2014年02月17日

きみの気配が消えて、この街はぼくにやさしい

 埋火が解散した。
 
 それだけを聞いて、最初に涌いてきたのは、残念さと同時に、拍手したいようなすがすがしさだった。ぼくは不謹慎だろうか。
 どうしてもうまく説明できないので、もう炎上でもなんでもいいのだけど、解散、しかも解散後の発表という選択肢がどれほど彼女たちらしいかということだけは書いておきたい。いろいろあっても、とにかくミシオさんらしく、志賀さんらしい終わり方だと思う。


 ある高名なミュージシャンがコラムかブログか何だったかで「バンドは生き物だ」と書いていたように記憶している(失礼ながら原典はどこだったか忘れてしまったが)。実際、彼のバンドはそれ自体がひとつの有機体―モンスターだった。すさまじい運動神経と筋力で街一つまるごと踏みつぶしてゆくようなライブを何度も観せてくれた<それ>は、オリジナルメンバーであるベーシストの脱退を機に、土へ還っていった。

 埋火は、やはり花のようだったと思う(こう書いたらミシオさんは妙に照れるだろうが)。派手さを好まず、けれど粋に、からっとした香りと、ほんの一瞬たゆたうような妖しさをもって、ふと道ゆく誰かの眼を惹きつけ、立ち止まらせる―そんな咲き方をしていた。青い空でも夜の明かりでも、たいがいのロケーションを自分たちの背景にしてしまうようなさりげない魅力があった。このバンドにとっては、やっぱり夜のうちに散って、朝みんなが目を覚ましたときにはアスファルトにすっかり花弁を落としてしまっていて、みんな残念がりつつも潔さを覚えてしまう、そのくらいが、かえって色気があってちょうどいい気がする。


 "菊坂ホテル"という曲のなかで、ミシオさんが「あんた馬鹿だけど、素敵よ」と歌うところがある。ぼくはあのパンチラインが最高に好きで、この人はこのフレーズをうたうために生まれてきたんじゃないかとこっそり思ってきたのだが、ホームページに載せられた解散のお知らせの、さらりとした、けれどさまざまな想いと話し合いを経たであろう文章を何度も読み返すにつけ、おすし(我々はミシオさんをこう呼んでいる)、こっちに負けず劣らずあんたも馬鹿なのかもしれない、だけど、やっぱりぼくはあんたが好きだな、と。

 ただし、言い残したことがふたつ。ひとつは志賀さんの、マラカスでフロアタムを叩くドラミングがしばらく見れないのは残念だ!てこと。あれ好きだったんだけどな。それともうひとつ、おすし、志賀さん、須原さん、おつかれさまでした。ほんとにいい音楽ありがとね。これからも楽しみにしてます。


*タイトルは埋火の歌詞から拝借したものですが、初出時に誤りがありました。お詫びして訂正します。
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2014年02月16日

あと五年 世界が滅ぶ歌は三分半で終わってた

 いや、ほんとうは四分四十三秒である。何度か指摘されたけど、デヴィッド・ボウイの"Five Years"のことだ。

 ちょうど十年前の、初めてのアルバムの冒頭に収録された、三分に満たない小曲"明けない夜"を、ぼくのレパートリーのなかで一番好きだと云ってくれるひとは、意外にも、そしてありがたいことに、少なくはない。
 リリースから十年にもなるのに全出荷数はたったの千枚っきり、生産も終了し、いまでは手に入りにくくなってしまった『ひかり』というアルバムは(ときどきアマゾンでびっくりするような値段がついているけれど、どうか間違っても買ったりしないで。こっそりCD-R焼きますからそのお金でもっと美味しいものとかいい本とか買ってください)、ワイキキレコードから発売された。レーベルオーナーであるエレキベースのサカモトくんが初めてゆーきゃんのライブを観たのが2003年のボロフェスタ、そしてこの"明けない夜"が生まれたのはその前日だ。


 十月半ばの京都は昼間そこそこ暑くなるくせに、日が落ちると急激に冷え込む。まだ西部講堂で開催していたボロフェスタ、会場の特質上どうしても戸締りには不安が残るので、音響や照明の機材は誰かが泊まり込みで番をしなくてはならない。その日の担当は、ぼくだった。

 ボロフェスタ自体、まだ二年目を迎えたばかりで、スタッフはみんな不慣れだったのだが、なかでもゆーきゃんと云えば<無能>の代名詞になるほど、何一つ―ほんの少しの的確な指示も、なんとか物事が進行するような段取りも、設営の邪魔にならない程度の作業も―できなかった。チケットの売れ行きも芳しくない、当日の動員もまったく予想がつかない、そして赤字になったら主催の四人が払わなくてはいけないのだ。当時のぼくに貯金はゼロ(いまもないけれど!)。あれほど疲労と不安と自信喪失に押しつぶされそうになったことは、ない。なにが見返りにあるのかも、なぜこんなことを始めようと思ったかも、まったく分からなくなっていた(実際、片づけが終わったあとでぼくは加藤さん相手に、もうやめますと泣きながら云ったんだっけ)。

 泊まり込む場所は散らかった事務所。頼りになるのは古びた石油ストーブ、シートが切れてスポンジの覗くソファ、いままで誰がどれほど使ったか分からないぼろぼろの毛布、そしてラジカセ(あの場所ではこれだけが救いと呼べただろう、たしかSONYの名機ZS-M5をJJが持ち込んでいたはず)。日付が変わるまで翌日の進行についての会議、そしてみんなが帰って、ぼくが独り残る。疲れているのに眠れない。早く終わってほしいのに朝が来てほしくない。音楽フェスの主催者が、開催前日に音楽を聴きたくなくなっている。

 んー、書きながら気持ちがぶり返して辛くなってきた。どうせいろんなことが朦朧として細かいことは覚えていないし、この辺りの描写はもうやめておこうか。とにかく無理やりビールか何かを流し込んで自分を寝かしつけて、ラジオはつけっぱなしで、起きたら夜が白みはじめていた。立てつけの悪い木の扉を開けっ放して外に出て、ラジオからだったか自分の口からだったか分からないけれどデヴィッド・ボウイが流れて、寒くなって事務所に戻って、ギターを抱えて、口をついて出たのが「ガラス色の雲の彼方」というフレーズだった。それから一気に書き上げた―というより、なにも書いていない。三分半、というのは"Five Years"が終わるまでの時間というより、"明けない夜"が出来上がるまでの時間のほうが近いかもしれない。

 この年のボロフェスタには、弾き語りで出演した。会場のどこかで観ていたサカモトくんが翌年リリースのオファーをくれて、『ひかり』にはピアノの伴奏で収録された(昔のこととはいえ、スキマスイッチのしんた君が一つ返事で演奏を引き受けてくれたのは、なんと恐れ多い…)。それ以来たくさんの人と一緒に、たくさんの場所で演奏されてきた"明けない夜"、こうやってつらつらと思い出してみると、たしかにいちばん多く歌った曲だ。


 さて、いままでは前置き。長すぎる前置き。本題は、去年のボロフェスタの映像が、スペースシャワーDAXで公開されているんだけど、そのなかにこの"明けない夜"が入っているってこと。



 個人のフェイスブック・ページに書いた通り、不覚にも、そして恥ずかしいことに、自分のライブ映像に泣いてしまった。とにかくメンバーの演奏が、音が、よい。歌い手の貧相さを除けば、映像もとても見事だ。ベースは田代貴之、ピアノは森ゆに、エレキギターは田辺玄、ドラムは妹尾立樹、PAは宋さん、照明はRYUクルー(杉本さんかな、小川さんかな)、そして撮影は『太秦ヤコペッティ』 『SAVE THE CLUB NOON』の監督でもある宮本杜朗さん率いるチーム。ちなみに宋さんは、2003年のボロフェスタの時もオペをしてくれた。演奏直後に叫んでいるのはたぶん木屋町ラクボウズの店主、高橋だろう(あいつはいつも酔っぱらうと「明けない夜、歌ってやー」とせがんでくる)。

 「いちばん多く歌った曲」と書いたけれど、たぶんこれ以上の演奏は、ない。弾き語りはもちろん、健太郎のピアノとデュオで残したテイクも、夢中夢の依田くんにギターを弾いてもらったヴァージョンも、須原さんとのライブ録音も、フェザーリポートでのアレンジも、これまでに演奏した形態のどれもが素晴らしい瞬間を見せてくれたのだけど、このボロフェスタ2013のステージは、もはや完成度うんぬんではなく(実際この五人で音を出したのは三カ月ぶり、その間リハは一度もない)、全員のなかの景色が、呼吸が、ことばが一致してしまっているという感じ。なんと奇跡的なハッピーアイスクリーム(死語?)だろうと、ぼくは泣きながら笑った。


 「ゆーきゃんの歌、最初はよくわからなかったんです」と云われることが多い。みんな正直でよろしいと思う。だって、ぼくにもよくわからないんだから。今でさえ書きだしてみると<ガラス色の雲の彼方、沈めたのは甘い夢のかけら、その赫い光だけがまだ飽けぬ憧れを照らす>ってなんのことだよ、と思う。

 でも、そのよくわからなさが、わからなさのままで少しずつ焦点を定めてゆき、ついにことばと音楽がぴったりと一致したところに到達したときに<わかる>瞬間が芽生えることもある―なにがわかったか説明しろと云われても、やっぱりわからないんだけど―。いつだったかJOJO広重さんは「歌は、どんなに小さくても、いつかきっと届く」とおっしゃった。その<小さくても>が示しているのは、たぶん、音量のことだけではないのだ。英国のロックスターが「俺たちにはあと五年しかない」と叫んだ名曲の続きを、極東の小声の歌うたいが十年のあいだ地味に歌い続けてきて、ささやかながらあのステージまでたどり着いたことは、なんだかそれを少し証明できたようで、ちょっとだけほっとする(まあ、曲のなかでは四分四十三秒を三分半で強制的に終わらせているんだけど)。お前の歌はよく分からんと嗤われたりけなされたりしているみんなも、まだまだ絶望してはいけないよ―すくなくとも、世界が終わるまでは。


 あっ、DAXにはボロフェスタに出て下さったバンドの映像が他にも多数上がってます。名演・好演ばかりですのでぜひ。"Five Years"を聴いたことのない方は、なるべくならレコード買ってください。
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2014年02月10日

North country girls & boys

 先週の土曜日、金沢科学技術専門学校(KIST)映像音響学科の卒業記念イベントに呼んでいただいた。

 正直に言うと、この学校とぼくは、ほとんど縁もゆかりもない。せいぜい先日の「めざめ」でカメラを回してくれていた若者がここの学生さんだったことくらいか。正月に13年ぶりの再会を果たしたnoidのさんちゃん(当時はnoidではなく別のバンドでドラムを叩いていた)が、彼のバンドも出るんだけど一緒にどうかと誘ってくれたのだ。

 東京に45年ぶりの大雪が降った日、北陸はいつもどおりの、今シーズンでは多いほうかなというくらいの冬の土曜日で、でもまだ雪道を―とくに融雪装置を避けて歩くカンを取り戻せていないぼくは、短めのトレンチコートにフェルトのハット、デニムのサルエルパンツ、そしてゴム長靴というヘンテコな格好にギターを背負って、鈍行列車に乗って金沢へ出た。
 さっそくのミスで車内に傘を忘れてきてしまい(もうこの手のミスについてここに書くのもばかばかしくなっているんだけど、事実だからしょうがない)、ひたひたと順調に降ってくる雪のなかを歩いてKISTへ向かう。融雪装置の散水って、降雪量に合わせて勢いがつくんだっけ。途中長靴を飛び越えてなかへ入ってきそうになるものだから、あわてて避けたのだけど、そのはずみで何回か転びそうになって歩道に手をついた。これまで東北に行ったときなど、さんざん田代くんに、東京の人は雪道の歩き方知りませんからねえ!などと憎まれ口をたたいていたのが恥ずかしい。

 二年制の学科ということで、みなさんおしなべて若い。会場は「ビデオスタジオ」だと聞いていたが、入ってみて納得のスタジオっぷりだった。撮影の実習なんかにも使うのかな。先生だろうか、年配の男性が今日は助手に回り、学生さんがオペからステージスタッフ、そして照明に撮影、そしてUstという配置でフル稼働。どの部署のかたもリハーサルから丁寧に対応してくださった。自分の学生時代を基準に、もっとおざなりで行き届かない感じなのかと勝手に想像していたのだけれど…モニター環境も良く、ギターの音をきれいに拾うためにDIを特別なのに変えていただいたり、照明にはスモークがちゃんと入っていたり、(予算が潤沢という事実はあるにせよ)なにかと中途半端なハコよりしっかりした設備と運営だったと思う。逆にぼくがセットリストを出し忘れたりして、慢心ってやつはこういうところに表われるだろうなあと頭を掻いた。
 イベントは、あまり人数の多くないコンパクトな学科の卒業記念ライブらしい、あたたかみのある進行。学生さんのバンドから始まり、先生(なんとYOCO ORGANの0081さん!)率いるユニットも出演なさっていて(ラップトップとノイズ、そしてフリースタイルのラップにVJを使っての即興演奏で、これがまた面白かった)、こんなところに見ず知らずのぼくがお邪魔してもいいのだろうかと思いもしたけれど、結局ステージに立って歌い始めてしまったら、あれしかできないもんなあ。さんちゃんがnoidのライブ中、MCでフォローしてくれた通り、こんな声の小さな弾き語りのPAなんて学校じゃ習わないだろうし、ちょっとした応用問題だったと思って堪忍してください。

