2014年01月31日

Drink up but don't stay up all night(ミワさんのこと)

 ミワサチコ、というシンガーソングライターがいる。

 彼女は、主婦ミュージシャンだ。福岡から大分、そしていまは北九州に住んでいる。だんなさんの仕事の都合であちこち移動しているのだろうか、詳しいことは知らない。
 頻繁にではないけれど、彼女も東京でライブをすることがある。東京では田代夫妻のお宅に滞在することがほとんどで、ときどき同じように厄介になるぼくと同宿になったりもする。はじめて会ったのは、たしか、そんな時だった。ぜんぜん寝つけなかった夜行バスに疲れて明け方に田代家へ到着したのだが、いつもは開けてくれている鍵がしまっていた。インターホンを押して出てきてくれたのが、ミワさんだったというわけ。あの朝のことはよく覚えている。初対面なのに(CDは前から持っていたけれど)やたら会話が弾んだからなあ。

 それ以来、とくに密に連絡を取り合うというわけではないけれど、なんだか勝手なシンパシーを感じている。九州に行くときには主催の方々に「ミワさんも呼んでほしい!」とお願いすることが多かった。サンレインレコーズでもミワサチコのCD-Rは売れ筋作品で、バックオーダーをするたびに彼女はちょっとした手紙を添えて送ってきてくれた。手紙のなかでも彼女は博多弁を使う。話し方を知っているからというのもあるけれど、書きことばさえもミワさんのリズムになっていて、読むのが楽しみだった。いつか東京か京都で一緒にライブしたいねと言っているうちに、富山に帰らなくてはいけなくなったのだが、幸いleteのしんたろうさんが良い日程をくださって、やっと念願を叶えることができた。
 
 福岡在住だった田代夫妻とミワさんの親交は旧い。田代くんが隣でベースを弾く歴史に関しても、ゆーきゃんよりミワサチコのほうが長い。田代くんがベースを弾くバンドを(個人的に知り合う以前から)たくさん見てきて、そもそもぼくは彼のベースのファンでもあるのだけど、いままで見てきたなかで最高だったのはとある日曜の午後、田代家でのミワさんとの<練習>。ギャラリーは、ぼく独りだ。あれは奇跡だったと思っている。もう見れないかもしれないとあきらめていたのだけれど、東京で共演ということは、ミワ×田代の演奏をステージで見られるということだ(あたまのなかでは自動的に田代くんが一緒に出てくれることに決まっていた)。1月25日は、たしろまつりにしよう。そして願いが叶いそうになってしまうとさらに欲張りになるのが人情というわけで、こんどはふたりを東京の外へ連れ出したくなる。そうだ、松本へ。こうやってぼくはいろんなものを半ば無理やりにつなぎ合わせてゆくのだ。

 でも、結果としてこの二公演は素晴らしいものだった。leteでは田代くんが直前まで風邪で寝ていて(木曜から滞在していたミワさんの話では、当日の昼なんかは立ち上がりさえできなかったらしい)実はどうなるかと心配していた―練習している時間が取れなかったということでミワさんとのステージはなくなり、<たしろまつり>としては成立しなかったのだけど、ひとりで腰かけたミワさんから、ことば少なく矢継ぎ早に演奏される曲たちは、まるでそれ自体が映画のワンシーンみたいだった。松本ではリハの時間も多少取れて、ミワさんの後半部分を田代くんと一緒にやってもらうことができた。彼女の曲が持つ独特なタイム感に、田代くんのベースが加わると、躍動感がぐっと増す。とくに"steps"と"まぼろし"の二曲は圧巻だった。初見のはずの松本のオーディエンスの反応もよくて、一緒に来れてよかったなあと、しみじみ思った(そして、田代くんの体調が快復したのが、なにより!)。

 このひとの音楽は、糖度が少ない。やわらかなことば遣いと、透き通った声はよく響くけれど、不思議なほどに甘みを感じない。ロマンチックで抒情的な世界が広がっているけれど、そこにある微熱は生温かさとは違う。これをサイケデリアと呼んでいいのかは、ちょっと分からない。フォーキーでナチュラルな匂いもするけれど、ニッポン人特有の湿度は低い。暗さと情念が同居しない(たとえば、古い工場街の果て、国道から枝分かれする畦道、港の夕暮れ、そんな自然と人工が入り混じったような景色たちを思い浮かべたりする)。キャリアの初めにUSインディの洗礼を受けたSSWはぼくらの世代以降とくに多いと思うけれど、ライオット・ガールにもならず、フェミニンなメロウネスにも流れず、こんなふうに文字通り凛としてある音楽を作る女性には、なかなか会ったことがない。田代くんは初期〜中期のエリオット・スミスを引き合いに出していたが、ミワさんの歌が英詞なら、Kill Rock Starsあたりからアルバムが出ていて、レコード屋さんで予備知識なく試聴して即買いし、誰かに自慢げに話す―たしかにそんな自分の姿が想像できる。

 なにが彼女の音楽を育てたのか。福岡という街のユニークな文化もあるだろう。その人脈を聞いていると、そりゃあ面白のが作れるようになるなあと納得する。もちろんそんな環境の影響を自分なりに咀嚼して吸収した天稟があることは間違いない。けれどぼくは考える、何よりも、彼女が自分自身の暮らす<リズム>に耳をすましたこと、それが始まりであって、すべてなんじゃないか。
 さっき、彼女は主婦ミュージシャンだ、と書いた。普段、そんなことはどうでもいいと思っている。そのひとがプロフェッショナルであろうと、他に仕事を持っていようと、生まれてくる音楽の価値には差なんてないはずだと考えているのだ。でも、その前提はミワさんのことを考えると、揺らぐ。

 ミワさんは朝が早い。田代邸の居間で寝ていると(客人の寝場所はだいたいそのあたり)洗い物―自分が使ったのではない食器を洗う音で目が覚めたりする。めっちゃ酒のむし、さっぱりしていて、ざっくばらんで、話しているとついつい長くなってしまうんだけど、夜は夜で、普段は夜9時に寝るという。自分のペースで、でも丁寧にやるところはやる、対話を好む、他人に強要したり責任転嫁したりするのを嫌う、そんな空気がミワさんの回りにはある。その空気は暮らしの中から自然と生まれてきて漂うものだ。そして、彼女は空気の底に流れているリズムを下敷きに、うたを書いているのだろう。ミワさんのCD-R作品は自宅のキッチンで録音されているのだが、なんだかとても象徴的だなあと思う。

 (ねんのため、これは生活感、とは違う。ミワサチコのうたは<生活>というよりも<目撃>や<遭遇>に近い。問題は生きざまを歌うかどうかではなくて、見たものや立ち会った出来事を歌うとき、まなざしや語り口のなかに自分が生きているかどうかだ。それはつまり自分がどんなふうに生きているか、ということに他ならないだろう)

 云いなおしてみよう。専業か兼業か。普段なにをしているか。そんな事柄と生まれてくる音楽の価値とは関係がない。ただし、普段の暮らしかた、ものや時間の感じかたは、確かにぼくらの生みだすあらゆるものの土台となっている。そこにある生活を生きることと、そこから生まれてくるメロディやことばを掴まえてゆくことは、たぶん、ふたつの車輪のような関係だといえるんじゃないだろうか。それはきっとプロであってもアマチュアであっても、五十歳を越えても高校生であっても、生活が素晴らしくても最低であっても、あらゆる創作者/表現者に共通することなんじゃないだろうか。

 さらに云うと、ふたつの車輪をつなぐ、車軸のようなもの―それがイマジネーションであり、あこがれであり、夢であると。そういえばミワさんの曲に「ながいあこがれ」ってあったな。あっ、まとまった。これ以上えらそうなことを書きだす前に、ここで止めておこうっと。ミワさん、二日間ありがとう!そして連日夜中までつきあわせてごめん。また福岡行くから一緒に飲もう。富山でもいい店見つけたから、いつかおいでよ。




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2014年01月30日

Try a little more tenderness(松本のこと、新美くんのこと)

 年が明けてから初めての小旅行。横浜から東京、そして松本と回った。
 もしかしたら当分は来れないだろうと思う場所もあるだろうと思い、できるだけゆっくりと移動して、いっぱいに街の空気を吸い込んで、ことば数を費やして話をした。
 お世話になってる人にもたくさん会えた。足を延ばしてみたいと思っていたところへも行った。海も山も空も見た。自分の暮らしている世界が、どれほど豊かで恵まれているか―あらためて噛みしめながら。


