2008年09月03日

TRAIN

こころを強くもつこと。

電車に長く揺られると、やがて内臓や脳から疲労してしてゆくのだろうか。起きていられなってしまう。
眠りつかれてあたまも痛くなって、それでも目を閉じていると、ときどき自分の不完全さや支離滅裂さが、まるで壁が崩れてあらわになるかのようにはっきりと見える気になることがある。
いま自分を取り巻いているよくないことや不安、自分自身がもたらした馬鹿げた状況、とにかく目をそらしたくて仕方の無いこと一切が、まるで瓶が倒れて転がったみたいにこぼれ出して、横隔膜あたりに汚れたしみをつくるのがよくわかる。

面白いのは、そのときそれを見ている自分が、だからといって逃げ出したり投げ出したりはできないのだと、はっきり自覚しているということ。
あと数時間も続くに違いない揺れと、電車が停まるたびに増えたり減ったり乗り降りを繰り返すひとの波を感じながら、ひとつひとつ、ゆっくりと、もう一度壁を塗りこめて、瓶に詰めなおす作業をする。
電車を降りたらしなくてはならない電話やメール、まとめなおさなくてはならない懸案を数え上げる。

車窓は静岡あたりののどかな鮮やかな茶畑を過ぎて、
だんだんと沼津や熱海といった港町の海空を映すのだけど、もう日が暮れかかっているその色は独特だ。ここニ・三日のあいだなぜか「夜の青さ」ということばが折に触れて思い浮かぶのだけど、海辺で見る宵の口の空はほんの少し緑がかって、水と空が交じり合ったのだろうかという気になる。
日の暮れる間際の海岸の景色を見たくって、氷見線にやたらと乗りたがっていた子どもの頃。学生時代に小豆島かどこかでぼーっと眺めていた(サークルか何かの合宿だった気がする。僕は宿代を払うお金が無くて海岸で野宿したのだった)あの空。去年の九月、福岡から大阪へ帰るときに乗ったフェリー、二等客室の揺れに耐えられなくって僕は十時間近くをひたすらデッキで過ごした、そのとき黄昏はあまりに抽象的なフォルムをしていたのだっけ。

僕は、知っている。
なぜここにやってきたのかを、知ることはできない。
ここにやってきたそのほんとうの意味を、まだ知ることはできない。
面倒なことばかり、うまくいかないことばかり、何かを始めてはひとに迷惑をかけ、なにかに固執してはひとを傷つけて、それでいて結局は何を望んでいるのか、じつは自分自身がいちばんよく知らない。

小田原で、DSに興じていた隣の学生が降りる。
横浜で、仕事の良く出来そうな、自信に溢れた若い背広の二人組が向い側に座る。
品川で、僕は降りる。
この途切れ途切れの連鎖が、世界を作っているのだった。
この中途半端な断絶のような隔離のような距離感が、わたしたちの間を満たす細胞液なのだった。

そうだったのだ。

一切は、ここからはじめられなくてはならない。
ここから、僕もきみもあらゆる手段を講じて手を伸ばし、爪を立ててゆく。

忘れてはならないことがふたつ、
こころを強くもつことと、
いつだって弱さを罪だと思わぬこと、または美しさだとも思わぬこと。弱さは弱さであって、美でも咎でもない。
posted by youcan at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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