2014年01月31日

Drink up but don't stay up all night(ミワさんのこと)

 ミワサチコ、というシンガーソングライターがいる。

 彼女は、主婦ミュージシャンだ。福岡から大分、そしていまは北九州に住んでいる。だんなさんの仕事の都合であちこち移動しているのだろうか、詳しいことは知らない。
 頻繁にではないけれど、彼女も東京でライブをすることがある。東京では田代夫妻のお宅に滞在することがほとんどで、ときどき同じように厄介になるぼくと同宿になったりもする。はじめて会ったのは、たしか、そんな時だった。ぜんぜん寝つけなかった夜行バスに疲れて明け方に田代家へ到着したのだが、いつもは開けてくれている鍵がしまっていた。インターホンを押して出てきてくれたのが、ミワさんだったというわけ。あの朝のことはよく覚えている。初対面なのに(CDは前から持っていたけれど)やたら会話が弾んだからなあ。

 それ以来、とくに密に連絡を取り合うというわけではないけれど、なんだか勝手なシンパシーを感じている。九州に行くときには主催の方々に「ミワさんも呼んでほしい!」とお願いすることが多かった。サンレインレコーズでもミワサチコのCD-Rは売れ筋作品で、バックオーダーをするたびに彼女はちょっとした手紙を添えて送ってきてくれた。手紙のなかでも彼女は博多弁を使う。話し方を知っているからというのもあるけれど、書きことばさえもミワさんのリズムになっていて、読むのが楽しみだった。いつか東京か京都で一緒にライブしたいねと言っているうちに、富山に帰らなくてはいけなくなったのだが、幸いleteのしんたろうさんが良い日程をくださって、やっと念願を叶えることができた。
 
 福岡在住だった田代夫妻とミワさんの親交は旧い。田代くんが隣でベースを弾く歴史に関しても、ゆーきゃんよりミワサチコのほうが長い。田代くんがベースを弾くバンドを(個人的に知り合う以前から)たくさん見てきて、そもそもぼくは彼のベースのファンでもあるのだけど、いままで見てきたなかで最高だったのはとある日曜の午後、田代家でのミワさんとの<練習>。ギャラリーは、ぼく独りだ。あれは奇跡だったと思っている。もう見れないかもしれないとあきらめていたのだけれど、東京で共演ということは、ミワ×田代の演奏をステージで見られるということだ(あたまのなかでは自動的に田代くんが一緒に出てくれることに決まっていた)。1月25日は、たしろまつりにしよう。そして願いが叶いそうになってしまうとさらに欲張りになるのが人情というわけで、こんどはふたりを東京の外へ連れ出したくなる。そうだ、松本へ。こうやってぼくはいろんなものを半ば無理やりにつなぎ合わせてゆくのだ。

 でも、結果としてこの二公演は素晴らしいものだった。leteでは田代くんが直前まで風邪で寝ていて(木曜から滞在していたミワさんの話では、当日の昼なんかは立ち上がりさえできなかったらしい)実はどうなるかと心配していた―練習している時間が取れなかったということでミワさんとのステージはなくなり、<たしろまつり>としては成立しなかったのだけど、ひとりで腰かけたミワさんから、ことば少なく矢継ぎ早に演奏される曲たちは、まるでそれ自体が映画のワンシーンみたいだった。松本ではリハの時間も多少取れて、ミワさんの後半部分を田代くんと一緒にやってもらうことができた。彼女の曲が持つ独特なタイム感に、田代くんのベースが加わると、躍動感がぐっと増す。とくに"steps"と"まぼろし"の二曲は圧巻だった。初見のはずの松本のオーディエンスの反応もよくて、一緒に来れてよかったなあと、しみじみ思った(そして、田代くんの体調が快復したのが、なにより!)。

 このひとの音楽は、糖度が少ない。やわらかなことば遣いと、透き通った声はよく響くけれど、不思議なほどに甘みを感じない。ロマンチックで抒情的な世界が広がっているけれど、そこにある微熱は生温かさとは違う。これをサイケデリアと呼んでいいのかは、ちょっと分からない。フォーキーでナチュラルな匂いもするけれど、ニッポン人特有の湿度は低い。暗さと情念が同居しない(たとえば、古い工場街の果て、国道から枝分かれする畦道、港の夕暮れ、そんな自然と人工が入り混じったような景色たちを思い浮かべたりする)。キャリアの初めにUSインディの洗礼を受けたSSWはぼくらの世代以降とくに多いと思うけれど、ライオット・ガールにもならず、フェミニンなメロウネスにも流れず、こんなふうに文字通り凛としてある音楽を作る女性には、なかなか会ったことがない。田代くんは初期〜中期のエリオット・スミスを引き合いに出していたが、ミワさんの歌が英詞なら、Kill Rock Starsあたりからアルバムが出ていて、レコード屋さんで予備知識なく試聴して即買いし、誰かに自慢げに話す―たしかにそんな自分の姿が想像できる。

 なにが彼女の音楽を育てたのか。福岡という街のユニークな文化もあるだろう。その人脈を聞いていると、そりゃあ面白のが作れるようになるなあと納得する。もちろんそんな環境の影響を自分なりに咀嚼して吸収した天稟があることは間違いない。けれどぼくは考える、何よりも、彼女が自分自身の暮らす<リズム>に耳をすましたこと、それが始まりであって、すべてなんじゃないか。
 さっき、彼女は主婦ミュージシャンだ、と書いた。普段、そんなことはどうでもいいと思っている。そのひとがプロフェッショナルであろうと、他に仕事を持っていようと、生まれてくる音楽の価値には差なんてないはずだと考えているのだ。でも、その前提はミワさんのことを考えると、揺らぐ。

 ミワさんは朝が早い。田代邸の居間で寝ていると(客人の寝場所はだいたいそのあたり)洗い物―自分が使ったのではない食器を洗う音で目が覚めたりする。めっちゃ酒のむし、さっぱりしていて、ざっくばらんで、話しているとついつい長くなってしまうんだけど、夜は夜で、普段は夜9時に寝るという。自分のペースで、でも丁寧にやるところはやる、対話を好む、他人に強要したり責任転嫁したりするのを嫌う、そんな空気がミワさんの回りにはある。その空気は暮らしの中から自然と生まれてきて漂うものだ。そして、彼女は空気の底に流れているリズムを下敷きに、うたを書いているのだろう。ミワさんのCD-R作品は自宅のキッチンで録音されているのだが、なんだかとても象徴的だなあと思う。

 (ねんのため、これは生活感、とは違う。ミワサチコのうたは<生活>というよりも<目撃>や<遭遇>に近い。問題は生きざまを歌うかどうかではなくて、見たものや立ち会った出来事を歌うとき、まなざしや語り口のなかに自分が生きているかどうかだ。それはつまり自分がどんなふうに生きているか、ということに他ならないだろう)

 云いなおしてみよう。専業か兼業か。普段なにをしているか。そんな事柄と生まれてくる音楽の価値とは関係がない。ただし、普段の暮らしかた、ものや時間の感じかたは、確かにぼくらの生みだすあらゆるものの土台となっている。そこにある生活を生きることと、そこから生まれてくるメロディやことばを掴まえてゆくことは、たぶん、ふたつの車輪のような関係だといえるんじゃないだろうか。それはきっとプロであってもアマチュアであっても、五十歳を越えても高校生であっても、生活が素晴らしくても最低であっても、あらゆる創作者/表現者に共通することなんじゃないだろうか。

 さらに云うと、ふたつの車輪をつなぐ、車軸のようなもの―それがイマジネーションであり、あこがれであり、夢であると。そういえばミワさんの曲に「ながいあこがれ」ってあったな。あっ、まとまった。これ以上えらそうなことを書きだす前に、ここで止めておこうっと。ミワさん、二日間ありがとう!そして連日夜中までつきあわせてごめん。また福岡行くから一緒に飲もう。富山でもいい店見つけたから、いつかおいでよ。




posted by youcan at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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