彼はお酒を呑まない。彼はよく食べる。低くて伸びやかでよく通る声、彫りの深い顔立ち、注意深そうなまなざし。ポップスのマナーをよくわきまえた曲を書き、それとは対極なほど自分に誠実な詞を紡ぎ、情緒が溢れだすようなストロークでギターを奏でる。ぼくには無いものばかりである。あ、酒量だけは勝っているね。
東京に移って三月ほど経った頃、渋谷での企画に誘ってくれたのが初めての出会いだった。ということはもう五年も前になるのか。ライブを一目見て、このひとは大きくなるだろう、でも迷うだろうなと思ったのを記憶している。
それからも、彼は何度もイベントに誘ってくれた。LOFTのレーベルからのリリースをはじめとして、媒体や業界からも、ゆっくり目のペースだけど少しづつ注目を集めはじめている彼が、ぼくのような一世代前のローカルなSSWに声をかけてくれるのは本当にありがたかった。
二年前の地震。以前から仙台にもいわきにもよく行っていたはずで、友人もオーディエンスもたくさんいたことだろう。創作の背景についてあれこれ詮索し過ぎるのは野暮だけど、とにかく、その秋『2011』というCD-Rが作られた。そして年が明けて、東京でのリリースパーティにゆーきゃんを誘ってくれたのだ。
下北沢shelterだった。music from the marsと一緒にステージに立って、歌い始める前に、ぼくは、たしかこう云ったはずだ。
「あの作品を聴いて、よしむらひらく、死ぬんちゃうか、と思って、止めに来ました。マーズのみんなも、ぼくも、歳だけは食っていて、恥ずかしいことも、後ろ暗いことも、脛に持っている傷も、借金も、いろいろあるけれど、でも、それなりに愉快に暮らしていて、なにより生きているあいだにこそ音楽は流れるんだということを、いまからここで証明したいと思います」
なんと馬鹿げたあいさつだろうと思う。でも、そんなことを云わざるを得ないほどに、彼のうたがそれだけ切実だったということにして欲しい。ぼくの記憶が確かなら、『2011』を聴いたときに連想したのは、エリオット・スミスの『figure 8』だった。そういうことも関係しているんだと思う。
幸運なことに「死ぬんちゃうか」は杞憂だった。よしむらひらくはそのあとも生きて(実際シェルターのステージで彼は「俺は死にませんよ」と云った―そのあと高熱でふらふらになりながら帰って行ったけどね)、一年半経って、ぼくは拾得とk.d.japon、自分の大好きな二つのステージに彼を連れだすことができた。
「海の見える家」という曲がある。<海の見える街に住もうね 若い両親の夢をぼくは知らない>初めて聴いた日からこころをざわめかせ続けているこの歌を、彼は二日間とも、ステージの最後に歌ってくれた。ただしそこには、あのときのぐらついた危うさと鋭さはもうなかった。いや、危うさはまだあるんだけど、それは倒れそうというよりも、すうっと、どこかで動きを止めてしまうんじゃないか、という感じのものになった、というべきだろうか。
東京で歌をうたっている。それも、彼の立っているところは、ぼくらみたいな陽の目のあたりにくい死角ではなくて、もっとシャバかったりチャラかったりキナ臭かったりヤニ濃かったりすることも多々あるに違いない、華のある、それでいて厳しい広場だ。そこで迷ったり悩んだり苦しんだり焦ったりしながら、迷いと悩みと苦しみと焦りをぜんぶ背負うように歌い続けている彼を見るたび、翼があるならさっさと飛んで行ってしまえばいいのにと思う気持ちと、地べたを歩かなくなることに対する羞恥のようなものを保ち続けている姿への共感が、胸の中で入り混じってきた。
でも、この二日間を経て、いまは少し違ったことを考えている。拾得の扉の前にぼくが腰掛けているところへ、彼はギター一本を背負って歩いてきた。自分のアコギを持ってきた姿を見たのは、はじめてだと思う。そのことを指摘すると、はにかむような笑いを添えて、云った―「がんばろうと思って」。つまり、そういうことだったのだろう。彼は本当に歩いてきたのだ。その日の歌には、あの場にいたほとんどの人が驚きに近い感動を覚えたに違いない。危うさの話をもう一度するなら、それは歩みをふと止めて突然「こんにちは、いい天気ですね」とでも言い出しかねない危うさだった。何気なく、静かに、確信に満ちながら、よしむらひらくはステージ上で何かを削っていた。二月のミュージックオルグのレコ発でも一緒だった田代くんは、バンドのときはゆーきゃんとなんて合わないと思ってたけど、弾き語り、めちゃくちゃいいね、と言った。そうなんだ。あの拾得、あのハポンのライブはもっとたくさんの人に観てもらうべきものだった(それはぼくの不徳に負うところが大きいんだけど)。羽ばたくための滑走でもなく、誰かに見せるための気取った足取りもなく、安定した速度を保つこともしらず、ただこころの儘にずんずん歩いてゆく―そんな歌を聴けることは、めったにないのだから。
この話はここまでにしよう。もちろん若いうたうたいの夢をぼくは知らないわけで、大成するためにはこの先やっぱり高く飛ばなくてはならないこともあるだろうし、自分の翼ではなくジェットプレインに運ばれてゆく必要もあるかもしれない。歩いて到達できる距離はたかが知れている。けれど彼はそれでもやっぱりどこまでも行けるし、何にだってなれるのだと思う。幸運なぼくはそれを見ることができた。いまはただ彼と、彼の才能と、彼の家族、そして彼の神さまに感謝。