2017年01月22日

any alarm and any surprise

 あの頃のことを覚えている人は思い出して。
 まだ若くて想像できない人も、この曲を聴いて、それからテレビやネットで見たり聞いたりしたことのある「20年」を思い出しながら、読んでほしい。


 偶々に立ち寄ったガソリンスタンドで、Radioheadの”No Surprises”が流れていた。



a job that slowly kills you,
bruises that won't heal.
You look so tired-unhappy,
bring down the government,
they don't, they don't speak for us.

 1998年1月リリースのシングル、アルバムは97年の12月だから、この曲が書かれてからもう20年になろうとしている。
 でも、<仕事にゆっくりと奪われる命>や<わたしたちを代弁してくれない新政府>−こんなフレーズたちは、つい最近の出来事を思い起こさせないだろうか、それはつまり、あのころと僕らは何も変わっていない、ということなのかもしれない。

 そのなかでも、
“they don't, they don't speak for us.”
の”us”について、いまは考えてみたい。「わたしたち」とは誰か、ということだ。

 大学に入って最初に出た講義は「偏見・差別・人権」という名前だった。「日本国憲法」と併せて、これは全学部生必履修であり、要するにヒヨッコが曲がりなりにも「市民」となるために絶対に身につけておかなくてはならない教養であったといえる。

 あの時の授業の内容について、だいぶ記憶はぼやけてしまったけれど、そこで取り上げられたテーマが何であったかについては、しっかりと覚えている。なにしろ、それらは今も同じようにテレビで、新聞紙上で、ネットで、あれこれ言われ続けているのだから。

 ジェンダー、LGBT、同和問題、宗教と道徳、外国人と国籍…わたしたちが、「わたしたち」と「わたしたち以外の人々」に線を引きたがる心の仕組みは本能的なものだとして、すくなくとも、その線の位置を動かしたり、線の濃さをぼやかしたりすることはできる。そんな希望のために言葉を紡ぎ、行進し、歌をうたい、制度を変えようとした人々はたくさん居ただろう。夢を語り道を指し示すリーダーや思想家が生まれ、理想を信じ、共有し、実現に向かって努力をした人々の数は数えきれないだろう。けれど、同じように、その理想を信じられず、むしろ脅かされたと感じ、嫌悪の情を覚え、自分を守ろうとー自分たちを守ろうとする人々が計り知れないほど現れたこともまた、ほとんど確かめる必要すらないに違いない。

 あいつらが仕事を奪う。あいつらは郷に入っても郷に従わない。あいつらはこちらの価値観を踏みにじり、わたしたちが作ったルールを受け入れようとしない。
 わたしたち以外の誰かが、いつもおいしい思いをしている。わたしたちは報われず、奪われ、無視されている―この20年の間に生まれた世界中の「わたしたち」は、こんなふうに、割に合わない気分にもとづく連帯のように思える。常に「わたしたち以外」への警戒や恨みを規約にもった互助会のように思える。

 大統領が代替わりし、ホワイトハウスのウェブサイトからLGBTの権利、公民権、気候変動、そしてオバマケアに関するページが削除された。このニュースは、現代史の主戦場がどこにあるのかを指し示しているひとつのものさしではあるけれど、その根っこにある「気分」については、いまさら分析するまでもなくて、ぼくらの国をはじめとして世界中で「誰が叩かれ、何が禁じられたのか」を見ていけばなんとなく分かるだろう。

 排外主義も、理不尽な差別も、水に落ちた犬を叩くようなさもしい心根も、すべて<心の安定がほしい>という種をもっている。

Such a pretty house
and such a pretty garden.

No alarms and no surprises,
no alarms and no surprises,
no alarms and no surprises please.

 心の安定を願う気持ちは、誰の心の中にもある。それが弱さに振れていく場面も珍しくないということも、誰もがよく知っているはずだ。ただ、だからといって自分がその森に迷い込む必要はない。
 その種を分かち合うために生まれて増殖し、互いに食い荒らしては分裂していく、ゾンビのような<わたしたちの群れ>に、取り込まれないでいること。群れのなかで、ひたすらに<わたし>であることーダイバーシティとは、そのような孤高と、表裏一体なのだと思う。
 alarmもsurpriseも、できる限り恐れずに進まなくてはならない。可能な限り受け入れたい。
 “There’s no countries”と歌ったあの人は、きっと国境線だけを指していたのではなくて、あらゆる境界線を、あらゆる分断を、ぼくたちが越えていける日のことを夢想していたに違いないのだ。最初に踏み越えるべき線は、自分の中にあるのだとあらためて確かめながら、2017年はじめの投稿を。今年は毎月ブログを書くことを目標にします。がんばる。
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2015年03月18日

ぼくの白い車(で海へ行こう)、あるいは西陽が射すような音楽を

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 兄が中古車販売店で働いています。こちらに帰ってきて、就職をするお祝いに古いスズキ・ジムニーを降ろしてくれたのが、ちょうど一年前の今日、3月18日のこと。学生の頃、かたくなに「乗ったら死ぬと思う。運転は絶対にしない」と言っていたのが嘘のように、いまではどこへ行くにも車・くるま・クルマです。

 本音をいうと、ほんとうはもうすこし、ゆっくり歩く暮らしを取り戻したくもあるのです。それでも、自動車のおかげで自分の生まれ育った県をもっと好きになることができたのは確かでした。この一年、仕事で、プライベートで、つらいときにどうしたか ― 海を見に行きました。日本海は太平洋と違い対岸のある、限りのある海ですが、ちっぽけな自分にとっては充分に広い。そして能登半島のほうへ向かえば、天気のいい日には海の向こうに白い立山連峰が浮かび上がっていたりするのです。また、市街地から遠く離れた半島を北へ分け入り、ひとっ気のない海岸沿いの適当なところで車を停め、ひたすら波の音に耳をすましていると、こころの中の雑音が徐々に小さくなっていくのが分かりました。
 先日は、亀岡からやってきた友人たちに付き合って氷見の民宿に泊まったところ、漁港の向こうからやって来る朝日を拝むことができました。以前、気仙沼の朝焼けのことをこのブログに書いたことがありますが、日本海側にも太陽が昇る海があったんですね。あまりに嬉しくて浴衣ひとつ、草履をつっかけて雪の埠頭へ飛び出して行って、笑われました。twitterのアイコン、あの自殺志願の肺病持ちの書生崩れみたいな写真はそのときのものです。

 いまから十年前のぼくが、つらいときに頼っていたのは川でした。鴨川です。二十世紀の終わり、京都へやってきて以来、お金がなくてスタジオに入れずギターの練習をした春の夜も、覚えたばかりの酒よりも花火のほうが何倍も楽しかった夏の朝も、思うようにいかない誰にも認めてもらえない(と思い込んでいた)気持ちを水に流した十月の独りぼっちの誕生日も、金色に枯れた芝生に寝転んで凍えながら詩を書いたばかげた冬の午後も、あのまっすぐ下ってゆく、小ざっぱりした、歴史の鏡のような川でした。現在こちらでの暮らしについて、さして不満はありはしないものの、しいていうなら鴨川が欲しいかなあ(金沢の犀川はどこか鴨川に似ています。ちょっと嫉妬します)。
 そんな鴨川沿いの砂利道、川端丸太町から少し上がったあたりで撮影した写真がジャケットになっている、ゆーきゃんのファーストアルバム『ひかり』が、今日アナログで再発となりました。2004年オリジナル盤のリリース当時、まだCDが数千枚単位でばんばん売れていた時代にイニシャル数が300にも満たなかった作品が、ダウンロードコードも付けない不親切パッケージで100枚を越すオーダーをいただいているとのこと。ありがたいことです。
 
 ジャケットをデザインしてくれたのはIPPIという人です。松谷一飛。BOREDOMSや井上薫さんのアルバムも手掛けるこのビジュアル・アーティストは当時はまだ京都に住んでいました。主にクラブイベントのフライヤーデザインなどをしていたIPPIくん、ひょんなきっかけで、そして何故か、ゆーきゃんを気に入ってくれて、ゆーきゃんの何かデザインしたいな、と言ってくれました。嬉しさあまって「いまアルバム作ってるんだ、ぜひそいつを!」と言ってしまったものの、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、彼の作風は、ビビッドで、コズミックな世界を持つものです。どうなるんだろう、こんな地味で荒涼とした音楽と果たして合うのだろうか、気がかりでした。

 その不安を知ってか知らずか、IPPIくんがまず掛けてくれた言葉は「鴨川、一緒に散歩せえへん?」。そして、あのジャケットの写真が撮られたというわけです。

 撮影場所は、ぼくが上京したての頃に歌の練習をしていた段差の前。置かれている草履は、当時ぼくが好んで履いていたもの。揃えていないのは、そのとき二人で交わした − 自殺する人は靴をそろえる。それはきっと<行き詰まった>というメッセージなのだと思う。もし、そろえてしまった靴を半歩でもずらせたら、希望が湧いてきたかもしれないのだ − という会話にもとづいています。
 内容については、もうぼくには判断することができませんので各所のレビューを参考にしてください。ただ、おまえあんな風に言ってたやんけ!と突っ込まれないように、40日も前にtwitterで呟いた140文字を、もう一回ペーストして、今日の日記(ひさしぶりすぎてもう日記とは呼べませんね)の締めとしますね。

 「拙くて、儚くて、痛くて、ローファイ。ファーストアルバムは二度ないものですが、まさしくあの『ひかり』は2000年代はじめの、迷いに満ちていたゆーきゃんにしか作り得なかった一枚だと思います。ぼくはもう恥ずかしくてよう聴かんので、みなさん代わりに針を落としてください。」
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2014年09月01日

京都

 今日はいきなり引用から始めます。

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僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒〔そそ〕ぎ、風は花々揺つてゐた。
 木橋の、埃〔ほこ〕りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々〔あかあか〕と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。
 棲〔す〕む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者〔みより〕なく、風信機〔かざみ〕の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
 さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
 煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
 さてわが親しき所有品〔もちもの〕は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団ときたらば影だになく、歯刷子〔はぶらし〕くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何にも書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
 女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
 名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。

 しかもいまどき、たいがいな年齢にもなって中原中也を持ち出してくるぼくの万年書生気質を笑ってください。
 ですが、すこし遅咲きの青春時代を、赤貧と無名を背負いながら、あの街の輝かしい泥濘のなかで過ごしたぼくにとっての<京都>もまた、どこかこの詩の景色と似ているなあと、ふと思ったのです。
 

 くるりが北陸ツアーに来てくれたので、金沢・富山と二日続けて観に行きました。久しぶりに岸田くんや佐藤くん(もちろんファンファンも、ツアーメンバーのカンジくんと洋子さんともです)ゆっくり話せる時間があって、思わず翌日のことも忘れてふらふらになるまで飲んでしまったりした後で、ぼくが彼らにどれほどのものを貰っていたか、あらためて実感しました。ライブはもちろん素晴らしく(演奏は云うまでもなく、新旧織り交ぜたセットリストも非常に感慨深かった)、フロアのど真ん中で爆踊りしたり諸手を挙げて喜んだり大口空けてシンガロングしたりしていたら、カンジくんに「富山に帰っても(メトロで遊んでた頃と)なんも変わっとらん」と笑われましたとさ。
(実はこの後に続けて、まるで音楽雑誌の投書欄のような「くるりと私」的長文をしたためたのですが、恥ずかしくてウェブ上からは消しました。いま、「王様の耳はロバの耳」的な紙きれだけが部屋に残っています。さほど面白くもないですが聞きたい方は酒の席ででも。)




 お盆休みを利用して、メロウくんとアバンギルドでライブをしました。古い相棒と古巣に帰ってきたような感覚。ライブ中のぼくにはメロウくんの絵が見えません。でも、彼がぼくの後ろに投影する線を、色を、にじみを、物語を、どういうわけか感じることができるのです。文字通り<背中を任せられる>メロウくん、半年ぶりに会っても話すことは全然変わらないですし、河原でビール飲んだりアイス食べたり、まるで昨日も会っていて、昨日とおなじように振舞っているかのような錯覚を覚えました。ライブのほかにも、夏の京都を歩き、久しぶりの友人たちに会い、音楽の話からどうでもいい話までを塗り重ね、明け方ひと眠りしてからまた飲みに行ったりなんかもして、いつしか自分の帰る家をちょっと忘れかけたり。そういえばこの一方通行の多い1220歳の街は、ときどきふと磁場がずれたりするんでした。あぶないあぶない。

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(写真はフォトグラファーの勝俣信乃さん。わざわざ神奈川から来て下さった彼女もまた、この街なくしては出会わなかった人です。)


 8月最後の土曜日は、nanoボロフェスタでした。ボロフェスタについては何度も書いていますし、何度書いても書ききれないので困ってしまうのですが、一日しか居られなかった(でも去年はゼロ参加だったので、ましになったのかな)なりに、とにかくnanoボロフェスタがすっかりボロフェスタだったので、うれしくてうれしくて、田舎のクルマ生活の影響で飲めなくなったビールを無理やり飲みました。お客さんもスタッフも本当に素晴らしかったです。ぼくの演奏はといえば、もぐら君にお願いして、マドラグのトリを取らせてもらったんですが、また例によって夢中になってしまって、出来不出来はほとんど覚えていません。ただ、新曲―その名も「マドラグ」という曲を歌いました。これはナツミさんのことを思って書いたのですが、気のせいか、ただの期待か分からないにしろ、カウンターのあの場所にふわっと何かを感じたのは確か。きっと、それなりに良いライブだったのだろうと思います。そういえば本番前にサウンドチェックをしたら、なんだか楽しくなってしまって、カヴァー曲をいっぱい歌いました。それも含めてセットリストを書いておきます。

■サウンドチェック

1. Cruel War
2. スーパースター
3. Femme Fatal
3. 少年時代
5. 500 miles

■本番

1. Don't think twice, it's alright
2. 0764
3. 夕方の縁石
4. サイダー
5. マドラグ
6. エンディングテーマ
7. Pellicule

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(写真はマドラグ店主・三四郎さんのFBから無断で取ってしまいました。いいですよね三四郎さん、こんどカウンター越しにビール奢りますんで。)


 次、この街へ来るのは10月の終わり―ボロフェスタ本祭です。その後はどうなるか分かりません。ただ、新しい曲が新しい暮らしの中で幾つ出来上がってきても、その景色の中に、その影の中に、その温度の中に、やっぱり京都は在り続けるんだろうと思います。<さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた>―空気は絶えず肺から出たり入ったりしていますが、その中に溶け込んだ蜜は、きっと胸の奥に残り続けて、考え方に影響したり、頻繁に郷愁をもよおしたり、折にふれて感受性を震わせたりして、楽しいことや夢のようなことに弱い人間たちの、遠い土地での新生活を素敵に邪魔し続けるんじゃないでしょうか。これまで私の人生をさんざんに狂わせ、遠く離れたこれからでさえも、相変わらず奇妙な道へと誘ってくれるであろう、あの世界の果ての古都とは、なんと厄介な存在なのでしょうか。ねえ、また還ってくるからさ、お願いだからそっとしておいて欲しいところはそっとしといておくれよ。
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2014年08月03日

黄金色してた あの日を見てるだろう

 ひまわりを貰いました。

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 配属先はちがうけれど、同期の新人たちによる、研修グループ仲間で(この説明、わかるかな?)、あるプロジェクトを動かしてみた、その打ち上げの席でのことです。

 内容はさておき、枠組みはいままで作ってきたイベントとよく似ていましたし、職場では<新人>扱いながらも無駄に齢を重ねてきたわけですし、で、なんとなくぼくが中心になって物事をすすめていくことになったのですが、ぼく以外の13人はみんな頭の回転も早く、アイディアも豊富で、熱意があり、なによりオープンなマインドをもっていて、結局は「どうします?そうですね、そうしましょう、任せました」みたいなことしか云わなかった気がします。2ヶ月ちょっとの準備期間、仕事が終わってからファミレスで集まったり、会議が長引いて(ひとりのスタッフに)デートをキャンセルさせてしまったり、真夜中に電話がかかってきたりと、こっちの世界でもボロフェスタみたいな感覚にだんだん近づいていってるのに気付いて、ふと笑ってしまいました。もちろんボロフェスタと違って悪戦苦闘の先に圧倒的な音楽が鳴ったわけではありませんし、ただの研修の一プログラムなわけで、誰からもご褒美を貰えたわけでもない。でもそんなことは二の次、とにかく、誰かと一緒に、誰かのための場所を作るということ、そこにある純粋な喜びはどこに行っても変わらないのだな、と実感したのです。

 つねに<一緒に何かを作っていて楽しいヤツ>でありたいです。十何年も関西に住んでついにノリツッコミひとつ覚えられなかったばかりか、富山弁の会話のテンポにも戸惑い、失語症のリハビリみたいな日々はいまだに終わらないんですが、作るということを通じて交わされるコミュニケーションは、どんな饒舌にもまさるのだと思います。パンがなければケーキを食べればいいじゃない、そして、ユーモアがなければクリエイティブであればいいじゃない。

 そんなわけで、誰かと作るということに絡んで、この先の予定をすこし。

 ○ボロフェスタのチケットが間もなく発売になります。
 先日も書きましたが、今年はボロフェスタの明日を担う若者たちが、例年にも増して、表に出てがんばっています。昨日は西院フェスでチラシ配りをしたそうです。このブログを書いている間にもメーリスでは様々な意見が飛び交い、ぼくは「そう、それそれ!」とか言いながら見ていることが多くなっています。
 個人にとっても組織にとっても、変化に対応すること、創造的に変化すること、そして同時に掛け替えのないものを絶対に変質させないこと、この鼎立は、とても難しいです。ボロフェスタが12年も続いた理由は、おそらく変化と不変のバランスを絶妙なところで見極めてきたからでしょう。そして、そのバランス感覚を、ぼくはおこがましくもJJかぼくあたりが持っていたんだろうと思っていたんですが、どうも違うようです―それは、ボロフェスタに関わるスタッフみんな根底に流れている共通の感覚、あるいはボロフェスタという生きもの自体が持っている適応能力なのかもしれません。
 小難しい話になりそうなのでこの辺にしておきますが、とにかく、みなさん、今年もボロフェスタをよろしくお願します。今後の出演者発表には旬なひとたちが控えていて、あれよあれよという間にチケットは売り切れる可能性があります。お早めにどうぞ。



 ○こんなイベントがあります。

「狂言綺語 第2回」

2014年9月13日(土)富山能楽堂

<出演>
LAKE(from U.S.A / K records)
ogre you asshole
fusigi
smoug

and more...

開場 13:00 / 開演 14:00
3,500円(メール予約のみ/当日未定)

予約/問合せ
kyougenkigo@gmail.com


 ぼくの最後の夢、Kレーベルの看板アーティスト、LAKEの来日公演・富山編はなんと、能楽堂が舞台です。
 こっちに帰ってきて、初めての自主企画となります。とはいえまだ富山の音楽事情もよく知らないままに走り出すのは怖いな…と思い、smoug / TOKEI RECORDS の山内さんに相談したところ、ころころと話が転がり、こんな感じになりました。シチュエーションも、ブッキングも、他にはないものになったと思います。
 LAKE、前回はデュオでの来日だったんですが、今回はバンドセットとのこと。ジャパンツアーの全日程で一番楽しかったといってもらえるはず!富山のみなさん、北陸のみなさん、北陸の外のみなさん、ぜひ遊びに来てくださいな。
 

 ○新しいアルバムに向けてレコーディングをします。今度の土日には山梨へ行って、録音のやり方や、曲のアレンジについて、玄さんと打ち合わせをする予定です(田代くんも来れるかな?)。『あかるい部屋』は、水が高いところから低いところに流れるように出来上がった作品ですが、今度の作品は、水路を通り、様々な景色を抜けて、やがて海に向かう、そんな感じのものにしたいな。
 いつ頃にリリースということは、全然考えていません。基本的にじっくり、ひらめいた時はひらめきに任せて、ほんとうに聴かれるべき音を掘り起こしながら作っていきたいと思っています。ミュージシャンのみなさん、だしぬけにぼくから弾いてくれとか、吹いてくれとか、歌ってくれとかいう電話がかかってきてもどうか驚かないでください。


 ところで、ぼくにとって、ひまわりを扱った曲といえば断然これ。何度かカヴァーを演奏したこともあり、いつだったか、イベントのリハ終わりで一緒になったLOSTAGEの五味くんが突然「あのカヴァー、よかったわ」と声をかけてくれたのがとても嬉しかったのも憶えています。たしか一度、来日予定があったのが、キャンセルになったんじゃなかったかしら(心斎橋のクアトロに来るというのでチケットを買ったけど、行けなかった)。今年のATP、アイスランドでのライブの映像が上がっていました。万が一この人たちが来日して、富山公演をやらせてもらえるとしたら、死んでもいいかもな…大げさかな。この曲、やってくれるかな。

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2014年06月07日

YOU ARE ALWAYS NEEDED



 送られてきたアカペラの音源が、どういうわけだかニーナ・シモンを思い出させて、実家にあったレコードを取りに帰って聴きました。実際にはふたつの曲もふたりの声も似ていないのに、なぜか重なる。音楽ってたまにそういうことありますよね。
 ニーナが冒頭に" Darling, you always needed"と歌っているところを、ぼくは聴き間違えて"are"を入れてしまいました。いや、聴き違いというより、そんな風に云われたかったのかもしれません。なんだか、ずん、と来たので今日のタイトルにします。これ、文法的には間違ってるのかな、いや、あってるよな。まあどっちでもいいか。

 明日の「めざめ」に向けて、レコードやCDを選んでいます。ほんとうは仕事のやり残しがいっぱいあって、月曜日までに出さなくちゃいけない宿題も貰っているんですが、久しぶりに全力で現実逃避中。しかも何を掛けるか考えていたはずが、ただ好きな曲を渉りあるくだけでもうこんな時間です。本末転倒なことといったら、もう。

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「めざめ」
6/8(日)
at ほとり(富山県富山市中央通り1丁目2-13-2F)
出演:WATER WATER CAMEL,ASUNA
DJ:ゆーきゃん
ごはん:niginigi
開場:18:30
開演:19:30
料金:3,000円
予約:o.awakening.jp@gmail.com
※お名前、人数、電話番号を明記の上、メールにてお申し込みください。ご予約受付メールをお送りします。


 正直に告白しますと、現実逃避なんて云いだしたらすべてがそんな感じでして、家に帰ってからはあったかいお風呂に入ること(車で15分行ったくらいにある温泉が最近のお気に入りで、毎晩通っています)と音楽を聴くこと、そして次のアルバムの妄想を膨らませることしかしていません。この曲はディランのアレみたいなアレンジでとか、あの曲にはチェロが欲しいなー、とか、そうだいま書きかけの曲の終わりは金管楽器の長いソリでフェイドアウトだったら…とか、実際は時間も余裕もなく何一つ試してさえいないままに、あたまの中ではだんだん最新作が構築されていっているわけです。残念ながら来週からしばらくは仕事もさらに忙しくなりそうで、妄想の余地すらなくなってしまう予感におびえつつも、とりあえず明日キャメルのライブのあとで、玄さんにつらつらと話してみようと思います―そして夏は休暇をとってレコーディングだ!それだけを楽しみに、まさに「夏まで生きていようと思った」を地でゆくように暮らしてゆこうっと。

 と云いつつ、夏より先のことにもちょっと触れておきますね。
 まず、立ちあげをお手伝いした東京・初台でのイベント「廃病院パーティ」が最終回を迎えます。

 http://obakenante.com/haibyouinparty3/

 前回はちょうど就職活動と重なってしまって参加できなかったのですが、今度は出演というかたちで戻ることができそうです。しかも、ただ歌うだけではなくて、いろんな面白企画にも誘われています。詳細はまだですが、関東方面のかたはいまから楽しみにしていてください。出演者も豪華ですよ。

 そして、ボロフェスタです。先日JJから「おまえ、いつまでサボってんねん!」とお叱りの電話がかかってきました。そうです。彼の口癖は「忙しいは、やらへんことの理由にはならん」でした。その一言で我に帰り、眼を皿にしてブッキングのリストを読み、メールでアイディアを流しました。いったん目が覚めてしまえば、ここに自分の根っこがあったことをいやと云うほどに思い出します。一方、京都でも新しい血や感性がこのフェスに流れ込んでいるようでして(まだメーリス上でしか会ったことのない若いスタッフもいます)、相変わらず無謀としか云いようのない思い付きを実行に移したりしている現場の空気を感じるにつけ、まだ開催までずいぶん日があるのに、はやくも当日のことを思ってどきどきしたり。「超ボロ割」は明日24時までですので、みなさんお急ぎくださいね。それにしても誰や、こんなテキトーな名前つけた奴。

 http://borofesta.ototoy.jp/v/top/


 さて、またおしゃべりが長くなってしまいました。引き続きレコード選びに戻りたいと思います。そういえば明日飲むかどうかもひとつの迷いどころでして、というのも飲むと自動車で帰れず、月曜日の通勤が面倒なことになる…と(会場のある街から職場はけっこう遠いんですね)。以前のぼくなら迷う余地なんてこれっぽっちもなかったのに、実際クルマで音楽を聴くことを覚えたからでしょうか、そんなに酒を必要ともしなくなってきていたりして、なんというか、人は変わってゆくのだなあと思っています。えい、「丸くなった」なり「日和った」なり「更けた」なり、なんとでも云いやがれい。音楽があれば、おれはそれで満足なんだよ。
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2014年05月25日

「うたをやめるな」

 先週の日曜、「いつまでも世界は…」に出演してきました。

 前々日にようやく参加できるかどうかが確定し、こちらにも書きこもうと思ったのですが、サーバーのメンテナンスか何かが理由で投稿できず、結局はFacebookだけでのお知らせになってしまいました。後から知った人、ごめんなさいね。
 ライブは、正直、もっとできたなあ…という反省が残るものだったように思います。書きかけの新曲をやってみたりもしたのですが、日々の暮らしに追われるなかではブルースも覚悟も揺らいでいたのでしょう、もがいているうちに時間が過ぎて行った気がしました。ただ、最後の「エンディングテーマ」で、内側からいろんなものがばらばらになってゆく感覚があって、あの35分は(少なくともぼくにとっては)何にも考えずにマイクの前に飛び出していった、あの瞬間のためにあったのかもしれません。

 ともあれ、不完全燃焼だと口惜しがっているところに、なんと白波多カミンちゃんが誘ってくれて、彼女の出番(さらさ花遊小路のトリでした)のアンコールで二曲参加させてもらえることになりました。「最後の朝顔」そしてピアノでサポートしていたハジメタル君も交えて浅川マキ「それはスポットライトではない」のカヴァー。自分の書いた曲が誰かに歌われているのを聴くのはそれだけで嬉しいことなのに、それにもましてカミンちゃんの声が詩とメロディに非常にマッチしていて、演奏中に、あー曲が喜んではるなあ、と思いました。浅川マキも楽しかった(ぼくはつのだ☆ひろのパートを歌いました、とだけ書くと笑いをとってるだけのように思われてしまうので、原曲のYOUTUBE貼っておきますね)。もうぼくのことなんて知らないであろう、白波多カミンのファンの方々にもこのセッションは好評だったようで、なによりでした。カミンちゃんありがとう、またどこかで一緒にできたらいいな。



