福島にあるスタジオ、ダンロジャースでレコーディング。昔からの友人たちではじめた「あくび」というバンドのデモを録る。
前日は遅くまでボロフェスタの会議、そのあと若者たちとちょっと話をして結局明け方近くになってしまったので、寝不足のままJRに飛び乗り、補助いすに腰掛けてギターケースに寄りかかってうつらうつらしているうちに大阪に到着。遅刻気味なのであわてて環状線のホームに走る。なんとか一時前にはスタジオに着いた。
スタジオオーナーの西野さん、エンジニア長井さん、ともにずいぶん昔から人づてにお名前を伺ってはいたけれど、実際にお会いするのは初めて。気さくで陽気なお二人だった。
真っ白なレコーディングルームは、天井が高く、音のひとつひとつ…たとえばシールドを引きずる音や、チューニングキーを回す音までがそのまま鳴っているようなクリアな音響。でもぼくはこの部屋では録れなかった。ここはドラムとギター、ベースの場所だったのだ(正確に言うと、ギターアンプとベースアンプはそれぞれ隣り合ったアンプブースに置かれ、その中で録音される。でも、顔を合わせて演奏する方が何かと良いからだろう、扉を隔てて、プレイヤーだけがレコーディングルームに入り、演奏するというわけ)。
MIDIで音づくりをしたキーボードは実音を鳴らすことなくミキサーに入力できるので、PAのミキシングルームの机で演奏。ぼくはそれら二つの部屋に繋がる、玄関のような小部屋で歌を入れた。
今回は、こんな手順で進めた。
まず全員で演奏をする。ただし、このときボーカルは仮歌。何テイクか録り、各人が気になった演奏個所を直し、その後に歌入れ。
みんな多忙すぎて顔を合わせるのが二月振り、プリプロらしいプリプロもしないまま臨んだわりには、わりと行き詰まることなく録れたように思う(デモのクオリティとしては、まあ及第点だろう)。それでも、二曲を録り終えた時点で時刻は六時半を過ぎてしまった。目標は三曲だったので、もう一曲録るか、二曲をミックスしてもらうか・・ちょっと迷ったが、二曲を仕上げてしまう方に決めた。ミックスはほぼ長井さんにお任せだ。
出来あがるまで、5人でスーパーに買出しに行ったり、併設された休憩室でテレビを見たりして待つ。CMに入れ替わり立ち替わり現れる芸能人を指してのとりとめない会話。この感覚はなんだか懐かしい。そういえばこんなふうに時間が流れてゆくのを、ぼくはここ最近忘れていたように思う。まあそんな中でもメールや電話は引っ切り無しだったし、ノートパソコンを広げて、梱包材のプチプチをひとつひとつ潰すように仕事をしたのはいつも通りだったのだけれど。
一曲目の仕上がりが午後九時半。二曲目が出来たのは午前零時。京都へ戻る最終のJRは零時二十五分大阪駅発。ひとりだけ大阪に住む岡村ちゃんを残すことになるけれど、あとの京都組四人でタクシーに飛び乗れば、まだ間に合うかもしれない。彼女に後を託してスタジオを飛び出る。が、車はおろか、人通りもまったくない。あとで思えば、タクシーなんてあらかじめ呼んでおけばよかったのだが!
すごすごとミキシングルームに戻る四人。長井さんが岩橋に「ビール買ってきて」とお金を渡してくださった。とたんに皆の元気が少し戻る。
スーパードライとコーラで乾杯したあと、マスターのデータをDVDに書きだしたり、持ってきたCD-Rでサンプル盤を焼いたり、仕上がった音源を何度も聴き返してああだこうだ言いあったり、長井さんからいろいろ面白いお話を聴かせていただいたり…三時前まではなんとか時間を潰したが、さすがに限界が来た。みんな翌日の仕事もあるので、やっぱり帰ろうという話になり、ぼくは生まれて初めてタクシーでの越境を経験することに。
大阪のMKタクシーは、初乗り運賃が五百円だった。高速に乗り、メーターが五千円を超えた瞬間、上昇額が五十円から二十円になったのを見た。運転手さんはサンタナが大好きでライブに四回ほど行ったことのあるひとだった。昨日は和歌山へお客さんを届け、今日は丹波からの帰り、名古屋まで載せてゆくこともざらにあるらしい。片道二時間半のタクシー移動なんて想像するだけでも運賃が怖いが、その倍の時間をかけて大阪へ戻ってくる運転手さんのことを考えるとなお感心する。
ともあれ、真夜中にひとり二千円余りで大阪から京都へ戻って来れたということに驚いた帰り道も含めて、いろんな経験をした一日だった。
でも、さすがに連日の寝不足がこたえはじめている今日…
posted by youcan at 16:28|
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