2011年07月05日

記録

7月2日 SOLE CAFE
ゆーきゃん

1.風
2.smalltown,smalldawn
3.天使のオード
4.サイダー
5.最後の朝顔
6.好きにならずにいられない

 カフェ仕様のノスタル人は夏の昼下がりの空気によく馴染んでいた。そして四年前の共演では互いにバンドだったウリョン、ギターを抱えて思うがままに歌う姿は素晴らしかった。

 開演は午後二時、午後四時半に終演、そしてすぐSOLE CAFEを出て、タクシーで鴨川へ向かう。出町の飛び石の脇に座りこんで、缶ビールと柿の種で打ち上げる。みんな気のいい奴ら、マジックアワーを通り越して日付が変わる頃まで、入れ替わり立ち替わりしながら延々とおしゃべり。なんて素敵な時間だったろう。
 それにしても、鴨川であんなにゆっくりとしたのは、いったい何年ぶりだったろうか。(当たり前のことだけど)ぼくがこの街にやってきて、いちど居なくなって、また戻ってきて、そのあいだもずっとこの川は流れ続けていて、誰かが(ときにぼくがそうしたように)こうやって過ごしてきたのだ。いや(これもまた当たり前だが)、ぼくが生まれる何百年も前から、水は絶え間なく山からやってきて、ときには想像を超えるような誰かの暮らしを反映しながら、海へ向かっていた。自転車で毎日のように橋を渡り、川沿いの並木道を走りながら、ぼくはそこに川があるということも、川のそばに憩うことも、忘れていた気がする。たった7時間のささやかすぎる野の宴が、過去へも、未来へも、いろんなことを思わせてくれた。ありがとう、ウリョン、いや、たすく君。また飲みましょうね。こんどはぼくに多めにビールを買わせてください。
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2011年06月23日

記録

6月17日(金)札幌 SOUND CRUE
ゆーきゃん

1. マリー
2. small town,small dawn
3. 明けない夜
4. 風
5. サイダー
6. 好きにならずにいられない


6月18日(土)札幌 SOUND CRUE
ゆーきゃん

1. 空に沈む
2. 天使のオード
3. MY DISCO
4. 最後の朝顔
5. エンディングテーマ
6. 世界の終わり


6月19日(日)京都木屋町 UrBANGUILD
ゆーきゃん

1. 天使のオード
2. 明けない夜
3. 最後の朝顔
4. サイダー
5. 好きにならずにいられない


 とにかく、荷物が多すぎた。なにしろ、空港の荷物預かりでかばんとギターケースの重さを計ってもらったところ、20キロもあったのだから。ハードケースとマイクとノートPCとCDと・・・今回は着替えもずいぶんと減らした(東京でも札幌でもこまめに洗濯したなあ)し、かさばる物なんてそんなになかったつもりだったのだが。札幌から新千歳空港まで、神戸空港から京都まで、自分の全体重の三分の一をゆうに越えるおもりを持ち運び、そのおかげで飛行機以外の移動中にものすごく体力を消費した気がする。宮崎駿のアニメみたいに、ズタ袋みたいな帆布のショルダーバッグ一個で世界中を旅できるようになりたいものだ。

 それにしても、札幌はいいところだったよ。道路の幅は悠然としていたし、頭上には梅雨とは無縁の六月の青空が広がっていた。ホテルを出て(安さで選んだのだけれど、歴史のある古びたいいホテルだった)すぐに見えるのは、大きなデジタル時計を身につけたテレビ塔のそびえ立つ様、時間がなくて赤レンガ庁舎も時計台も行けなかったけれど、背の高い建造物が嫌みなくそこにあるためには、やっぱりこのくらい横の空間にも余裕があったほうがいいと思った。
 ライブ後に連れて行かれたのは河原だった。一日目は豊平川、二日目は創成川、その河川敷で北海道限定のサッポロビールを飲みながら、どうでもいいことも大事なことも話した。豊平川ではバーベキューにも混ぜていただいた(烏賊やほっけを焼くところが土地を感じた)。みんなギターを抱えて歌った。北海道の朝の河原でworst tasteカイタの歌が聴けるなんて!そのほか、いろんな面白いことがあり、いろんなひとにお世話になったのだけれど、とくにwasキクケンさん、Addiction森下くん、二日間遊んでくださってありがとうございました。そしてSiMONくん、呼んでくれて本当にありがとう。

 まあ、そんなわけで、一週間の旅は長いようであっという間だった。そしてなんだかんだ旅の疲れは溜まるものだ。明けて六月二十日は、夕方まで金縛りにあったみたいに眠り、メトロであった「六ヶ所村ラプソディ」の上映会を観き、帰って来てすぐにまた眠って、気がつけば朝だった。

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2011年06月16日

記録

6月15日(水)新代田FEVER
シグナレス

1.Y.S.S.O.
2.風
3.太陽の雨
4.アサガオ
5.ローカルサーファー

急遽さっちんが来れなくなったので、今回はVJなし、照明オンリーで。

 池永さんが、台風の接近を告げるニュースのサンプリングを流してスタート。モニターのバランスにはすこし苦労しながらも、なんだかめちゃくちゃに楽しくてステージ上をふらふらと。
 七人編成のoono yuukiも、四人編成のJoseph Nothing Orchestraも、三人なのか四人なのか最後まで謎なままだったParadiseも、どれもよいライブだった。Fever西村さんの飼い犬(名前を忘れてしまったので「フィーバー犬」と呼んでいる。大きくて、ひとなつっこくて、とてもかわいい)とも遊べた。ラキタにも会えた。素敵なことがたくさん起きる日は素敵だな。
 ライブ後は隣のカフェ、POPOにてFelicity/P-vine/BOUNDEE/Spinboxチームと、4か月越しのリリース祝賀会。イベント中もすでに飲んでいたけれど、アルバムをリリースするにあたっていろいろと動いてくれたスタッフたちとみんなで乾杯したビールは、ほんとうに美味しかった。結局のところはみんな音楽が好きなだけで、お金やしがらみやいろんな差し障りのあるなかで、良いと思った音楽をかたちにして、世に送り出そうとしている。いいチームにめぐり合えたことに感謝、そして心から応えたい!と思った。がんばろう。
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2011年06月14日

記録

6月9日(木)タワーレコードNU茶屋町店
JOJO広重×スハラケイゾウ×ゆーきゃん

1.空に沈む
2.ささやかないで
3.いい娘だね
4.エンディングテーマ
5.好きにならずにいられない

 「ささやかないで」は広重さんとぼくがほぼユニゾンで。「いい娘だね」ではメインボーカルを広重さんにとっていただいた。エレキギターが爆音になった瞬間、ステージ上の他の音がすべて消えてしまう。広重さんが大暴れし、スハラさんが時々ニヤリとする。
 この事態は、そうなるだろうと思っていたことなのだけれど、予想以上に面白かった。でも、お客さんはどうだったんだろう(笑)。まあ、珍しいものが観れたと思ってほしいです。


6月11日(土)名古屋 新栄Vio
シグナレス

1.さよならアメリカ、さよならニッポン
2.Y.S.S.O.
3.パレード
4.LOST
5.風
6.太陽の雨
7.アサガオ
8.ローカルサーファー


6月11日(土)名古屋 新栄DAY TRIVE
ゆーきゃん

1.空に沈む
2.天使のオード
3.エンディングテーマ
4.sang

 ダブルヘッダー。深夜のDAY TRIVEでは池永さんのソロも久しぶりに聴けて、よかった。楽屋で、いろいろな話をする。原発のこと、デモのこと、家族のこと、音楽のこと。結局午前四時半くらいまで踊り、ホテルへ戻って仮眠。六時起床でシャワーを浴び、名古屋駅へ向かった。
 バスはゆったりしたシートで、東京へ着くまでの間、ひたすら眠る。三列シートは、やっぱりよい。
 この日はclub solaninというパーティの二周年を記念。そんな大事なイベントに、いちども名古屋に来たことのないシグナレスのレコ発という冠をつけてくださったのだった。なんとも恐れ多い。主催の井上くんは、DJと二会場の仕切りを同時にこなす奮闘ぶり。頭が上がらない。ほんとうにありがとうございました。


