり、ときおり他愛もない話をして、ふとみんなで笑う。彼らと向かい合って座っているうちに、いつしか眠ってしまった。

 目が覚めると、一ノ関に到着したところだった。時刻は午後一時半を回っている。新幹線を待ちながら、きょうは富山と京都どちらに帰ろうか(まだどちらでもやることがいっぱい残っている)迷ったけれど、上野まで来たとき突発的に上越新幹線に乗り換えた。街に帰れば、昨夜のことがどこか遠くに行ってしまう気がした。午後九時四八分着のはくたか。日曜の晩、もう駅前にもあまり人がいない。鈍行に乗り換え、近所の駅から歩いて帰る。刈り入れの終わった田んぼは、グラウンド・ゼロでもなんでもないけれど、夜の闇の中ではよく似た景色に見える。かつては一面の水田だったところが、減反やら後継者不足やらで畑になったり耕作放棄地になったり売りに出されたりしている。新幹線の工事はずいぶんと進んで、来年末には開通するらしい。猛スピードでぼくらを東京に接続するあの流線形の乗り物がやってきて、この町をどう変えてしまうのか、あるいは変えないのか―ほんとうのところはまだ誰も知らない(気仙沼からもっと早く帰って来れるようになる、ということくらいは分かるけれど)。ぼくは昨日のバスの運転手さんを思いだす。「大釜半造入口」の停留所に戻ったとき、彼は、ぼくがどこに行きたいのかと、もう一度訪ねた。半造レストハウスです。まだ結構ありますよ。ちらりとぼくを見た彼の口調と表情は、なんならお店まで乗せていってあげようか、と云っているようだったのだ。


 おっと、書き忘れてはいけない。Just In Time、とても素敵なパーティでした。主催の健二さん、JET SONICさん、そして声をかけてくれたワタルくん、ほんとうにありがとう。見たアクトどれも楽しかったですが、個人的にはここ最近のモードが生音志向だったこともあって、あえての和モノの縛りで来たELLE DRIVERさんが非常にアツく、ジャズ/スウィング/モンドをメインに達郎まで持って行った嶋瀬陽子さんのDJがとても軽妙で心地よかったです。気仙沼のダブバンド”大島DUBNOTE”も良い空気。人間の暮らしに音楽が会ってよかったと、あらためて思いまいた。あとぼくの後にスピンするはずだった道男が起きて来なかったのが相変わらずでご愛敬で懐かしくて嬉しかった。急遽繋いでくださったJET SONICさんも流石でした。ゆーきゃんのあとは慣れてないとやりづらいだろうにね。
posted by youcan at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする