2020年06月30日

これから何をしようと勝手だよ

 震災のあと何年か経って、京都を去ることにした。富山で就職を決めるにあたり、なんとなく「もう音楽はやめなくちゃならないんだろうなあ」と思っていた。続ける自信もなかったし、実際のところ、日々ネットニュースや現場の声を聴きながら、自分がムーヴメントから遠ざかっていること、つまり過去の人になっていることは感じつつあった。「だんだん消えていくよりは燃え尽きたい」燃え尽きる方法は分からないけれど、とりあえずもう消えてしまったつもりで生きるしかないだろうと感じていた。

 実際そうやって平日は心を無にし、土曜は昼まで寝たのち銭湯に行って海を眺め、日曜にはぼんやり海を眺めて銭湯に入り、夕方6時に布団に入っては1時間刻みで目を覚ましては、月曜日の出勤まであと何時間あるかを数えながら過ごした。給料のほとんどはCDに消えたけれど、実際は何も聴いていなかった。未開封の塔だけが高さを増していった。

 "AFTER HOURS"がリリースされたのはそんなときだ。夏目くんから連絡がきて、高岡のHMVで発売日に買った。毎晩聴いた。家で、車の中で、そして頭の中で。週末にギターを持つ日がまた少しづつ増えていった。レコ発イベントに遊びに行った友人から、曲のモチーフにぼくが含まれているとMCで夏目くんが言ったと連絡が来た。タイトル曲である。驚いたし、6年経った今でも驚きを隠せない。格好の題材だったんだろうなあと思う。返歌を書いた。アルバムを作れるだけのストックができた。あの5月があったからこそ、いまもぼくはまだ続けていられるのだと思う 。創ることは生きることと同値であるのだと頭ではわかっていても、やっぱり見失う日はやってくる。でも、這いつくばりながら手探りで床のシミを追いかけている日でさえ、ぼくたちは最も「生きる」時間を生きているのだ。朝から始まるパーティ=アフターアワーズは、ミラーボールの煌めきの下やダンスフロアばかりを舞台としているのではない。きみが暮らす場所すべてがきみのステージだし、その証拠に階段の間のちょっとしたスペースが「踊り場」なんて粋な名前で呼ばれるんだよ−そんなことをあらためて教えてくれたのは、シャムキャッツだった。


 解散にあたってリリースされる彼らのベストアルバムが「大塚夏目藤村菅原」というタイトルであることには、本当に拍手しかない。バンドとは、つまるところ人間だし、関係だ、ということだろう。そしてこいつを世の中に放り投げて立ち去るやり方は、音楽というものがどれほど「つながり」であるか(かつ、どれほど「きずな=つなぎとめるもの」でないか、言い換えるとぼくたちがいかに自由な存在であるか)をはっきりと示していると思う。バンビ、夏目くん、藤村くん、菅原くん、まずはお疲れさま。僕にとって東京で過ごした日々については反省の方が圧倒的に多いんだけど、きみたちに会えただけでもやっっぱり意味があったんだなあと、あらためて思います。どれほど感謝してもしきれません。この先のきみたちの人生がどうか好き勝手で豊かななものであり続けますように。心より祈っているし、ずっと応援しています。


posted by youcan at 22:21| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする