2020年05月20日

『うたの死なない日』雑記(6)うたの死なない日

うたの死なない日

今日はうたの死なない日
夏草 西陽の丘に 年老いた塔の物見が 焼け残ることば拾って

朽ちた旗を翻し あなたは愛せるだろうか
今より確かな大地があなたを支えるだろうか

夕立の洗い流した慍りがそのまま長い河に変わって
街角切り取る画面の向こうにすべてを運び去った
後は

花の散らない日
風は掠れたまま もう誰一人ここから追い出されず
今日はうたの死なない日 暮れゆく世界のどこかで
年老いた塔の物見が 空を見上げ

懺悔から始めます。このタイトルはオマージュと剽窃の境界線を少し飛び越えている気がします。ロバート・ニュートン・ペックというアメリカの作家が書いた『豚の死なない日』というジュヴナイル小説があまりに素晴らしくて、いつかこの作品に影響された作品を書いてやろうと思っていたのですが、歳月だけを無駄に重ねた挙句、結局はひらがな一文字変えただけのものになりました。


直接的にこの曲に向けての引き金を引いたのは、砺波平野の散居村展望台から見た景色です。もちろんその景観は息を呑むほどに見事だったのですが、さらに衝撃だったのは、案内してくださった方から耳にしたお話でした。展望台の眼下に広がる水田のうち相当な割合が、すでに個別農家の持ち物ではなく農業法人の管轄にあるというのです。高齢化が進み、余所に経営を委託しなければ水田を保つことさえ難しい現実が、目に見える景色の下にもう溢れ出さんばかりに潜んでいるのを思い知らされました。そもそも散村とは家と家の距離を離すことで、水田と家の距離を近づけるための工夫であったはずなのに、もはやその水田を引き受けるべき家がなくなろうとしている。静かに流れていると思っていた農村の時間は、音を立てぬまま物凄いスピードでいろいろなものを押し流していたのです。


この感情が、怒りだと分かるまでには相当な時間が必要でした。そして今でさえ、何に怒っているのかと問われれば答えに窮します。べつに何らかの対象に向けて怒っているわけではないのです。あえていえば「遣る瀬無い」という感情がもっと適切なのかも、とも思います。古典でよく言われるところの「無常感」とはこういうものなのか、という気もします。ですが、いくつかの候補を行きつ戻りつした末に、僕はやはり「怒り」に還ってきます。あの話を聞いた後にもう一度、眩いばかりの緑に覆われたパノラマを俯瞰しながら、夏草の斜面を一目散に駆けていく小さな兄妹の背中を目で追っていく−そのときの感情を言い表すとすれば、消去法であっても「怒り」以外にはないと言わざるを得ません。人間の感情の暴発とは解せぬものです。


ただ、もう少しゆっくり見ていくと、その怒りが(誤解を恐れずいうなら)腐敗に対する怒りに、どこか似ていると言うことが分かってきます。何にも怒ってはないけれど、何かに怒っている。それは、冷蔵庫で牛乳を傷ませた時の気持ちとよく似た質感をもっています。ということは、つまり、ある種の発展と腐敗は同類であるということでしょうか。人々が懐かしい景色を置き去りにしたまま大地を去らざるを得ないという時代の流れは、何かを傷ませているのでしょうか。


できあがったものをあらためて聴いてみると、その懐古主義具合に驚きます(実は、この曲はまだ、バンドではステージの上で一度も演奏していません)。この曲がやりたいことは、まるっきり「いつかどこかで聴いた、誰かが歌っていたような、でも結局は実在しない歌」です。グランジがメジャーシーンへ押しあがっていくことに反発するためだけにアメリカ各地で散発的な盛り上がりを見せた、全然キャッチーじゃないオルタナティヴ・バンドたちのアルバム一曲目みたいな曲です。ルーリードが匿名で書いていたという安っぽいB級アメリカン・ポップスを、想像だけでアップデートさせようとした曲です。ジョーン・バエズのフォークソングにある涼やかさを夢見ながら、すぐに気恥ずかしくなって背景をわざとぐちゃぐちゃに塗りつぶしてしまった曲です。浅川マキのように魂と歌が心中する景色に憧れながら、結局はあんな意気地もなくただ背中をすくめて立ち去るしかなかった−そういう虚脱と徒労を背に負いながら、それでも「怒り」と対峙し続けている曲です。

この曲は、置いていかれることも腐敗することも、追い出されることも、等しく拒絶します。だから、「うたの死なない日」なのでしょう。


簡単なラフスケッチを聴かせた後でアレンジと録音に対する漠然と抱えたイメージを話したとき、即座にrickyは「めっちゃ下手に叩こう」、岩橋くんは「俺、薬指だけで弾くわ」と言いました。吉岡くんはデタラメに弾いたフィードバックギターに謎のエフェクトをかけ、おざわさんは淡々とユニゾンしたりシンプルに三度上を重ねたりして、OKテイクはあれよあれよという間に完成しました。同じコードのままノイジーな演奏が延々と垂れ流されるようなイントロを録音していたのですが、ミックスの時点で縮められてしまいました。でも、やっぱりこのくらいが適当な気がします。


posted by youcan at 21:21| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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