太陽の雨 裏通りを抜けて
辿り着いたのは蝉時雨の時計台
太陽の雨 黄昏は近づき
地図もなく君は帰り道さまよった
夏祭りを待ち つまらない毎日 虚ろな瞳で数え尽くしてた
「すれ違いざま撃ち抜いてほしい」と
そっと呟いてただ遠くを見てた
かすれ切った声と言葉なき歌
崩れゆくこの空を拾い集めても
太陽の雨は乾く間もなく 終わらない偽りの祝祭がアスファルトを染める
大丈夫まだ沈みなんてしないさ 真夜中が来ても君を照らすのさ
太陽の雨 赫い光の雨
焼き尽くすように街を濡らしてる
左京から中京までずっと降りていく。白川通を下って今出川との交差点で曲がり、京大の敷地内をショートカットして東大路を仁王門通まで南下、そのあたりまで来ると西陽はずいぶん傾いてきて、空気そのものが琥珀色からくすんだ茜色に変わろうと身震いしはじめている。大和大路、つづいて縄手通へと入って行く。観光客向けに作られた街の顔が、夕闇の中ですっと溶け落ちたように見える瞬間がある。盆地の底、あの重厚で陰鬱な夏と、あらゆるものを浄化するざらついた赤光が重なり合い、波のように世界そのものが洗い流されていく。何のために自転車を漕いでいるのか、どこへ行こうとしていたのか、やがてもうすっかり忘れしまうほどの時間のたゆたい − 実際、ぼくはこういった類の景色をいくつも覚えているけれど、このあと自分がどこへ向かったのか、何をしたのか、そういった諸々については、まったく覚えていない。「太陽の雨」という形容は、そのようにして積み重ねられた印象の束の、さらなる残滓だと思っている。
アルチュール・ランボーの『言葉の錬金術』には、こんなふうにある。「ついに、幸福だ、理性だ! 俺は空から青さを引っ剥がし、真っ黒にした。俺は、自然の光の黄金の火花となって生きた」。不世出の天才詩人の真意についてはさておき、「空から青さを引き剥がす」そのやりかたについては、なんとなく分かったつもりでいる。太陽の雨、裏通りを抜けて − この歌い出しはすぐに決まった。あの日(というか、あの日々のなかで)それを見たからだ。街の底に色濃く溜まっていく夕闇の予感、いま見えている物事からかりそめの約束を脱臼させて、自分のための意味を見つけ出すこと、これはぼくにとって希望の歌だった。幸福を、新しい理性を、手に入れるために歌わなければいけない歌だった。
あれから十数年が経つ。富山は(京都とは違った在り方で)山に囲まれた県だ。どこへ行くにもトンネルを潜らなくてはならない。車での移動は必ず薄暗い場面転換を伴うけれど、それはいつもある種の麻痺とセットになっている。天井にオレンジ色の灯りが続く単調な風景を眺めているうちに、心の中でぴりぴりとしていたいろんなことが陳腐化していく。大げさかもしれないが、日常というやつはだいたいそういうものなのだと思う。
太陽の雨を見なくなってから久しい。何が起きてもだいたいのことを「そういうものさ」と思ってしまうとしたら、それはぼくらがある意味では理性を失っている、そして幸福を削り倒してしまう直前にいるということの症状なのではないかと思う。同じ瞬間が一つとして在り得ないという基本的な事実を忘れて安易な日々の繰り返しに溺れ、立ち止まって耳をすますことや目をこらすことを忘れていくことは、緩慢な死どころかかえって破局を手繰り寄せる道であるだろう。針金を一本、心の裏側に通しておかなくてはならない。黄金の火花を自分の裏側に抱えておかなくてはならない。沁みるような痛みや渇きに怯えて感じることをやめてしまえば、日照りの夏をおろおろ歩くことをやめてしまえば、きみもぼくも歌う根拠を失う。信じられないようなニュースが、スキャンダルそのものとしか言いようのない政治が、あらゆる不正や下世話や欺瞞を陳腐さのなかに溶け込ませて消費するやり方が画面や紙面にどれほど溢れたしたとしても、それぞれの現実において、それぞれのやり方で「空から青さを引き剥がす」練習を欠かしてはいけない。
大丈夫まだ沈みなんかしない、真夜中が来てもきみを照らす。空からやってくるものは、つねに可能性に向かってひらけていくための無限の道筋だけだ。