 最終日は松本。この街へ通うようになってから、じつはまだ日が浅い。術の穴からのリリースがあって、そのつながりで瓦レコードに呼んでいただいたのが初めだから、ほんの二年あまりのはずだ。その間にいままで五度ライブをしている。夏の盛りにも二度、春先に一度、そして今回が三度目の冬。
 初めて訪れたときは雪だった。打ち上げは鍋。民家の間取りをほぼそのままを使った瓦レコードの店内、ぼくらが鍋している部屋の隣の応接間では別のDJイベントがはじまっていた。バーカウンターにはただ飲みに来ただけのお客さん。なんて自由な場所だろう、と驚いたのを記憶している。

 今回のライブはその時に共演した新美くんのお店、Give Me Little More.が会場だった。瓦レコードからすこし駅のほうへもどったところ、相変わらず女鳥羽川沿いの、今度は古い喫茶店を改装したお店。いまだに看板はまだ「シエラ」のまま。改装ということばをはみ出して、イベントスペースは隣の居住空間に壁をぶちぬいたという、なんとも豪快な設えになっている(バースペースとの通用口には扉がついているけれど、あきらかに奇妙な接続で、一緒にいったミワさんは一目で「これ、もともと別の建物よね」と見破っていた)。普段はバー営業がメインだが、じつはライブもできる、自主映画上映もやる、トークイベントもある、アジトめいた場所。松本の中心部をふらりと歩けば、まず目につくのがよく保全された風情ある町並みだが、じつはこういうレトロな建物を再利用したDIYっぽいスペースもけっこうあって、とくに女鳥羽川沿いでは街づくりがカオテッィクなせめぎ合いを示しており、なんだか京都に似ている気がするのだ(京都のほうがエネルギーの拡散率は高いけれど)。

 厳密には新美くんとの出会いは、最初の共演からさらに数週間さかのぼる。彼が仲間たちと作っていたフリーペーパー『隙間』(http://sukimapaper.com/)で、特集の一環として電話インタビューがしたい、というメールをくれた。信州大学の学生が中心となって「地方文化について再考する」をテーマに発行されていたこの無料誌の、最後となる号だった。富山から京都へ出て、東京で数年暮らしまた京都に戻っていった<ゆーきゃん>という人の、歌をうたいフェスをつくりCDショップをやるというちょっと変わったあり方に小さなヒントがあると思ってくれたらしい。遠くの街の、商業目的でない媒体からこうしたオファーをもらったことは初めてで、とてもありがたかった。さっそく電話で取材を受け、いつものことながらまた長い話になった。電話代のことを思うといまでも申し訳ない。どうせ翌々週には会うんだし、結局いつもたくさん加筆修正するんだから、工夫すればよかったんだけど…でも、そのおかげで、鍋を囲んでいろいろな話をするときには、たとえば<DIY>とか<ローカル>とか<クロスオーヴァー>とかいうことばが上滑りの理想論で終わらずにすんだのも確かだ。のちにふたりがそれぞれとってきた動きを考えると、あれがよかったのかもしれない。
 まだ学生だった新美くんだが、学校で勉強していること、『隙間』の制作を通じて実践したり経験したりしていること、そしてサロンのようなフリースクールのような空気をもつ瓦レコードに出入りすることで(たしか当時瓦のバイトだったはず)吸収していること、それらが自分の内側で絶妙な塩梅に混沌としていて、なんだかとても面白い人だなあと思った。ただ、彼のなかではその混沌が多少の悩みだったようで、就職するか、自分でなにかやるか、決めかねている風だった。打ち上げの勢いもあって、適当な気持ちで(瓦のオーナーのSleeper君とのやりとりがいいコンビだと感じたこともあって)「新美くんが瓦やりなよ!」と云ってしまったのをぼんやり覚えているのだが、まさかあの軽口から始まって、瓦をやるどころかついには自分のお店まで出してしまうところまでは想像しなかったなあ。

 Give Me Little More.の内装は去年の夏、オープン記念のイベントにも呼んでもらったときとあまり変わっていなかった。ありあわせ、という言い方がほめ言葉になるかどうか分からないけれど、この、がんばらず、あえてこだわりを少なくして、それでいて居心地のよさのを作ろうとしているところが好きだ。それが逆に「いい感じ」になる。
 嬉しかったのは、耳なりぼうやの長橋くんが出てくれたこと、そして、井原さんが長野から電車に乗って遊びに来てくださったこと。じつは、新美くんと出会った初松本の夜、他の2人は井原さんと永橋くんだったのだ。あの夜の四人がまたそろったことになる。二年ぶりの長橋くんの歌はとても成長していたように思えたし、井原さんに先月のアバンギルドのお礼を言えたのもよかった。しかもそれだけではない。ジュリー・ドワロンとのツアーでお世話になったちふみさんも駆けつけてくださって、すこしお話できた。彼女があたらしく始めようとしているプロジェクトはとても意味深いものだと思う。これからぼくが携わってゆこうとしていることと若干リンクもするし、微力なりとも何かでサポートするつもり。さらに驚いたことに、なんとサイクロンズのホーリーくんと拾得にいたゆかりちゃんの夫妻が安曇野から見に来てくれた!ぼくと同じ時期に京都から地元に帰ったのは知っていたけれど、まさかこんなところで会えるとは。ニッポンは狭い、「またね」は社交辞令じゃない、そして旅はするもんだね。

