2010年12月03日

霜月に葬る

街路樹の紅葉も、黄色い葉より枝が目立つようになってきた。もう十二月なのだ。

二年ぶりでその中に身を置いた京都の秋は、覚えているよりもさらに感情的だったように思う。丸太町の鴨川河川敷、金色に枯れた芝生から石積みのカーブを降りて、あんなにも水面に近づいたのはいったい何年ぶりだっただろうか。

東のほうに行くときはいつも京都御苑を横切ることにした。出町に用事があるのには、清和院御門のすこし前で左に折れ、木に囲まれた小径を抜けて、寺町今出川に出る。京都迎賓館のすぐ南東にある開けた一角には、だれかが意図して敷き詰めたのかと見間違うくらいの、一面の枯れ葉。そこから分け入ってゆくと、およそ街の真ん中らしくない木立がつづく。ここに来たばかりの頃、ちいさな居酒屋で働いていたことがあるのだけど、ある常連のお客さんが酔うといつも、京都の劣悪な住宅事情(ぼくは実際そういう家に住んだことがないのだけど、とにもかくにも彼はそう言っていた)をこの御苑のせいにしていたことを覚えている。街の真ん中にある庭があまりに広く街を占拠するので、庶民はこんなちっちゃな場所に木造三階建てのちっちゃな家を建てて満足せなあかん、というわけだ。でも、家に快適さを求めない貧乏書生気質にとっては、こんな街の真ん中にふと日常から乖離したスペースが広がっているほうが、ちょっとばかり部屋が広くなるよりもはるかにいい。何百年前には貴人を載せた牛車が行き来した砂利の大通りを、間の抜けた顔の子犬たちがちょこちょこと駈けてゆく眺め。なんとかの宮が住んでいた邸宅の傍らで、歩こう会のおっちゃんとおばちゃんたちがブルーシートを広げてお弁当を食べたりする眺め。まったく機能的ではないこういう場所が、権威と歴史を笠に着て、そのくせ妙に庶民的な姿で、平気な顔をして居座っているのはなんだか嬉しい。

でも、もうすぐに紅葉も散ってしまえば、これら憩いの景色を見られる機会もおそらく減ってしまうだろう。今年の冬はとくに寒くなるらしい。たとえば犬の散歩とランニングのためのコースと化した、人通りの疎らな御苑もまたいいけれど、まだ秋の名残があるうちは秋を精一杯に惜しみたいと思う。

posted by youcan at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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