 目撃したライブは、THEラブ人間、ピアノガール、竹上久美子、松ノ葉楽団、出町柳ウクレレクラブ、キツネの嫁入り、モケーレムベンベ、SHAKIN' HIP SHAKE、BAA BAA BLACKSHEEPS、tobaccojuice、ドリアン、白波多カミン、そしてザ・シックスブリッツ。どのアクトもすばらしく、とくに京都の若いバンドたちから溢れる個性には大きな頼もしさを覚えました。産休明けの竹上久美子ちゃんを観れたのも嬉しかったですし、いちばん笑ったのが、出町柳ウクレレクラブを率いる元チェルシーの竜さん。昼下がりの新京極商店街の空気が一気に緩むようなおおらかな演奏なのに、ウクレレのカッティングのキレの見事なこと!知り合ってから長いということもありますが、ふたりとも本当に自然体の演奏で、人生と音楽がきれいに重なり合っていったんだなあと、いま思い出してもちょっと羨ましくなります。

 京都を離れてからまだ半年も経っていませんし、最後にライブをした日から数えてもたったの二カ月です。それなのに、なぜだかもうすでにひどく懐かしい(ように思える)友人たちにたくさん会いました。四条通のアーケードに降り注ぐ日曜日の夕陽も、飲み明かした木屋町の路上で浴びる朝日も、あの頃となんにも変わらないはずなのに、ずっと遠い昔の引き出しから取り出したような気がしました。変ですね。

 ミューズホールでの打ち上げで片山尚志くんと話したことが、印象に残っています。彼は云いました―

 ゆーきゃんのルールは、うたをやめへんこと。それだけやで。つまらん奴になんて、ぜったいならへん。

 片山は、同い年です。ブレイカーズという京都屈指のライブバンドを率いて、何年も何年も、日本中を駆け回っています。ずいぶんと華々しい舞台を踏んでいるように見えますが、そのぶん泥のなかを這い進むような苦労も絶えないであろうことは想像に難くありません。活動してきたフィールドも違いますし、セールスや人気では足元にも及ばないながら、ぼくは勝手に戦友だと思ってきました。そんな彼が、遠く離れても、どんな人生をたどっても、とにかく歌い続けなさい、おれはそれを待っているんだと云ってくれたのが、とにかく重みをもって響きました。
 
 富山に戻って、あいかわらず慣れない仕事は失敗ばかり、それでも帰宅後にはギターを引っ張り出して、昨日、ようやく新曲を書きあげました。このところpains of being pure at heartの新譜が気に入っており、そればっかり聴いているので、ちょっとはギターポップ感が出るかしらと思いつつも結局やっぱりエモい方に流れてしまって、我ながら苦笑。でもこれまでのゆーきゃんとはちょっと違うテイストも出たかと思います。いつせかで歌った奴はもう一度(とくにギターのアレンジを)練り直すつもりです。夏くらいまでにはレコーディングに入れるくらいのストックを作りたいと思っています。

 そういえば、シックスブリッツのアンコールのときに、人生初ダイブをしました。ちっとも上手にできなくて、ステージ上からマモルくんに名指しで笑われました。何もかもがかっこよく決まらない男ですよ、ええ。それにしても大成功に終わってよかったね、マモルくん。また来年もがんばろう。


 来月は、富山でDJをします―いや、お世辞にもDJとは云い難いようなものになると思いますが、すてきな二組のライブの空気をぶち壊さないように、とにかくいい曲をいっぱいかけるつもりです。にしても、キャメルとアスナくんをどうやって繋ぐかは難問だぞ…がんばりますので、お時間のあるかたはぜひ。

 6/8(日) 「めざめ vol.3」
LIVE:WATER WATER CAMEL,ASUNA
DJ:ゆーきゃん
ごはん:niginigi

会場:ほとり(富山県富山市中央通り1丁目2-13-2F)
開場:18:30 / 開演:19:30
料金:3,000円
予約:o.awakening.jp@gmail.com
※お名前、人数、電話番号を明記の上、メールにてお申し込みください。ご予約受付メールをお送りします。

WATER WATER CAMEL http://waterwatercamel.com/
1995年に中学のクラスメイトで結成されたロックバンド。メンバーは齋藤キャメル(vocal,guitar & songwriting)、田辺玄(guitar,ukulele,banjo & effects)、須藤剛志(wood&electric bass)。楽曲の制作から録音編集、また多彩なイベントの企画等を10代の頃から自ら行い、それら長年に及ぶインディペンデントな活動は、人と場所に密接であり、自由である。独自の強力なネットワークで小学校、洋裁学校、植物園、本屋、お寺など、異色のステージを網羅し、日本各地の文化を担う人々を惹き付けている。2012年5月、4枚目のアルバムとなる「おんなのこがわらう時」をP-VINEよりリリース。2014年4月にはミニアルバム「分室2」をリリース。


ASUNA (アスナ):
古いリード・オルガンとエレクトロニクスによるドローンを主体として制作された数々のカセット・テープ作品が、ロス・アプソン?や、クララ・オーディオ・アーツといった名物レコード・ショップにおいて話題を集め、フィールドレコーディングと牧歌的な電子音響作品によって知られたスペインのラッキー・キッチン(Lucky Kitchen)よりアルバム"Organ Leaf"を発表し、CDデビュー。それと前後して、語源から省みる事物の概念とその再考察をテーマとして「Organ」の語源からその原義を省みた「機関・器官」としてのオルガンを扱ったインスタレーション作品"Each Organ"を発表し、音楽/美術の両方面から注目を集める。(なお、音源としての"Each Organ"が円盤レーベルより今年正式にCD化、復刻発売された。)
以降、アメリカ、イタリア、イギリス、日本など国内外問わず多数のレーベルより作品を発表。プリペアドされたリードオルガンとエレクトロニクスによるドローンを主体としつつ、ギターやクラリネット、チェロ等の様々な生楽器と電子音響が絡み合った作曲作品から大量の玩具楽器やカシオトーン、サンプラーを使ったジャンクでローファイな作品まで、多様かつ両極端とも言えるスタイルをテーマごとの手法を突き詰め、緻密に練り上げることによって、様々な仕掛けとともに不断に展開し、聴くもの意識に働きかける作品として一貫した特徴を持つ。
近年の活動では、美術作家であり元WrKの佐藤実-m/s、電子音響ユニットのOpitope/畠山地平、鳥取出身の電子音楽家のシバタなどとの共演によるライブ/共作によるアルバムを多数発表。さらに、名古屋のGofishのアルバム/ライブでの客演や、米ニューヨークの元Great White Jenkinsのアンディ・C・ジェンキンスのアルバムにも参加。ライブでは元BusRatchのヤマモトタカヒロとのデュオやSJQのSonirとのデュオでの演奏を継続して行うなどコラボレーション・ワークも頻繁に行う。minamoの安永哲郎、The Medium Necksの飛田左起代、Irving Krow Trio、Hochenkeitのジェフ・フッチィロとジェイソン・ファンクとともに結成したアヴァン・ロック・バンドのHELLLも現在アルバムの発表を控えている。さらに、佐藤実-m/sとASUNAに美術作家の沖啓介を加えたユニットのValve/Membranceとして、ドイツでの「transmediale 2008」、ベルギーでの「Happy New Ears 2008」、スロヴェニアでの「International Festival of Computer Arts 2012」への招聘を受け参加、HELLLやThe Medium Necksらとのアメリカ/カナダ・ツアーや韓国ツアー、2013年秋には一ヶ月以上にも及ぶヨーロッパ・ツアーを成功におさめるなど海外での演奏活動も盛んに行っており、海外リリースの多さや海外アーティストとの度重なる共演からも分かる様に、ワールドスタンダードなインスト・ミュージックとして、高く評価され続けている。
並行して、カシオトーン・コンピレーション・シリーズや加藤りま、The Medium Necksの単独作などをリリースする 3 inchミニCD専門レーベルaotoao、カセット・テープ専門レーベルWFTTapesを運営。(www.aotoao.jp)
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2014年05月05日

二十二世紀には誰にも会えなくなるんだから

 毎朝六時に起きてバスに乗り、夜も更け始めてから部屋に帰ってくるという生活です。すぐに音をあげるんじゃないかと思っていたんですが、意外にも乗りきれているようです。もちろん消耗感もあり、味気なさもあり、自由が恋しくもあり、すんなりと適応できているとは云い難いところはあるけどね。

 シャムキャッツの新譜のタイトルトラックの歌詞に「思ってたよりもすごい早さで全てが普通になってゆく」というフレーズがあって、ああ、いままさにこんな感じだなあと思っていた折も折、風のうわさでこの「アフターアワーズ」という曲が、ぼくのことを(も)歌っているんだという話を聞きました。夏目くんはどうしてそんなことまで分かるんだろう。ちぇっ。



 ところで、いまの部屋にはレコードプレイヤーしかなくって、CDはもっぱらクルマのなかで聴きます。制限速度六〇キロの国道を長距離トラックや帰路を急ぐ人たちに交じって走るのが怖くて、通勤では自動車を使わないかわりに、帰宅のあとで友人たちの奏でる音楽を聴きたくなって、どこに行くでもなくドライブへ出かけたりしています。まさかぼくが「ドライブ」なんて単語とかかわり合いになる、なんて思いもよらなかったけれど、流れてゆくテールランプとあの子の歌声が重なる瞬間とか、一面の田んぼで大合唱する蛙とあいつのストロークのコントラストとか、けっこう素敵な時間を味わわせてもらっています。悪くないです。



 というわけで先月よく聴いた音楽は、家のなかではボブ・ディラン『アナザー・サイド・オヴ〜』とキース・ジャレット『ケルン・コンサート』そしてアメリカン・アナログ・セットの『プロミス・オヴ・ラヴ』。車内ではよしむらひらく『67年のラブソング』、白波多カミン『くだもの』、そしてこのシャムキャッツ『アフターアワーズ』でした。そういや家でもクルマでもベルセバは聴いたなあ。やっぱり疲れてんのかな、おれ。



 ボロフェスタも、いつまでも世界は…も、いまの自分に可能な範囲で参加しています。こうしたい!というような想いをぶつけ合えるほどには余力と時間がなくって、けっきょくはほとんど何もできず申し訳ないなあと思ったりもするのですが、ぼく抜きでも各主催陣は精力的にものごとを進めていて、非常に頼もしく、ちょっとだけさびしいです。みんな遊びに行ってね。

 一昨日には富山市内でサーキットイベントがあり(地元のバンド、RED JETSが主催だったとのこと)、旧知の友人たちも出演するというので、観に行ってきました。と云いつつ土地勘がまったく無くなっていて、西町の只中で道に迷ってしまい(恥ずかしい…)、どうにか観れたのは金佑龍とラブ人間だけでしたが、どちらもさらに成長を遂げたような、覚悟を背負ったような見事なステージで、ぼくもがんばらなくちゃなと、背筋が伸びる思いでビールを呷っておりました。それにしても、やっぱり富山で友人たちのライブがあるのは嬉しいです。来月はキャメル、再来月はなつやすみバンドも来てくれるみたいで、非常に楽しみにしています。

 そんなこんなで、いまのところは娑婆の空気に慣れるだけで手いっぱいな感じは否めないながらも、その分だけますます歌への思いは募るわけです。日々あたまのなかで曲の断片が流れ去ってゆくのを、必死で録りためています。こういうときにiphoneのボイスメモは便利。いい塩梅にロウファイな音質も嫌いではないし、もしかしたらこれで一枚アルバム作れるんちゃうかな。ただ、悩みは歌詞が書けないこと。自分自身がどんな景色のなかを泳いでいるのか、見たり聴いたり話したりしている現在がどんな質感と音色を持っているのか、どうやらまだうまく飲み込めていないみたいなんです。もうすこしなんだけどな、きっと。

 歌詞が書けないから、というわけではないのですが、先月はカヴァー曲のリリースがありました。レコード・ストア・デイの関連企画で、京都の板前さんが率いるバンド、ねじ梅タッシと想い出ナンセンスによる7インチ「チミに幸あれ」のB面に同曲のカヴァーで参加しています。

http://diskunion.net/jp/ct/detail/1006158360

 以前は、レコード・ストア・デイ関連作は店頭のみの販売だったんですが、いまでは通販できるようになったようです(発売一週間後から?)。興味のある方はぜひ。タッシの書く曲は飾りも衒いも一切なく、ぼくには絶対使えないようなシンプルな物云いがとても素敵で、カヴァーできることをうれしく思いました。

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2014年03月29日

スカイのうたをみんな聴きたがった

 さかなの大名盤『BLIND MOON』に入っている曲のなかでも、"SKY"が一番すきです。

 どこかの街のカフェかバーで働く男の話。素性のよくわからない、でも魅力的なことばを携え、一枚のコインを宝物のように大切にする男がその昔、ここで働いていたらしい。そいつは、スカイと呼ばれていた。みんなが彼の歌を聴きたがる人気者だった。けれど、ある日仕事を終え忽然と姿を消したスカイ、宝物だったはずのコインも磨かれた床の上に置きっぱなしにして、誰にも告げず、どこかへ行ってしまった。俺も会ったことはないんだが、でもとにかく、いまだに彼みたいにうたえるやつはいないのさ―そんなふうに語られる歌です。

 実在の人物にも、物語のなかのキャラクターにも憧れたことはないけれど、どうしたわけか、この、スカイという男にだけはとても惹かれました。ポコペンさんのうたは(さかなの曲の例にもれず)けっして多くのことばを費やしてはくれませんから、自分のなかで一生懸命、ストーリーや映像を補完したりしたものです。
 甘くてけだるいことば。ほかの誰にもうたえない歌。誰にでもためらいなく見せるたび、輝きを増す宝物。それがいったいどんなものなのか、分かったような分からないような気分で、何度も何度もこの曲を聴いてきました。



 なつなさんが、先週のライブの映像を編集してくれています。カヴァー含め五曲が収録された映像が、YOUTUBEに上げられました。「映像は下手ですよ!はっきりいって」とか云いながら、粋な導入をつけてくれたりするなつなさん。いちいち心憎いひとです。



 誰にも行き先を告げずにどこかへ去ることも、宝物を置き去りにして出てゆくことも、ぼくにはできそうにありません。時代をくだっていつか、会ったことのない人に語られるような優れたうたを歌っているわけでもないでしょう(そうだったら嬉しいけれど)。

 あの憧れに似た気持ちでスカイのように歌いたいと思いながら、どうやらそれが到底無理だと知るまでに、ずいぶんと時間がかかってしまいましたが― この映像はとりもなおさず、ゆーきゃんがゆーきゃんのように歌っているそのままの姿です(調子っぱずれなところも、エモくなりすぎてるところも)。どこかへ行ってしまうのではなくて、ここに帰ってこれたということを我ながらとてもうれしく思ったり、どんなにスマートにやろうとしてもやっぱりここに帰ってきてしまうんだと苦笑いしたり、しています。

 二十五分ありますので、お時間のあるときにでも観てみてください。さかなの"SKY"も、YOUTUBEに上がってたりしないかなと思ったんですが、どうやらないようですので(上がってたらそれはそれで問題)、お持ちでないかたはアルバム買ってくださいね。『BLIND MOON』はぼくが無人島に持っていきたい一枚でもあります。
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2014年03月24日

How many ordinary people change?

2014年3月23日 呉羽 Here We Are!45 cafe

<セットリスト>

空に沈む
smalltown,smalldawn
0764
天使のオード
Don't think twice,it's alright
ファンファーレ#0

地図の上の春
東京の空
明けない夜
マリー
太陽
わすれもの

サイダー
Champagne Supernova
夕方の縁石(新曲)
エンディングテーマ
Pellicule

最後の朝顔
Post Coda
Sea Of Love

 完璧には遠いライブだったとは思う。コード間違い放題だし。途中でまたも声かれちゃったし。
 それでも、いままでで一番いいライブだった気もするんだなあ、なにが「いい」のかは、その場や人によって変わってゆくものなので一概には決められないにしても。出来不出来、満足や納得というより、いろいろ歩きまわってたどりついた場所が、昔から自分のよく知っている公園だった、みたいなおかしみがあった。

 歌いだすときは、いつも自分の一番底にある<歌が生まれてくる場所>から、会場の空気のどこかにある<高い梢>に向かってロープを張ろうとするんだ。それさえあれば、どんな深いところへも沈んでいけるし、はるか高みまでも登って行ける。もちろん、うまく張れることのほうがすくない。<梢>がどこにあるのか、なにしろ歌ってみるまで分からないんだから。
 昨日は、わりあい<梢>は早く見つかった。うまくひっかけられなくて試行錯誤する時間もあったけれど、それも楽しかった。マリーのときかな。ロープが張られた感じがした。そのあとは、もうほとんど<ゆーきゃん>はいない。曲そのもの、声そのものがぼくの手綱を離れて、首輪すら外して、勝手に走りだしてゆくのだ。ぼくはそれを笑ったり泣いたりしながら見ていた(たまに間違えたりして、ちょっと慌てるのも我ながらコミカルだった)。

 「Pellicule」を読んでいるとき、自分の声のほか、声がもうひとつ聞こえた。いまだ邂逅を果たせていない(とあえて書く)ワンちゃんが、なんか変な奴が自分のカヴァー(それも朗読で)をやってると聞きつけて駆けつけてくれたんだろうか。

 来てくださったみなさん、ほんとにありがとう。十年も前、ファーストのリリースから聴いてくださっている方から、こないだ「めざめ」で初めて観たというHIP HOPが好きそうな青年まで、いろんなひとが集まってくれたということがとてもうれしいです。Here We Are! 45 cafeさん、よい機会をいただけて感謝しています。わがままいっぱい言ってごめんなさいね(宣伝しなくていいです!とか)。そしてフライヤーを描いてくれたなつなさん、つくばから駆けつけてくれて、撮影までしてくれた、あなたのバイタリティにはあたまが上がりませんわ。いつかきっと恩返しします。
 

 サイダーという曲のなかで「わすれものをきみに届けた後で何が残るんだろう」と書いたけれど、結局ぼくはまだわすれものを届けられてもいない(だってそれは街角で風に揺れているんだから)。ほんとうのエンディングテーマになるような馬鹿げた歌も書けてはいないし、そのくせほんのりと前向きな新曲なんて書いちゃったし、まだ音源化していない曲も溜まっているし、ホームタウンに帰ってきたからってそこで話が終わるわけじゃないし、どうせ春がくるたびに詩想がからだじゅうを駆け巡るんだろう(そういや昨日やった曲の半分が春に書いた)。しばらくお休みします、なんて云いながら、本人にいちばんその実感がない。みんながぼくを忘れたら戻ってこれなくなるんじゃないかという恐怖は、もう消えてしまった。

 「歌ってないときが、いちばん歌っている」−京都を離れると云ったとき、大先輩、バンヒロシさんからいただいたことば。なつなさんも「うたっていても、うたわなくても、あなたは音楽です」と言ってくださった(さすがにそれは褒めすぎ!と笑ったけど)。
 どれほど先になるか分からない(ほんとに、しれっと来月にはもうライブしてるかもしれないんだ、もしそうなっても怒らないでほしい)けれど、とにかく、きたるべきその日のために、うたの灯を絶やさないこと。感じる、考える、愛する、生きる―うたうことと同値のあらゆる営みを丁寧に続けること。そのあとでもう一度<うた>に戻ってきたら、きっとまた違う景色が描き出せるようになるんじゃないか。いまのところはそう思っている。まあ、とはいえたまにはネガティヴになることもあるだろう、そんときは電話したりその辺で飲んだくれてたりするだろうから、愚痴の一つでも聞いてやってよ。

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2014年03月21日

(even if)she's going to break your heart in two(白波多カミンちゃんのこと)

 カミンちゃんが、ぼくの(いったん)最後のツアーの後半三公演での共演者になる、という発表をしたとき、何人かの知り合いから意外だね、という声をもらった。

 たしかにぼくの表現と彼女のそれは、目指すところが違うようにも聴こえる。年齢もずいぶん開いているし、なにより上京後、早川義男や渋谷毅や坂田明といった重鎮たちと次々に共演を果たしていっているカミンちゃんのことを、ぼくが羨ましい気持ちで見ていたんじゃないかと思っていたらしい。どこまで嫉妬深いねん、おまえらのなかのおれは。

 いまさら、という感じがしないでもないけれど、書いておこう。

 今回のツアーは、お世話になったひとたちへお礼(と乾杯)をするという主な目的と同時に、次の世代を担うホープたち(といってもそこそこ年齢差はあるけれど)たちにバトン(ぼくがそれを持っていたかどうかは忘れてくれ)を渡したいという旅でもあった。だからこそ、名古屋でのいなはたさんと小池くんのライブに胸が熱くなったし、福岡であすかちゃんが若いバンドマン達を会場に何人も呼んでくれたのがうれしかったし、札幌でエマ・ローズくんや地球の危機のユウシンくんが駆けつけてくれたのにも感激して、京都で西くんと中村さんのライブを見て頼もしさを覚えたのだ。音楽には未来があって、だってそれは音楽を生み出す人間そのものに無限の可能性があるからなんだ。そういう証拠ひとつひとつを確かめたくて、わけのわからないツアースケジュールで西から東、北から南を飛び回った。

 カミンちゃんに高知と名古屋で共演をお願いしたのも、同じ理由による。とくに、最後の(まだ富山が残ってるけれど)二都市は「ことば」を大切にしているひとと、まわりたかった。「ことば」が描き出せるもの、えぐりだせるものと、それでも「ことば」が届かない場所を知っている(あるいは知ろうとしている)、そんなひとと共演したかった。そう思ったときに自然と頭に浮かんだのが、白波多カミンだったというわけ(とにかく随所に素晴らしい作曲家はいるし、すばらしい作詞家はいるし、すばらしいSSWもいるけれど、「ことば」に備わる能力と限界、「ことば」というものの悲しみをうたに変えている人は、じつはそんなに多くないように思える)。ちょうどコメントを依頼された彼女のセカンドアルバムが素晴らしかったこともあり、駄目もとで誘ってみたんだけど、彼女もそれを分かってくれて、返事にはこんな感じのことが―


 わたしはゆーきゃんが前衛だと思っています。それに比べてわたしのうたはポップで、たしかに、ちょっと聞いただけでは「違うのかな」とおもうひともいるかもしれませんが、でも、根っこは似ていると思いますし、じつは合うんじゃないかな。最後のツアーみとどけさせてもらいますね。


 はたして<合っていた>かどうかは観てくれた人たちの判断にゆだねるとして、ここでは彼女のうたが素晴らしかったことだけ述べておく。高知の二日間ではノンPA、至近距離からの完全アコースティックの生声によるパフォーマンスと、大きなステージでの堂々としたショウ。名古屋では初期の白波多カミンが蘇ったようなヒリヒリした感触の、けれど観客を置いてけぼりにしない包容力を身につけたライブ。いつだったか彼女は「うたそのものが感情を喚起する」というようなことを言っていたが、それを文字通りに感じさせる、その日の彼女のモードと会場の空気が反響しあった三公演だった。テンションや演奏力、音響の影響などとは違う、うたの持つ「日々の表情」を見せられたようで、とても面白かったのだ。

 高知での最終日の後、打ち上げで彼女は高知名物の「返杯」をやすやすとこなしたあと(!)、武道館で生声のライブがしたいと言った。隣に座ったバンドマンは(ここでそんな大きな夢を聞くとは思わなかったんだろう)すこし驚いた様子だったが、反対側で聞いていたぼくは、ゆーきゃんだって西部講堂のスピーカーの上によじ登って千人相手に歌えたんだ、この子だったらほんとに一万人相手でも大丈夫かもしれないな、と思った。少女よ大志を抱け、だね。
 


 さて、昨夜富山に戻ってきて、残すところはあと一本。泣いても笑っても、と云うけれど、ぼくは泣きませんよ。高杉さんに連れて行ってもらった桂浜(今回は何も流されずにすんだ)のようにからっと広々とした気持ちで歌いたいな。あっ、ただし死ぬ気でみんなを泣かせにかかるつもりではいます。たぶん少人数、至近距離、遮蔽物なしのライブになると思いますので、いらっしゃる方はくれぐれも御覚悟めされい。


「あかるい部屋」

2014年3月23日(日)富山 HERE WE ARE! 45 CAFE

 ゆーきゃん

開場 18:30 / 開演 19:30
1,500円(1オーダーお願いします)

HERE WE ARE! 45 CAFE
富山市呉羽町6927-29
076-436-6249

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2014年02月17日

きみの気配が消えて、この街はぼくにやさしい

 埋火が解散した。
 
 それだけを聞いて、最初に涌いてきたのは、残念さと同時に、拍手したいようなすがすがしさだった。ぼくは不謹慎だろうか。
 どうしてもうまく説明できないので、もう炎上でもなんでもいいのだけど、解散、しかも解散後の発表という選択肢がどれほど彼女たちらしいかということだけは書いておきたい。いろいろあっても、とにかくミシオさんらしく、志賀さんらしい終わり方だと思う。


 ある高名なミュージシャンがコラムかブログか何だったかで「バンドは生き物だ」と書いていたように記憶している(失礼ながら原典はどこだったか忘れてしまったが)。実際、彼のバンドはそれ自体がひとつの有機体―モンスターだった。すさまじい運動神経と筋力で街一つまるごと踏みつぶしてゆくようなライブを何度も観せてくれた<それ>は、オリジナルメンバーであるベーシストの脱退を機に、土へ還っていった。

 埋火は、やはり花のようだったと思う(こう書いたらミシオさんは妙に照れるだろうが)。派手さを好まず、けれど粋に、からっとした香りと、ほんの一瞬たゆたうような妖しさをもって、ふと道ゆく誰かの眼を惹きつけ、立ち止まらせる―そんな咲き方をしていた。青い空でも夜の明かりでも、たいがいのロケーションを自分たちの背景にしてしまうようなさりげない魅力があった。このバンドにとっては、やっぱり夜のうちに散って、朝みんなが目を覚ましたときにはアスファルトにすっかり花弁を落としてしまっていて、みんな残念がりつつも潔さを覚えてしまう、そのくらいが、かえって色気があってちょうどいい気がする。


 "菊坂ホテル"という曲のなかで、ミシオさんが「あんた馬鹿だけど、素敵よ」と歌うところがある。ぼくはあのパンチラインが最高に好きで、この人はこのフレーズをうたうために生まれてきたんじゃないかとこっそり思ってきたのだが、ホームページに載せられた解散のお知らせの、さらりとした、けれどさまざまな想いと話し合いを経たであろう文章を何度も読み返すにつけ、おすし(我々はミシオさんをこう呼んでいる)、こっちに負けず劣らずあんたも馬鹿なのかもしれない、だけど、やっぱりぼくはあんたが好きだな、と。

 ただし、言い残したことがふたつ。ひとつは志賀さんの、マラカスでフロアタムを叩くドラミングがしばらく見れないのは残念だ!てこと。あれ好きだったんだけどな。それともうひとつ、おすし、志賀さん、須原さん、おつかれさまでした。ほんとにいい音楽ありがとね。これからも楽しみにしてます。


*タイトルは埋火の歌詞から拝借したものですが、初出時に誤りがありました。お詫びして訂正します。
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2014年02月16日

あと五年 世界が滅ぶ歌は三分半で終わってた

 いや、ほんとうは四分四十三秒である。何度か指摘されたけど、デヴィッド・ボウイの"Five Years"のことだ。

 ちょうど十年前の、初めてのアルバムの冒頭に収録された、三分に満たない小曲"明けない夜"を、ぼくのレパートリーのなかで一番好きだと云ってくれるひとは、意外にも、そしてありがたいことに、少なくはない。
 リリースから十年にもなるのに全出荷数はたったの千枚っきり、生産も終了し、いまでは手に入りにくくなってしまった『ひかり』というアルバムは(ときどきアマゾンでびっくりするような値段がついているけれど、どうか間違っても買ったりしないで。こっそりCD-R焼きますからそのお金でもっと美味しいものとかいい本とか買ってください)、ワイキキレコードから発売された。レーベルオーナーであるエレキベースのサカモトくんが初めてゆーきゃんのライブを観たのが2003年のボロフェスタ、そしてこの"明けない夜"が生まれたのはその前日だ。


 十月半ばの京都は昼間そこそこ暑くなるくせに、日が落ちると急激に冷え込む。まだ西部講堂で開催していたボロフェスタ、会場の特質上どうしても戸締りには不安が残るので、音響や照明の機材は誰かが泊まり込みで番をしなくてはならない。その日の担当は、ぼくだった。

 ボロフェスタ自体、まだ二年目を迎えたばかりで、スタッフはみんな不慣れだったのだが、なかでもゆーきゃんと云えば<無能>の代名詞になるほど、何一つ―ほんの少しの的確な指示も、なんとか物事が進行するような段取りも、設営の邪魔にならない程度の作業も―できなかった。チケットの売れ行きも芳しくない、当日の動員もまったく予想がつかない、そして赤字になったら主催の四人が払わなくてはいけないのだ。当時のぼくに貯金はゼロ(いまもないけれど!)。あれほど疲労と不安と自信喪失に押しつぶされそうになったことは、ない。なにが見返りにあるのかも、なぜこんなことを始めようと思ったかも、まったく分からなくなっていた(実際、片づけが終わったあとでぼくは加藤さん相手に、もうやめますと泣きながら云ったんだっけ)。

 泊まり込む場所は散らかった事務所。頼りになるのは古びた石油ストーブ、シートが切れてスポンジの覗くソファ、いままで誰がどれほど使ったか分からないぼろぼろの毛布、そしてラジカセ(あの場所ではこれだけが救いと呼べただろう、たしかSONYの名機ZS-M5をJJが持ち込んでいたはず)。日付が変わるまで翌日の進行についての会議、そしてみんなが帰って、ぼくが独り残る。疲れているのに眠れない。早く終わってほしいのに朝が来てほしくない。音楽フェスの主催者が、開催前日に音楽を聴きたくなくなっている。

 んー、書きながら気持ちがぶり返して辛くなってきた。どうせいろんなことが朦朧として細かいことは覚えていないし、この辺りの描写はもうやめておこうか。とにかく無理やりビールか何かを流し込んで自分を寝かしつけて、ラジオはつけっぱなしで、起きたら夜が白みはじめていた。立てつけの悪い木の扉を開けっ放して外に出て、ラジオからだったか自分の口からだったか分からないけれどデヴィッド・ボウイが流れて、寒くなって事務所に戻って、ギターを抱えて、口をついて出たのが「ガラス色の雲の彼方」というフレーズだった。それから一気に書き上げた―というより、なにも書いていない。三分半、というのは"Five Years"が終わるまでの時間というより、"明けない夜"が出来上がるまでの時間のほうが近いかもしれない。

 この年のボロフェスタには、弾き語りで出演した。会場のどこかで観ていたサカモトくんが翌年リリースのオファーをくれて、『ひかり』にはピアノの伴奏で収録された(昔のこととはいえ、スキマスイッチのしんた君が一つ返事で演奏を引き受けてくれたのは、なんと恐れ多い…)。それ以来たくさんの人と一緒に、たくさんの場所で演奏されてきた"明けない夜"、こうやってつらつらと思い出してみると、たしかにいちばん多く歌った曲だ。


 さて、いままでは前置き。長すぎる前置き。本題は、去年のボロフェスタの映像が、スペースシャワーDAXで公開されているんだけど、そのなかにこの"明けない夜"が入っているってこと。



 個人のフェイスブック・ページに書いた通り、不覚にも、そして恥ずかしいことに、自分のライブ映像に泣いてしまった。とにかくメンバーの演奏が、音が、よい。歌い手の貧相さを除けば、映像もとても見事だ。ベースは田代貴之、ピアノは森ゆに、エレキギターは田辺玄、ドラムは妹尾立樹、PAは宋さん、照明はRYUクルー(杉本さんかな、小川さんかな)、そして撮影は『太秦ヤコペッティ』 『SAVE THE CLUB NOON』の監督でもある宮本杜朗さん率いるチーム。ちなみに宋さんは、2003年のボロフェスタの時もオペをしてくれた。演奏直後に叫んでいるのはたぶん木屋町ラクボウズの店主、高橋だろう(あいつはいつも酔っぱらうと「明けない夜、歌ってやー」とせがんでくる)。

 「いちばん多く歌った曲」と書いたけれど、たぶんこれ以上の演奏は、ない。弾き語りはもちろん、健太郎のピアノとデュオで残したテイクも、夢中夢の依田くんにギターを弾いてもらったヴァージョンも、須原さんとのライブ録音も、フェザーリポートでのアレンジも、これまでに演奏した形態のどれもが素晴らしい瞬間を見せてくれたのだけど、このボロフェスタ2013のステージは、もはや完成度うんぬんではなく(実際この五人で音を出したのは三カ月ぶり、その間リハは一度もない)、全員のなかの景色が、呼吸が、ことばが一致してしまっているという感じ。なんと奇跡的なハッピーアイスクリーム(死語?)だろうと、ぼくは泣きながら笑った。


 「ゆーきゃんの歌、最初はよくわからなかったんです」と云われることが多い。みんな正直でよろしいと思う。だって、ぼくにもよくわからないんだから。今でさえ書きだしてみると<ガラス色の雲の彼方、沈めたのは甘い夢のかけら、その赫い光だけがまだ飽けぬ憧れを照らす>ってなんのことだよ、と思う。

 でも、そのよくわからなさが、わからなさのままで少しずつ焦点を定めてゆき、ついにことばと音楽がぴったりと一致したところに到達したときに<わかる>瞬間が芽生えることもある―なにがわかったか説明しろと云われても、やっぱりわからないんだけど―。いつだったかJOJO広重さんは「歌は、どんなに小さくても、いつかきっと届く」とおっしゃった。その<小さくても>が示しているのは、たぶん、音量のことだけではないのだ。英国のロックスターが「俺たちにはあと五年しかない」と叫んだ名曲の続きを、極東の小声の歌うたいが十年のあいだ地味に歌い続けてきて、ささやかながらあのステージまでたどり着いたことは、なんだかそれを少し証明できたようで、ちょっとだけほっとする(まあ、曲のなかでは四分四十三秒を三分半で強制的に終わらせているんだけど)。お前の歌はよく分からんと嗤われたりけなされたりしているみんなも、まだまだ絶望してはいけないよ―すくなくとも、世界が終わるまでは。


 あっ、DAXにはボロフェスタに出て下さったバンドの映像が他にも多数上がってます。名演・好演ばかりですのでぜひ。"Five Years"を聴いたことのない方は、なるべくならレコード買ってください。
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2014年02月10日

North country girls & boys

 先週の土曜日、金沢科学技術専門学校(KIST)映像音響学科の卒業記念イベントに呼んでいただいた。

 正直に言うと、この学校とぼくは、ほとんど縁もゆかりもない。せいぜい先日の「めざめ」でカメラを回してくれていた若者がここの学生さんだったことくらいか。正月に13年ぶりの再会を果たしたnoidのさんちゃん(当時はnoidではなく別のバンドでドラムを叩いていた)が、彼のバンドも出るんだけど一緒にどうかと誘ってくれたのだ。

 東京に45年ぶりの大雪が降った日、北陸はいつもどおりの、今シーズンでは多いほうかなというくらいの冬の土曜日で、でもまだ雪道を―とくに融雪装置を避けて歩くカンを取り戻せていないぼくは、短めのトレンチコートにフェルトのハット、デニムのサルエルパンツ、そしてゴム長靴というヘンテコな格好にギターを背負って、鈍行列車に乗って金沢へ出た。
 さっそくのミスで車内に傘を忘れてきてしまい(もうこの手のミスについてここに書くのもばかばかしくなっているんだけど、事実だからしょうがない)、ひたひたと順調に降ってくる雪のなかを歩いてKISTへ向かう。融雪装置の散水って、降雪量に合わせて勢いがつくんだっけ。途中長靴を飛び越えてなかへ入ってきそうになるものだから、あわてて避けたのだけど、そのはずみで何回か転びそうになって歩道に手をついた。これまで東北に行ったときなど、さんざん田代くんに、東京の人は雪道の歩き方知りませんからねえ!などと憎まれ口をたたいていたのが恥ずかしい。

 二年制の学科ということで、みなさんおしなべて若い。会場は「ビデオスタジオ」だと聞いていたが、入ってみて納得のスタジオっぷりだった。撮影の実習なんかにも使うのかな。先生だろうか、年配の男性が今日は助手に回り、学生さんがオペからステージスタッフ、そして照明に撮影、そしてUstという配置でフル稼働。どの部署のかたもリハーサルから丁寧に対応してくださった。自分の学生時代を基準に、もっとおざなりで行き届かない感じなのかと勝手に想像していたのだけれど…モニター環境も良く、ギターの音をきれいに拾うためにDIを特別なのに変えていただいたり、照明にはスモークがちゃんと入っていたり、(予算が潤沢という事実はあるにせよ)なにかと中途半端なハコよりしっかりした設備と運営だったと思う。逆にぼくがセットリストを出し忘れたりして、慢心ってやつはこういうところに表われるだろうなあと頭を掻いた。
 イベントは、あまり人数の多くないコンパクトな学科の卒業記念ライブらしい、あたたかみのある進行。学生さんのバンドから始まり、先生(なんとYOCO ORGANの0081さん!)率いるユニットも出演なさっていて(ラップトップとノイズ、そしてフリースタイルのラップにVJを使っての即興演奏で、これがまた面白かった)、こんなところに見ず知らずのぼくがお邪魔してもいいのだろうかと思いもしたけれど、結局ステージに立って歌い始めてしまったら、あれしかできないもんなあ。さんちゃんがnoidのライブ中、MCでフォローしてくれた通り、こんな声の小さな弾き語りのPAなんて学校じゃ習わないだろうし、ちょっとした応用問題だったと思って堪忍してください。

 とにかく(春からしばらく活動しにくくなるだろうという)このタイミングで金沢へ行けたこと、しかもそれが地元の学生さんの大事な節目のイベントだったこと、それだけでもう充分に感謝をしなくてはいけないのだけど、もうひとつ書き添えるのを忘れてはいけない。初めて観るnoidのショウについて。

 ライブが始まって、すぐにこれは和製デルガドスだ!と思った。モグワイやアラブ・ストラップも在籍していたレーベルChemikal Undergroundを主宰し、2005年に解散したグラスゴーのバンドだ。レーベルごと、シーンごと、街ごと、ぼくの憧れのひとつだった彼らをどうして思い出したのか。帰ってからCDを聴き比べてみたら、とくに似ているわけでもなかったのだけど、きっとサウンドがはらむ濃いめの陰影と、にもかかわらず世界観にとらわれすぎないメロディ志向と、各パートの細部まで大事にした多彩なアレンジ、そういうところがオーバーラップしたのだろう。また、この日の天気が金沢らしい、雪の降りしきる灰色の日だったから、日照時間の少ないスコットランドの冬を連想したのかもしれない(肝心のグラスゴーには行ったことがないから、これは誇大妄想というべきだろうね)。
 まあ、とにかく、楽曲だ。奏でられたどの曲も、日本的というか日本海側的というか、湿り気を帯びた情緒をにじませながら、いろんな音楽(とくに海外のソフトロック/フォーク/サイケ/パンクそしてオルタナティヴ)を吸収した振れ幅があり、しかもメンバー間で広いバックグラウンドが共有されていることを感じさせるダイナミズムに満ちていて、とても好感を持てた。去年リリースのアルバムは先月いただいていたし、以前に共演していたGやだいちゃん、そしてJJからも、noidいいバンドやで!と言われていたけれど、ライブならではの(しかもメンバーの仕事の都合でリハ無しという、社会人バンドにありがちなアレも含め)ラフさがまた心地よくて、ステージ最前列で、そうそう<いいバンド>ってこういうのだよね待ってたんだ、と観ながらにやにやが止まらず思わずうつむいてしまうあの感じ、わかるかな。

 何回目かのMC。ステージで彼らは、卒業生に向けて、こんなニュアンスのこと話していた―

 「(映像音響学科とはいえ)音楽とは別の進路にすすむ人たちもいると思うけれど、社会人になっても演奏することはできるし、地獄のような仕事に追われながら続けるバンドには、こんな風にライブに呼んでもらえたり、アルバムをリリースしたり、評価してもらえたりするようになったときには、仕事と両立させる苦労があるからこその大きな喜びがつけ加わるのだと思う。(さんちゃんと)ゆーきゃんとは、大阪に住んでいたとき以来の共演になるのだけれど、音楽を続けていると、こうやって想像だにしなかったところで再会できたりもして、それがまた楽しいのだ。だからみんなも、がんばって。」

 *云い回しは勝手に脳内変換してます。こんな理屈っぽい口調じゃなくって、北陸人らしい飾らなさと、でもしっかりとした確信と、地元の後輩たちへの思いやりに満ちたトーンでした。あらかじめお詫びを!