 到着したお昼過ぎにはまだ下がり切ってなかった気温も、終演後にはすっかり松本らしい寒さに。「京都から富山に戻ったときも、底冷えなんかなんでもなかったんだ、富山のほうがよっぽど寒いやと思ったんだけど、やっぱり松本はそれに輪をかけて冷えるね」と云ったら、長橋くんがちょっと嬉しそうに「よかった、それがアイデンティティですから」と笑った。翌日は快晴、空には見事な空色で雲ひとつなく、山並みが白く光を放っている。午前11時半、ふと駅の電光温度計を見ると、マイナス2℃と書いてあった。寒さがアイデンティティというのは、きっとすてきなことなんだ(もちろんこの街がそれ一つだけじゃないのは云うまでもないけれど!)。
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2014年01月15日

Golden Slumbers Fill Your Train

 富山に帰ってきてあらためて実感したのは、閉店時間が早いということだ。うちの近所なんかはまさしく田舎の夜の早さというやつで、11時には村中が寝静まってしまう。

 先日、頭を使う作業の合間に気分転換の散歩に出ようとしたところ、母親に火付けと間違われるのでやめてくれと、たしなめられた。まさかとは思ったけれど、確かに夜更けに出歩いている人が全然いない。もちろん市街に出てゆけば遅くまでやっている店もあって週末などはそこそこのにぎわいを見せているのだが、いかんせん距離がある。京都と違ってちょっと木屋町まで自転車で繰り出す、というようなことは難しい。タクシーも高い(余談だが、市町村合併のおかげで、ツアーに行くとき「市内のホテルを取った」と安心していると予想もしない僻地だったりする罠が増えた。駅からタクシーで5000円もかかる「市内」のホテルなんて、ねえ)。こちらで最近出会った素敵な若者たちに面白そうな音楽スポットを何か所か教えてもらったのだけど、オールナイトイベントに出かけるなら本気で朝までを覚悟してゆかなくちゃならないようだ。

 京都にいる富山出身の友人が帰省してきて、滞在の最終日に会った。その日のうちにサンダーバードで戻らなくてはいけないというので、駅前のバルで呑んだ。最終(とはいっても8時なんだけど)ぎりぎりまで粘り、彼を見送って、自分の乗る列車(ぼくの最寄駅は、富山のひとつ西隣の呉羽というところ)の時刻まで40分ほどあったのでもう一杯だけ呑もうかなと思い、また別のお店に入った。一杯だけのつもりだったはずが、たまたま隣にすわったスペイン人の老夫妻と話し始めると止まらなくなってしまった。

-富山の人間か。そうだ、でも先月まで京都に居た。京都だって!ぼくらは明日京都へ行くんだ。キタノ・シュラインに行くつもりなんだけど。へえ、そうなんだ!ぼく、そのすぐ裏に住んでたよ。ところでどうして富山に来ようと思ったの?いや、ほんとうは金沢から直接、高山へ行くつもりだったんだけど、ふらっと降りちゃってね、でもお酒も魚も美味しい、ところでこれはなんていう魚なんだろう?うーん、わからないや、大将に聞いてみよう、それにしてもさすがスペインの人だけあって魚にはうるさいね。

 なんてこともない会話だったはずが、2時間近くも話し込んでいたらしい。彼らを見送ったあと、ぼくも急いで駅へ向かった。ちょうど列車が到着したところ、あと15分ほどで出発する、席も空いていて、外は冷たい雨だけど車内はあたたかくて・・・気がつくと、金沢だった。

 金沢?

 ようするに乗り過ごしというやつだ。改札で駅員さんに事情を話す。しかしもう電車はないらしい。始発で戻るなら乗り越し料金をはらわなくていいと言われる。自分でもわりと茫然としているのが分かる。阪急電車の乗り過ごしは結構な回数を経験していた(梅田から乗って、起きたらまた梅田っていうアレね)けれど、まさか富山から金沢とは!新年早々、相変わらずの迂闊さがなんとも情けない。そして10時台に終電というダイヤのギャップをも痛感させられた(後日思い返してみると、特急ならば11時台にもあったのだが、そのときは起き抜けだったこともあり、そこまで頭が回らなかったのだ)。 

 結局、金沢で安宿を探して一泊。翌日も休みで助かった。いつもは特急に乗っているので足早に通り過ぎるだけの金沢-富山間も、午前中の鈍行列車では車窓や車内の雰囲気をゆっくり楽しむことができて、かえって得した気がしないでもない。
 いや、こんな風に書くとまた失敗を正当化するような、自分を甘やかすようなことになってしまうので-もちろん反省はしました。一週間の禁酒、そして今年の誓いは酒量を"断じて"減らす、に決定。そのうえで一つ書き留めておきたいのは、北陸本線の暖房、とくにあの手でドアを開け閉めする旧型車両の暖房の心地よさは、ほとんど危険だということ!



 うっかり眠ってしまうにはエキサイティングすぎる一夜になると思いますが、"bedroom"と名前のついたイベントに誘っていただきました。花泥棒が今年からスタートさせた企画、昨年の「さらば、ゆーきゃん」に来れなかったひとのために追加公演という意味も込めて、ちょっと長めに、いつもどおり安らかに、歌わせていただきます。


■2014年1月19日(日)京都磔磔
"BEDROOM KYOTO vol.0.5"

出演

花泥棒
モルグモルマルモ
ゆーきゃん(送別会アクト/アンコール公演)
りんりんぽっぷ from おとぼけビ〜バ〜

開場 17:00 / 開演 18:00
入場料 1,800円(別途1ドリンク代)


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2014年01月13日

The words of some poets are written in whisky

 富山の寒さや雪や路上に散布される融雪装置の噴水にもようやく慣れてきた気がするんですが、今週はまた京都へ行きます。

 明後日15日、choriと二人で始めた「ににんが詞」というイベントがあるのですが、これはライブではなくて「歌詞」についてあれこれ話すという、ワークショップのような、トークセッションのような、曲の聴かせ合いのような一晩です。

 https://blog.dion.ne.jp/pages/my/blog/article/regist/input

 前回、サンボマスターの「美しき人間の日々」をぼくが持ってきて「この曲、大好きなんです。でも、本当に<良い歌詞>と言いきれるかどうか、正直わかんないんです。だから、この歌詞が<よい>のかどうか、<よい>のだとすれば、その<よさ>について教えてください」と言ってから、みんな(ご来場の方を含む)に聴いてもらい、少しのあいだ話し合うということをやりました。

 もちろん<好き/嫌い>だけで充分なんだ、という大前提は重々承知しています。それでもみんなの考えを聞いてみたかったというぼくの病的な面倒臭さは、けれど、予想を超える多様な意見で見事に報われたのですが、choriの面白さは「じゃあ、これ、リライトしてみましょうよ!」という提案をくれるところです。「美しき人間の日々」を、ぼくらが各人なりに書き直してみるとどうなるのか?―かくして「詞の大学」初の宿題が出されました。

【1月の課題】
・サンボマスター「美しき人間の日々」リライト
該当曲の「詞」をあなたなりに「リライト」してください。言い回しや構成を変えてもいいし、テーマやモチーフだけを使ってまったくのゼロから書き直してみてもかまいません。可能であれば、当日それをプリントアウトしたものを数部〜十数部ほどご持参いただけると助かります。※このコーナーはプログラムの一部です。この日一日を通したテーマではありません。また、リライトは強制ではありませんので「書けなかったー!」という方もどうぞお気軽にご参加ください。(引用:nanoホームページより)


「美しき人間の日々」
http://www.youtube.com/watch?v=P6bn-Xh4P2k

 おかげで、毎日この歌詞のことばかり考えています。バスに乗りながら、電車を待ちながら、ご飯を食べながら、携帯に打ち込んだり、反故の裏に書いてみたり…なにもないところからイメージを刻みつけ、立ち上げ、膨らませてゆくいつもの作詞とちがって、ひとつの出発点が決まっているこのやり方はとても新鮮ですが、同時に非常にむずかしい(その昔、とあるコンピのためにあがた森魚さんの「赤色エレジー」のリライトをやったことがあるのですが、逐語訳のようになってしまって以来すっかり敬遠してきたという経緯もあります)。書いているうちにどんどん原詞とは関係のない世界に向かっていて、いまこの時点では、いったん書き上げた詞を「はたしてこれでいいのだろうか?」と首をひねりながら眺めているところです。


