最後に有峰湖に行ったのは小学生のときだったと思う。しかもその湖がどこにあるかも知らず、ただバスに揺られて行った。たしか町内会の行事か何かで、近所の電気屋のおっちゃんに率いられた小学生の一団は湖畔のキャンプ場にテントを張り、カレーを作ってトランプをして一泊し(おっちゃんがつまみに持ってきたさきいかを勝手に食べてしまって怒られた)、ラジオ体操をして帰ってきたのだった。意外にも詳細に覚えているという事実から考えると、それはそれで楽しかったらしい。それでもあの湖に行ったのはそのたった一回だけ、それからの有峰湖は富山県全県地図の右下のほうにある青色の貝ひもでしかなかった。
東京に住んでいる友人がこちらに遊びに来た。海とか山とか大自然を満喫したいと言ったので、ちょっと思案したあげく有峰へ連れて行くことにした。とりあえず立山のほうへとは決めていたのだけど、早起きできない性分だし、山歩きができるかも不安だったので、車に乗って到達できる一番「奥」へ案内するのがいいと考えたのだ。
数週間前に寄越したLINEではやたらと落ち込んでいて、これはもう強制的にでも気分転換させるしかないと、それなりに心配して、遊びに来なよと誘ってみたのだけど、到着するなりあっさり「もう大丈夫になった」と言うので、なんだ拍子抜けだなあと心の中でつぶやきつつ、でもまあよかったね、と、あとは共通の知人や音楽の話、とりとめのない会話をしながら2時間のドライブ。有料の林道に入って、一車線の桟道を走って、オレンジ色の天井の灯りもない、真っ暗なトンネルを幾つも抜けて、湖を右手に見ながら展望台まで行ってみた。ダムの資料展示、カモシカの剥製、当時の時代考証、ぼくらのほかには誰も居ない5階建てのビル、展望台といいつつ上ってみればただの屋上、友人はそこからさらに梯子をつかんで出入り口の上、一番高いと ころから湖を見ていた。スコットランドに似てるかなあ、馬鹿言うなよ、そんないいもんじゃないよ。
なぜか昼寝をしようという話になり、湖と反対側にある芝生のエリアに降りた。バーベキューエリアやフィールドアスレチックゾーンと案内図に書かれてあったそこは、正確には、芝生かと思っていたらちょっと違ったようだ。やわらかい草とコケの仲間とが入り交じって生える(さすが高山地帯)緑の絨毯の上で横になって、1時間ほどだろうか、鳥と虫と木々のざわめき以外ほとんど何の音もしない薄曇り空の下でまどろんだ。
いま思えば何をしに来たんだろうか、写真なんかでときどき見る、ダムの上を走っていく林道のほうへも廻らずに、昼寝をし、寝起きにアイスクリームを食べ、ぼくらはそれきり満足して帰ってきたのだ。往復4時間かけて!笑われても仕方ないことかもしれない。でも、ひとつ知ったことがある。この世界にはどうやら、聴きとることのできる、そして触れることができる種類の「静けさ」があるらしいのだ。聴くといっても耳で聴くのではなく、触れるといっても指で触れるのではないそれは、言うなればあの、有峰の鈍い陽射しの中にそっと忍ばせてあったように思う。それとも、湖というものは天然の吸音材なのだろうか。十和田湖、諏訪湖、奥琵琶湖、それほど多くの湖を知っているわけではないけれど、そういえば湖のそばで暮らす人たちには、はにかみ屋が多かった気がする。彼らの胸には、いつもあの静けさがとぽん、と沈んでいるのかもしれない。ぼくらの慌ただしい暮らしにも、ときどき湖を補給すれば、もう少し穏やかに生きていけるのかな。