 この話たち(数度のやりとりのうちに、これらのことは語られた)を聴きながら、地方のバンドの理想形がここにいる、と思っていた。基本は無理しない、必要とあらば無理も辞さない。上昇志向を忘れない、上昇志向とマインドを取り違えない。それもこれもすべて、音楽が好きだからだ。バンドをやる喜びと、続けるモチベーションのためだ。音楽で生活をするためではなく、生活に音楽が必要だからだ。そして生みだされた音楽は自分たちの暮らす街に反響し(実際、学生さんたちの間にもnoidのファンは少なくないようだった)、遠くの街まで届いている。男女混成、ぼくより少し年下の、金沢の五人組がこんなにも自然な姿勢で(もちろん相応の努力と代償の上に、ではあるだろうが)<インディ・ロック>をやっていることに、羨ましさと、共感と、素直な感動を覚えた―残念なのはもっと早くに会いたかったってこと!

 そういえば、出番が終わって控室に戻ってくると、2番目に出演していた学生バンドのメンバーさんが、noidと記念写真を撮ろうとしているところだった。流れで一緒に写りこむことになってしまったのだけど、迷惑じゃなかっただろうか。それにしてもローカルなミュージシャンが、地元の学生から尊敬や支持をうけている様子を見るのは、いつも嬉しい。それがぼくも良いと思うバンドだとなおさらだ。願わくは音楽性やスタイルだけでなく、姿勢や哲学や音楽愛そのものが受け継がれて、土地に血肉化していってほしい(もうそうなっているのかもしれないけれど)と思う。いままで(ライブで)来る機会が少なかったし、それほど多くの共演者を持つことがなかったのでよく知らなかったけれど、この日のおかげで金沢がもっと好きになった。

 イベントの余韻に浸りたくって、ちょっと飲んで帰ろうかなと思ったんだけど、FacebookでもTwiterでもあまりに多くの都民たちが「電車がうごかない!」とか「帰れない!」とか嘆いているのを見て、なんとなく後ろめたくなった。また終電ぎりぎりになって車内で寝てしまったら今度は直江津まで行ってしまいかねないぞという危惧もあり、おとなしく帰宅することに。久しぶりに小1時間(もちろん居眠り防止のため)吊り革につかまって帰ったのだけれど、意外なほどに疲れて驚いた。阪急や京阪で長時間の立ちっぱなしには慣れていたはずだったのになあ。都会離れも足元からということだろうか。そういえば長靴の便利さを思い知った一日でもありました。ゴム長を履いて県境を越えたのは人生初だ。
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2014年02月08日

till the next time we say a long goodbye

 春が来るまでにできるだけいろんな街へ行きたいと書いたりあちこちで云いふらしたりしていたところ、本当にいろんな人が誘ってくれて(みんなありがとう)、まるでツアーミュージシャンのようなスケジュールが出来上がってきています。

 今月はあたらしい仕事の準備との兼ね合いで控えめにしているのですが、末から来月前半にかけて富山、名古屋、福岡、札幌、京都、東京、高知と回るつもり。日本中に頼れる仲間、会いたい友だち、すてきなやつらがいて、嬉しいを通り越してみんなに自慢して回りたい気分になります。でも移動手段や経路を考えるのが大変だ。

 来週は初めて水戸で歌わせていただけることになりました。昨年のつくばでもお世話になった絵描きのなつなつなさんによる企画で、メロウくんからもいい場所だよと教えられていたミネルバへお邪魔します。共演は、不思議な御縁で鴨川で朝まで飲んだライブペインティングパフォーマーの近藤康平くんと、長い間会ってみたいなあと思っていてついに邂逅が果たせたシンガーの樽木栄一郎くん。実り多かった去年の出会いのなかでも、ぼくのなかで大きなウェイトを占めているふたりと共演できるのは、大きな喜びです。そういや康平くんと共演するのは初めてだ。あの、全身全霊を使ってキャンバスを塗り替え塗りこめてゆくライブペインティングの現場に立ち会えるのがとても楽しみ。

 イベントのこと、共演のふたりのことについて、なつなつなさんが書いてくださっています。
 http://natuna-event.jugem.jp/?cid=15
 何日分かのエントリさかのぼって、読んでいってください。ぼくがとくに、そうだなと思ったのは二月四日のところ。
一生のうちに
どれくらいの人と出会えるのだろう

もう
出会わない人も
きっといるだろう

ライブは
長い人生の中の
たった一瞬かもしれない

でも
そのたった一夜が
すべてを変えたりもするんだよな

 京都や東京での暮らしを振り返るにつけ、ずいぶんとちいさな世界でちいさなことをやってきたんだと、あらためて感じています。ずっと考え続け、答えが出ないまま、三年前のあの日(もうじきまる三年になるんですね)ますます大きく立ちはだかってきた<歌になにができるのか>という問いに対しては、いまだに<たいしてなにもできないけれど、なにもできないわけではない>ということくらいしか分かっていない。
 でも、そんな小数点以下みたいな<なにか>を積み上げてはまた崩し、うまくいったりいかなかったりに一喜一憂するのがライブだとして、それがどうしたわけか、おなじように小数点以下の<なにか>を積み上げる誰かの人生にぶつかったりすることもある。そして、何かを変えることも、確かにあるんですよね。

 富山に戻ってきてからも、色んなお誘いをいただくたびに出かけて行くものですから、母親が驚いて「あんた、そんな社交的な子やったけ」と、感想とも感嘆ともつかない一言を洩らしました。まったくおっしゃる通りです。だってあの頃はグランジばっかり聴いて、強がって、ひとを認めないことをアイデンティティにしたがるような高慢ちきな十七歳でしたから。
 あの頃の自分に向かって、あと二十年もしたらきみには日本中に友だちができて、海外にもできて、きみがいまはくだらないと思っている些細なことにすぐ感動したり涙ぐんだりするようになって、生きてて良かったとか思ったりすることもけっこうあって、あっちこっち歌いながら飛びまわることになるんだよ(そしてまた富山に帰ってくるんだけどね)と教えてみたら、ぼくは信じるでしょうか。信じないでしょうね。
 歳をとると人間が丸くなるといいますが、それはつまり小数点以下の出会い、小数点以下の交差、小数点以下の衝突、そういう無数のそういうものたちが、ぼくらを磨いてゆくからなのだと思います。ぼくはと言えば、まだまだ凹凸やざらつきはなくならず、一部は磨かれるを通り越して擦り減ったりもして、いまだずいぶんといびつな状態ではありますが、それでもちゃんと、人間を信じたり希望を抱いたり、そしてそれを恥ずかしげもなく口にするくらいはできるようになった。ありがたいことです。
 磨いてもらったぶん、こんどは自分がだれかの研磨剤にならなくちゃと思っています。あと二カ月、数回のステージのうちに、ぼくがもっている小数点以下をせいいっぱい、目いっぱい削りだしたい。それが何かを変えるかどうか―変えるまでは至らなくても、誰かの些細な日常にほんのすこし滑らかさとツヤがでる、くらいのことはできるはず。正確には、ぼくの歌でというより、その夜その場所に集まったみんなの力によって叶うと云うべきなのですが、とにもかくにも一生懸命、一期一会のつもりでうたおう、と。


 そういえば最近ブログの更新多いですね、とご指摘をいただきました。暇なんですかと。いや、けっして暇じゃありませんよ。たしかにサンレインとボロフェスタを同時で進めていたときなんかに比べたらずいぶん余裕もありますけどね。簡単にいえば、話せるうちに話したいことを話したいだけなんです。ほんとうのことは詩のなかにしかないとか、ことばに吝嗇でありたいとか、強度のある文章だけを書けるようになりたいとか、いまでもそんな風に思う気持ちは無きにしもあらずなんですが、でも、やっぱり軽々しくいこうと。こういうのってあんまり重みも厚みもないけど、はじめからおれたちには重みも厚みもないしな、というわけです。
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2014年02月03日

I'm wide awake though it's still midnight

 1月31日金曜日。中央通り商店街のお店に足を踏み入れたのは、いったい何年ぶりだっただろうか。

 総曲輪通りの奥。いわゆるシャッター商店街にカテゴライズされるであろう、静かなアーケードの途中にこの日の会場、でいだら屋はあった。左京区や高円寺の素敵な隠れ家たちにも似て(それらよりは少し洗練されている)カウンターカルチャーを自然に呼吸するひとたちが誰でも受け入れてくれる場所を作った、という赴き。入った瞬間<知らないうちにこんなところがこんなところにできていた!>と懐かしいような、悔しいような、嬉しさを覚えた。

 「めざめ」というイベントのタイトルは、シンプルだけどとてもいいと思う。
 DJブースとライブステージが向かい合わせで、出演者がみんなリレーをするように出番をこなしていった。最初のアクトだった舟本さんに至っては、トラックとギターが驚くほどに馴染んでいたのと、DJブースでの演奏ということもあって、ライブだったって気づかない人もいたんじゃないだろうか。小バコのクラブで時々あるようなスタイル、でもみんな座ってくつろいで、おしゃべりをしたり、お酒を飲んだりしながら音楽を楽しむ。聞けば、これまで富山ではあんまりこういうやり方のイベントはなかったらしい。(すこしおかしな云い方だけど)主催の木下くんが「いろんな場所で、ちゃんと遊んでいる」ひとだからこそできたことなんだろう。

 smougの山内さんは急性胃腸炎を押しての出演。不定形なユニットということなのだが、今回はミニマムな二人編成で。アコギとエレキ、エフェクター、そしてリズムマシンとMPC。丁寧に織られたやわらかい布製品みたいな肌触り。演奏者のエゴがなく、それでいて(だからこそ)音楽自体にアイデンティティのある演奏は、会場の空気にとてもよく合っていた。
 林くんのDJは個人的なハイライト。NHKの「日曜美術館」かなにかだろうか、ニューヨーク在住の芸術家夫妻のインタビューが流れたのだが、話が弾みだし、リズムが出てきたところにキースジャレット風のピアノが絡んで来た、その瞬間のかっこよさといったら!その後もモンドともマージナルともとれない不思議な、それでいて違和感のない世界を、部屋のなかに溶かしこんでゆくようなDJ。総曲輪で民芸品店を営んでいるという林くんは、驚くべきことに、じつは中学校も高校も一緒だった(ひとつ下の学年)と発覚した。できることなら、すぐ近くにこんな面白いやつがいるんだよ、とあの日の自分に教えてあげたい。

 アンコールでsmougに参加していただき、おふたりが奏でるドローンにあわせて不可思議/wonderboyの"Pellicule"を朗読した。ときどきアカペラでやっているこのカヴァー、音がついたのは初めてだったけど、ことばがふわっと舞い上がってゆくような気がして、なんともいえない気分になった。またやりたいなあ。

 終演後もすてきな出会いがあったり、びっくりするような再会があったり、この街でいまほんとうに面白いことが起きているんだと実感させられる夜だった。早く帰ってきなさいよと家族に念を押されたにもかかわらず、結局は京都の頃とおんなじような時間帯まで飲んでしまい、ばあちゃんに心配を掛けてしまって反省。でも、もっと早く戻ってきてもよかったかなと、ちょっと悔しくなるくらいの楽しさだったということで…

 ちいさな街だから、オーガナイザーもバンドも集客には苦労したりするだろう。届けたいものが思っていたより届かないもどかしさ、収支との戦い(遠方からのゲストバンドってお金かかるもんね)、仕事や私生活との両立、どこにいても向き合わなければいけない問題ばかりだけど、情報が伝わる規模も小さくスピードも遅い地方都市では、効力感がなかなか得にくいという話もこれまでよく聞いた。それでも、放っておいたらどうせ誰もやってくれないし、面白いことは自分たちでやるからもっと面白いわけで、義務感でなく、楽しみながら、すこしづつ輪を広げ、点と点、人と人、場所と場所、世代と世代、異なるジャンルのオーディエンス…あらゆるものをつなげてゆくというプロセスこそに可能性がある。ローカルシーンには、コミュニティのあたたたかさや濃密さ、客人(演者であろうとオーディエンスであろうと)に対する誠意と愛、みんながその場所を作るという良い意味でのラフな現場感といった点では都市に負けない魅力があると思う(これは日本中に共通して、そしてももちろん街ごとの個性や差異もあって)。そんな希望にあふれた空気を、一回りも年下の若者にあらためて教えてもらえて、おじさんはとても幸せだ。木下くん、どうもありがとう。


 林くんに「あのピアノが最高だった。どこからとったネタなの?」と聞いたところ、すぐ前でビールを飲んでいる青年を指さして「あの人です」と教えてくれた。その彼―マエダくんという―普段は家具工場で働き、人前では演奏せず、ニュアンスでピアノやギターを耳コピして楽しんだり、ボイスメモでデモを録音したりしているだけなのだとか。すごい才能がいたもんだし、そのデモからひらめきをすくい取った林くんも超ファインプレーだと思う。才能は才能を知るというわけだ。あっ、でもぼくもマエダくんに『ケルン・コンサート』絶対好きでしょう?と尋ねたところ「寝る前はいつも、グレン・グールドとかわりばんこに聴いてる」との返事が。まだこの耳も捨てたもんじゃないとささやかに自己満足である。
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2014年01月31日

Drink up but don't stay up all night(ミワさんのこと)

 ミワサチコ、というシンガーソングライターがいる。

 彼女は、主婦ミュージシャンだ。福岡から大分、そしていまは北九州に住んでいる。だんなさんの仕事の都合であちこち移動しているのだろうか、詳しいことは知らない。
 頻繁にではないけれど、彼女も東京でライブをすることがある。東京では田代夫妻のお宅に滞在することがほとんどで、ときどき同じように厄介になるぼくと同宿になったりもする。はじめて会ったのは、たしか、そんな時だった。ぜんぜん寝つけなかった夜行バスに疲れて明け方に田代家へ到着したのだが、いつもは開けてくれている鍵がしまっていた。インターホンを押して出てきてくれたのが、ミワさんだったというわけ。あの朝のことはよく覚えている。初対面なのに(CDは前から持っていたけれど)やたら会話が弾んだからなあ。

 それ以来、とくに密に連絡を取り合うというわけではないけれど、なんだか勝手なシンパシーを感じている。九州に行くときには主催の方々に「ミワさんも呼んでほしい!」とお願いすることが多かった。サンレインレコーズでもミワサチコのCD-Rは売れ筋作品で、バックオーダーをするたびに彼女はちょっとした手紙を添えて送ってきてくれた。手紙のなかでも彼女は博多弁を使う。話し方を知っているからというのもあるけれど、書きことばさえもミワさんのリズムになっていて、読むのが楽しみだった。いつか東京か京都で一緒にライブしたいねと言っているうちに、富山に帰らなくてはいけなくなったのだが、幸いleteのしんたろうさんが良い日程をくださって、やっと念願を叶えることができた。
 
 福岡在住だった田代夫妻とミワさんの親交は旧い。田代くんが隣でベースを弾く歴史に関しても、ゆーきゃんよりミワサチコのほうが長い。田代くんがベースを弾くバンドを(個人的に知り合う以前から)たくさん見てきて、そもそもぼくは彼のベースのファンでもあるのだけど、いままで見てきたなかで最高だったのはとある日曜の午後、田代家でのミワさんとの<練習>。ギャラリーは、ぼく独りだ。あれは奇跡だったと思っている。もう見れないかもしれないとあきらめていたのだけれど、東京で共演ということは、ミワ×田代の演奏をステージで見られるということだ(あたまのなかでは自動的に田代くんが一緒に出てくれることに決まっていた)。1月25日は、たしろまつりにしよう。そして願いが叶いそうになってしまうとさらに欲張りになるのが人情というわけで、こんどはふたりを東京の外へ連れ出したくなる。そうだ、松本へ。こうやってぼくはいろんなものを半ば無理やりにつなぎ合わせてゆくのだ。

 でも、結果としてこの二公演は素晴らしいものだった。leteでは田代くんが直前まで風邪で寝ていて(木曜から滞在していたミワさんの話では、当日の昼なんかは立ち上がりさえできなかったらしい)実はどうなるかと心配していた―練習している時間が取れなかったということでミワさんとのステージはなくなり、<たしろまつり>としては成立しなかったのだけど、ひとりで腰かけたミワさんから、ことば少なく矢継ぎ早に演奏される曲たちは、まるでそれ自体が映画のワンシーンみたいだった。松本ではリハの時間も多少取れて、ミワさんの後半部分を田代くんと一緒にやってもらうことができた。彼女の曲が持つ独特なタイム感に、田代くんのベースが加わると、躍動感がぐっと増す。とくに"steps"と"まぼろし"の二曲は圧巻だった。初見のはずの松本のオーディエンスの反応もよくて、一緒に来れてよかったなあと、しみじみ思った(そして、田代くんの体調が快復したのが、なにより!)。

 このひとの音楽は、糖度が少ない。やわらかなことば遣いと、透き通った声はよく響くけれど、不思議なほどに甘みを感じない。ロマンチックで抒情的な世界が広がっているけれど、そこにある微熱は生温かさとは違う。これをサイケデリアと呼んでいいのかは、ちょっと分からない。フォーキーでナチュラルな匂いもするけれど、ニッポン人特有の湿度は低い。暗さと情念が同居しない(たとえば、古い工場街の果て、国道から枝分かれする畦道、港の夕暮れ、そんな自然と人工が入り混じったような景色たちを思い浮かべたりする)。キャリアの初めにUSインディの洗礼を受けたSSWはぼくらの世代以降とくに多いと思うけれど、ライオット・ガールにもならず、フェミニンなメロウネスにも流れず、こんなふうに文字通り凛としてある音楽を作る女性には、なかなか会ったことがない。田代くんは初期〜中期のエリオット・スミスを引き合いに出していたが、ミワさんの歌が英詞なら、Kill Rock Starsあたりからアルバムが出ていて、レコード屋さんで予備知識なく試聴して即買いし、誰かに自慢げに話す―たしかにそんな自分の姿が想像できる。

 なにが彼女の音楽を育てたのか。福岡という街のユニークな文化もあるだろう。その人脈を聞いていると、そりゃあ面白のが作れるようになるなあと納得する。もちろんそんな環境の影響を自分なりに咀嚼して吸収した天稟があることは間違いない。けれどぼくは考える、何よりも、彼女が自分自身の暮らす<リズム>に耳をすましたこと、それが始まりであって、すべてなんじゃないか。
 さっき、彼女は主婦ミュージシャンだ、と書いた。普段、そんなことはどうでもいいと思っている。そのひとがプロフェッショナルであろうと、他に仕事を持っていようと、生まれてくる音楽の価値には差なんてないはずだと考えているのだ。でも、その前提はミワさんのことを考えると、揺らぐ。

 ミワさんは朝が早い。田代邸の居間で寝ていると(客人の寝場所はだいたいそのあたり)洗い物―自分が使ったのではない食器を洗う音で目が覚めたりする。めっちゃ酒のむし、さっぱりしていて、ざっくばらんで、話しているとついつい長くなってしまうんだけど、夜は夜で、普段は夜9時に寝るという。自分のペースで、でも丁寧にやるところはやる、対話を好む、他人に強要したり責任転嫁したりするのを嫌う、そんな空気がミワさんの回りにはある。その空気は暮らしの中から自然と生まれてきて漂うものだ。そして、彼女は空気の底に流れているリズムを下敷きに、うたを書いているのだろう。ミワさんのCD-R作品は自宅のキッチンで録音されているのだが、なんだかとても象徴的だなあと思う。

 (ねんのため、これは生活感、とは違う。ミワサチコのうたは<生活>というよりも<目撃>や<遭遇>に近い。問題は生きざまを歌うかどうかではなくて、見たものや立ち会った出来事を歌うとき、まなざしや語り口のなかに自分が生きているかどうかだ。それはつまり自分がどんなふうに生きているか、ということに他ならないだろう)

 云いなおしてみよう。専業か兼業か。普段なにをしているか。そんな事柄と生まれてくる音楽の価値とは関係がない。ただし、普段の暮らしかた、ものや時間の感じかたは、確かにぼくらの生みだすあらゆるものの土台となっている。そこにある生活を生きることと、そこから生まれてくるメロディやことばを掴まえてゆくことは、たぶん、ふたつの車輪のような関係だといえるんじゃないだろうか。それはきっとプロであってもアマチュアであっても、五十歳を越えても高校生であっても、生活が素晴らしくても最低であっても、あらゆる創作者/表現者に共通することなんじゃないだろうか。

 さらに云うと、ふたつの車輪をつなぐ、車軸のようなもの―それがイマジネーションであり、あこがれであり、夢であると。そういえばミワさんの曲に「ながいあこがれ」ってあったな。あっ、まとまった。これ以上えらそうなことを書きだす前に、ここで止めておこうっと。ミワさん、二日間ありがとう!そして連日夜中までつきあわせてごめん。また福岡行くから一緒に飲もう。富山でもいい店見つけたから、いつかおいでよ。




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2014年01月30日

Try a little more tenderness(松本のこと、新美くんのこと)

 年が明けてから初めての小旅行。横浜から東京、そして松本と回った。
 もしかしたら当分は来れないだろうと思う場所もあるだろうと思い、できるだけゆっくりと移動して、いっぱいに街の空気を吸い込んで、ことば数を費やして話をした。
 お世話になってる人にもたくさん会えた。足を延ばしてみたいと思っていたところへも行った。海も山も空も見た。自分の暮らしている世界が、どれほど豊かで恵まれているか―あらためて噛みしめながら。


 最終日は松本。この街へ通うようになってから、じつはまだ日が浅い。術の穴からのリリースがあって、そのつながりで瓦レコードに呼んでいただいたのが初めだから、ほんの二年あまりのはずだ。その間にいままで五度ライブをしている。夏の盛りにも二度、春先に一度、そして今回が三度目の冬。
 初めて訪れたときは雪だった。打ち上げは鍋。民家の間取りをほぼそのままを使った瓦レコードの店内、ぼくらが鍋している部屋の隣の応接間では別のDJイベントがはじまっていた。バーカウンターにはただ飲みに来ただけのお客さん。なんて自由な場所だろう、と驚いたのを記憶している。

 今回のライブはその時に共演した新美くんのお店、Give Me Little More.が会場だった。瓦レコードからすこし駅のほうへもどったところ、相変わらず女鳥羽川沿いの、今度は古い喫茶店を改装したお店。いまだに看板はまだ「シエラ」のまま。改装ということばをはみ出して、イベントスペースは隣の居住空間に壁をぶちぬいたという、なんとも豪快な設えになっている(バースペースとの通用口には扉がついているけれど、あきらかに奇妙な接続で、一緒にいったミワさんは一目で「これ、もともと別の建物よね」と見破っていた)。普段はバー営業がメインだが、じつはライブもできる、自主映画上映もやる、トークイベントもある、アジトめいた場所。松本の中心部をふらりと歩けば、まず目につくのがよく保全された風情ある町並みだが、じつはこういうレトロな建物を再利用したDIYっぽいスペースもけっこうあって、とくに女鳥羽川沿いでは街づくりがカオテッィクなせめぎ合いを示しており、なんだか京都に似ている気がするのだ(京都のほうがエネルギーの拡散率は高いけれど)。

 厳密には新美くんとの出会いは、最初の共演からさらに数週間さかのぼる。彼が仲間たちと作っていたフリーペーパー『隙間』(http://sukimapaper.com/)で、特集の一環として電話インタビューがしたい、というメールをくれた。信州大学の学生が中心となって「地方文化について再考する」をテーマに発行されていたこの無料誌の、最後となる号だった。富山から京都へ出て、東京で数年暮らしまた京都に戻っていった<ゆーきゃん>という人の、歌をうたいフェスをつくりCDショップをやるというちょっと変わったあり方に小さなヒントがあると思ってくれたらしい。遠くの街の、商業目的でない媒体からこうしたオファーをもらったことは初めてで、とてもありがたかった。さっそく電話で取材を受け、いつものことながらまた長い話になった。電話代のことを思うといまでも申し訳ない。どうせ翌々週には会うんだし、結局いつもたくさん加筆修正するんだから、工夫すればよかったんだけど…でも、そのおかげで、鍋を囲んでいろいろな話をするときには、たとえば<DIY>とか<ローカル>とか<クロスオーヴァー>とかいうことばが上滑りの理想論で終わらずにすんだのも確かだ。のちにふたりがそれぞれとってきた動きを考えると、あれがよかったのかもしれない。
 まだ学生だった新美くんだが、学校で勉強していること、『隙間』の制作を通じて実践したり経験したりしていること、そしてサロンのようなフリースクールのような空気をもつ瓦レコードに出入りすることで(たしか当時瓦のバイトだったはず)吸収していること、それらが自分の内側で絶妙な塩梅に混沌としていて、なんだかとても面白い人だなあと思った。ただ、彼のなかではその混沌が多少の悩みだったようで、就職するか、自分でなにかやるか、決めかねている風だった。打ち上げの勢いもあって、適当な気持ちで(瓦のオーナーのSleeper君とのやりとりがいいコンビだと感じたこともあって)「新美くんが瓦やりなよ!」と云ってしまったのをぼんやり覚えているのだが、まさかあの軽口から始まって、瓦をやるどころかついには自分のお店まで出してしまうところまでは想像しなかったなあ。

 Give Me Little More.の内装は去年の夏、オープン記念のイベントにも呼んでもらったときとあまり変わっていなかった。ありあわせ、という言い方がほめ言葉になるかどうか分からないけれど、この、がんばらず、あえてこだわりを少なくして、それでいて居心地のよさのを作ろうとしているところが好きだ。それが逆に「いい感じ」になる。
 嬉しかったのは、耳なりぼうやの長橋くんが出てくれたこと、そして、井原さんが長野から電車に乗って遊びに来てくださったこと。じつは、新美くんと出会った初松本の夜、他の2人は井原さんと永橋くんだったのだ。あの夜の四人がまたそろったことになる。二年ぶりの長橋くんの歌はとても成長していたように思えたし、井原さんに先月のアバンギルドのお礼を言えたのもよかった。しかもそれだけではない。ジュリー・ドワロンとのツアーでお世話になったちふみさんも駆けつけてくださって、すこしお話できた。彼女があたらしく始めようとしているプロジェクトはとても意味深いものだと思う。これからぼくが携わってゆこうとしていることと若干リンクもするし、微力なりとも何かでサポートするつもり。さらに驚いたことに、なんとサイクロンズのホーリーくんと拾得にいたゆかりちゃんの夫妻が安曇野から見に来てくれた!ぼくと同じ時期に京都から地元に帰ったのは知っていたけれど、まさかこんなところで会えるとは。ニッポンは狭い、「またね」は社交辞令じゃない、そして旅はするもんだね。

 到着したお昼過ぎにはまだ下がり切ってなかった気温も、終演後にはすっかり松本らしい寒さに。「京都から富山に戻ったときも、底冷えなんかなんでもなかったんだ、富山のほうがよっぽど寒いやと思ったんだけど、やっぱり松本はそれに輪をかけて冷えるね」と云ったら、長橋くんがちょっと嬉しそうに「よかった、それがアイデンティティですから」と笑った。翌日は快晴、空には見事な空色で雲ひとつなく、山並みが白く光を放っている。午前11時半、ふと駅の電光温度計を見ると、マイナス2℃と書いてあった。寒さがアイデンティティというのは、きっとすてきなことなんだ(もちろんこの街がそれ一つだけじゃないのは云うまでもないけれど!)。
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2014年01月15日

Golden Slumbers Fill Your Train

 富山に帰ってきてあらためて実感したのは、閉店時間が早いということだ。うちの近所なんかはまさしく田舎の夜の早さというやつで、11時には村中が寝静まってしまう。

 先日、頭を使う作業の合間に気分転換の散歩に出ようとしたところ、母親に火付けと間違われるのでやめてくれと、たしなめられた。まさかとは思ったけれど、確かに夜更けに出歩いている人が全然いない。もちろん市街に出てゆけば遅くまでやっている店もあって週末などはそこそこのにぎわいを見せているのだが、いかんせん距離がある。京都と違ってちょっと木屋町まで自転車で繰り出す、というようなことは難しい。タクシーも高い(余談だが、市町村合併のおかげで、ツアーに行くとき「市内のホテルを取った」と安心していると予想もしない僻地だったりする罠が増えた。駅からタクシーで5000円もかかる「市内」のホテルなんて、ねえ)。こちらで最近出会った素敵な若者たちに面白そうな音楽スポットを何か所か教えてもらったのだけど、オールナイトイベントに出かけるなら本気で朝までを覚悟してゆかなくちゃならないようだ。

 京都にいる富山出身の友人が帰省してきて、滞在の最終日に会った。その日のうちにサンダーバードで戻らなくてはいけないというので、駅前のバルで呑んだ。最終(とはいっても8時なんだけど)ぎりぎりまで粘り、彼を見送って、自分の乗る列車(ぼくの最寄駅は、富山のひとつ西隣の呉羽というところ)の時刻まで40分ほどあったのでもう一杯だけ呑もうかなと思い、また別のお店に入った。一杯だけのつもりだったはずが、たまたま隣にすわったスペイン人の老夫妻と話し始めると止まらなくなってしまった。

-富山の人間か。そうだ、でも先月まで京都に居た。京都だって!ぼくらは明日京都へ行くんだ。キタノ・シュラインに行くつもりなんだけど。へえ、そうなんだ!ぼく、そのすぐ裏に住んでたよ。ところでどうして富山に来ようと思ったの?いや、ほんとうは金沢から直接、高山へ行くつもりだったんだけど、ふらっと降りちゃってね、でもお酒も魚も美味しい、ところでこれはなんていう魚なんだろう?うーん、わからないや、大将に聞いてみよう、それにしてもさすがスペインの人だけあって魚にはうるさいね。

 なんてこともない会話だったはずが、2時間近くも話し込んでいたらしい。彼らを見送ったあと、ぼくも急いで駅へ向かった。ちょうど列車が到着したところ、あと15分ほどで出発する、席も空いていて、外は冷たい雨だけど車内はあたたかくて・・・気がつくと、金沢だった。

 金沢?

 ようするに乗り過ごしというやつだ。改札で駅員さんに事情を話す。しかしもう電車はないらしい。始発で戻るなら乗り越し料金をはらわなくていいと言われる。自分でもわりと茫然としているのが分かる。阪急電車の乗り過ごしは結構な回数を経験していた(梅田から乗って、起きたらまた梅田っていうアレね)けれど、まさか富山から金沢とは!新年早々、相変わらずの迂闊さがなんとも情けない。そして10時台に終電というダイヤのギャップをも痛感させられた(後日思い返してみると、特急ならば11時台にもあったのだが、そのときは起き抜けだったこともあり、そこまで頭が回らなかったのだ)。 

 結局、金沢で安宿を探して一泊。翌日も休みで助かった。いつもは特急に乗っているので足早に通り過ぎるだけの金沢-富山間も、午前中の鈍行列車では車窓や車内の雰囲気をゆっくり楽しむことができて、かえって得した気がしないでもない。
 いや、こんな風に書くとまた失敗を正当化するような、自分を甘やかすようなことになってしまうので-もちろん反省はしました。一週間の禁酒、そして今年の誓いは酒量を"断じて"減らす、に決定。そのうえで一つ書き留めておきたいのは、北陸本線の暖房、とくにあの手でドアを開け閉めする旧型車両の暖房の心地よさは、ほとんど危険だということ!



 うっかり眠ってしまうにはエキサイティングすぎる一夜になると思いますが、"bedroom"と名前のついたイベントに誘っていただきました。花泥棒が今年からスタートさせた企画、昨年の「さらば、ゆーきゃん」に来れなかったひとのために追加公演という意味も込めて、ちょっと長めに、いつもどおり安らかに、歌わせていただきます。


■2014年1月19日(日)京都磔磔
"BEDROOM KYOTO vol.0.5"

出演

花泥棒
モルグモルマルモ
ゆーきゃん(送別会アクト/アンコール公演)
りんりんぽっぷ from おとぼけビ〜バ〜

開場 17:00 / 開演 18:00
入場料 1,800円(別途1ドリンク代)


posted by youcan at 14:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月13日

The words of some poets are written in whisky

 富山の寒さや雪や路上に散布される融雪装置の噴水にもようやく慣れてきた気がするんですが、今週はまた京都へ行きます。

 明後日15日、choriと二人で始めた「ににんが詞」というイベントがあるのですが、これはライブではなくて「歌詞」についてあれこれ話すという、ワークショップのような、トークセッションのような、曲の聴かせ合いのような一晩です。

 https://blog.dion.ne.jp/pages/my/blog/article/regist/input

 前回、サンボマスターの「美しき人間の日々」をぼくが持ってきて「この曲、大好きなんです。でも、本当に<良い歌詞>と言いきれるかどうか、正直わかんないんです。だから、この歌詞が<よい>のかどうか、<よい>のだとすれば、その<よさ>について教えてください」と言ってから、みんな(ご来場の方を含む)に聴いてもらい、少しのあいだ話し合うということをやりました。

 もちろん<好き/嫌い>だけで充分なんだ、という大前提は重々承知しています。それでもみんなの考えを聞いてみたかったというぼくの病的な面倒臭さは、けれど、予想を超える多様な意見で見事に報われたのですが、choriの面白さは「じゃあ、これ、リライトしてみましょうよ!」という提案をくれるところです。「美しき人間の日々」を、ぼくらが各人なりに書き直してみるとどうなるのか?―かくして「詞の大学」初の宿題が出されました。

【1月の課題】
・サンボマスター「美しき人間の日々」リライト
該当曲の「詞」をあなたなりに「リライト」してください。言い回しや構成を変えてもいいし、テーマやモチーフだけを使ってまったくのゼロから書き直してみてもかまいません。可能であれば、当日それをプリントアウトしたものを数部〜十数部ほどご持参いただけると助かります。※このコーナーはプログラムの一部です。この日一日を通したテーマではありません。また、リライトは強制ではありませんので「書けなかったー!」という方もどうぞお気軽にご参加ください。(引用:nanoホームページより)


「美しき人間の日々」
http://www.youtube.com/watch?v=P6bn-Xh4P2k

 おかげで、毎日この歌詞のことばかり考えています。バスに乗りながら、電車を待ちながら、ご飯を食べながら、携帯に打ち込んだり、反故の裏に書いてみたり…なにもないところからイメージを刻みつけ、立ち上げ、膨らませてゆくいつもの作詞とちがって、ひとつの出発点が決まっているこのやり方はとても新鮮ですが、同時に非常にむずかしい(その昔、とあるコンピのためにあがた森魚さんの「赤色エレジー」のリライトをやったことがあるのですが、逐語訳のようになってしまって以来すっかり敬遠してきたという経緯もあります)。書いているうちにどんどん原詞とは関係のない世界に向かっていて、いまこの時点では、いったん書き上げた詞を「はたしてこれでいいのだろうか?」と首をひねりながら眺めているところです。


 <詩は謎の種であり、読んだ人はそれをながいあいだこころのなかにしまって発芽をまつ…(中略)どんな芽がいつ出てくるのかをたのしみにしながら何十年もの歳月をすすんでいく。いそいで答えを出す必要なんてないし、唯一解に到達する必要もない>
 

 これは、昨年たまたま本屋で手に取った渡辺十絲子さんの『今を生きるための現代詩』に書かれていたことです(ちなみに詩の入門書が好きでなぜか十数冊も持っているんですが、いつまでたっても初級以降に進めない)。ポップソングの歌詞は現代詩よりもはるかに平易なことばで書かれていますが、だからといってけして咲き切ってしまったり、すべて実になってしまったりしているわけじゃない。発芽を待つ種はどんな詩/詞のなかにもかならず留まっていて、今回の試みは<あなたがこの種の促成栽培をするなら、どんな風に発芽させますか?>という遊びといってもいいのかもしれません。そう思うとchoriめ、詩人らしいことを提案してくれるじゃないか、と嬉しくなってきます。
posted by youcan at 20:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月12日

かっこよくも悪くもないことはなんてかっこ悪いんだろう

 京都市内を中心に配布されているフリーペーパー『音読(おとよみ)』第10号にてロングインタビューが掲載されています。

 http://www.otoyomi.com/

 インタビューが苦手です。じょうずに喋ることができないのはもちろんなのですが、終わったあとに残る、あの「話しすぎた」という恥ずかしさを、どうしてももてあましてしまうのです。これはつまりセルフプロデュースの問題で、世界に対して(話す、という方法をつかって)自分自身をどう見せてゆくかという技能に欠けているということなのでしょう。
 いや、ぼくにもことばで自分をかっこよく見せたいという意識はあります。だからこそ話し終えて、読み返して、それがちっともうまくいっていなかったことに苦笑してしまう。いままでのインタビューは、ずっと、この居心地の悪さとの戦いでした。

 今回のテーマは「ゆーきゃんが居た京都の15年間」。前世紀末―ぼくがゆるゆると歌い始めたちょうどその頃からの京都音楽事情の変遷をたどりながら、ぼく自身の活動を話してゆくという、少し変則的なものでした。
 語られるに値するものが、誰からも顧みられずに打ち捨てられている。大きな成功の手前や傍らに、たくさんの挫折と妥協と教訓が転がっている。時の流れを振り返ってみると、いろいろな気づきがあります。と同時に、ぼく自身がどれほど街の空気を吸い込んで育ってきたのかをあらためて実感しました。

 編集長の田中さんからいただいた冊子を読み返してみて思ったのは、ここで話をしているぼくが、とにかく「かっこよくない」。そういえば今度は、自分をよく見せることについて何ひとつ考えなかったのでした。単純に、そんなことにかまっている余裕がなかったというのも理由のひとつなのですが、もうひとつには、これが<プロモーションとしてのインタビュー>ではないという事実があったのだと思います。自分を売り込むためではなく、CDやライブの宣伝のためではなく、ただ「ゆーきゃん」という媒体を通じて自身が見てきた景色について話す機会がいただけたこと。自分が(普段苦しんでいるように)かっこよく/かっこ悪く見えることを気にすることなく、できるだけニュートラルな眼差しと温度で話ができたこと。あらためて、とても光栄に思います。

 ただ、それでも「話しすぎたなあ」という反省はやっぱり残るわけで…当初は3時間程度の取材時間ということだったのに、夢中になって受け答えをしているうちにあちこち脱線し、結果として足かけ2日間、8時間にも及ぶ大ボリュームに。確認用に届いた原稿にも、誤解のないように、諸先輩方に迷惑をかけることのないように、慎重な訂正と補足を入れたので、とうとう予定の倍のページ数を奪うことになってしまいました。インタビュアの土門さん、たび重なる取材と筆入れ、ご迷惑をおかけしてごめんなさい。田中編集長、2ページ分の借りはいつか何かで返します…

 ともあれ、一つの媒体にこんなに大々的に取り上げていただくのはおそらくこれで最後じゃないかと思います。メインの特集は「金とロック」。気になるでしょう、この見出し。毎号充実の『音読』、今回も製作者の想いの籠った力作です。入手方法は上記のリンクからチェックしてみてください。
posted by youcan at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする