2013年12月30日

Friday I was In Love

 「さらば、ゆーきゃん」から三晩が明けました。何度か感謝の気持ちを書きあらわそうと悪戦苦闘しているのですが、そのたびにキーボードを打つ指が止まります。
 「ありがとう」を正しく云うのは、難しいなあとあらためて実感。

 だから今日はもうお礼を諦めて、ただ得意気に話しかけようと思います。


 井原さん、素敵だったでしょう。あんなに綺麗な日本語のうたを歌う人が、長野でマイペースに活動しているんです。
 2000年代初頭の京都のうたものシーン(そういうものが正確に存在したかはおいといて、便宜上こう呼びます)に大きな影響を与えたのが、長野のミュージシャンたちとの交流でした。京大吉田寮や地塩寮、拾得、そしてパーカー・ハウス・ロールといった場所に長野の素敵なバンド達がやってきて、京都のうたうたいたちは巡礼のようにネオンホールを訪れました。まだ駆け出しだったぼくは、どちらかというと羨望の眼差しでその行き来を眺めていたんですが、井原さんの歌にはあの当時のままの「いいうたを生む土壌」に根付いた、そしてもちろん彼女の人柄と感性に由来する、やわらかくて明るいリリシズムがあります。京都を離れる最後の最後に、みんなに観てもらえてうれしい。


 ステージに上がったミュージシャンの演奏、みんな素晴らしかったでしょう。フェザー・リポートはいつもゆーきゃんのエモーショナルな部分を引きだしてくれます。ベストフレンズは四年ぶりの一回きりのライブのために、既成の曲のアレンジを大胆に変えて臨んでくれました。急なセットリストの変更にも笑いながらすっと附いてきてくれるあかるい部屋バンドの余裕と耳の良さには毎度敬服しっぱなしですし、ほんとうに久しぶりに一緒に音を鳴らしたGとひーちゃんとのアンサンブルは、出逢った頃の気持ちをすーっと注いでくれました。ぼくの声は途中からすっかりだめになってしまいましたが、それでもあの長時間のショウを「聴ける」ものにしてくれたのは、みんなの力以外の何物でもありません。

 
 音、よかったでしょう。アバンギルドに入っている「スリムチャンス・オーディオ」は職人気質とアーティスティックな美意識を併せ持った(そして心配になるくらいビジネスセンスがない。笑)とても信頼のおけるPAチームです。その一員でもありハコのメインオペレーターであるモイチさんは、他会場では声が小さくて「ちゃんと歌う気あんのか!」と怒られていたルーキー時代から、ゆーきゃんの良さを探し出して、生かそうといろんな工夫をしてくださっていました。年月を経て彼自身のスキルもどんどん上がってゆき、いまではアバンギルドというすこし特殊な環境をもっともよく知るPA、そしておそらく日本中でゆーきゃんを一番上手にオペできる人じゃないかな、と。この企画が、この場所で、この音でできてよかったと思います。


 ご飯やお酒、美味しかったでしょう。これはアバンギルドでイベントをするたびにいつも云っているのでいまさら書くのも面倒なんですが、あのお店にライブを観に行って飲み食いしないのは、楽しみを半分損してます。混んでいて諦めた、時間がなくて食べられなかったというひとは、次の機会にぜひとも。それにしても、営業終了時間に終演というとんでもない進行にもかかわらず、嫌な顔ひとつせずにその後も飲食を提供してくれるスタッフのみなさんの器のでかさよ。オーナーのジローさんが別の仕事終わりで駆けつけてくれたのもうれしかったなあ。

 
 写真と映像、勝俣さんはわざわざ関東から駆けつけてくれ、牧野さんは多忙なスケジュールを縫ってチームで撮影にのぞんでくれました。出来上がってくるまでにもう少し時間がかかりますが、ぼくの見込んだ人たちですから、素晴らしいものになるのは間違いありません―ただし被写体の問題とライブの出来を除けば、ね!


 自分たちのワンマンライブと日程が近いのに、仕事も連日連夜の残業で大変なのに(しかもマドナシは当日も残業で途中から参加!)、街を去る友人のために送別会を企画してくれたキツネの嫁入りのマドナシとひーちゃん、こんな素敵な心意気の奴らが京都にいることは、ぼくの嬉しさを措いても特筆に値します。上昇志向やセルフ・プロデュース力がますます求められてゆく時代にあって、かえって「他薦」の価値は上がってゆくでしょう。群れでなく内輪でなく、ほんとうに好きな、共感できる仲間を立てたり助けたりすることは回りまわってきっと自分に帰ってきます。イベント終了後にふたりと話をしていて、そんな信念をあらたにしました。


 そして、この日のために遠くから来てくれたひと(終電をはるかに超えるタイムテーブルを組んでしまってごめんなさい)。忘年会を休んで来てくれたひと。午前0時ジャストの終演まで付き合ってくれたひと。ゆーきゃん、なんて欠陥の多い、うたもギターもけっして上手とは云えず、楽曲もさほどキャッチーではなく、告知内容も忘れ、、話にまとまりもオチもなく、ついには一時間も押してしまうシンガーソングライターが二十曲ものステージを歌い切れたのは、みなさんの感受性の豊かさと寛容さ、なにより「聴く」ということに向き合う姿勢によるものだと思っています。どうか、誇ってください。ゆーきゃんでさえ「聴けた」のですから、もうみんなはなんでも「聴ける」に違いありません!



 疲れて朦朧としていたのと、咳止めシロップでちょっとハイになってたのもあって、細部は覚えていませんが、終わり際に、たぶんこんな話をしたような気がします。


「愛されたいと思っていた。愛されたい、認められたい、受け入れられたい...でも、愛されるためには、愛さなくてはいけなかったのだった。
 お金を愛さなかったから、お金を儲けることはできなかった。名声を愛さなかったから、たいした地位も手に入れられなかった。お客さんにも愛が足りなかったんだと思う、だから人気者にはなれなかった...彼女にも逃げられた(ここで会場から、笑いながら「がんばれー!」という声が飛んだはず)
 でも、音楽のことは、せいいっぱい愛したつもり。そのおかげで、リスナーとしても、プレイヤーとしても、オーガナイザーとしても、とてもたくさんのすばらしい景色を見せてもらうことができた。
 なにより一番大きなことは、音楽を愛したからこそ、音楽好きに愛してもらえたということ。こんなにもたくさんの―」


 音楽がぼくをたった一度でも愛してくれたかどうか―正直なところ、わかりません。才能も努力も運も、やっぱり足りなかったんだろうなあと思ったりもします。自分なりのやりかたにこだわりを持ちすぎて、はっきりいって効率は悪かったでしょう。音楽的じゃないことに、いっぱい足をとられもしました。

 でも、2013年12月27日、ぼくは、間違ってなかったと知ることができました。
 "Don't Think Twice,It's Alright"アンコールで歌ったボブ・ディランのカヴァーは、たぶん世界で一番ポジティヴな「くよくよするなよ」だったはず。


 サンレインの旧倉庫の片づけがちっとも進まず、1月はもう一回京都へ来なくちゃいけなくなりそうです。3月までは全国各地でまだ数本のライブがあります(詳細はまたお知らせしますね)。昨日拾得にCHAINSを観に行ったら、ラリーさんに「帰る帰る詐欺か!」と笑われましたが、富山以外でお会いするみなさん、もうしばらくお付き合いください。富山のみなさんは一緒に立山(できれば大吟醸!)で乾杯しましょうね。


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2013年11月29日

Goodbye's too good a word, mate(オーストラリア式にマイト、と読んでほしい)

 来月、こんなイベントがあります。


「さらば、ゆーきゃん」

12月27日 (金)木屋町UrBANGUILD(http://www.urbanguild.net

[出演]
▼ゆーきゃん「あかるい部屋」バンドセット
田代貴之/田辺玄/森ゆに/妹尾立樹
▼ゆーきゃん&フェザー・リポート
日下部"だいちゃん"裕一/岩橋真平/岡村寛子
▼ゆーきゃん with his best friends
ラリー藤本/伊藤拓史/柴田康平/赤井裕/植木 晴彦
▼Ur食堂バンド(オリジナルあくび)
石渡新平/ひさよ
▼ライブペインティング:足田メロウ

うた:ゆーきゃん

OPENING GUEST:井原羽八夏

写真撮影:勝俣信乃
PA:粕谷茂一
企画制作:マドナシ(キツネの嫁入り)

OPEN 18:00 / START 19:00
adv.2000 yen + 1drink / door.2500 yen + 1drink

チケット予約 / 詳細
UrBANGUILD 
MAIL:urbanguild@w7.dion.ne.jp 
TEL:075 212 1125


 いろんな人から、どうせまたすぐもどってくるんでしょ、と云われるんですが、今回ばっかりは「まあね、待っててよ」と軽口めいた答えを返すのがためらわれます。生まれてこのかた、それまで思いもよらなかった道ばかり歩いてきたので、この先どうなるか全然わかんねえや、というような状況にはすっかり慣れっこなんですが、京都はぼくを自由に泳がせてくれ、育ててくれた水槽でした。いや、アイデンティティのひとつにさえなっていた感があります。ステージの始まりに「きょうとし、かみぎょうく、かみしちけんからきました、ゆーきゃんといいます」と挨拶してからギターを弾き始めると、すーっと気持ちが歌のほうに向いていったのをいまでも覚えています。そんな馴染の街を離れるにあたって寂しくないはずもなく、「とはいえ、名残惜しいよね」とあちこちで愚痴めいた話をしていたら、見かねた旧友・マドナシが「ほんなら俺が送別会をやってやる」と、こんな素敵な、というよりも無謀なイベントを企画してくれました。ひとが来るのかどうか、全然自信がないのですが、とりあえずこれだけ縁あるプレイヤーを呼んでおけば、すくなくともぼくはこころぼそくない、むしろめっぽう楽しいのは間違いありません。

 知り合いの間では昔から、ゆーきゃんは何をやってるのかよく分からん、というのが定評でした。オーガナイザーなのか、レコ屋なのか、ミュージシャンなのか…音楽をやるにせよいったい幾つバンドやるんだよ、と。いい加減になにか一つに絞んないと大成しないよ、というアドバイスも度々いただいたことがあります。道理としては返す言葉もない、我ながら迷走だなあと思ったこともしばしば、それでも自分のこころ―というほどのものでもなくて、もっと胃袋の奥のほうにある何か―では、誰の云うことも聞くものかという底意地がずっと消えずに残り続けて、そればかりか、遠回りということはそれだけたくさんの道を歩けるんだなどと変な理屈を思いついたりして、いままでてくてくと寄り道しながら歩き続けてきたのでした。
 その、たどってきた道を振り返ってみるにつけ、経済的な成功も、名声も、業界的な評価も、もしかしたら客観的には音楽的な熟練や深みさえも、結局なんにも手にできてはいないんですが、不思議なことに口惜しいと思わないのです。いまここに15年前の自分があらわれて、オマエはなんのために頑張ってきたんだと肩を掴まれても、はっきりとした答えはなにひとつありません。いや、オレとは別の生き方もいいと思うよ、なんてことすら云いかねない、そのくせ、ゆーきゃんを続けてきてよかったかと聞かれれば、まちがいなくよかったと答えるんだと思います。ややこしいのか、単純なのか、こんなもんでしょうか。
 

 今回集まってくれるみんなとは、演奏を介して、ツアーで、酒の席で、とにかくいろんな場面を過ごしてきました。一番古くてもうGとメロウくんとモイチさんは13年の付き合い、一番あたらしいのは植木くんですが、去年の大晦日にふたりでB’zのALONEを熱演する(しかも僕はユキサダ店長にビリビリに破かれたノースリーブとホットパンツ)という非常にシュールな時間を共にしたりもして、みんな高いミュージシャンシップと馬鹿馬鹿しい遊び心を併せ持った、信頼できる音楽人ばかり。死にいたる病(たぶん今で云うところの中二病)のリハビリのつもりで歌い始めたときから、ひたすら(上手く表現できない自分と受け止めてくれない世界に)苛立った時期も、妙に(勘違いの)野心家だった時期も、(はじめからできやしない)打算や立ち回りで自縄自縛だった時期も、(調子に乗って東京なんて出るものだから)すっかり自分を見失ってしまった時期も、裏方とSSWの両立に悩んだ(この頃がいちばん呑んだなあ)時期も、借金に苦しんでも恋人に出ていかれても、結局「すべてを指して、ゆーきゃんと云うのだと」思わせてくれたのは音楽、彼らと一緒に奏でて生み出した音楽そのものだったのです。

 ここまで書いて、ふと読み返しましたが、なんだか引退する人が心残りに書いた最後のメッセージのようになってしまいました。いや、そんな大げさなものではなくて、これは単なる送別会とでもいいましょうか。お互い会える機会は減るけれど、元気でいこう、絶望するなよ!ということを云い合えればいいなあと、思っているだけです。富山に帰って、春からの暮らしがどんなものになるか、例によってまだ全然予想だにつかないんですが、きっと音楽はやめませんから。いや、たぶん向こうがぼくを離してくれない。逃げても逃げても、そこには音楽があるでしょう。西遊記のお釈迦様みたいなものです。

(余談ですが、正直に告白しておくと、3月にnanoの10周年があって、それにも誘われているのです。大切な場所の節目のお祝いなので、できるだけ駆けつけたいと思っています―おい全然さらばじゃないやんけ、と云われようと!)

 というわけで12月27日、忘年会を休みたいかた、仕事納めが早く終わったかた、そのほかお時間のあるかた、よかったらアバンギルドにお越しください。会場外で私物CD/レコード/本etc..の放出なんかもやってしまおうと思っていますので、別にライブは観なくてもいいや、というかたもぜひ。あ、でも長野から来てくれる井原さんの歌は聴いたほうがいい。いろいろ悩んでいたぼくに、やっぱり真摯に歌おうと思い出させてくれたひとです。
posted by youcan at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月26日

Ride (Slowly) Into The Sun

 気仙沼に行ってきた。行ってきた、とみじかく言い切った中に自分にとってどれほどの重みが潜んでいるのか―実はまだはっきりと見えてきていない。滞在は一晩、街の中は少し歩いて、パーティでライブをして、バスに乗って、また歩いて、電車に乗って帰った。それでも、二週間経ったいまも未消化の何かが内側にいっぱいこびりついたままでいる。だから、まとまらないままにだらだらと、思い出すことを書いてみようと思う。

 出発は土曜日の朝、でも、はじめからうまくいかない―飛行機に乗り遅れた。伊丹空港を使ったのも初めてだったし、格安航空券の会社が時間についてほとんど何も知らせてくれなかったということもあったし、言い訳はいくらでもできるにしても、要はチェックインカウンターへ到着したとき既に出発20分前を切っていたというわけ。手荷物検査の長い列の最後尾で途方に暮れていたところ、係の人が目ざとく声をかけてくれて、30分後の便に空席があるということで何とか事なきを得た。彼女はこういう困った風の客を見つけては聞きだす、という仕事で終日を過ごしているのだろうか。大変な仕事だと思いつつ、ありがたかった(そういえば今回はチケットの手配に苦労して、生まれて初めてANAを利用してみたのだけど、お金がかかるということは、つまりこういう細かなサービスに手間ひまをかけているということでもあるんだよね、と再認識した。と同時にそしてやっぱり、飛行機は苦手だなあ)。

 仙台空港に着いてからも、あまりにも空と紅葉が綺麗すぎて名取で降りてしまったり、乗換で降りた一ノ関のホームでぼーっとしていたり、なかなかたどり着かない。大船渡線の仮の終着駅(その先はいまだ復旧しておらず、バス輸送システムに切り替えとなる)である気仙沼駅に着いた時には午後四時を回っていた。

 市役所前まで歩いて、路線バスに乗った。今夜の主催のひとりであるワタルくんにメールして、降りる停留所を教えてもらう。バスはどんどん市街地を離れ、海沿いの道を行くかと思えば坂道を登り降りする。リアス式海岸を走るとはこういうことなのかと変な感慨を抱きながら、ふと考えた<車内には路線図ひとつ貼り出されていない。自動音声のアナウンスを聞きのがすと困ったことになるぞ>と。
 それなのに(いや、あるいは案の定だろうか)こういうとき人間はとことん迂闊になるもので「つぎは、大釜半造入口」と停留場名を告げられたとき、勝手に<入口があるっていうことは、この先には「大釜半造」(目的地)があるんだろう>などと思い込む。降りずに次の停留所。次。次。その次。いつまでたってもお目当ての名前は呼ばれない。バスはどんどん進む。ついに「本日はミヤコーバスをご利用くださいまして、ありがとうございました」。終点へ来てしまった。もうぼく以外皆降りてしまって、車内に乗客は誰も居ない。日も暮れ、あたりは真っ暗だ。運転手さんに尋ねる。戻りのバスって、ありますよね。ありませんよ。えっ、まだ六時前ですよね。でもこれが今日最後のバスです―なんということだ。携帯電話の充電も切れそう。たぶんワタルくんが教えてくれたはずの「大釜半造入口」からここまでは二十分ほどかかった、ということは徒歩だと…

 ―お客さん、どこまで行きたかったんですか。大釜半造です。えっ?入口があるってことは、その先もあるんだろうと思ってしまって。うーん、わかりました。会社に戻るんで、ほんとうはだめなんですけど、乗せていってあげますね。回送でひと乗せてたら怒られちゃうんで車内真っ暗にしますけど、我慢してください。

 冗談みたいなエピソード。気仙沼でバスを乗り過ごす。人生初の真っ暗な回送車両に乗る。あのネコバスってこんな感じかなあと、おかしなことを考えてみる。サツキだけを載せた猫の額に目的地「めい」と書かれたパネルが現れたときのことを思いだす(ネコバスの車内は真っ暗じゃなかったし、乗っているのはけなげな女の子じゃなくてただの間抜けな男だし、ぜんぜん比較にはならないんだけど)。

 そんなこんなで、会場の半造レストハウスに到着したのは午後六時半。もうパーティは始まっていた。オーガナイザーのひとり、佐々木健二さんのDJから。気仙沼の地酒を飲みながら、ゆらゆら踊った。東京からバスツアーで来たひと、東北各地から集まったひと、気仙沼のひと。出演者もお客さんも入り混じってのライブ、スピン、お酒を飲んで、フロアで音楽を浴びて、ストーブを囲んで話をして、バーベキューをやったりカレーを食べたり、疲れたら布団が敷いてあって、眠れる。レストハウスからすぐ先は海だ。太平洋。天気がよくて月も星もよく見えるけれど、波は激しい。海岸にそって続く岩場に当たっては砕ける音。左のほうを見ると、街の明かり。あれは陸前高田かな。右手には気仙沼の市街。レストハウスではヒップホップのレコードが大きな音で鳴らされている。これはなんだろう、夢かな。数日前に見汐さんがくれたメールには<半造レストハウス行くんだね。すごくいいとこだよ!ただそれだけ言いたくてメールした。>うん。すごくいいところ。それだけを云いたくてメールする気持ちがよくわかる。

 東京から来た友人たちとひさしぶりにゆっくり喋った。初めてお会いする青森や山形のお客さんやDJさんたちと共通の友人についてあれこれ言い合っては笑いあったり。この町の若者、そしてレストハウスのお二人から、あの日のことやそれからのことを話していただいたりもした。ライブは零時を回ってから。フロアに椅子を置きDJブースの前で歌う、このポジションがとても好きだ。濃厚なダンスミュージックが続く中にぽっかりと空いた余白そのものになった気分で歌うと、すこしずつ椅子の回りに体操座りの半円ができてゆく。届いたのかな、と思う瞬間。加えてこの夜は、いつか気仙沼で「太陽」を歌いたいと思っていた、その願いを叶えることができた。

 夜が更けて寒さが増してきたけれど、やっぱり演奏後はビールに限る。たのしくて、また呑み過ぎてしまう。結局ストーブ前のベンチで仮眠したのだが、うつらうつらとした後、あっ!と思って飛び起きた。午前六時、そうだ。朝日が昇るのだ。レストハウスを出て、海辺に向かって小走りで。あたりはすっかり白んでいた。
 昨夜、闇の中で白く岩を噛んでいた波は、あいからわらずの強さにもかかわらず印象がまったく違った。すさまじさは消え、清冽な力強さに満ちている。海の色は深く、空を反射して不思議なニュアンスで輝いている。

 気がつけば、みんな岬の先端に集まってきていた。日の出は六時一七分だという。あと十分ほど、寒くて、眠くて、途方もなく長い時間のように思いながら待っていると、誰かが、来た、と一言。暗い桃色の球体が水平線から切り離されるように昇って来る。それは徐々に大きくなり、やがて暗い桃色から暗い橙色へ、そして明るい橙色へと、目にもはっきり分かるスピードで色を変えていった。
おどろいたのは海の色の変化だ。朝日に目を奪われてしまっていた最中、ふと海に目をやると、一面が乳白色をしているではないか。まるで朝が来たのを喜ぶように、歓声をあげて迎えるように、静かに音もなく沸き立っている。これはいったい何だ、と思った。こんな儀式が誰に見せるともなく毎日執り行われているのか、ここでは。

 さらにもうひとつ鮮烈なイメージがぼくらを捉える。朝日が高度を上げてゆくにつれ、その光が海に一筋の道を作った。こちらにむけて一直線に、高い波に盛り上がりさざ波に揺らいだりしながらも、まるで歩けそうな―そう、海を割りなんかしなくても、そのまま歩いてゆけそうな―まっすぐに延びる道。ゆっくりと時間をかけて道幅を広げ、やがて太陽が昇り切ったところで海に拡散していった。
 ぼくは前夜のステージでルーリードのことを思いながら”Femme Fatale”のカヴァーを演っていたのだけど、朝日が海に敷設した一本道を見ながら思った―どうせヴェルヴェッツをやるのなら”Ride Into The Sun”が正解だったな、と。

 パーティは午前九時まで続いた(最後のほうは眠ってしまっていたので、覚えていないけど)。そのあと会場の掃除、記念撮影をして、地元の小学校の校庭で開催されていた「牡蠣まつり」をふらふらと見学したあと、ツアーバスに乗って気仙沼港へ戻った。ぼくはここでみんなとお別れして、三十分ほどの道のりを駅まで歩く。修理中の桟橋、プレハブの「復興屋台村」。流された家たちの土台。”震災 GROUND ZERO”と書かれた立て札。あたらしく何かが建つらしい工事現場に停めっぱなしのショベルカー。なんにもなくなったバスセンター、まるで駐車場のようなそこにバスが入り、ささやかに置かれた案内板の前で人を乗せて出て行く。ふと脇道に入ると、神社の石段があった。足が笑うほどの段差を上り切ったところにちいさな天神さんが構えてあった。街を見る。海を思いだす。降りてゆくと、高校生が四人、駅のほうへ歩いてゆく。同じ電車だった。剣道部だったりバスケ部だったり、それぞれちがったジャージとスポーツバッグを持っている。もしかしたら高校も違うのかもしれない。マンガを読んだり、ゲームをしたり、ときおり他愛もない話をして、ふとみんなで笑う。彼らと向かい合って座っているうちに、いつしか眠ってしまった。

