山王祭、というおまつりに行きました。といっても日本三大祭りに数えられる赤坂の本家ではなくて、富山の日枝神社、つまり分社です。神様の出張先でのフィーバーに付き合ったわけですね。
街中に人がいない、郊外のショッピングモールに集客を奪われているという状況は、多くの地方都市が共通して抱える問題の一つであると思います。コンパクトシティを目指す富山市も例外ではありません。総曲輪通りは最近にぎわいを取り戻しつつあるような気もしますが、それでも高岡のイオンモールの日曜日−−廊下に家族連れがあふれ出し、窓のない箱にすし詰めのまま、買い物と食事と映画とスマホに塗りつぶされた休日のありさまを目にするにつけ、なんとも言えない気持ちになってしまいます。
(ぼくは、ショッピングモールの面白さも、その便利さも、地方都市にとって自動車でのアクセスのしやすさがいかに重要かということも分かってはいるつもりです。それでもやっぱり気になるのは、あれが大きな箱であること、現実からある種の娯楽に向かってズームインすることを強制するような装置であること、風や青空や西日や夕暮れやときには突然の雨が休日のショッピングには、デートには、家族サービスには必要なのではないかということです。これはノスタルジーでしょうか)
おっと、前置きがこれ以上長くなるまえに、山王さんの話です。富山駅から大通りに沿って15分ほど歩く、その道すがらも若者たちでいっぱいでした。大通りは歩行者天国になり、あちこちに置かれたベンチやテーブルは8時過ぎにほぼ満席、参道はぎゅうぎゅうでなかなか進まず、居並ぶ屋台には行列ができていました。中学生、高校生、大学生、ヤンキーチックな元気のいい人々、若い夫婦と子供たち、時折年配のカップル、そして見回りに来たんだろうとおぼしき学校の先生たち。グランドプラザ前には大きな飲食エリアが設けられていて、赤ら顔の大人たちがいい感じのパーティー感を醸し出していました。売られていたクラフトビールを浴びるほど飲みたかったのですが、節約のためにコンビニで自社ブランドの発泡酒を買って我慢しました。
祭がもつ機能については、文化人類学や宗教学、民俗学に膨大な研究の蓄積があるでしょう。わざわざここで自説をひけらかして自分の無学を暴露する必要はないのですが、幾冊か読んだ本に教えてもらった、なけなしの知識をメガネのレンズに嵌め込んで雑踏を歩いてみると、あるクエスチョンに突き当たりました––みんな、なんでこんなに祭が好きなんだろう。だんじりを担いだり曳山に乗ったり踊ったりするならまだしも、だらだらと歩き、厳密にいえば当事者になっているわけでもないのにな、と。以下は、それについて二つのとりとめもないメモ書きです。
ひとつめ。人のこころのどこか広い部分を、大きなものの一部になりたいという気持ち、あるいは大きなものに参加したいという気持ちが占めているのだということ。
(もう一度繰り返しますが)あの場所に集まったなかには、日枝神社にお参りをしないで、場合によっては境内にすら立ち入らず、参道をぐるぐる巡って帰っていくだけ、コンビニでも秋吉でも買える焼き鳥を歩きながら食べて満足げに帰っていくだけのひとたちも多そうでした。神様としては不満が残るかもしれません。けれど、それもまたお祭りなのでしょう。友人知人の枠を超えて集まり、場を共有することで、ひとつの<群衆>になる。非現実をもとめて飛び込んでくる渦のなかに自分自身を投げ込んで、大きなものと接続する。そのときわたしたちが感じるのは一体感の獲得からくる高揚した気持ちであるとともに、みんなの中に溶け込むことで<わたし>が<わたし>でなくなる解放感でもあるでしょう。
ネパールかどこかの村で祭の1日だけ王様が最下層のカーストになる、普段あつく敬われる王がその日だけは罵られて卵を投げつけられるという映像を見たことがあります。毎年テレビで紹介されるヨーロッパのトマト投げ祭やタマゴ投げ祭もしかり、乱痴気騒ぎ(カオス)が、神聖さ(ハレ)と密接な関係があるということはもはや常識的な知見だとして、ぼくが気になったのはその裏返し––つまり、わたしたちが日常(ケ)をどれほど澄まし顔で生きているか、秩序だった窮屈さ(=見かけのコスモス)の中を生きているのかを、祭りは明らかにしているのだということ。
祭りの夜、「そこに祭りがあるから」というだけでさしたる目的もなく繰り出してくる子どもたちの表情を眺めていると、たとえ初めて見る中学生であっても「こいつら、普段より<悪い>顔してるなあ」と思えてきます。ではここでいう<悪い>は何を意味するのか––それが解放であることはほとんど自明でしょう。しかし、何からか。規範から?常識から?いえ、たぶんそれよりも大きな束縛の源は<関係>です。わたしたちの毎日は、言語化不可能なほどに繊細なカースト制、複雑な関係性の地図によって網をかけられ、包まれて、秩序を保たれている。その網が緩んだ祭りのときだからこそこどもたちが見せる表情、それはおとなにもわかる(おとなにも及ぶ)解放のサインなのではないでしょうか。
逆に言うと、祭りの夜にこどもたちが<悪い>顔をしなくなったとき、わたしたちは注意しなくてはなりません。祭りの空間とは別の場所に、解放の場が設けられたということであり、そこでは長い歴史を経て築かれてきた祭りのルールや常識とは異なる原理が幅をきかせ出す可能性があるからです。
ふたつめ。もしかするといま言ったことと矛盾するかもしれません。つまり、ひとがおまつりに行くのは、関係を捉え直すことの気持ちよさを味わいたいからなのではないか、という仮説です。
たとえば同じクラス、あるいは同じ部活動に属する仲のいい二人がお祭りに出かけていく。お祭りには制服を着ていきます。そうすると、普段あまり顔を合わすことのない先輩や後輩であっても、あ、同じ⚪︎⚪︎高校だとわかる。それが新鮮でちょっと嬉しかったりする。あるいは同じ学年でも話しかける機会のなかった異性とばったり会って、声をかけるかどうかためらったり、お前が行けよ、いやお前こそと押し付けあったりする、そのとき他の群衆はすべてシチュエーションの一部になってしまうわけですが、その<普段と違う>シチュエーションにおける再遭遇が、もしかすると最初に書いた(どちらかというと定説的な)ことよりも、祭りを意味深く、創造的なものにしているのではないかと思います。
祭りの夜には、普段よりも暴走族が現れやすいような気がします。年々暴走は難しくなっているにせよ、特攻服に身を固めた一団が歩行者天国を練り歩いたりする景色はいまでもときどき見られる、それを単純な自己顕示欲の現れとして片付けることはたやすいですが、もしかすると彼らは、誰かに見せて悦に入るというよりもむしろ<自分が何者なのか>を確認したいと思っているのではないでしょうか。
越中八尾の「風の盆」というお祭りは、各町の町衆がそれぞれ稽古した踊りを披露しながら練り歩きます。現在では有名な風物詩となっており、全国各地から観衆が訪れる富山の貴重な観光資源のひとつですが、聞いたところによると、昔は傘をかぶって踊る男女が、お互いのフォームの美しさや、傘から覗く唇の鮮やかさなどに惹かれて、そっと踊りの輪を抜け出していくような<出会い>の場でもあったのだと。日常生活の中では気づくこと/築くことのできなかった、新しい<関係>を結ぶ機会として、祭りが機能していたということ––そして、関係を結ぶということは常に自分の位置を確認するということでもあります。
祭りにおける解放は、確かにリフレッシュにはなります。あらかじめ設定されたカオスを調整弁として、日常に淀んだやるせない気持ちたちを逃がしていく、それが翌日からの秩序ある暮らしのための原動力になることはよく理解できます(土曜の夜があるからこそ月曜日からまたがんばれる)。為政者たちは古来から、そんな風にして祭りをうまく利用し、民衆の不満をコントロールしてきたのでしょう。そういったカオスとコスモスのバランスの歴史について想いを馳せるだけでも興味は尽きませんが、さらに面白いのは、わたしたちがけっして、与えられた場所、与えられた娯楽、与えられたカオスのなかでの予定調和的な熱狂を消費するだけで満足はしない生き物であったという事実ではないでしょうか。出会い、関係を見出し、捉え直すことで自分の位置を確認していくことは、それ自体がクリエイティブな作業であると思います。解き放たれる場において繋がる––祭りは日常を単純に再生産していくための排煙装置でなくて、非日常からのフィードバックによって、くだらない現実をちょっとずつ作り変えていくための化学反応を起こす実験場であるかもしれない、その可能性について考えることは、もしかすると熱狂によってわたしたちを支配しようとする誰かの意図や、無言のまま右へならえを強要するような時代の空気と戦うための知恵を授けてくれるかもしれません。そのことについてもっと深く考察してみたい、と思った山王祭でした。