2014年01月12日

かっこよくも悪くもないことはなんてかっこ悪いんだろう

 京都市内を中心に配布されているフリーペーパー『音読(おとよみ)』第10号にてロングインタビューが掲載されています。

 http://www.otoyomi.com/

 インタビューが苦手です。じょうずに喋ることができないのはもちろんなのですが、終わったあとに残る、あの「話しすぎた」という恥ずかしさを、どうしてももてあましてしまうのです。これはつまりセルフプロデュースの問題で、世界に対して(話す、という方法をつかって)自分自身をどう見せてゆくかという技能に欠けているということなのでしょう。
 いや、ぼくにもことばで自分をかっこよく見せたいという意識はあります。だからこそ話し終えて、読み返して、それがちっともうまくいっていなかったことに苦笑してしまう。いままでのインタビューは、ずっと、この居心地の悪さとの戦いでした。

 今回のテーマは「ゆーきゃんが居た京都の15年間」。前世紀末―ぼくがゆるゆると歌い始めたちょうどその頃からの京都音楽事情の変遷をたどりながら、ぼく自身の活動を話してゆくという、少し変則的なものでした。
 語られるに値するものが、誰からも顧みられずに打ち捨てられている。大きな成功の手前や傍らに、たくさんの挫折と妥協と教訓が転がっている。時の流れを振り返ってみると、いろいろな気づきがあります。と同時に、ぼく自身がどれほど街の空気を吸い込んで育ってきたのかをあらためて実感しました。

 編集長の田中さんからいただいた冊子を読み返してみて思ったのは、ここで話をしているぼくが、とにかく「かっこよくない」。そういえば今度は、自分をよく見せることについて何ひとつ考えなかったのでした。単純に、そんなことにかまっている余裕がなかったというのも理由のひとつなのですが、もうひとつには、これが<プロモーションとしてのインタビュー>ではないという事実があったのだと思います。自分を売り込むためではなく、CDやライブの宣伝のためではなく、ただ「ゆーきゃん」という媒体を通じて自身が見てきた景色について話す機会がいただけたこと。自分が(普段苦しんでいるように)かっこよく/かっこ悪く見えることを気にすることなく、できるだけニュートラルな眼差しと温度で話ができたこと。あらためて、とても光栄に思います。

 ただ、それでも「話しすぎたなあ」という反省はやっぱり残るわけで…当初は3時間程度の取材時間ということだったのに、夢中になって受け答えをしているうちにあちこち脱線し、結果として足かけ2日間、8時間にも及ぶ大ボリュームに。確認用に届いた原稿にも、誤解のないように、諸先輩方に迷惑をかけることのないように、慎重な訂正と補足を入れたので、とうとう予定の倍のページ数を奪うことになってしまいました。インタビュアの土門さん、たび重なる取材と筆入れ、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。田中編集長、2ページ分の借りはいつか何かで返します…

 ともあれ、一つの媒体にこんなに大々的に取り上げていただくのはおそらくこれで最後じゃないかと思います。メインの特集は「金とロック」。気になるでしょう、この見出し。毎号充実の『音読』、今回も製作者の想いの籠った力作です。入手方法は上記のリンクからチェックしてみてください。


posted by youcan at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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