 目が覚めると、一ノ関に到着したところだった。時刻は午後一時半を回っている。新幹線を待ちながら、きょうは富山と京都どちらに帰ろうか(まだどちらでもやることがいっぱい残っている)迷ったけれど、上野まで来たとき突発的に上越新幹線に乗り換えた。街に帰れば、昨夜のことがどこか遠くに行ってしまう気がした。午後九時四八分着のはくたか。日曜の晩、もう駅前にもあまり人がいない。鈍行に乗り換え、近所の駅から歩いて帰る。刈り入れの終わった田んぼは、グラウンド・ゼロでもなんでもないけれど、夜の闇の中ではよく似た景色に見える。かつては一面の水田だったところが、減反やら後継者不足やらで畑になったり耕作放棄地になったり売りに出されたりしている。新幹線の工事はずいぶんと進んで、来年末には開通するらしい。猛スピードでぼくらを東京に接続するあの流線形の乗り物がやってきて、この町をどう変えてしまうのか、あるいは変えないのか―ほんとうのところはまだ誰も知らない(気仙沼からもっと早く帰って来れるようになる、ということくらいは分かるけれど)。ぼくは昨日のバスの運転手さんを思いだす。「大釜半造入口」の停留所に戻ったとき、彼は、ぼくがどこに行きたいのかと、もう一度訪ねた。半造レストハウスです。まだ結構ありますよ。ちらりとぼくを見た彼の口調と表情は、なんならお店まで乗せていってあげようか、と云っているようだったのだ。


 おっと、書き忘れてはいけない。Just In Time、とても素敵なパーティでした。主催の健二さん、JET SONICさん、そして声をかけてくれたワタルくん、ほんとうにありがとう。見たアクトどれも楽しかったですが、個人的にはここ最近のモードが生音志向だったこともあって、あえての和モノの縛りで来たELLE DRIVERさんが非常にアツく、ジャズ/スウィング/モンドをメインに達郎まで持って行った嶋瀬陽子さんのDJがとても軽妙で心地よかったです。気仙沼のダブバンド”大島DUBNOTE”も良い空気。人間の暮らしに音楽が会ってよかったと、あらためて思いまいた。あとぼくの後にスピンするはずだった道男が起きて来なかったのが相変わらずでご愛敬で懐かしくて嬉しかった。急遽繋いでくださったJET SONICさんも流石でした。ゆーきゃんのあとは慣れてないとやりづらいだろうにね。
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2013年10月31日

ボロフェスタを終えて

 ディノと飲みにいこうと約束していたのだけど、午後十時前、あいつのリハスタが終わるのを待っているうちに寝落ちしてしまっていた。ボロフェスタの仕込みが始まってからというもの、眠りにつくときの記憶がない日が続いている。ふっと電源が落ちる感じ。ぎりぎりのエナジーで生きている、といったら大げさだと笑われるかもしれないけど、こういうのは嫌いじゃない(でもディノごめん)。


 十二年目のボロフェスタが終わった。

 JJももぐら君も各所で書いているけれど、全公演ソールドアウトは、ありがたくも非常に大変な事態を運営にもたらした。KBSホールのあちこちにできていた行列。受付も、ドリンクも、物販も、クロークも、千三百人ちかくの客さんを捌くのに追われている。ライブが終わるたび出入りする人たち。流れが断ち切られ、ホールの入り口で大渋滞が起きる。

 ぼくらはもちろんその場面ごとに最善な方法をとるべく頭を悩ませ、議論し、ときには怒鳴りあった。それでも、あのロビーや通路や広場のキャパシティでは限界がある。導線は二日目の終演ぎりぎりまで確立することができなかった。
 そんな中、とにかくがんばってくれたのはスタッフたち。戦場みたいな現場、飛び交う声、振られ続ける誘導棒、休みなくカウンターに立ち続ける彼や彼女の横顔、ぼくらがどんなに考えても、とにかくもともとが忙しすぎるのだ。みんながご飯を食べる時間のやりくりにも苦労し、なんとか休憩をまわせるように心を砕いた部署リーダーたちの消耗具合も並大抵ではなかったと思う。みんなにあらためて、心からの感謝と敬意を送りたい。

 KBSに移ってからボロフェスタには「わけのわからなさ」が減ったと言われる。それを受けて今年のキーワードのひとつに「カオス」ということを設定した。同時多発のタイムテーブル。結末が予想できないアクシデントアクト。考えるまでもなく、混沌とはコントロールできないからこその混沌だ。ぼくらの能力や把握力を超える進行は、結局のところ自業自得だったといえる。

 けれど、だ。驚くべきこと、そしてめちゃくちゃにうれしかったことに−今年はつまらなさそうなスタッフの表情には、ほとんど出会わなかったのだ(そんなことない、オマエが見てないだけじゃ、全然おもんなかったぞ、タダでこき使いやがって、という感想があれば、謹んで傾聴します。メールください)。
 もちろん、しんどそうな顔、テンパった顔は何度も遭遇した。そのたびに、こんな目にあわせて申し訳ないと思ったのだが、二日目のアンコール、ソウルフラワーBiS階段の演奏にあわせて9mステージの上でめちゃくちゃに踊るみんなの晴れやかな表情は、きっと困難を自分たちの手で乗り越えた喜びでもあっただろう。肝心の10mステージの演奏そっちのけでフロアから見上げていたら、BiSのメンバーが投げる蒲鉾の流れ弾に何度も当たってしまった(あたった蒲鉾は、もちろん食べたさ!)。

 来てくれたお客さんたちは、どう思っただろうか。出入り口の混雑への不満は会場で耳にしたし、メールでも苦言をいただいている。不手際についてはお詫びして、来年への課題として真摯に受け止めたい。その上で、ボロフェスタが目指しているあり方−産業エンタメではなく、作品としての(あるいは生活を賭した遊びとしての)音楽フェス−を、どのくらい伝えることができただろうか。
 前夜祭はともかく、一日目、二日目ともに、エンディングを前にして帰ってしまうお客さんが例年よりやや多かったように思える。みんなそれぞれ事情があるだろうし、原因はタイムテーブルの組み方につきるのだろうが、残念なことがあるとすれば、それが一番大きい(もうひとつはスタッフにけがをさせてしまったこと)。最後まで観てもらってこそのボロフェスタ、彼らにとってはまだ「未完成」なままでいる。次はエンドロールまで残ってくれますように!そして最後まで残ってくださった方、いっしょに終幕を迎えられてよかったです。来年もよろしくおねがいします。


 寝起きの頭を晴らすためにつらつら書き出した文章、とりとめなくなりそうなのでこの辺で終わらせようと思うんだけど、その前にうれしかったことをメモ程度に羅列。

 リミエキのライブが始まる直前に、スタッフの女の子たちがホールの中へ駆け込んでいったこと。エンドロールでの拍手、出演者の写真が流れるところで、主催バンドにひときわ高い拍手がおきていたこと。来年もやりたい、と云ってくれたスタッフがたくさんいること−大学一回生の女の子は打ち上げで「あと四年は絶対やります!」と笑ってくれた。翌日の撤収に例年より多く人が来てくれて、スムースに作業が終えられたこと。ステージ資材を返しに行った帰りのトラックの中での、花泥棒・岡崎君との会話−リハの合間にメンバーで交わす話題がだんだんボロフェスタのことばかりになったと彼は話してくれた。KBSホールの山本さんがしてくださった、音楽と生活の両立に関するありがたいお話。そしてもちろん出演者たちのすばらしい演奏。とくにフロアに飛び降りたボギ八先生を400人が取り巻いて熱唱した「贈る言葉」と、ロビーでのクリトリック・リスの80分に及ぶ熱演は忘れがたい。EP-4のときにホールが人でいっぱいだったのも感動したなあ。
 ゆーきゃんの演奏後に楽屋でいただいた評価は、柏原譲さん「衝撃的な音の小ささでした」、ミトさん「ギターのチューニングしてて、うるさいって怒られちゃった」、山本精一さん「MCが何言ってるかわからへんくって最高やった」、佐藤薫さん「囁きますねえ」。憧れの人たちに自分のライブを観てもらえて、ほんとうに光栄。ちなみにZAZEN BOYSの吉田さんだけは普通に「よかったですよ」と云ってくださいました。
posted by youcan at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月31日

そのまま並べておいた

 とても短い曲を書いた。

 友達や後輩に感化されたこともあって、むかし買ったハードコアのCDを聴き返したら、あらためて、や、これはすごいと思って、一瞬で感情にさざ波が立って余韻だけが残る、ぼくもそんなのに挑戦してみようと、4小節ひとまわり、12小節で終わる曲。結果は当然ちっともハードコアではないし、コード進行はイーグルスの真似みたいだったりするが、パクったつもりじゃなくて、探して磨いたらそうなった、と弁解しておきたい。

 歌詞は深く考えず自分の底から拾ってきた。意地悪な、拗ねているような、むくれているような…正直は美徳として語られるけれど、性格がよくない奴が正直になるとかえって迷惑なだけじゃないのかとあらためて感じる。でも、石ころのようなこれらのことばはどうなだめても、おだてても、ちっともいい顔をしてくれない。あきらめてそのまま並べておいた。

 曲としては、たぶんいい曲のはず。使い慣れてないコードを幾つか入れているので、ちゃんと練習して綺麗に聴かせられるようにします。

 そういえば昨日のGABOR、ハマモトくんと啓士郎さんの二本のギターの調和がとにかく見事だったなあ。ぼくもようやくSUREの58(ライブ会場に一番よくあるタイプのマイク)との付き合い方が分かった気がする。今更!非常に良き夜でした。


ライブスケジュール。

9/13(金)京都 西院 GATTACA
<&&(とと)>
http://gattaca.jp/
*ゆーきゃん with 足田メロウで出演します。
 
9/15(日)神戸 アコースティック・サーキットイベント
<On Time Kobe 2013>
http://ontimekobe.com/

9/16(月・祝)京都 木屋町 Urbanguild
http://www.urbanguild.net/event/events.html

9/22(日)京都 長岡天満宮内野外特設会場
<長岡京ソングライン>
http://www.songline.jp/

9/27(金)京都 二条城前 nano
http://livehouse-nano.com/schedule_next.php

10/12(土) 下北沢 lete

10/13(日)つくば

10/19(土) 名古屋 名古屋聖マルコ教会
<club solanin vol.20/YeYe『HUE CIRCLE』リリースツアー>
http://club-solanin.com/

10/20(日)京都 二条 GROWLY
http://growly.net/schedule/?year=2013&month=09
*欠伸ACBISで出演します。

10/26(土)京都 KBSホール
<ボロフェスタ>
http://borofesta.ototoy.jp/v/top/




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2013年06月05日

若いうたうたいの夢をぼくは知らないけれど

 ぼくより九歳か十歳、年下のシンガーと二日間旅をした。たった二日間だから、旅というには値しないのかもしれないけれど、いまはそれを旅と呼ばせてほしい。

 彼はお酒を呑まない。彼はよく食べる。低くて伸びやかでよく通る声、彫りの深い顔立ち、注意深そうなまなざし。ポップスのマナーをよくわきまえた曲を書き、それとは対極なほど自分に誠実な詞を紡ぎ、情緒が溢れだすようなストロークでギターを奏でる。ぼくには無いものばかりである。あ、酒量だけは勝っているね。

 東京に移って三月ほど経った頃、渋谷での企画に誘ってくれたのが初めての出会いだった。ということはもう五年も前になるのか。ライブを一目見て、このひとは大きくなるだろう、でも迷うだろうなと思ったのを記憶している。
 それからも、彼は何度もイベントに誘ってくれた。LOFTのレーベルからのリリースをはじめとして、媒体や業界からも、ゆっくり目のペースだけど少しづつ注目を集めはじめている彼が、ぼくのような一世代前のローカルなSSWに声をかけてくれるのは本当にありがたかった。

 二年前の地震。以前から仙台にもいわきにもよく行っていたはずで、友人もオーディエンスもたくさんいたことだろう。創作の背景についてあれこれ詮索し過ぎるのは野暮だけど、とにかく、その秋『2011』というCD-Rが作られた。そして年が明けて、東京でのリリースパーティにゆーきゃんを誘ってくれたのだ。
 下北沢shelterだった。music from the marsと一緒にステージに立って、歌い始める前に、ぼくは、たしかこう云ったはずだ。

 「あの作品を聴いて、よしむらひらく、死ぬんちゃうか、と思って、止めに来ました。マーズのみんなも、ぼくも、歳だけは食っていて、恥ずかしいことも、後ろ暗いことも、脛に持っている傷も、借金も、いろいろあるけれど、でも、それなりに愉快に暮らしていて、なにより生きているあいだにこそ音楽は流れるんだということを、いまからここで証明したいと思います」

 なんと馬鹿げたあいさつだろうと思う。でも、そんなことを云わざるを得ないほどに、彼のうたがそれだけ切実だったということにして欲しい。ぼくの記憶が確かなら、『2011』を聴いたときに連想したのは、エリオット・スミスの『figure 8』だった。そういうことも関係しているんだと思う。

 幸運なことに「死ぬんちゃうか」は杞憂だった。よしむらひらくはそのあとも生きて(実際シェルターのステージで彼は「俺は死にませんよ」と云った―そのあと高熱でふらふらになりながら帰って行ったけどね)、一年半経って、ぼくは拾得とk.d.japon、自分の大好きな二つのステージに彼を連れだすことができた。
 「海の見える家」という曲がある。<海の見える街に住もうね 若い両親の夢をぼくは知らない>初めて聴いた日からこころをざわめかせ続けているこの歌を、彼は二日間とも、ステージの最後に歌ってくれた。ただしそこには、あのときのぐらついた危うさと鋭さはもうなかった。いや、危うさはまだあるんだけど、それは倒れそうというよりも、すうっと、どこかで動きを止めてしまうんじゃないか、という感じのものになった、というべきだろうか。

 東京で歌をうたっている。それも、彼の立っているところは、ぼくらみたいな陽の目のあたりにくい死角ではなくて、もっとシャバかったりチャラかったりキナ臭かったりヤニ濃かったりすることも多々あるに違いない、華のある、それでいて厳しい広場だ。そこで迷ったり悩んだり苦しんだり焦ったりしながら、迷いと悩みと苦しみと焦りをぜんぶ背負うように歌い続けている彼を見るたび、翼があるならさっさと飛んで行ってしまえばいいのにと思う気持ちと、地べたを歩かなくなることに対する羞恥のようなものを保ち続けている姿への共感が、胸の中で入り混じってきた。

 でも、この二日間を経て、いまは少し違ったことを考えている。拾得の扉の前にぼくが腰掛けているところへ、彼はギター一本を背負って歩いてきた。自分のアコギを持ってきた姿を見たのは、はじめてだと思う。そのことを指摘すると、はにかむような笑いを添えて、云った―「がんばろうと思って」。つまり、そういうことだったのだろう。彼は本当に歩いてきたのだ。その日の歌には、あの場にいたほとんどの人が驚きに近い感動を覚えたに違いない。危うさの話をもう一度するなら、それは歩みをふと止めて突然「こんにちは、いい天気ですね」とでも言い出しかねない危うさだった。何気なく、静かに、確信に満ちながら、よしむらひらくはステージ上で何かを削っていた。二月のミュージックオルグのレコ発でも一緒だった田代くんは、バンドのときはゆーきゃんとなんて合わないと思ってたけど、弾き語り、めちゃくちゃいいね、と言った。そうなんだ。あの拾得、あのハポンのライブはもっとたくさんの人に観てもらうべきものだった(それはぼくの不徳に負うところが大きいんだけど)。羽ばたくための滑走でもなく、誰かに見せるための気取った足取りもなく、安定した速度を保つこともしらず、ただこころの儘にずんずん歩いてゆく―そんな歌を聴けることは、めったにないのだから。

 この話はここまでにしよう。もちろん若いうたうたいの夢をぼくは知らないわけで、大成するためにはこの先やっぱり高く飛ばなくてはならないこともあるだろうし、自分の翼ではなくジェットプレインに運ばれてゆく必要もあるかもしれない。歩いて到達できる距離はたかが知れている。けれど彼はそれでもやっぱりどこまでも行けるし、何にだってなれるのだと思う。幸運なぼくはそれを見ることができた。いまはただ彼と、彼の才能と、彼の家族、そして彼の神さまに感謝。
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2013年05月17日

いつまでも世界は...のこと

 「いつまでも世界は...」というサーキットイベントが、明後日、京都で開催されます。

 ザ・シックスブリッツのマモルくんが主催で、ぼくも企画チームに参加しています。四条・新京極界隈、京都市内の真っただ中の八会場を使って、昼の一時から夜十時すぎまで続く長時間のイベントです。
 イベントの概要はホームページに載っているので、ここでは詳しく説明しません。開催にあたってのマモルくんの宣誓も読むことができるので、覗いてみてください。

 http://sekaiwa.info/

 さらに、OTOTOYではマモルくんとぼく、そして編集長でもありボロフェスタの代表、飯田くんも交えた鼎談を企画していただきました。こういうふうに記事になるといつも思うのは、話をしているときは普段と同じように喋っているつもりなのに、活字にするとどうしてこんなに生意気で癪にさわるんだろうと。まあ、それはいいとして、このイベントに寄せたぼくらの意思がちょっとでも伝わるといいと思います。

 http://ototoy.jp/feature/index.php/20130423

 このイベントは、ぼくのほかにも、MUSEの行貞店長、もぐらくん、シンガーソングライターのタカダスマイルさん、メトロでbelobelobeloというパーティを主催するDJのシンくん、ボロフェスタのスタッフでもあるそめさん、BAA BAA BLACKSHEEPSのディノ、そして何人かのスタッフやライブハウスのクルーたち(名前ぜんぶ挙げたいけど書き出すとキリがないので割愛します。みんなごめん!)で作っています。もちろん中心はマモルくん。
 それぞれの仕事があるので、集まるのは日曜の昼間か、深夜。昨夜も朝方まで最後の詰めをしていました(おかげでいま、猛烈に眠い)。それでもどうしても会う時間がとれなくなりがちなので、LINEでやりとりしながら物事を進めてゆきます(これがとても新鮮!情報化社会は日々進化しているのですね)。

 マモルくんは勇者かたぎ(かれがゲーム好きだからあえてRPG風な喩えをしてみているわけではなくて、なぜかこう書くのが一番しっくりくるんです)といいますか、にこにことマイペースに構えていながら、話すことの面白さとその夢の大きさで周りの人を引き込んでゆく不思議な力があります。
 もちろんミュージシャンとしても真摯で、ステージに立った時の輝きも大きな魅力ですし、気付かないうちにこんなに動いてるんや!というバイタリティとフットワークにも驚かされることもしばしば。そんなかれが一人づつ説き伏せたり頭を下げたりして集まった「パーティ」は、和気あいあいとしながらも、なかなかの手練れぞろいです。みんなハコの店長をしたり、大きなイベントを作ってきたり、なによりも社会経験豊かなオトナばかりなので、それはもう、手際の良いこと!資料の見やすさ、印刷物への知識、段取りの見事さ…あんなふうに気取って取材には応じたりしてみても、いざぼくが現場でできることは、適当なアイディアを放り出したり、ポエティックな意見を差し挟んだり、心配事をこぼしたりするだけで、かれらには何一つかないません。実はなんにも身についてなかったんだなあと、あらためて思わされる毎日です。



 最近、あらためて「持ち場」について考えます。持ち場を守っている人間は、なんと確かなことでしょうか。それも、あそこへ行けここに立て、と命令されるのではなく、自ら手を挙げ旗印を掲げて駆けてゆき、ひとつところへ陣取ったときの人間が見せる充実というのは、金でも地位でも競り落とせないような気がします。

(こんな風に書くと、身内を褒めたいだけに見えるかもしれません。まあ、それも少しありますが…今回のことのほかにも、最近出会った人や、顔見知りの中に改めて発見した表情からも、なにかにつけそんなふうに感じることが多かったもので!)

 『スイミー』に出てくる、赤い小さな魚たちのこと。真っ黒の、賢いスイミーに導かれて編隊を組み、大きな魚よりもさらに大きな魚に擬態して、平和を取り戻す魚たちのこと。ぼくは、あのお話のほんとうの主人公はかれらだと思っています(もちろんスイミーの勇気と知恵、そしてあの「ぼくが、目になろう」というセリフにはただただ、しびれるだけですが)。レオ・レオニが書かなかった、かれらの一匹いっぴき、たとえば背びれの一番端っこを受け持った魚、たとえば尾びれの付け根を守った魚、たとえばくちばしになって一番最初に大きな相手へ向かった魚、何の変哲もない、知らない人からは他の魚と見分けのつかない赤い魚の一匹いっぴきのこと、かれらがどんな気持ちで持ち場について、持ち場を守って、大きな魚たちを追い出した後はまたありふれた赤い小魚に戻って、どんな暮らしをしていったのか。かれらの声を聴きたいです。彼らの表情を見たいです。いつかだれか続きで書いてくれないかなあ。

 おっと。脱線してしまいました。なにはともあれ五月十九日「いつまでも世界は...」まであと二日です。ぼくは、シグナレス(そういえば今年初ライブ!)とソロで二回出演します。西島衛の「希望の話」がどんなふうに広がってゆくのか、スタッフとしてぼくも力のかぎり八面六臂飛び回ろうと思っていますが、歌については持ち場は一つしかありません。お時間のあるかたは、ぜひ遊びに来て、一日かけて音楽の中を泳いで、そして歌を聴いていただければと思います。
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2013年02月20日

2月11日夜のこと

 弘前でのライブのあと、メンバーはみんなホテルに帰って寝るといったけれど、なんだか名残惜しくて、飲みに連れて行ってもらった。

 メンバーは、アンリと、鳴海徹朗くん。二人を載せて、メンバー一同まず車でホテルに戻り、再出発。鍛治町というところが飲み屋の並ぶ地域だそうで、鳴海くんに先導してもらう。黒石市在住の彼はラジオの出演などでよくこのあたりに通うのだとか。折しも雪は止んでいたけれど、夕方からひっきりなしに降り積もっていたから、あたりはもう真っ白だ。おなじ青森県内でも、本来なら弘前は青森市ほど積雪はしないという――けれど今年は例年にないほど降っているらしい。アンリ曰く「ゆーきゃんが、雪を連れてきた」そうだ。

 東北の雪は、驚くほどにさらさらしている。空から落ちてくるとき、あたりに積もってゆくとき、ぼくの見慣れた北陸の、田んぼの真ん中や市街に落ちてくるそれとは違った種族のようで、まるで水気がないようにさえ見える。東北の雪にはほとんど無邪気だ。邪気がないということは、それだけ残酷ということでもあるだろう(逆に北陸のぼたん雪はその重たさと湿っぽさゆえに、意地悪でもあるけれど、どこか温かみを残しているともいえる)。冷たくて、美しくて、そして恐ろしい、もしも雪女がいるなら、やっぱり東北なのだろうと、ライブ中、robbin's nestの大きなガラス窓の向こうに吹き荒れる雪を見ながら思っていたのだ。
 