 とにかく(春からしばらく活動しにくくなるだろうという)このタイミングで金沢へ行けたこと、しかもそれが地元の学生さんの大事な節目のイベントだったこと、それだけでもう充分に感謝をしなくてはいけないのだけど、もうひとつ書き添えるのを忘れてはいけない。初めて観るnoidのショウについて。

 ライブが始まって、すぐにこれは和製デルガドスだ!と思った。モグワイやアラブ・ストラップも在籍していたレーベルChemikal Undergroundを主宰し、2005年に解散したグラスゴーのバンドだ。レーベルごと、シーンごと、街ごと、ぼくの憧れのひとつだった彼らをどうして思い出したのか。帰ってからCDを聴き比べてみたら、とくに似ているわけでもなかったのだけど、きっとサウンドがはらむ濃いめの陰影と、にもかかわらず世界観にとらわれすぎないメロディ志向と、各パートの細部まで大事にした多彩なアレンジ、そういうところがオーバーラップしたのだろう。また、この日の天気が金沢らしい、雪の降りしきる灰色の日だったから、日照時間の少ないスコットランドの冬を連想したのかもしれない(肝心のグラスゴーには行ったことがないから、これは誇大妄想というべきだろうね)。
 まあ、とにかく、楽曲だ。奏でられたどの曲も、日本的というか日本海側的というか、湿り気を帯びた情緒をにじませながら、いろんな音楽(とくに海外のソフトロック/フォーク/サイケ/パンクそしてオルタナティヴ)を吸収した振れ幅があり、しかもメンバー間で広いバックグラウンドが共有されていることを感じさせるダイナミズムに満ちていて、とても好感を持てた。去年リリースのアルバムは先月いただいていたし、以前に共演していたGやだいちゃん、そしてJJからも、noidいいバンドやで!と言われていたけれど、ライブならではの(しかもメンバーの仕事の都合でリハ無しという、社会人バンドにありがちなアレも含め)ラフさがまた心地よくて、ステージ最前列で、そうそう<いいバンド>ってこういうのだよね待ってたんだ、と観ながらにやにやが止まらず思わずうつむいてしまうあの感じ、わかるかな。

 何回目かのMC。ステージで彼らは、卒業生に向けて、こんなニュアンスのこと話していた―

 「(映像音響学科とはいえ)音楽とは別の進路にすすむ人たちもいると思うけれど、社会人になっても演奏することはできるし、地獄のような仕事に追われながら続けるバンドには、こんな風にライブに呼んでもらえたり、アルバムをリリースしたり、評価してもらえたりするようになったときには、仕事と両立させる苦労があるからこその大きな喜びがつけ加わるのだと思う。(さんちゃんと)ゆーきゃんとは、大阪に住んでいたとき以来の共演になるのだけれど、音楽を続けていると、こうやって想像だにしなかったところで再会できたりもして、それがまた楽しいのだ。だからみんなも、がんばって。」

 *云い回しは勝手に脳内変換してます。こんな理屈っぽい口調じゃなくって、北陸人らしい飾らなさと、でもしっかりとした確信と、地元の後輩たちへの思いやりに満ちたトーンでした。あらかじめお詫びを!

 この話たち(数度のやりとりのうちに、これらのことは語られた)を聴きながら、地方のバンドの理想形がここにいる、と思っていた。基本は無理しない、必要とあらば無理も辞さない。上昇志向を忘れない、上昇志向とマインドを取り違えない。それもこれもすべて、音楽が好きだからだ。バンドをやる喜びと、続けるモチベーションのためだ。音楽で生活をするためではなく、生活に音楽が必要だからだ。そして生みだされた音楽は自分たちの暮らす街に反響し(実際、学生さんたちの間にもnoidのファンは少なくないようだった)、遠くの街まで届いている。男女混成、ぼくより少し年下の、金沢の五人組がこんなにも自然な姿勢で(もちろん相応の努力と代償の上に、ではあるだろうが)<インディ・ロック>をやっていることに、羨ましさと、共感と、素直な感動を覚えた―残念なのはもっと早くに会いたかったってこと!

 そういえば、出番が終わって控室に戻ってくると、2番目に出演していた学生バンドのメンバーさんが、noidと記念写真を撮ろうとしているところだった。流れで一緒に写りこむことになってしまったのだけど、迷惑じゃなかっただろうか。それにしてもローカルなミュージシャンが、地元の学生から尊敬や支持をうけている様子を見るのは、いつも嬉しい。それがぼくも良いと思うバンドだとなおさらだ。願わくは音楽性やスタイルだけでなく、姿勢や哲学や音楽愛そのものが受け継がれて、土地に血肉化していってほしい(もうそうなっているのかもしれないけれど)と思う。いままで(ライブで)来る機会が少なかったし、それほど多くの共演者を持つことがなかったのでよく知らなかったけれど、この日のおかげで金沢がもっと好きになった。

 イベントの余韻に浸りたくって、ちょっと飲んで帰ろうかなと思ったんだけど、FacebookでもTwiterでもあまりに多くの都民たちが「電車がうごかない!」とか「帰れない!」とか嘆いているのを見て、なんとなく後ろめたくなった。また終電ぎりぎりになって車内で寝てしまったら今度は直江津まで行ってしまいかねないぞという危惧もあり、おとなしく帰宅することに。久しぶりに小1時間(もちろん居眠り防止のため)吊り革につかまって帰ったのだけれど、意外なほどに疲れて驚いた。阪急や京阪で長時間の立ちっぱなしには慣れていたはずだったのになあ。都会離れも足元からということだろうか。そういえば長靴の便利さを思い知った一日でもありました。ゴム長を履いて県境を越えたのは人生初だ。
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2014年02月08日

till the next time we say a long goodbye

 春が来るまでにできるだけいろんな街へ行きたいと書いたりあちこちで云いふらしたりしていたところ、本当にいろんな人が誘ってくれて(みんなありがとう)、まるでツアーミュージシャンのようなスケジュールが出来上がってきています。

 今月はあたらしい仕事の準備との兼ね合いで控えめにしているのですが、末から来月前半にかけて富山、名古屋、福岡、札幌、京都、東京、高知と回るつもり。日本中に頼れる仲間、会いたい友だち、すてきなやつらがいて、嬉しいを通り越してみんなに自慢して回りたい気分になります。でも移動手段や経路を考えるのが大変だ。

 来週は初めて水戸で歌わせていただけることになりました。昨年のつくばでもお世話になった絵描きのなつなつなさんによる企画で、メロウくんからもいい場所だよと教えられていたミネルバへお邪魔します。共演は、不思議な御縁で鴨川で朝まで飲んだライブペインティングパフォーマーの近藤康平くんと、長い間会ってみたいなあと思っていてついに邂逅が果たせたシンガーの樽木栄一郎くん。実り多かった去年の出会いのなかでも、ぼくのなかで大きなウェイトを占めているふたりと共演できるのは、大きな喜びです。そういや康平くんと共演するのは初めてだ。あの、全身全霊を使ってキャンバスを塗り替え塗りこめてゆくライブペインティングの現場に立ち会えるのがとても楽しみ。

 イベントのこと、共演のふたりのことについて、なつなつなさんが書いてくださっています。
 http://natuna-event.jugem.jp/?cid=15
 何日分かのエントリさかのぼって、読んでいってください。ぼくがとくに、そうだなと思ったのは二月四日のところ。
一生のうちに
どれくらいの人と出会えるのだろう

もう
出会わない人も
きっといるだろう

ライブは
長い人生の中の
たった一瞬かもしれない

でも
そのたった一夜が
すべてを変えたりもするんだよな

 京都や東京での暮らしを振り返るにつけ、ずいぶんとちいさな世界でちいさなことをやってきたんだと、あらためて感じています。ずっと考え続け、答えが出ないまま、三年前のあの日(もうじきまる三年になるんですね)ますます大きく立ちはだかってきた<歌になにができるのか>という問いに対しては、いまだに<たいしてなにもできないけれど、なにもできないわけではない>ということくらいしか分かっていない。
 でも、そんな小数点以下みたいな<なにか>を積み上げてはまた崩し、うまくいったりいかなかったりに一喜一憂するのがライブだとして、それがどうしたわけか、おなじように小数点以下の<なにか>を積み上げる誰かの人生にぶつかったりすることもある。そして、何かを変えることも、確かにあるんですよね。

 富山に戻ってきてからも、色んなお誘いをいただくたびに出かけて行くものですから、母親が驚いて「あんた、そんな社交的な子やったけ」と、感想とも感嘆ともつかない一言を洩らしました。まったくおっしゃる通りです。だってあの頃はグランジばっかり聴いて、強がって、ひとを認めないことをアイデンティティにしたがるような高慢ちきな十七歳でしたから。
 あの頃の自分に向かって、あと二十年もしたらきみには日本中に友だちができて、海外にもできて、きみがいまはくだらないと思っている些細なことにすぐ感動したり涙ぐんだりするようになって、生きてて良かったとか思ったりすることもけっこうあって、あっちこっち歌いながら飛びまわることになるんだよ(そしてまた富山に帰ってくるんだけどね)と教えてみたら、ぼくは信じるでしょうか。信じないでしょうね。
 歳をとると人間が丸くなるといいますが、それはつまり小数点以下の出会い、小数点以下の交差、小数点以下の衝突、そういう無数のそういうものたちが、ぼくらを磨いてゆくからなのだと思います。ぼくはと言えば、まだまだ凹凸やざらつきはなくならず、一部は磨かれるを通り越して擦り減ったりもして、いまだずいぶんといびつな状態ではありますが、それでもちゃんと、人間を信じたり希望を抱いたり、そしてそれを恥ずかしげもなく口にするくらいはできるようになった。ありがたいことです。
 磨いてもらったぶん、こんどは自分がだれかの研磨剤にならなくちゃと思っています。あと二カ月、数回のステージのうちに、ぼくがもっている小数点以下をせいいっぱい、目いっぱい削りだしたい。それが何かを変えるかどうか―変えるまでは至らなくても、誰かの些細な日常にほんのすこし滑らかさとツヤがでる、くらいのことはできるはず。正確には、ぼくの歌でというより、その夜その場所に集まったみんなの力によって叶うと云うべきなのですが、とにもかくにも一生懸命、一期一会のつもりでうたおう、と。


 そういえば最近ブログの更新多いですね、とご指摘をいただきました。暇なんですかと。いや、けっして暇じゃありませんよ。たしかにサンレインとボロフェスタを同時で進めていたときなんかに比べたらずいぶん余裕もありますけどね。簡単にいえば、話せるうちに話したいことを話したいだけなんです。ほんとうのことは詩のなかにしかないとか、ことばに吝嗇でありたいとか、強度のある文章だけを書けるようになりたいとか、いまでもそんな風に思う気持ちは無きにしもあらずなんですが、でも、やっぱり軽々しくいこうと。こういうのってあんまり重みも厚みもないけど、はじめからおれたちには重みも厚みもないしな、というわけです。
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2014年02月03日

I'm wide awake though it's still midnight

 1月31日金曜日。中央通り商店街のお店に足を踏み入れたのは、いったい何年ぶりだっただろうか。

 総曲輪通りの奥。いわゆるシャッター商店街にカテゴライズされるであろう、静かなアーケードの途中にこの日の会場、でいだら屋はあった。左京区や高円寺の素敵な隠れ家たちにも似て(それらよりは少し洗練されている)カウンターカルチャーを自然に呼吸するひとたちが誰でも受け入れてくれる場所を作った、という赴き。入った瞬間<知らないうちにこんなところがこんなところにできていた!>と懐かしいような、悔しいような、嬉しさを覚えた。

 「めざめ」というイベントのタイトルは、シンプルだけどとてもいいと思う。
 DJブースとライブステージが向かい合わせで、出演者がみんなリレーをするように出番をこなしていった。最初のアクトだった舟本さんに至っては、トラックとギターが驚くほどに馴染んでいたのと、DJブースでの演奏ということもあって、ライブだったって気づかない人もいたんじゃないだろうか。小バコのクラブで時々あるようなスタイル、でもみんな座ってくつろいで、おしゃべりをしたり、お酒を飲んだりしながら音楽を楽しむ。聞けば、これまで富山ではあんまりこういうやり方のイベントはなかったらしい。(すこしおかしな云い方だけど)主催の木下くんが「いろんな場所で、ちゃんと遊んでいる」ひとだからこそできたことなんだろう。

 smougの山内さんは急性胃腸炎を押しての出演。不定形なユニットということなのだが、今回はミニマムな二人編成で。アコギとエレキ、エフェクター、そしてリズムマシンとMPC。丁寧に織られたやわらかい布製品みたいな肌触り。演奏者のエゴがなく、それでいて(だからこそ)音楽自体にアイデンティティのある演奏は、会場の空気にとてもよく合っていた。
 林くんのDJは個人的なハイライト。NHKの「日曜美術館」かなにかだろうか、ニューヨーク在住の芸術家夫妻のインタビューが流れたのだが、話が弾みだし、リズムが出てきたところにキースジャレット風のピアノが絡んで来た、その瞬間のかっこよさといったら!その後もモンドともマージナルともとれない不思議な、それでいて違和感のない世界を、部屋のなかに溶かしこんでゆくようなDJ。総曲輪で民芸品店を営んでいるという林くんは、驚くべきことに、じつは中学校も高校も一緒だった(ひとつ下の学年)と発覚した。できることなら、すぐ近くにこんな面白いやつがいるんだよ、とあの日の自分に教えてあげたい。

 アンコールでsmougに参加していただき、おふたりが奏でるドローンにあわせて不可思議/wonderboyの"Pellicule"を朗読した。ときどきアカペラでやっているこのカヴァー、音がついたのは初めてだったけど、ことばがふわっと舞い上がってゆくような気がして、なんともいえない気分になった。またやりたいなあ。

 終演後もすてきな出会いがあったり、びっくりするような再会があったり、この街でいまほんとうに面白いことが起きているんだと実感させられる夜だった。早く帰ってきなさいよと家族に念を押されたにもかかわらず、結局は京都の頃とおんなじような時間帯まで飲んでしまい、ばあちゃんに心配を掛けてしまって反省。でも、もっと早く戻ってきてもよかったかなと、ちょっと悔しくなるくらいの楽しさだったということで…

 ちいさな街だから、オーガナイザーもバンドも集客には苦労したりするだろう。届けたいものが思っていたより届かないもどかしさ、収支との戦い(遠方からのゲストバンドってお金かかるもんね)、仕事や私生活との両立、どこにいても向き合わなければいけない問題ばかりだけど、情報が伝わる規模も小さくスピードも遅い地方都市では、効力感がなかなか得にくいという話もこれまでよく聞いた。それでも、放っておいたらどうせ誰もやってくれないし、面白いことは自分たちでやるからもっと面白いわけで、義務感でなく、楽しみながら、すこしづつ輪を広げ、点と点、人と人、場所と場所、世代と世代、異なるジャンルのオーディエンス…あらゆるものをつなげてゆくというプロセスこそに可能性がある。ローカルシーンには、コミュニティのあたたたかさや濃密さ、客人(演者であろうとオーディエンスであろうと)に対する誠意と愛、みんながその場所を作るという良い意味でのラフな現場感といった点では都市に負けない魅力があると思う(これは日本中に共通して、そしてももちろん街ごとの個性や差異もあって)。そんな希望にあふれた空気を、一回りも年下の若者にあらためて教えてもらえて、おじさんはとても幸せだ。木下くん、どうもありがとう。


 林くんに「あのピアノが最高だった。どこからとったネタなの?」と聞いたところ、すぐ前でビールを飲んでいる青年を指さして「あの人です」と教えてくれた。その彼―マエダくんという―普段は家具工場で働き、人前では演奏せず、ニュアンスでピアノやギターを耳コピして楽しんだり、ボイスメモでデモを録音したりしているだけなのだとか。すごい才能がいたもんだし、そのデモからひらめきをすくい取った林くんも超ファインプレーだと思う。才能は才能を知るというわけだ。あっ、でもぼくもマエダくんに『ケルン・コンサート』絶対好きでしょう?と尋ねたところ「寝る前はいつも、グレン・グールドとかわりばんこに聴いてる」との返事が。まだこの耳も捨てたもんじゃないとささやかに自己満足である。
posted by youcan at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする