「ありがとう」を正しく云うのは、難しいなあとあらためて実感。
だから今日はもうお礼を諦めて、ただ得意気に話しかけようと思います。
井原さん、素敵だったでしょう。あんなに綺麗な日本語のうたを歌う人が、長野でマイペースに活動しているんです。
2000年代初頭の京都のうたものシーン(そういうものが正確に存在したかはおいといて、便宜上こう呼びます)に大きな影響を与えたのが、長野のミュージシャンたちとの交流でした。京大吉田寮や地塩寮、拾得、そしてパーカー・ハウス・ロールといった場所に長野の素敵なバンド達がやってきて、京都のうたうたいたちは巡礼のようにネオンホールを訪れました。まだ駆け出しだったぼくは、どちらかというと羨望の眼差しでその行き来を眺めていたんですが、井原さんの歌にはあの当時のままの「いいうたを生む土壌」に根付いた、そしてもちろん彼女の人柄と感性に由来する、やわらかくて明るいリリシズムがあります。京都を離れる最後の最後に、みんなに観てもらえてうれしい。
ステージに上がったミュージシャンの演奏、みんな素晴らしかったでしょう。フェザー・リポートはいつもゆーきゃんのエモーショナルな部分を引きだしてくれます。ベストフレンズは四年ぶりの一回きりのライブのために、既成の曲のアレンジを大胆に変えて臨んでくれました。急なセットリストの変更にも笑いながらすっと附いてきてくれるあかるい部屋バンドの余裕と耳の良さには毎度敬服しっぱなしですし、ほんとうに久しぶりに一緒に音を鳴らしたGとひーちゃんとのアンサンブルは、出逢った頃の気持ちをすーっと注いでくれました。ぼくの声は途中からすっかりだめになってしまいましたが、それでもあの長時間のショウを「聴ける」ものにしてくれたのは、みんなの力以外の何物でもありません。
音、よかったでしょう。アバンギルドに入っている「スリムチャンス・オーディオ」は職人気質とアーティスティックな美意識を併せ持った(そして心配になるくらいビジネスセンスがない。笑)とても信頼のおけるPAチームです。その一員でもありハコのメインオペレーターであるモイチさんは、他会場では声が小さくて「ちゃんと歌う気あんのか!」と怒られていたルーキー時代から、ゆーきゃんの良さを探し出して、生かそうといろんな工夫をしてくださっていました。年月を経て彼自身のスキルもどんどん上がってゆき、いまではアバンギルドというすこし特殊な環境をもっともよく知るPA、そしておそらく日本中でゆーきゃんを一番上手にオペできる人じゃないかな、と。この企画が、この場所で、この音でできてよかったと思います。
ご飯やお酒、美味しかったでしょう。これはアバンギルドでイベントをするたびにいつも云っているのでいまさら書くのも面倒なんですが、あのお店にライブを観に行って飲み食いしないのは、楽しみを半分損してます。混んでいて諦めた、時間がなくて食べられなかったというひとは、次の機会にぜひとも。それにしても、営業終了時間に終演というとんでもない進行にもかかわらず、嫌な顔ひとつせずにその後も飲食を提供してくれるスタッフのみなさんの器のでかさよ。オーナーのジローさんが別の仕事終わりで駆けつけてくれたのもうれしかったなあ。
写真と映像、勝俣さんはわざわざ関東から駆けつけてくれ、牧野さんは多忙なスケジュールを縫ってチームで撮影にのぞんでくれました。出来上がってくるまでにもう少し時間がかかりますが、ぼくの見込んだ人たちですから、素晴らしいものになるのは間違いありません―ただし被写体の問題とライブの出来を除けば、ね!
自分たちのワンマンライブと日程が近いのに、仕事も連日連夜の残業で大変なのに(しかもマドナシは当日も残業で途中から参加!)、街を去る友人のために送別会を企画してくれたキツネの嫁入りのマドナシとひーちゃん、こんな素敵な心意気の奴らが京都にいることは、ぼくの嬉しさを措いても特筆に値します。上昇志向やセルフ・プロデュース力がますます求められてゆく時代にあって、かえって「他薦」の価値は上がってゆくでしょう。群れでなく内輪でなく、ほんとうに好きな、共感できる仲間を立てたり助けたりすることは回りまわってきっと自分に帰ってきます。イベント終了後にふたりと話をしていて、そんな信念をあらたにしました。
そして、この日のために遠くから来てくれたひと(終電をはるかに超えるタイムテーブルを組んでしまってごめんなさい)。忘年会を休んで来てくれたひと。午前0時ジャストの終演まで付き合ってくれたひと。ゆーきゃん、なんて欠陥の多い、うたもギターもけっして上手とは云えず、楽曲もさほどキャッチーではなく、告知内容も忘れ、、話にまとまりもオチもなく、ついには一時間も押してしまうシンガーソングライターが二十曲ものステージを歌い切れたのは、みなさんの感受性の豊かさと寛容さ、なにより「聴く」ということに向き合う姿勢によるものだと思っています。どうか、誇ってください。ゆーきゃんでさえ「聴けた」のですから、もうみんなはなんでも「聴ける」に違いありません!
疲れて朦朧としていたのと、咳止めシロップでちょっとハイになってたのもあって、細部は覚えていませんが、終わり際に、たぶんこんな話をしたような気がします。
「愛されたいと思っていた。愛されたい、認められたい、受け入れられたい...でも、愛されるためには、愛さなくてはいけなかったのだった。
お金を愛さなかったから、お金を儲けることはできなかった。名声を愛さなかったから、たいした地位も手に入れられなかった。お客さんにも愛が足りなかったんだと思う、だから人気者にはなれなかった...彼女にも逃げられた(ここで会場から、笑いながら「がんばれー!」という声が飛んだはず)
でも、音楽のことは、せいいっぱい愛したつもり。そのおかげで、リスナーとしても、プレイヤーとしても、オーガナイザーとしても、とてもたくさんのすばらしい景色を見せてもらうことができた。
なにより一番大きなことは、音楽を愛したからこそ、音楽好きに愛してもらえたということ。こんなにもたくさんの―」
音楽がぼくをたった一度でも愛してくれたかどうか―正直なところ、わかりません。才能も努力も運も、やっぱり足りなかったんだろうなあと思ったりもします。自分なりのやりかたにこだわりを持ちすぎて、はっきりいって効率は悪かったでしょう。音楽的じゃないことに、いっぱい足をとられもしました。
でも、2013年12月27日、ぼくは、間違ってなかったと知ることができました。
"Don't Think Twice,It's Alright"アンコールで歌ったボブ・ディランのカヴァーは、たぶん世界で一番ポジティヴな「くよくよするなよ」だったはず。
サンレインの旧倉庫の片づけがちっとも進まず、1月はもう一回京都へ来なくちゃいけなくなりそうです。3月までは全国各地でまだ数本のライブがあります(詳細はまたお知らせしますね)。昨日拾得にCHAINSを観に行ったら、ラリーさんに「帰る帰る詐欺か!」と笑われましたが、富山以外でお会いするみなさん、もうしばらくお付き合いください。富山のみなさんは一緒に立山(できれば大吟醸!)で乾杯しましょうね。