 鍛治町には飲み屋がたくさん軒を連ねていた。けれど日曜日の夜ということもあり、そのほとんどが店を閉めた後だった。町はすっかり静かだ。車が数台行くけれど、雪に吸い込まれてほとんど音も立てない。スナックのようなところから年配の男性と若い女性が出てゆくのを見た。何か会話をしている、でも聞き取れない。声のトーンはそれほど低くないのに、ことばのせいか、雪のせいなのか、ぼくにはわからない。マエケン(前野健太くん)が曲の題材にしたという純喫茶のお店の前を通る。深夜だというのにお店は開いていた。ここでリッキーならためらわず入るのだろう(仙台でも山形でもいい喫茶店を見つけるために散歩をしていたほどだ。次来たら教えてあげよう)。まだ飲み足りないぼくらは別の店を探す。
 結局入ったのは「心」という赤ちょうちんを付けたお店。北国の冬景色を扱ったドラマやCMで、ステレオタイプとして扱われそうなほどの店構えだった。中華そばがメインのようだが、ほかにも肴を出してくれる。何時までですか?と尋ねると、どうやら特に決まってないらしい。三時くらいまでなら大丈夫、と店主は言ってくださった。結局四時過ぎまでお邪魔してしまったのだが。

 アンリは京都での某レコ屋時代の後輩で、ボロフェスタのスタッフでもあった。いまは青森に帰って、フリーペーパーを作ったりイベントをやったりしている。今回もnor thmall labの佐藤さんと一緒に企画してくれた。ちなみにこの日は青森から電車で来たのだという。始発を待って電車で帰りますと事もなげに言う彼女だったが、よく考えると河原町⇔梅田間の阪急電車とは勝手が違う。十分に一本、というわけにはいかないだろう。ましてやこの積雪だ。所要時間だってときに大きく変ってくるのではないか。心配になりつつも、相変わらず彼女らしい呑気さだとも思った。
 
 りんご農園で働いている鳴海くん、冬季は新聞配達所に仕事が変わるそうだが、この日の次の月曜はたまたま休刊日で、ライブの後とんぼ返りで黒石に戻る必要もなく、近くにカプセルホテルをとっていた。なんだか話したいことがいっぱいあったはずなのに、彼のうたを聴いているとそれだけでよくなってしまって、どうでもいいようなとりとめのない会話しかしなかったような気がする。でも、この人の歌の中には、この人の生活も、願望も、だいたいが仕舞われていて、それでぼくは充分だったんだろう。あの安心感はそういうことなんじゃないか。

 田酒を飲みながら(この、青森のお酒が大好きなんだけど、お酒のすばらしさをことばにする技量をぼくは持っていない。田酒がいかに美味しいかについては、どこか別のグルメブログなどを参照してください)アンリと鳴海くんのやり取りを聞いているうちに眠くなってしまって、うとうとして、気付いたら中華そばが頼まれていて、お会計も済まされていて、鳴海くんをホテルまで送ろうと外に出た。路肩に除けられた雪は冷え固まって氷山のようになっている。道路はアスファルトの上に踏み固められた雪でもう一層ぶんの舗装を施しているかのようだ。この白い道路に映し出される、北国特有のオレンジ色の街灯が作る陰影は、ほんとうに美しい。ホテルの前でアンリと別れて、誰もいなくなった道をぼんやりと眺めていると、除雪車が二台やってきた。一台はおもに道をさらえ、もう一台はざっくり積まれた雪を邪魔にならない場所に動かしている。一晩中、いや雪には昼も夜もないだろうから一日中、この車たちは出動し続けているのだろうか。偉大だと思った。雪国に王様が必要になるとしたら、一も二もなく除雪車のことを推挙したい。

 弘前の戦利品はライブ前にイトーヨーカドーで買った白いスニーカー。まったく雪国仕様ではない。マジックテープで留める。おじいちゃんの靴みたいとからかわれたりもするけれど、結構気に入っている。こんど会った人には見せてあげます。
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2013年02月09日

第三夜と、今日から三日間

 昨夜の昼バスで東京へやってきた。最近月の三分の一くらいは田代邸にいる気がする。ほとんど居候だな、これ。

 久々にやって来た池袋の雑踏に戸惑ったこと、なぜかハウリングが収まらなかったサウンドチェック、本人も「ここ最近でいちばんの出来だった」というよしむらひらくバンド、王舟が45分の持ち時間なのに30分強しかやってくれなかったこと(「もっとMCするかと思ってたけど、意外と喋りませんでした」なんて言っていたけど、きっと気を使ってくれたんだろう)、久々に会った友人たちがちっとも変ってなかったり、都市レコードのコスさんが来てくださっていて驚いたり、術ノ穴のクッシーさんが来てくれるとやっぱりとても嬉しいと思ったり、いちばん最後にぶっつけで王舟と一緒にやった「虹」だったり、これがぜんぶ日曜日にあったことなんだというのも不思議な気がする。
 不思議といえば、ライブが終わったあと、とにかくめちゃくちゃに脱力したのは何故なんだろう。田代くんも玄さんもりっきーも、口々に「疲れた」と言っていたな。初めての森ゆにさん抜きのバンドセットは、磔磔やハポンにあった高揚とはちがう、素潜りのように深いところへ向かってゆくような感覚。
 聴いているひとにはどう届いたのか、わからないけれど、終演後に『あかるい部屋』を買ってくださったかたがたくさんいてくれたという事実は、すくなくともあの晩がとてもいい空気だったということの小さな証ではあると思う。買ったばかりのICレコーダー(フンパツして、いいやつにした)で録音したものからも、なんとなくそれは伝わってくる。

 あ、そういえば、京都に戻ったくらいで、磔磔でのライブを撮影してくださっていた柳田さんから、映像がひとつ届いていた。vimeoに上げていただいたので、お時間のあるときに観てみてください。

http://vimeo.com/58550046

 全編を通じて撮ってくださっていたとのことなので、おもわず「残りも欲しいです!」とお願いしてしまった。名古屋も録音しておけばよかったなあ。今日からの東北の三公演は全部記録しておこうと思う。なにしろ東京、山梨、京都とばらばらに住んでいる五人、それぞれの活動もあるし、なかなか揃う機会のないバンドだから。なのにあの演奏の妙、すごいよねえ。ゆーきゃんは置いといても、四人を聴きにくるだけでも価値はあるよ。

 さて、これを書いたら最後の準備をする。玄さんの車と待ち合わせて、ゆにさん(祝・快癒!)、りっきーと合流、仙台へ。田代くんは高円寺のライブが終わってから新幹線で飛んでくる。間に合いますように...!
 ずっと心待ちにしていた東北三県のツアー。各地のオーガナイザーの協力があって実現した。久しぶりのみんなとの再会も、初めての出会いも、とても楽しみにしている。

 今日の仙台、もしこれを読むのが奇跡的に間に合って、行きたいかも、というかたは直接<youcan[at]h2.dion.ne.jp>宛にメールください。山形と弘前の予約はまだ受付中です。

■2013年2月9日 (土) 仙台 FLYING SON (http://flyingson.com/
mu×齋藤駿介 presents【やわらかい家路】

共演 よしむらひらく/ CONTRAIRE / プリマドンナ / mu×齋藤駿介

開場 18:30 / 開演 19:00
前売 2,000円 / 当日 2,500円 (ともに1ドリンク代別途)


■2013年2月10日(日)山形 蔵オビハチ(http://ojisho.com/2010kura_web/kuraindex.html
ZOMBIE FOREVER presents vol.52 【DAY OF FUN SURPRISE】

共演 ahme / アベシュンスケ(band set) / QURAGE / otogi / SHINYA TAKATORI

開場 13:00 / 開演 14:00
料金 オビハチ限定「芋煮」付チケット 2,000円(残りわずか)/ 通常前売 1,800円
*小学生以下入場無料
*開演時間が早いのでご注意ください。終演予定は18:00です。

チケット予約
info@zombie-forever.com(担当:森)


■2013年2月11日(月・祝)弘前 Robbin's Nest (http://robbins-nest.jp/)
nor thmall lab×デイトリッパー presents【unknown songs】

共演 うきぐも/ 鳴海徹朗 / 聞こえないふりをした

開場 17:30/ 開演 18:00
前売 1,500円/ 当日 2,000円 (ともに1ドリンク代別途)

チケット予約
northmalllab@yahoo.co.jp


ご予約の際は【お名前(ふりがな)】【チケット枚数】【当日連絡の取れるメールアドレスまたは電話番号】を明記してください。予約を確認するメールを返信させていただきますので上記アドレスのメールを受信できるように設定してください。
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2013年01月24日

第一夜のこと、第二夜のこと少し

 「ありがとう」から言わなくてはいけないと思うのだけど、なぜだか、あまり「ありがとう」という気分ではない。それよりも「いい夜だったねえ」と笑いかけたい。来ていただいた、ということ以上に、あの時間を分け合ったということが、無性に誇らしい。あっ、でも、もちろん入場料はいただきました。それについては、やっぱりありがとう、か。

 演奏が終わって、二階の楽屋へ戻って来て、すぐにゆにさんが笑いながらソファに飛び込んだ。ゆーきゃんの後ろで演奏するのは、ほんとうに大変なのだ。難しいプレイは何も要求されないはずなのに、どんなテクニカルなバンドよりも疲れるらしい。かく言うぼくは、ゆーきゃん以外をやったことがないから、本当はよくわからないんだけど。

 帰り道では、田代くんと「あと三曲くらいやりたかったですね」なんて話していた。もうちょっと演奏したかった、なんて思ったのも、生まれて初めてかもしれない。それほど楽しかったんだと思う。

 なぜかアキクボが「こんないい夜、もっとお客さんが来るべきなのに!」と、ちょっと怒っていた。いや、それはぼくの不徳の致すところで...いつもアキクボは、ぼくのかわりに憤慨してくれるのだ。友情と言うかなんというか、でも、とてもありがたい。でも、あの日のキツネの嫁入りこそ、もっとたくさんの人に見てもらいたかったなあ。ごめんよ。以外にも磔磔は初めてだったという彼ら、いままで観たなかでいちばんクリアな音像で、プログレッシヴな楽曲とタイトな演奏が見事に引き立っていた。またあそこでやってほしいな。

 ステージ上でもちょっと触れたけど、SAKANAの西脇さんには『ひかり』以来、リリースのたびにコメントをいただいてきた。『あかるい部屋』はあえて誰にもコメントを求めなかったのだけれど、その代わりというか、ようやく京都でSAKANAと共演することができた。七年ぶり、くらいだろうか。ポコペンさんも西脇さんも、いつお話ししても本当に素敵な空気。音楽はさらに言うまでもなし。聴きたい曲も聴けて満足。いつまでも目標‐いや、いつまでもただのファンです。

 『あかるい部屋』発売記念公演、一夜目からこんな愉快な気持ちになってよかったのだろうか、と、あれから四日経ったいま、すこし不安になったりもしている(損な性格!)うちに、もう第二夜がすぐそこだ。

2013年1月26日(土)名古屋k.d.japon
http://www2.odn.ne.jp/kdjapon/

共演 YOK / シラオカ

開場 18:00 / 開演 18:30
前売 2,000円/ 当日 2,500円 (ともに1ドリンク代別途)

 ゆーきゃんバンドは今回から、田辺玄(WATER WATER CAMEL)さんがギターで参加してくれます。もちろん森ゆに / 田代貴之 / 妹尾立樹の三人は引き続き。ゲストは一昨年のアルバム『Days With Hearts』がめちゃくちゃ素晴らしくて(夏はこれを聴いて乗り切った)いつか共演したいと思っていたYOKさんと、『ロータリー・ソングズ』のレコ発の時も出てくれた‐というよりいつもお世話になりっぱなしのシラオカ。会場は、名古屋といえばハポンしかありません。またも素敵な夜になるよ。予約は<youcan[at]h2.dion.ne.jp>まで!!
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2013年01月17日

メモ:2013年1月17日

 本当のことを言うと、2011年にやった二回のレコ発シリーズ−−シグナレスと『ロータリー・ソングズ』のリリースパーティ(自分でこの言い方もするのもどうかと思うんだけど)を−−で、ちょっとうんざりはしていた筈なんだ。自分で会場を押さえ、ゲストをブッキングして、タイムテーブルも組んで、宣伝して、、、自分で自分を祝うためのお膳立てなんて、なんて馬鹿馬鹿しい!と思っていた。

 でも『あかるい部屋』を録音したあとに、車の中で田代くんがふと漏らした「俺、このメンバーでレコ発やるの楽しみだな!」というつぶやき、それから、しばらく考えて、で、やっぱり今度もやることにした。田代くんとゆにさんは東京にいて、りっきーとぼくは京都、そして玄さんは山梨。「発売記念」みたいな建前がないと、なかなか集まれない。それだけでも機会を設ける価値はあるような気がしたんだ。そして、あのレコーディングの空気が、今度はべつの街で、べつの部屋でもう一度立ち昇るとしたら、それがどんなに素晴らしいことだろう、とも思った。
 だから、今回は「リリースパーティ」じゃない。うまくいえないけれど、ゲストを選んだ基準も、そこにある。ぼくはSAKANAを聴いて育ったと言っても過言ではないし、キツネの嫁入りは盟友だと勝手に思っている。でもそれにも増して、ただただ、あのあかるい部屋で同じように鳴っていてほしい音楽を考えただけの結果がこのラインナップだ。彼らはいつも通りの素敵な演奏をするだろう。それでいいと思っている。逆説めいているけれど、それが特別になるとみんな知っているはずだから。

 昨日、東京でリハをした。リハといっても、ゆにさんの家に田代くんとぼくが押し掛け、ちいさなスピーカーからベースとピアノを出力し、ギターと歌はそのままアンプラグド、新曲のアレンジをつめて、忘れていた曲を思い出して、ゆにさんが作ってくれたおでんを食べてビールを飲んで笑って帰っただけ。そしてさっきFacebookのメッセージでりっきーにタイムテーブルとセットリストを送った。我ながら今頃かよ!と思ったけれど、りっきーからはすぐに「了解しました!楽しみ!」と帰ってきた。そう、そういうことだよね。ただ楽しみなんだ。みんなも楽しんでくれたらいいなと思う。
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2013年01月15日

一月十四日 東京はあまりにも雪だった

 なにはともあれ、昨日の下北沢lete、せっかく来てくださったお客さんにお詫びしなくてはなりません。

 雪の中、交通機関のダイヤが乱れる中来てくださったこと、たいへんありがたく思います。にもかかわらず間に合わなかったばかりか、一曲でも二曲でも聴きたいと思って待っていてくださったのに結局姿を見せることすら叶いませんでした、こころからお詫びします。

 予定時間に遅れること七時間半。首都高が通行止めになってしまい、東名高速の大和というバス停で急遽降りて小田急に乗り換えたのですが、下北に着いたときには午前零時前でした。とくに最後の三時間は数センチずつしか動かない硬直っぷり。運転手さんが次のバス停では乗り換えできるから、というアナウンスをしてくれてから、どのくらい待っていたでしょうか。lete店主の伸太郎さんと田代君に電話して「九時には着けると思う」と言ったのが九時半に、十時になり、十時半になり...一日移動に費やしただけの一日、ほとほと疲れ果てました。

 とはいえ結果として、ぼくが昨日来てくださった皆さんの時間泥棒になってしまったことは否定しようがありません。あのとき厚木で−ひとつまえのバス停で−降りていたらスタートに間に合ったかもしれないと思うと、自分の情報収集力のなさと判断の鈍さに舌打ちしたくなります。たぶん今夜には伸太郎さんを通じてぼくからの謝罪のメールが届く筈です。時間は戻らないけれど、連休最後の夜を埋め合わせるものは持っていないけれど、せめてぼくの時間を費やしたもので、償います。

 ライブをキャンセルしてしまったのは、いったい何年ぶりだろうかと思い出してみるのですが、どうも記憶がはっきりしません。わりとめちゃくちゃと言っていい程にタイトなスケジュールであちこち飛び回っていますが、これまでお客さんに(すくなくとも到着時間のことで)これほどの迷惑をかけたことはなかったように思います。飛行機で東京→福岡のダブルヘッダーもやりました。leteでは何度か同じように交通事情で遅れたことはありましたが、それでもこんなふうに話にもならない事態には陥りませんでした。雪は見慣れているし、普段は歩いてどこへでも行くし、簡単に言えば油断していたということに尽きるでしょう。東京の高速道路が雪でどうなるのか、雪の渋滞がどんなに酷い有様になるか(事故処理車がひっきりなしに行き交っていました)、天気は誰のせいにもできず、だからこそ自分で気をつけるしかないのだということ...とにかくあまりに多くを思い知らされた十三時間でした。まだしょんぼりしていますが、そんななかでも、来月のオルグも東北も気をつけなくてはということは思っています。

 次回のleteは今回の雪辱を期してロングセットでのぞみたいです。聴かせたい新曲もたくさんあったのです。まだ日程は決まっていませんが、追ってお知らせしますね。
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2013年01月03日

エルダー・ヴィレにて

 母方の祖母が、氷見市の余川というところにあるケアハウスに入っている。せっかく帰省したということで、会いに連れて行ってもらった(ぼくは車の運転ができない。車がないとほとんど生きていけないのは、ほとんどの地方都市の例にもれず...)。

 一行は両親と、従妹、そしてぼく。けっこうな山あいの道を十分ほど上った末に到着した、エルダー・ヴィレという看板の出ている施設。
 祖母は食堂にいた。車いすに乗り、他の入居者たちと円を作るようにして集まっていた。あとで分かったのだが、リハビリ的な「遊び」を行うために集合していたようだ。毎週ここに通って来ている母(祖母には二女にあたる)が声をかけると、それまで虚ろだった表情がにわかに笑顔になった。車いすを押して、談話室へ移動する。ソファに座った娘と婿と孫二人の顔をかわるがわる見て、にこにこ笑っている。
 記憶が日々おぼろげになりつつある彼女は、ぼくのことを思い出せない。誰やったかねえ、どこのうちやったかねえ、と自分の娘に向かって尋ねる。つまり誰かわからない人の母親に身元を確認しているのだ。答えられて、いったんは思い出すものの、三分後にはまた尋ねることになる。ずっと一緒に暮らしていた従妹のことはよく覚えていて(たくさん居る孫のなかで、いちばん年下、唯一の女の子だった郁ちゃんを、祖母はとても可愛がっていたのだ)、保育園で働いている彼女に向かって、大変やけど何でも頑張られ、と諭す。父に向っては、遠いところようこそ、会えてうれしいです、ありがとう、を何度も何度も繰り返した。そういえば、祖母はことあるごとにぼくに向かって、あんたのお父さんは親切でいい人やから大切にしられ、と言っていたっけ。

 二十分ほどの面会時間に、彼女は何度おなじことばを使っただろうか。数種類の定型文をリフレインさせ、そのあいだにいくつかのアドリブが混じる。ほとんど閉じかけた眼をぱちぱちさせ、歳をとるとみっともなくてねえなど愚痴めいたことを言いながら、その次の瞬間にはありがとう、ありがとうと言いながら笑う、そんな会話のリズム。
 こころは持続していて、ことばは、その持続のなかから毎回あらたに湧いてくるのだろう。だから何度も、同じことばが飛び出してくるのだ。そして、こころは、ずっと続いている。裕福な旧家に生まれて、クリーニング屋に嫁ぎ、タバコ屋にも手を出し、働いて働いて四人の子供を全員大学へ進学させ、そのうち娘三人を嫁がせ、先祖供養を大切にし、歳をとってからも友達づきあい(近所づきあいではない)を欠かさず、掃除が苦手で、小学生の孫に向かって「あんたはいい人やねえ」とか「世のため人のために生きなさいよ」などと言い、大きくなった孫の結婚式では「こんなおばあさんが式場に居たら、華やかな会場がみっともなくなる」とロビーで待っている、そんな彼女のこころは、たとえ表面の感受性がすり減ってしまっても、ことばを生み出す土壌が削られてしまっても、きっとその奥深くでずっと流れ続け、いまも堆積し続けているはずだ。

 ぼくは普段から、ことばを信じすぎている。いや、もしかするとその逆、信じなさすぎている。ことばはこころの過不足ない乗り物ではないし、こころを込めればことばが通じるというのも間違いだ。話せば話すほど遠ざかることもある。伝えたかったことばの真意が「いま」は空回りしても、何十年もたった後にようやく届くことだってある。(繰り返すが)こころは日々移り変わりながらも途切れることのないひとつの持続で、ことばはいつもそこからやって来て、別のこころの持続に着地しようとしては、空中で燃え尽きてしまったり、目測を誤って不時着したり、している。
 ケアハウスで暮らす祖母にはもう、おそらく数百種類(もしかすると数十種類)のことばしか残っていないのかもしれない。けれど、だからこそ彼女の試みる発語のなかには、最後に残ったことばの後ろにあるこころが浮かび上がってくるような、不思議な空気の流れがあった。

 従妹が午後四時すぎの特急で大阪へもどらなくてはいけないという。そろそろお暇しましょうかと立ちあがりかけた一行に向かってまたひととおり、会えてうれしい、と笑いかけたあとで、祖母は母に尋ねた。このひと、誰やったかねえ。母がぼくの名を告げる。祖母は、ああ、とうなずいて、また母に言う。

 そろそろこのひとも就職せんとねえ。

 ほら、ことばは、いつだって爆弾なのだ。彼女は笑っていた。

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2012年11月09日

歌のはなし(経過報告)

 フロムの『愛するということ』という本を、何年ぶりかで読みかえしている。
 内容について詳しく書くのはやめておくけれど、むかしは腑に落ちなかったことが、いまはなんとなく伝わってくるようになった。愛とは技術である、という命題は、失敗を経ないと分からないことだったんだろう。

 実際、そんなふうに思っていなかったことが、実は「技術」だったりすることがよくある。いや、技術というよりは作法とか、呼吸とか言ったほうがいいか。

 ボロフェスタで久しぶりに会った、ロボピッチャーの加藤さんに「おまえ、歌うまなったな!」と誉めてもらった。言われた当人は「?」という感じで、ありがとうございます!と笑いつつ、そうかなあと思っている。こないだも、ライブ音源を聴きながら、なんにも上手くなってねえやと苦笑いしたところなのに!

 けれど、ちょっと考えてみた。

 中学生くらいまで、歌うことは大好きだった。音楽の授業でも、合唱コンクールでも、カラオケでも、とにかく歌うべきメロディを与えられることが嬉しくてたまらなかった。今思うと、どうしてあんなに易々と朗々と声を紡いでいられたのか、不思議でしかたがない。
 やがて、ひとりで曲を書き、人前で歌う、ということを始めると、事情はがらりと変わる。歌うことは一転して「重力」になった。歌には全然近づくことができず、正体も見えず、そのくせやたらとぼくを拘束した。思うようにいかない、重いからだと心を引きずるようにして、あきらめずに歌い続けたその理由は、ぼくにも分からない。いわゆる「歌姫ブーム」がライブハウスにも及び、また街ではいまよりずっとたくさんのストリートミュージシャンがあちこちで喉を披露していた時代、軽々と誇らしげに歌いあげる彼らを見ながら、自分の貧乏くさい頼りない歌唱について恥じることがなかったのは、なぜなんだろう。

 今、あの頃と比べても、たいして歌とぼくの距離は縮まってない。相変わらず歌は自由にならず、気ままで、すぐにそっぽを向いてどこかへいってしまう。でも、それはもうただの重力ではない。ときどき歌がこちら側まで手を差し伸べてくれる、そして歌のほうからふとその重みを解除してくれる―そんなときが、しばしばある気がする。
 「歌」そのものに意志があり、主体性があり、こちらを見ていたり、許したり、許さなかったりする、ということ。これもやっぱり、歌に苦しんだから、うまくいかない時期を経たから、知ることができたんだと思う。これもまたある主の姿勢というか、作法というか、技術だと言えないだろうか。
 そういえばフロムは、こうも言っていた。愛の問題は、愛されることの問題ではなくて、愛することの問題である、と。これは歌でいうと、逆だろう。究極的には、曲を歌おうとしても無駄だ。最高の瞬間においては、曲がぼくを歌っているとも言っていい。ただし、なんにもしないで「歌ってもらえる」ということはなくて、すくなくとも凡人のぼくは10年かそこら、どうやったら歌ってもらえるか、歌になれるか、そのことばっかりを考えて、試行錯誤してきたのだとも言える。「歌の問題は、歌うことの問題ではなくて、歌われることの問題なのである」―偉そうに書くと、こんな感じか。堅苦しすぎてよく分かんないな。


 気管支炎をこじらせてしまって、昨夜のleteは終始ガラガラ声で2時間ちょっとを通した。それでも歌は、苦い顔をしながらも、ときどきいい瞬間を与えてくれた。あの時間が「もった」のも、ひとえにお客さん、田代くん、lete、そして歌、歌が力を貸してくれたおかげだと思う(それから、詩を朗読させてもらったブローティガンとラングストン・ヒューズと不可思議/wonderboyにも、感謝)。
 '06年に『sang』を買って以来はじめてライブに来た、という方がご夫妻でいらっしゃっていた。とうめいロボのちひろさんにも会えた。どんなに集客が少ないときもleteにはかならず観に来てくださる何人かの心強いお客さん達、帰り際に『あかるい部屋』を聴くたびに泣いてしまうと話してくださった女性、みんなとてもありがたい。のど飴もいっぱいいただいてしまった。どれもこれも、すべて「歌」がなければ存在しなかった縁だ。ずっとうまく歌えなかったこと、誰も聴いてくれなかったこと、そういう無数の恥ずかしい経歴を経て、やっといまかろうじて「歌うたい」で居られる、ということをとても幸運に思う。


 それにしても、書けば書くほど、愛することと歌うことは似ているんだなあと気付かされる。そして、どちらもまだまだ道は遠いのだ...あとどのくらい失敗しなくてはならないのか、それを考えるとちょっと恐ろしくもある。でも、まずはズルしたり怠けたり嘘ついたり人のせいにしたりするの、いい加減にやめなきゃなあ。
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2012年11月01日

ボロフェスタ2012

 ボロフェスタが終わってから、ずっと体調を崩している。熱がなかなか下がらず、せきが止まらず、すぐに疲れて眠くなる。
 昨日JJに電話でそのことを話すと「精密検査行ったほうがいいんじゃない?...でも、お前そんなに頑張ってたっけ?」と、半ば本気で半ば冗談めいたコメントが。
 いや、その通り、なんにもしてないんだ。だから余計に、困ってるんだよ。

 実際、今年はブッキングも、スケジューリングも、あらゆるセクションのプロデュース、あらゆる局面のディレクション、すべてがみんなの手で、ぼくがやるよりもずっと手際よく、進められていた。ぼくはといえば、あれができてない、これはこうしろ、おまえ何やってんねん、など、ずっと叱られっぱなしだった。仕込み作業中に夜食のドーナツを買ってきたことくらいがぼくの手柄だが、それだってクレハに(買うと決めていたのに)「まだ買ってきてへんのか!」と怒られて飛んで行ったわけで・・・・
 それなのに、仕込みと設営期間中の睡眠時間は3時間を切っていた。本番が始まるころには体力はほとんど残っていなかったように思う。初日起きた運営上のトラブルのいくつかは、疲れすぎて判断力を失ったぼくミスに起因する。みんなごめん。ぼくは一体何をしてたんだろう?
 
 そんなぼくの無能にもかかわらず、と言いたい。11年目のボロフェスタは、過去最高の完成度だった。
 2006年のボロフェスタが終わった後に、ぼくはこんなブログを書いている。
 http://blogs.dion.ne.jp/youcan/archives/2006-1013.html

 実際この年は悲惨だった。我ながらすごいフェスだったことは痛いほど分かったし、お客さんが楽しんでくれていることも見えていた。けれどそれはまったくお客さんの力だったわけで、スタッフはあちこちで泣いていて、ぼくは何が何だかわからないまま、今年と同じように設営で力を使い果たし、ボロボロになって右往左往していただけだ。
 ただ、あの時あの場所でふと感じた時間のゆがみ、音楽フェス自体がふわりと舞いあがり、勝手に飛んでゆくような感覚、いま思い返しても「あれ」としか名づけようない空気―ぼくが07年以降もボロフェスタを続けている理由の大本は、この「あれ」が忘れられないからだ、という気がしている(そのほかにも理由はあるのだが、自分でも複雑すぎてうまく説明できないので、あえてこれを大本だという「気がしている」と書く)。

 そして、今年、「あれ」が戻って来た。いや、戻って来たというには、それはあの時ほど凶暴ではなかったし、スタッフはみな充実した顔をしていたし、「あれ」とはまた別の「あれ」だったかもしれない(そうであってよかったと思っている)。

 ぼくの言っていることは、なんだか抽象的すぎて伝わらないだろうか。でも、今年のボロフェスタに来てくれたひと、一緒にがんばったスタッフは、この感覚、なんとなく共有してくれるんじゃないだろうか。JJが言う「非日常」、クレハの言う「巨大なグルーヴ」、2006年にぼくが書いている「夢のような時間」、それに近い「あれ」だ。
 繰り返して言うけれど「あれ」を呼んできたのは、もちろんぼくではないし、そのほかの特定の「誰か」でもない。参加一年目にして会場のデコレーションをデザインした彼女たち、日ごとに左京区の工場跡や休業中のnanoにあつまって看板を描き倒しPOPを切り出しつづけた彼や彼女、仕事を休みバイトをサボり、東京から駆けつけ、戦場のような現場を見事に仕切ったベテラン勢、そして自分でも呆れるほどに過酷な会議ラッシュに耐えて様々なプランを練り上げたみんな(かろうじて、この端っこにはぼくも加えさせてもらっていいかな…と思っている。が、会議の雰囲気を過酷にした戦犯はやっぱりぼくだったりもして、だから結局は功罪相半ばで何にもしてないことになる、など…以上は余談)、そして出演してくれたミュージシャン、照明と音響、KBSホール(管理人の山本さんは神さま!)、それらすべての要素の力が掛け合わさってお客さんに届き、お客さんがまたそれをフィードバックさせる…そういう反響のなかで「あれ」が目覚めたのだ。つまるところ、祝祭は「全員」が揃わないと始まらず(この単純な条件がめちゃくちゃに難しいのだが)、今年のボロフェスタはありがたいことに、ついに「全員」がそろった、ということだろう。

 しかし、それにしても11年目にして一番かというほどにたくさん叱られ、駄目を出され、あまつさえ初日の夜(というか明け方)に倒れ、最終日には本人抜きでイベントが進行するも運営には一切支障をきたさない、というのは、なんという主催メンバーだろうか。そのくせ終わった後も体調を崩しなかなか社会復帰できずにいるとなれば(さすがに今日から11月、なんとか完治させなくてはと思い、予定を全部キャンセルして日がな一日ひたすら眠り続けた。だいぶ良くなったので、忘れないうちにと思いこの記事を書いている)、自嘲癖を抜きにしても、笑わずにはいられない。これで出演当日ちゃんとライブが出来てなかったら、いまではお日さまの下を歩けないくらいだっただろうな...。


 さて、また薬が効いて、眠くなってきた。最後に一つ、今年一番うれしかったことを書いて、終わろうか。
 ライブ中のMCで、ぼくはこう言った―ボロフェスタはデコレーションも、設営も、運営も、音響と照明以外はすべて自分たちでやっています。ボランティアです。もしみなさんが、このイベントを楽しいな、いいイベントだな、と思ってくださるなら、どうか、いま、(ゆーきゃんでなく)ぼくたちスタッフに拍手をください。
 この時の拍手は、文字通り、鳴りやまなかったんだ。
 ぼくが合図替わりに叩き始めた手を止め、ゆっくりと水を飲み、チューニングをして、次の曲の最初のコードを確かめているその間にも、拍手は続いていた。ぼくは、たったいま、この瞬間にホールの中に居ない、ロビーでクロークを預かっているはずの彼女にも、受付で定時のチェックをしているはずの彼にも、お客さんにTシャツを売っている、生ビールを注いでいる、立ち入り禁止のパネルを持って座っている彼や彼女にも、この拍手が聞こえていればいいのにな、と思った。
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2012年06月04日

どうなりたいか

 いまはずいぶん減ったが、駆け出しのころ(?いまだにちゃんと駆けられてないけれど)には「おまえは、どうなりたいねん」みたいな話をよくされた。

 有名になりたいのかそうじゃないのか、モテたいのかそうじゃないのか、音楽で食いたいのかそうじゃないのか、とか、そういうことを全部ひっくるめての苦言というか小言というか、とにかくヒトコト言ってやらんと!という気持ちが相手にそんな物言いをさせたのだろう。とくに2000年代の初頭、先輩のたちのバンドは次々とCDのリリースを決め、メジャーデビューまで果たすひとたちもたくさんいた。野心もあり、実力もあり、レーベルや事務所のスタッフの力添えもあって世に打って出る準備を着々と整えつつあった彼らにしてみれば、ぼくのやっていることからはもどかしさしか感じられなかったのかもしれない。それにしたって、とにかくこの質問を受けるといつも閉口したものだ。「どうなりたいか」簡単に語ってしまうと、それで満足してしまうのではないかという情けない不安がちいさな理由、質問が漠然としすぎていて、これは答えを求められているのではないと思っていたのが中くらいの理由、そして一番大きな理由は、結局自分でもわかっていなかったから、だと思う。

 こんな曲を書きたい、こんな詩を書きたい、アレンジはこうして、こんなアルバムを作って、こんなイベントをやって、今年のボロフェスタはこんなふうで―ぼくの考えはずっとここで止まっていた。「やりたいこと」には、自分自身についてのビジョンや計画が入っていなかったのだ(もちろん全く、というわけではないだろうが)。地図や設計図を描く才能をほとんど持ち合わせていなかったのろう。あるいは無策が美徳だと思っていたのかもしれない。


 そんなぼくが昨日メトロで、音楽プロデューサー/エージェントの永田純さんとお話ししていて気付いたのは、何事にも「こうなりたい」はあるけれど、それは思っていたような「手順」ではなくて、たとえば出掛ける前に忘れ物がないか?というような、チェックリストで見えてくるものだった、ということだ。
 永田さんの本は『次世代ミュージシャンのためのセルフマネージメント・バイブル』という。なんだかあけすけなタイトルだが、実際ページを開いてゆくと、参考になることがたくさん書かれている。それは音楽を続けてゆくため、自分の音楽を他者にとっても価値あるものにしてゆくために、できるだけ負担やストレスを減らしてゆくことを目指したいくつものノウハウだ。そしてそのノウハウは、頭のなかを整理するだけで案外簡単に見えてくる。昨日のお話のなかで、改めて教えていただいた。


 さっき、無策が美徳だと思っていた、と書いた。もちろんいまはそんなこと思ってもいない。本当にそうだったかもわからない。無策だった自分を昔に戻って説教したいくらい。
 でも、やはりときどきは思う。できるだけノーガードで、すっと歩いてゆくこと(もちろん歩けないことも)は、怖いけれど、けっこう楽しいのだ。感性と、直観と、あとは真心と、そうだ、歌。そのくらいしか誇るものがなくて、それでも聴いてくれるひとがいて、たすけてくれるひとがいて、そして歌わせてくれる場所がある、というのは、もう奇跡としか言いようのないくらいのありがたいことだ。
 ただ、だからこそ、あれこれ無用なものを抱え込んで、できないことまでやろうとして、いらないものを望んで、それで倒れそうになるのは、本末転倒だというのことも、最近はとみに感じている。永田さんが示してくださったのは、どんなレヴェルの、どんな目標を持つアーティストにも(もっと言えば、たとえば蕎麦屋をやりたいひとにも!)参考になる「自分でできること、ひとに任せること、そして(これはぼくの勝手な解釈だが)あきらめること」のリストの作り方だった。無策なら無策なりに、ノーガードで歩くならノーガードなりに、歩きやすい装備でゆくほうがいいなあと、あらためて(というか、やっと)思った次第。

 まあ、こんな風に書いたからといって、表だって変わることはそんなにないけれど―とりあえず名詞は作ったほうがいいかな、とか、まずはそのくらいから始めてみるつもり。それにしても、いままでずっとDIYの塊みたいなフェスに関わってきて、自分のことにはなんにも頓着しなかったなあと、いまさらながら我ながら、呆れている。はたして、どうなりたかったんやろか。



 それとこれと関係あるようなないような、フェイスブックのページを作ってみました。ブログは書くのに覚悟が要り、ホームページは更新するのにも時間がかかるので、こまかな情報はこちらでチェックしてください。ちなみに2012年に限ってもこの先まだまだ、アルバムのリリースとかワンマンとか、お知らせすることがたくさんあります。多難でも、前途があるのは素晴らしいことだと、最近よく考えるのでした。

http://www.facebook.com/pages/%E3%82%86%E3%83%BC%E3%81%8D%E3%82%83%E3%82%93/308845545865178
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2012年01月07日

三が日

 今年最初の朝は、意外なほどに暖かでした。オールナイト明けで行った平安神宮に溢れる人の多さにびっくりして、遠くから拝むだけにして早々に神社を後にして、京都駅へ向かいました。
 サンダーバード号の中では泥のように眠りこけて、富山に着いたときには日が暮れていました。その二週間前、青森で見たほどではありませんでしたが、それでもあちこちに積もった雪を見て、はじめて正月だったことを思い出したのでした。
 元旦の夜、そして二日と、実家にはほんの短い間しか滞在しませんでしたが、兄夫婦や姪と甥と一緒に晩ご飯を食べたり、母方の祖母と叔母に年賀へ行ったり、墓参りをしたり、お正月に最低限必要なことは済ませたつもりです。

 祖母は氷見という港町に住んでいます(藤子不二雄先生の出身地、といえば分かるでしょうか)。普段はケアハウスにお世話になっているのですが、年末年始の間、近くの叔母の家へ戻ってきていました。彼女は、ぼくが物心ついたときからずっと「おかげさまで、と思いなさい。ご先祖を大事にしなさい、ありがとう、を忘れてはいけない」ということを繰り返し話してくれたひとで、いまではすっかり耳も遠くなり、わたし、あたまがおかしくなってねえ・・・と恥ずかしそうに小声で話し、あ、このひと、次男坊やったよねえ、とだけ言ったあとで、久しぶりに会ったぼくを思い出すまで一時間ほどかかったのですが、それでも帰り際にぎゅっと手を握ってくれて、あんたはいい人やから、余計に心配や、愉快に過ごしなさい、友だちを大事にしなさい、神さま仏さまを拝みなさい、頼らぬ衆生は救いがたし、よ、と、いつものばあちゃんの、あの泣きそうな笑顔を見せてくれて、すっかり背も曲がって小さく小さくなった姿を置いて父の車に乗る、それだけで涙があふれてきたのは、どうしてなのでしょう。

 姪は今年で小学校を卒業、甥は幼稚園を卒業、どちらも、兄(パパ)と叔父(つまり、ぼくです)と同じ幼稚園で小学校で中学校に通います。姪と甥の仲の良さは、兄夫婦に言わせるとしょっちゅう喧嘩しながら、アニメとゲームのことになると意気投合するとのことで、ふたりを見ていると、性別こそ違え、ぼくも幼稚園の時分には小学生の兄によく遊んでもらったなあと、フラッシュバックする光景がたくさんありました。家に置きっぱなしの、調律もすっかりされていないピアノで姪が弾いてくれた「エリーゼのために」。甥が覚えたてのトランプをせがむので、パパと叔父と甥の三人でババ抜きを三回戦ほどやり、ぼくが見事に二敗しました。こんど帰るときには、彼女と彼はどんなふうになっているでしょうか。こどもはちょっと見ないうちにすぐ大きくなるので、油断がならないのです。

 三日は、始発のサンダーバード号で京都に戻り、仕事に少しだけ手を付けて、何故か観光に来ていた森ゆにさんと、キツネの嫁入り夫婦との四人で伏見稲荷に行きました。南座の前で待ち合わせたのですが、三が日の祇園は、さすがに猛烈な混み様なのですね。おなじく、伏見稲荷の駅を降りてから千本鳥居をくぐって奥宮へ上がるまで、あまりにも行列が続くので、こんなにたくさんの人が一度に願い事を言っても、叶える神様の耳も手も足りないんじゃないか、と心配になるほど。そういえば、いざお賽銭を投げ入れ、鐘を鳴らし、柏手をうったところで、はて何を願おうかと真っ白になり、とりあえず今年もがんばります、ご照覧あれとだけ呟いて帰ってきたのでした。


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2011年12月14日

記憶

■2011年12月2日 渋谷UPLINK FACTORY
ゆーきゃん×エマーソン北村×田代貴之×足田メロウ

1.ファンファーレ
2.地図の上の春
3.smalltown,smalldawn
4.最後の朝顔
5.空に沈む
6.明けない夜
7.エンディングテーマ
8.太陽
9.サイダー

anc.天使のオード


■2011年12月4日 京都 KBSホール
ゆーきゃん×エマーソン北村×田代貴之

1.ファンファーレ
2.smalltown,smalldawn
3.明けない夜
4.エンディングテーマ
5.太陽
6.サイダー


はじまりが、ある。
おそらく始まりの数だけ、終わるものごとがあるのでしょう。
始まりや終わりを乗り越えて、なお続いててゆくものもありますが、
始まりに比べ、続きに比べて、ものの価値をいちばん痛切に教えてくれるのが、終わりだということは、おそらく疑いようがありません。

明日もこの歌がうたえるのか、
この場所が残り続けるのか、
このことばにはまだ信じ続ける価値があるのか、、
守りたいとか、大事にしたいとか思ってみても、
結局、目の当たりにするのはいつだってそれがなくなってしまってから。

後悔しないように全力で生きる、なんて口にするのは簡単ですが。
結局のところは足場の悪い、雨に滑る斜面を一歩一歩のぼってゆくようなものなのかもしれません。
あっけなく転がり落ち、また一からやりなおし。
かりに上手く登りきったって、坂の上には何にもないかもしれず、
その先の坂道が続いていたりする、なんてことだってあるでしょうに。

でも、なんにもなくなった夜にも、
まだなにも始まっていない朝にも、
生きている限りは、一歩の歩幅が、あるのだということを、
忘れないように。
忘れないように、したいです。いつも。

(こんなふうに書くと、ごくあたりまえのことなんですが、ぼくはすぐ忘れてしまうので。
陳腐な文章だと笑わば笑え。)


東京レコ発、みやこ音楽祭、
お世話になったみなさん本当にありがとうございました。
人生、借りっぱなしだなあ。一個一個かえしてゆかなくては。
posted by youcan at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

記録

■2011年11月29日 club METRO
ゆーきゃん

1.空に沈む
2.最後の朝顔
3.エンディングテーマ
4.サイダー

 「感染ライブ」は、とても可能性のあるイベントだ。若さと熱狂。目を凝らして面白いことを探し、フラストレーションを火にくべて、喜びに変える、魔法。酔っぱらって、めちゃくちゃに飛び跳ねて、汗をかいて、笑って、月曜日を乗り越えるのだ。
 突出した主催者はいない。実行委員、というほどでもない、なんとなくのゆるやかな共同体のなかで、なにかが始まっている。うごめいているのはRAW LIFEやDO ITの遺伝子かもしれない。980円、ノードリンク、芽生えを目撃するためにはそれだけあればいい。たった50人の間に生まれ得る地下世界の祝祭。

 今回は、さらに「感染ライブラリー」という試みがあった、みんなでCDや本(Tシャツまで!)を持ち寄って、互いに無料で貸し出し合う、文字通りみんなで作る図書館だ。ぼくも何枚かCDを持っていった。ラブクライのライブBOX、ラリーパパ&カーネギーママのシングル、POET PORTRAITSのコンピレーション、パンクバンドがたくさん出演するイベントにはちょっとふさわしくないかもな、と思ったけれど、ちゃんと誰かが借りてくれた。

 演奏はメトロのバーカウンターに腰掛けて。通いなれた場所の、いつもとちょっと違う眺めというものは、なんて楽しいんだろう。
 



posted by youcan at 03:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月23日

記録

■2011年11月19日(土)木屋町UrBANGUILD
ゆーきゃん×エマーソン北村×田代貴之×足田メロウ

1.ファンファーレ#0
2.地図の上の春
3.smalltown,smalldawn
4.最後の朝顔
5.空に沈む
6.明けない夜
7.風
8.天使のオード
9エンディングテーマ
10.太陽
11.サイダー

enc.
マリー
千のバイオリン


 来てくださったかた、ハセケン、UrBANGUILDのみなさん、ありがとうございました。

 ぼくは気分屋で、自分をコントロールする技術にも乏しく、次もあんなライブができるかと尋ねられても、胸を張って、任せてください、などと言うことはできません。
 だからこそ、あの日、アバンギルドで流れていた時間を共有できたことを、心から嬉しく思います。
 良い夜でしたね。
 エマーソンさんは、ステージではめったに弾かないという、ピアノも披露してくださいました。ステージでもお話しましたが、ハセケンの「423」は、ぼくの京都での生活、そして音楽活動においても、大きな出会いをもたらしてくれた曲です。聴けて嬉しかった。いや、嬉しかったと言うなら、あの夜にあった出来事のすべてが、そうです。いつもあのくらいおおらかな気持ちで暮らして、歌ってゆけたらいいのにな。

 さて、『ロータリー・ソングズ』レコ発シリーズ、つぎは東京、12月2日、渋谷UPLINK FACTORYです。普段は映画がメインのあの場所で、メロウくんの絵がどれだけきれいに出るのか、とても楽しみですね。
 
posted by youcan at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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