それだけを聞いて、最初に涌いてきたのは、残念さと同時に、拍手したいようなすがすがしさだった。ぼくは不謹慎だろうか。
どうしてもうまく説明できないので、もう炎上でもなんでもいいのだけど、解散、しかも解散後の発表という選択肢がどれほど彼女たちらしいかということだけは書いておきたい。いろいろあっても、とにかくミシオさんらしく、志賀さんらしい終わり方だと思う。
ある高名なミュージシャンがコラムかブログか何だったかで「バンドは生き物だ」と書いていたように記憶している(失礼ながら原典はどこだったか忘れてしまったが)。実際、彼のバンドはそれ自体がひとつの有機体―モンスターだった。すさまじい運動神経と筋力で街一つまるごと踏みつぶしてゆくようなライブを何度も観せてくれた<それ>は、オリジナルメンバーであるベーシストの脱退を機に、土へ還っていった。
埋火は、やはり花のようだったと思う(こう書いたらミシオさんは妙に照れるだろうが)。派手さを好まず、けれど粋に、からっとした香りと、ほんの一瞬たゆたうような妖しさをもって、ふと道ゆく誰かの眼を惹きつけ、立ち止まらせる―そんな咲き方をしていた。青い空でも夜の明かりでも、たいがいのロケーションを自分たちの背景にしてしまうようなさりげない魅力があった。このバンドにとっては、やっぱり夜のうちに散って、朝みんなが目を覚ましたときにはアスファルトにすっかり花弁を落としてしまっていて、みんな残念がりつつも潔さを覚えてしまう、そのくらいが、かえって色気があってちょうどいい気がする。
"菊坂ホテル"という曲のなかで、ミシオさんが「あんた馬鹿だけど、素敵よ」と歌うところがある。ぼくはあのパンチラインが最高に好きで、この人はこのフレーズをうたうために生まれてきたんじゃないかとこっそり思ってきたのだが、ホームページに載せられた解散のお知らせの、さらりとした、けれどさまざまな想いと話し合いを経たであろう文章を何度も読み返すにつけ、おすし(我々はミシオさんをこう呼んでいる)、こっちに負けず劣らずあんたも馬鹿なのかもしれない、だけど、やっぱりぼくはあんたが好きだな、と。
ただし、言い残したことがふたつ。ひとつは志賀さんの、マラカスでフロアタムを叩くドラミングがしばらく見れないのは残念だ!てこと。あれ好きだったんだけどな。それともうひとつ、おすし、志賀さん、須原さん、おつかれさまでした。ほんとにいい音楽ありがとね。これからも楽しみにしてます。
*タイトルは埋火の歌詞から拝借したものですが、初出時に誤りがありました。お詫びして訂正します。