 <詩は謎の種であり、読んだ人はそれをながいあいだこころのなかにしまって発芽をまつ…(中略)どんな芽がいつ出てくるのかをたのしみにしながら何十年もの歳月をすすんでいく。いそいで答えを出す必要なんてないし、唯一解に到達する必要もない>
 

 これは、昨年たまたま本屋で手に取った渡辺十絲子さんの『今を生きるための現代詩』に書かれていたことです(ちなみに詩の入門書が好きでなぜか十数冊も持っているんですが、いつまでたっても初級以降に進めない)。ポップソングの歌詞は現代詩よりもはるかに平易なことばで書かれていますが、だからといってけして咲き切ってしまったり、すべて実になってしまったりしているわけじゃない。発芽を待つ種はどんな詩/詞のなかにもかならず留まっていて、今回の試みは<あなたがこの種の促成栽培をするなら、どんな風に発芽させますか?>という遊びといってもいいのかもしれません。そう思うとchoriめ、詩人らしいことを提案してくれるじゃないか、と嬉しくなってきます。
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2014年01月12日

かっこよくも悪くもないことはなんてかっこ悪いんだろう

 京都市内を中心に配布されているフリーペーパー『音読(おとよみ)』第10号にてロングインタビューが掲載されています。

 http://www.otoyomi.com/

 インタビューが苦手です。じょうずに喋ることができないのはもちろんなのですが、終わったあとに残る、あの「話しすぎた」という恥ずかしさを、どうしてももてあましてしまうのです。これはつまりセルフプロデュースの問題で、世界に対して(話す、という方法をつかって)自分自身をどう見せてゆくかという技能に欠けているということなのでしょう。
 いや、ぼくにもことばで自分をかっこよく見せたいという意識はあります。だからこそ話し終えて、読み返して、それがちっともうまくいっていなかったことに苦笑してしまう。いままでのインタビューは、ずっと、この居心地の悪さとの戦いでした。

 今回のテーマは「ゆーきゃんが居た京都の15年間」。前世紀末―ぼくがゆるゆると歌い始めたちょうどその頃からの京都音楽事情の変遷をたどりながら、ぼく自身の活動を話してゆくという、少し変則的なものでした。
 語られるに値するものが、誰からも顧みられずに打ち捨てられている。大きな成功の手前や傍らに、たくさんの挫折と妥協と教訓が転がっている。時の流れを振り返ってみると、いろいろな気づきがあります。と同時に、ぼく自身がどれほど街の空気を吸い込んで育ってきたのかをあらためて実感しました。

 編集長の田中さんからいただいた冊子を読み返してみて思ったのは、ここで話をしているぼくが、とにかく「かっこよくない」。そういえば今度は、自分をよく見せることについて何ひとつ考えなかったのでした。単純に、そんなことにかまっている余裕がなかったというのも理由のひとつなのですが、もうひとつには、これが<プロモーションとしてのインタビュー>ではないという事実があったのだと思います。自分を売り込むためではなく、CDやライブの宣伝のためではなく、ただ「ゆーきゃん」という媒体を通じて自身が見てきた景色について話す機会がいただけたこと。自分が(普段苦しんでいるように)かっこよく/かっこ悪く見えることを気にすることなく、できるだけニュートラルな眼差しと温度で話ができたこと。あらためて、とても光栄に思います。

 ただ、それでも「話しすぎたなあ」という反省はやっぱり残るわけで…当初は3時間程度の取材時間ということだったのに、夢中になって受け答えをしているうちにあちこち脱線し、結果として足かけ2日間、8時間にも及ぶ大ボリュームに。確認用に届いた原稿にも、誤解のないように、諸先輩方に迷惑をかけることのないように、慎重な訂正と補足を入れたので、とうとう予定の倍のページ数を奪うことになってしまいました。インタビュアの土門さん、たび重なる取材と筆入れ、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。田中編集長、2ページ分の借りはいつか何かで返します…

 ともあれ、一つの媒体にこんなに大々的に取り上げていただくのはおそらくこれで最後じゃないかと思います。メインの特集は「金とロック」。気になるでしょう、この見出し。毎号充実の『音読』、今回も製作者の想いの籠った力作です。入手方法は上記のリンクからチェックしてみてください。
posted by youcan at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする