2009年01月08日

ある街で

何も始まらない悲しみだ、と彼女は言った。

たしかに歴史や地形や地理や社会環境が悲しみを蓄積させることはあるかもしれない。現に、鈍行で東京から丸半日かけても辿り着かない(僕らは失敗した)その街を「最果て」と呼んでも差し支えなかったのかもしれない。

でも、肝心なのは生命がどんな状況下でも何かを始めようとして震えだすことだ。

展望室で初老の男性が何にもないところだなと悪気さえなく切り捨てたその隣、僕はあの山並みと蛇行する河と新幹線の軌跡をめちゃくちゃに美しいと思ったし、

正月のデパートを逆さにひっくり返すほどのミニチュアめいた初売り騒ぎを抜け出して登った城跡ではあの詩人が十五歳のこころを吸わせたという空の名残がいまでも確かに残っていたし、

なにより街を出た若者や街を出ようとする若者や街に残った若がぎっしりと詰め掛けた瀟洒な居酒屋などは、その空間の一切がささやかで鮮やかなはじまりに満ちていたように見えた。


この街のどこかでは、きっと誰かがいいことも悪いこともたく企んでいるだろうさ。ロック・フェスをやりたがっている大学生だっているに違いない。きみたちの悲しみが細かな震えを束ねるなら、それは大きな波になるだろう(これを数学用語で逆フーリエ解析というらしい)。

僕は日本中どこにいっても変わらない味とおかわりサービスを提供してくれるちっとも悲しくないドーナツショップのちっとも悲しくないコーヒーを啜りながら、そんなふうに思った。

表通りは、美しい街並みだった。


posted by youcan at 18:06| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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