2014年02月16日

あと五年 世界が滅ぶ歌は三分半で終わってた

 いや、ほんとうは四分四十三秒である。何度か指摘されたけど、デヴィッド・ボウイの"Five Years"のことだ。

 ちょうど十年前の、初めてのアルバムの冒頭に収録された、三分に満たない小曲"明けない夜"を、ぼくのレパートリーのなかで一番好きだと云ってくれるひとは、意外にも、そしてありがたいことに、少なくはない。
 リリースから十年にもなるのに全出荷数はたったの千枚っきり、生産も終了し、いまでは手に入りにくくなってしまった『ひかり』というアルバムは(ときどきアマゾンでびっくりするような値段がついているけれど、どうか間違っても買ったりしないで。こっそりCD-R焼きますからそのお金でもっと美味しいものとかいい本とか買ってください)、ワイキキレコードから発売された。レーベルオーナーであるエレキベースのサカモトくんが初めてゆーきゃんのライブを観たのが2003年のボロフェスタ、そしてこの"明けない夜"が生まれたのはその前日だ。


 十月半ばの京都は昼間そこそこ暑くなるくせに、日が落ちると急激に冷え込む。まだ西部講堂で開催していたボロフェスタ、会場の特質上どうしても戸締りには不安が残るので、音響や照明の機材は誰かが泊まり込みで番をしなくてはならない。その日の担当は、ぼくだった。

 ボロフェスタ自体、まだ二年目を迎えたばかりで、スタッフはみんな不慣れだったのだが、なかでもゆーきゃんと云えば<無能>の代名詞になるほど、何一つ―ほんの少しの的確な指示も、なんとか物事が進行するような段取りも、設営の邪魔にならない程度の作業も―できなかった。チケットの売れ行きも芳しくない、当日の動員もまったく予想がつかない、そして赤字になったら主催の四人が払わなくてはいけないのだ。当時のぼくに貯金はゼロ(いまもないけれど!)。あれほど疲労と不安と自信喪失に押しつぶされそうになったことは、ない。なにが見返りにあるのかも、なぜこんなことを始めようと思ったかも、まったく分からなくなっていた(実際、片づけが終わったあとでぼくは加藤さん相手に、もうやめますと泣きながら云ったんだっけ)。

 泊まり込む場所は散らかった事務所。頼りになるのは古びた石油ストーブ、シートが切れてスポンジの覗くソファ、いままで誰がどれほど使ったか分からないぼろぼろの毛布、そしてラジカセ(あの場所ではこれだけが救いと呼べただろう、たしかSONYの名機ZS-M5をJJが持ち込んでいたはず)。日付が変わるまで翌日の進行についての会議、そしてみんなが帰って、ぼくが独り残る。疲れているのに眠れない。早く終わってほしいのに朝が来てほしくない。音楽フェスの主催者が、開催前日に音楽を聴きたくなくなっている。

 んー、書きながら気持ちがぶり返して辛くなってきた。どうせいろんなことが朦朧として細かいことは覚えていないし、この辺りの描写はもうやめておこうか。とにかく無理やりビールか何かを流し込んで自分を寝かしつけて、ラジオはつけっぱなしで、起きたら夜が白みはじめていた。立てつけの悪い木の扉を開けっ放して外に出て、ラジオからだったか自分の口からだったか分からないけれどデヴィッド・ボウイが流れて、寒くなって事務所に戻って、ギターを抱えて、口をついて出たのが「ガラス色の雲の彼方」というフレーズだった。それから一気に書き上げた―というより、なにも書いていない。三分半、というのは"Five Years"が終わるまでの時間というより、"明けない夜"が出来上がるまでの時間のほうが近いかもしれない。

 この年のボロフェスタには、弾き語りで出演した。会場のどこかで観ていたサカモトくんが翌年リリースのオファーをくれて、『ひかり』にはピアノの伴奏で収録された(昔のこととはいえ、スキマスイッチのしんた君が一つ返事で演奏を引き受けてくれたのは、なんと恐れ多い…)。それ以来たくさんの人と一緒に、たくさんの場所で演奏されてきた"明けない夜"、こうやってつらつらと思い出してみると、たしかにいちばん多く歌った曲だ。


 さて、いままでは前置き。長すぎる前置き。本題は、去年のボロフェスタの映像が、スペースシャワーDAXで公開されているんだけど、そのなかにこの"明けない夜"が入っているってこと。



 個人のフェイスブック・ページに書いた通り、不覚にも、そして恥ずかしいことに、自分のライブ映像に泣いてしまった。とにかくメンバーの演奏が、音が、よい。歌い手の貧相さを除けば、映像もとても見事だ。ベースは田代貴之、ピアノは森ゆに、エレキギターは田辺玄、ドラムは妹尾立樹、PAは宋さん、照明はRYUクルー(杉本さんかな、小川さんかな)、そして撮影は『太秦ヤコペッティ』 『SAVE THE CLUB NOON』の監督でもある宮本杜朗さん率いるチーム。ちなみに宋さんは、2003年のボロフェスタの時もオペをしてくれた。演奏直後に叫んでいるのはたぶん木屋町ラクボウズの店主、高橋だろう(あいつはいつも酔っぱらうと「明けない夜、歌ってやー」とせがんでくる)。

 「いちばん多く歌った曲」と書いたけれど、たぶんこれ以上の演奏は、ない。弾き語りはもちろん、健太郎のピアノとデュオで残したテイクも、夢中夢の依田くんにギターを弾いてもらったヴァージョンも、須原さんとのライブ録音も、フェザーリポートでのアレンジも、これまでに演奏した形態のどれもが素晴らしい瞬間を見せてくれたのだけど、このボロフェスタ2013のステージは、もはや完成度うんぬんではなく(実際この五人で音を出したのは三カ月ぶり、その間リハは一度もない)、全員のなかの景色が、呼吸が、ことばが一致してしまっているという感じ。なんと奇跡的なハッピーアイスクリーム(死語?)だろうと、ぼくは泣きながら笑った。


 「ゆーきゃんの歌、最初はよくわからなかったんです」と云われることが多い。みんな正直でよろしいと思う。だって、ぼくにもよくわからないんだから。今でさえ書きだしてみると<ガラス色の雲の彼方、沈めたのは甘い夢のかけら、その赫い光だけがまだ飽けぬ憧れを照らす>ってなんのことだよ、と思う。

 でも、そのよくわからなさが、わからなさのままで少しずつ焦点を定めてゆき、ついにことばと音楽がぴったりと一致したところに到達したときに<わかる>瞬間が芽生えることもある―なにがわかったか説明しろと云われても、やっぱりわからないんだけど―。いつだったかJOJO広重さんは「歌は、どんなに小さくても、いつかきっと届く」とおっしゃった。その<小さくても>が示しているのは、たぶん、音量のことだけではないのだ。英国のロックスターが「俺たちにはあと五年しかない」と叫んだ名曲の続きを、極東の小声の歌うたいが十年のあいだ地味に歌い続けてきて、ささやかながらあのステージまでたどり着いたことは、なんだかそれを少し証明できたようで、ちょっとだけほっとする(まあ、曲のなかでは四分四十三秒を三分半で強制的に終わらせているんだけど)。お前の歌はよく分からんと嗤われたりけなされたりしているみんなも、まだまだ絶望してはいけないよ―すくなくとも、世界が終わるまでは。


 あっ、DAXにはボロフェスタに出て下さったバンドの映像が他にも多数上がってます。名演・好演ばかりですのでぜひ。"Five Years"を聴いたことのない方は、なるべくならレコード買ってください。


posted by youcan at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。