6月12日(日)秋葉原グッドマン
ゆーきゃん×田代貴之×吉田悠樹∞VJ IRHOA

1.風
2.東京の空
3.明けない夜
4.sang
5.エンディングテーマ
6.サイダー
7.sea of love

 リハで初顔合わせの四人。吉田君とは一年ぶりかな。せーので音を出してみて、何曲か演奏したところで、田代君が笑い出す「音、ちっちゃいねー」。たしかに最近のステージで一番の弱音だった。
 この日もぼくらの前に出演していたのだけれど、シャムキャッツがここ数年でいちばん多く共演しているのは、実のところゆーきゃんなのだとか。意外な事実。
 昼間に開催されていた、航空公園でのトノフォンフェスの話を聞く。トクマルくん、大成功おめでとう。晴れてよかったねえ。


6月13日(月)吉祥寺アムリタ食堂
ゆーきゃん∞VJ IROHA

1.空に沈む
2.smalltown,smalldawn
3.明けない夜
4.ファンファーレ
5.風
6.最後の朝顔
7.東京の空
8.sang
9.好きにならずにいられない

(休憩)

10.マリー
11.地下鉄四番出口のひまわり
13.天使のオード

(原田茶飯事君に2曲歌ってもらう)

14.頼りない天使(ふたりで)
15.エンディングテーマ
16.sea of love


 いろんな人がよく言うのだが、なるほど、吉祥寺の街角にはところどころ京都と似た表情があった。道の広さだろうか、それとも建物の高さのせいかな。
 茶飯事が夕方電話をくれて、遊びに来るというので、せっかくだから歌ってよとお願いする。敷地も広い人気の飲食店での投げ銭ライブということで、ご飯を食べに来た一般のお客さんも多数居合わせるなかでのステージは、一瞬戸惑いはしたけれど、歌っているうちに自分がジュークボックスや照明や壁際の絵になった気分で、気がつけば予定よりもたくさん演奏する。
 二日間続けてのコラボレーションだったIROHAの映像も、いろんな人から「よかった」という声を聞いた。前回の京都よりもうまくはまっていたんじゃないだろうか。ライブ中のぼくには見れないので、もどかしいのだけれど。
 それにしてもアムリタ食堂のスタッフさんが、とても親切にしてくださって、帰りの電車の中で帰って申し訳ない気分になったりした。演奏後ごちそうになったタイ料理、美味しかったです。こんどは不通に食べに来ますね。
 阿佐ヶ谷で降り、一番街で飲んでいた王舟君や夏目君、見汐さんやナンシーたちと合流。ホソマリさんが日替わりでママをつとめるお店に友だちが集まって、にぎやかな夜。こういうの、いいなあ。

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2011年05月29日

雨のこと

 雨の日に、窓を開けっ放しにしておくのが好きだった。網戸越しに桟を越えて、板の間やフローリングに降り込む雨が好きだった。開けっ放しにした窓から吹き込む風が好きだった。そんな時間をひととおり楽しんだ後、床にできた水たまりをタオルで吸い取るのも好きだった。雨の日の昼間の暗さ、でもけっして闇ではない暗さが好きだった。

 はじめて京都にやってきた年の梅雨には、東山丸太町を少し上がったところにある安いワンルームマンションに住んでいた。雨が降り続いた日の晩、予定がないときは鴨川まで歩いて、普段のおだやかな表情とはがらりと姿を変える泥水の流れを観に行った。
 激しい雨の降る平日に、京都御苑の南側の門から入ってゆくと、あの幅広の砂利道上にほとんど誰もいなかったりすることがある。傘をほんのすこし下ろすだけでびしょぬれになってしまうのだけれど、その間に聞こえるのは雨が木々に大地に落下する着地音だけ。世界のすべてに細い縦糸を下ろすような画像と音の向こうには、六月の緑が雨にぬれてひときわ鮮やかさを増していた。その時間の贅沢さといったら、言い表しようがない。

 例年より十日も早く梅雨入りしたと言う今年。雨の降る日は放射線の量もあがるという話があちこちで聞こえる。どうせ濡れるのだからと、いつもはこの時期をビーチサンダル一個で済ませるのだけれど、今日は同居人が長靴を貸してくれた(伝え聞く京都市内の線量情報について、真偽はわからないけれど、用心するに越したことはない、と思った)。雨におびえなくてはならない世界は、けれど、どう考えても狂っている。雨に歌うことも、雨の中で泣くことも、しばらくはお預けにしてもいい、ただし、それらの歌詞を「昔はよかったね」と語り継ぐ材料にさせてたまるものか、そんな風に思いながら大きな傘を閉じたり開いたりする。雨が恋しい。
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2011年05月24日

記録とお知らせ

5月22日 タワーレコード京都店
ゆーきゃん×岩橋真平(スーパーノア)×G(OUTATBERO)

1. 空に沈む
2. エンディングテーマ
3. 明けない夜

 午後三時からの開演に向けて、正午前にまず岩橋と待ち合わせて、サンレイン倉庫にて練習をする。三度ほど合わせ、まあ大丈夫だろうということにして、出発。くもり空の下、タワレコまで歩いた。御池通の緑がとても美しい。五月のひかりを受けて、アスファルトと空を背に、浮き出てくるようなあの感じ。
 午後一時過ぎにタワレコへ到着。ハセケンもほどなくしてやって来た。タワレコの宮崎さんに控え室代わりのバックルーム、そしてお店の入っているOPAビル全体の従業員休憩室などを案内してもらった。折しも昼の休憩時間だったのだろう、従業員休憩室は人で溢れ返っている。ファッションビルらしい、まさに「ショップ店員さん」と言った風体の女性たちがずらっと並んでお弁当を食べたり、雑誌を読んだり、煙草を吸ったりしている様にただ圧倒されてしまった。
 リハーサルはハセケン、ぼく、そしてOUTATBEROの順。ベロは今日に向けて弱音/ローファイ・セットを用意して来てくれたそうで、Gはフロアタムを改造したカクテルドラム(スネアとバスドラムの役割を果たせる)にハイハット、ビンゴはトレードマークのフライングVではなくて、セミアコを持って来ていた。(余談だが、ベロの四人も休憩室の景色には驚愕を隠せなかったらしい。あれは、ぼくらの知らない世界だよねえ、ほんとに)
 午後三時、ほぼ定刻通りに開演。当初は宮崎さんにひとことイベントの説明をしてもらってからライブを始めようと思っていたのだけど、直前になって、まず音を鳴らして人の気を引く!という作戦に変更した。OUTATBEROの四人が椅子に腰掛けて音を出し始めると、フロア中に散り散りだったオーディエンスが続々と集まりはじめた。
 静かで緊張感あふれるベロの演奏、淡々としながらも強靭なハセケンの歌、嬉しかったのは、三組の演奏を通してお客さんが驚くほどニュートラルに聴いていてくれたことだ。演奏時間が短かったということもあるのかもしれないが、あまり一緒にやる機会のないベロとハセケン、双方のファンがそれぞれ集中して耳を澄まし、じっと演奏を見つめていた。とても素敵だった。

 ぼくらの演奏は、急遽Gにもドラムで入ってもらって三人編成で。ふたりともいい仕事っぷり。リハーサル後、緊張していたのか「ビール飲んでくる」と街に繰り出した岩橋は、観に来てくれたマドナシ(キツネの嫁入り)に「がんちゃんって、いいベーシストやってんな。ただの酔っぱらいかと思ってた」と揶揄されていた。

 MCでも話したのだけれど、CD屋さんが買う場所だけでなく、遊びにくる場所になればいいとずっと思っている。タワーレコードは試聴機も多く、POPもコメントも充実していて、居るだけで楽しくなる。そんな場所の楽しみのなかに、生演奏という項目が加わると、あの空間はますます素敵になるのだと実感した。しかも、よくある「アルバム発売後のインストアライブ」ではなくて、こんなふうにコンセプトに基づいた企画が出来たことも、なかなかに意味があったのではないだろうか。お話を持ちかけてくださった宮崎さんには本当に感謝。ありがとうございました。もちろん来てくださったみなさんも!



 (以下追記)ゆーきゃん×タワレコ京都店のキャンペーンは、六月九日までやっています。対象作品をお買い上げの方全員に、ゆーきゃんがセレクターをつとめたコンピレーションCD-Rをプレゼント。90%全国未流通のレア音源集です。
 また、タワレコでのインストアはもう一本あります。六月九日、今度はNU茶屋町店にて。こちらも入場無料ですが、上記のCD−Rと一緒に付いていてくるイベント参加券が必要になります。出演はTHEラブ人間、the NEATBEATS、奇妙礼太郎トラベルスイング楽団、LUCY & THE LIPSTIX、ゆーきゃん×JOJO広重×スハラケイゾウ。日付に負けてしまわないよう、大阪のロックな先輩方にお力添えを頼みました。詳細は下記リンクでご確認ください。

http://tower.jp/store/event/4026
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2011年05月22日

HOWDY

 メトロに、JONNYがやってきた。TEENAGE FANCLUBのNormanと、元Gorky's Zygotic MynciのEurosによるデュオだ。今回の来日公演で回る幾つかの街で、それぞれ違った日本人のサポートアクトを迎えている。京都はトクマルシューゴだった。


 オープン前にメトロの扉をあけると、トクマルくんが物販ブースのベンチで横になっていた。このひとの放つ空気は、ある瞬間にはとても大人びていて、その次の瞬間にはとても子供っぽくなる。初めて会ったときからそうだった。会うたびにだんだん「大人」の顔が変わってゆくにせよ、子供の部分はずっと同じままのように思える。
 ちょっと考えてみると、これは案外どんな人にも当てはまるのかもしれない。子供を自分の中に残したまま、歳をとってゆく。まるで年輪のイメージだ。でも、トクマルくんはそれとも少し違う。「子供」を年輪の内側に閉じ込めるはでなくて、むしろ、多面体の一面に乗っけたままのような回転している、といったほうがイメージに近いだろうか。
 ライブでは、Gellersの” Guatemala”やThe Bugglesの[ラジオスターの悲劇(邦題が好きなので、そのまま使うことにしている)]、そして代表曲たちを中心に披露してくれた。おそらくJONNY目当てで来たであろう風体の30代以降のオーディエンスたちにも喝采を浴びる。いいライブだった。

 JONNYのライブの素晴らしさはあえて言わずもがな。なんといってもこの二人なのだ。素晴らしくないはずがない。アルバムはまだ買えていないのだが、TFCぽいエヴァ―グリーンな曲も、ゴーキーズを彷彿とさせるサイケ・トラッドも、愛らしいロックンロールも、みんなある。
アンコールが出て、ステージに上がった二人は、それぞれのバンドの曲をやると言ってくれた。まずTFCの "I Don't Want Control Of You"、そしてゴーキーズの"spanish dance troupe"では、なんとトクマルくんがギターで参加。この二曲でぼくは完全にまいってしまった。


 思い起こせば、TFCの『Songs From Northern Britain』もゴーキーズの『spanish dance troupe』も、大学生のころ、千本丸太町にあったユリナレコードで買ったのだった。授業をさぼり、飲みに行く約束をすっぽかし、食費を削り、お店で働いている友人がいるときにしか行かず、頼み込んで従業員割引の値段で買わせてもらったCDたち。あの頃のどうしようもない生活とか、思い出したくない失敗とかもぜんぶフラッシュバックさせながらの、でもそんなこととはまったく無縁な名曲が目の前で歌われる。ほんのすこしだけやるせなさを孕んだ、不思議な種類の感動がそこにあった。
 数年前の自分の暮らしに密接に結びついていた音楽が、いま新しい鮮度をもって再び流れるとき、その音楽とともにあった暮らしのことも思い出すのは、どうしてなのだろう。
 わたしのなかにいる「子供」を年輪に例えるなら、そこからおとなになる時間の一刻一刻もまた年輪のようにわたしに刻まれ続けている、ということなのだろうか。年輪を刻む一要素であった音楽が、その当時のわたしを連れて帰ってくる。もしそれが本当ならば、なんと幸福で、情けなくて恥ずかしくて、なつかしい出会いであることか。

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2011年05月19日

A record at Osaka

福島にあるスタジオ、ダンロジャースでレコーディング。昔からの友人たちではじめた「あくび」というバンドのデモを録る。

前日は遅くまでボロフェスタの会議、そのあと若者たちとちょっと話をして結局明け方近くになってしまったので、寝不足のままJRに飛び乗り、補助いすに腰掛けてギターケースに寄りかかってうつらうつらしているうちに大阪に到着。遅刻気味なのであわてて環状線のホームに走る。なんとか一時前にはスタジオに着いた。

スタジオオーナーの西野さん、エンジニア長井さん、ともにずいぶん昔から人づてにお名前を伺ってはいたけれど、実際にお会いするのは初めて。気さくで陽気なお二人だった。


真っ白なレコーディングルームは、天井が高く、音のひとつひとつ…たとえばシールドを引きずる音や、チューニングキーを回す音までがそのまま鳴っているようなクリアな音響。でもぼくはこの部屋では録れなかった。ここはドラムとギター、ベースの場所だったのだ(正確に言うと、ギターアンプとベースアンプはそれぞれ隣り合ったアンプブースに置かれ、その中で録音される。でも、顔を合わせて演奏する方が何かと良いからだろう、扉を隔てて、プレイヤーだけがレコーディングルームに入り、演奏するというわけ)。
MIDIで音づくりをしたキーボードは実音を鳴らすことなくミキサーに入力できるので、PAのミキシングルームの机で演奏。ぼくはそれら二つの部屋に繋がる、玄関のような小部屋で歌を入れた。

今回は、こんな手順で進めた。
まず全員で演奏をする。ただし、このときボーカルは仮歌。何テイクか録り、各人が気になった演奏個所を直し、その後に歌入れ。

みんな多忙すぎて顔を合わせるのが二月振り、プリプロらしいプリプロもしないまま臨んだわりには、わりと行き詰まることなく録れたように思う(デモのクオリティとしては、まあ及第点だろう)。それでも、二曲を録り終えた時点で時刻は六時半を過ぎてしまった。目標は三曲だったので、もう一曲録るか、二曲をミックスしてもらうか・・ちょっと迷ったが、二曲を仕上げてしまう方に決めた。ミックスはほぼ長井さんにお任せだ。

出来あがるまで、5人でスーパーに買出しに行ったり、併設された休憩室でテレビを見たりして待つ。CMに入れ替わり立ち替わり現れる芸能人を指してのとりとめない会話。この感覚はなんだか懐かしい。そういえばこんなふうに時間が流れてゆくのを、ぼくはここ最近忘れていたように思う。まあそんな中でもメールや電話は引っ切り無しだったし、ノートパソコンを広げて、梱包材のプチプチをひとつひとつ潰すように仕事をしたのはいつも通りだったのだけれど。

一曲目の仕上がりが午後九時半。二曲目が出来たのは午前零時。京都へ戻る最終のJRは零時二十五分大阪駅発。ひとりだけ大阪に住む岡村ちゃんを残すことになるけれど、あとの京都組四人でタクシーに飛び乗れば、まだ間に合うかもしれない。彼女に後を託してスタジオを飛び出る。が、車はおろか、人通りもまったくない。あとで思えば、タクシーなんてあらかじめ呼んでおけばよかったのだが!

すごすごとミキシングルームに戻る四人。長井さんが岩橋に「ビール買ってきて」とお金を渡してくださった。とたんに皆の元気が少し戻る。
スーパードライとコーラで乾杯したあと、マスターのデータをDVDに書きだしたり、持ってきたCD-Rでサンプル盤を焼いたり、仕上がった音源を何度も聴き返してああだこうだ言いあったり、長井さんからいろいろ面白いお話を聴かせていただいたり…三時前まではなんとか時間を潰したが、さすがに限界が来た。みんな翌日の仕事もあるので、やっぱり帰ろうという話になり、ぼくは生まれて初めてタクシーでの越境を経験することに。

大阪のMKタクシーは、初乗り運賃が五百円だった。高速に乗り、メーターが五千円を超えた瞬間、上昇額が五十円から二十円になったのを見た。運転手さんはサンタナが大好きでライブに四回ほど行ったことのあるひとだった。昨日は和歌山へお客さんを届け、今日は丹波からの帰り、名古屋まで載せてゆくこともざらにあるらしい。片道二時間半のタクシー移動なんて想像するだけでも運賃が怖いが、その倍の時間をかけて大阪へ戻ってくる運転手さんのことを考えるとなお感心する。

ともあれ、真夜中にひとり二千円余りで大阪から京都へ戻って来れたということに驚いた帰り道も含めて、いろんな経験をした一日だった。
でも、さすがに連日の寝不足がこたえはじめている今日…

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2011年05月18日

shoewasher

昨日、東京から戻って、スニーカーを洗った。

御幸町のお店で買ったピンク色の体育館シューズは、半年のあいだほとんど毎日履いていたせいで、もうすっかり黒ずんでしまっていた。裸足でつっかけたり、水たまりを平気で踏みつけて歩いたりもしていたので、中もひどい汚れかただったと思う。じつのところ、右足の爪先もめくれはじめているし、踵もすり減って穴があきかけているのだけど、愛着もあり、あたらしいのを買うお金も勿体ないので、もうちょっとだけ(できるなら、踵や爪先から足が飛び出るまで)履き潰してやろうと思いたった、というわけだ。

中学生の頃、夏休みに上履き洗って以来の靴の洗濯は、けれど、思った以上に大変だった。石鹸と歯ブラシでごしごしと擦っても、灰色にすすけた泡の割にズック地の汚れは取れてくれない。一通り洗い終えてはみたけれど、とくに見た眼に変化はなかった。すすぎの水はあんなに真っ黒だったのに!しかたないので、洗面器にお湯を張り、ボトルからハイターを振りいれてみた。ピンク色でさえなくなるかもしれない、まだらになってしまうかもしれない、と思いながらの漂白剤投入。
3時間ほど放置して、もう一度お湯ですすぐ。ほんの少しだけ、黒ずみはとれた。全体に薄汚れた感じは無くならないけれど、なんだか気が済んでしまった。この沁みついた汚れは、いつだって歩みと共にあったのだから、仕方がないのかもしれない。内側の汗や黴菌がすこしでも流されたということで、よしとしようと思った。

そのスニーカーだが、まだベランダにある。せっかく洗った矢先に降り出した雨のせいで、うまく乾かなかったのだ。今日は大阪でレコーディング。水色のスプリングコートにサンダルという格好はどのくらいちぐはぐに見えるのだろうかとすこしだけ気にしながら、電車に揺られていた。天気は一転して、窓の外は快晴。さて、いい音源ができるといいな。

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2011年05月16日

音の採集日

ひさしぶりに強行軍で東京へ。レコーディングに行ってきた。
録りかけのまま長いあいだ半ば放置されていた、アルバムになるはずの音源の続き。

夜行バスが新宿駅前に着き、いったん田代家へ向かう。西武線は車内の電灯を消していた。このくらいのほうが、かえって朝の陽射しがまぶしくていいと思った。
都立家政。田代夫妻はこたつ(正確にはこたつの抜け殻)で眠っていた。このふたりのこういう姿を見ると、とても安心する。
ぼくがやってきたので、夫妻は階上の寝室へ。作りかけの曲(今回の音源には収録されないが)にしばらく取り組んだ後で仮眠をとり(フローリングにごろ寝するのが気持ちいい日曜の午前だった)、12時過ぎに出発、目黒へ向かう。

東京はもう初夏の陽気だ。半袖のひともちらほら見受けられる。駅の照明が少なかったり、券売機が何台か停止していたり、といった光景にも慣れた。目黒駅からバスに乗り、4つ目の停留所で降りる。住宅街の真ん中にある健太郎さんのスタジオ、というより「住宅をそのまま使った」スタジオは玄関先に打ち水がしてあって、植え込みの前ではいつもどおり隣家の猫がくしゅっと、うずくまっている。なぜか嬉しくなった。じっとぼくをみる。触ろうとすると逃げる出す準備をするけれど、ぎりぎりまでその場所を動かない。こういうふてぶてしい奴が、嫌いじゃない。
ツイッター上で追いかけているせいだろうか、健太郎さんとはあまり久しぶりという気がしなかった。初対面の田代君との挨拶もそこそこにして、録音に入る。ベースを4曲入れ、歌のダビングを二曲分やって、終わり。ベースが入ると、歌の印象も変わって、なんだか曲そのものが地に足のついた感じになった。ミックスはいったん健太郎さんにお任せすることに。

スタジオにあったプレシジョン・ベースに、田代君がとても惹かれてしまい、録音後はしばらく試奏の時間。もともと持っているジャズ・ベースもいい音なのだけれど、音のパンチ力はやっぱりプレべかなあ。ぼくも久しぶりに弾かせてもらった(大学2回生のとき、教室で失くしたっきり。あれもプレベだったと思う。安物だったけれど)。アナーキー・イン・ザ・UKのイントロのベースラインをうろ覚えでなぞると、二人は笑っていた。

家に帰ると、おすしさんは埋火のレコーディングの準備に四苦八苦していた。もうベーシックトラックは録り終わっているそうだが、アレンジがなかなか決まらないまま期日が迫っていて、なんとしても明後日までには具体的なアイディアを揃えておかなくてはならないのだとか。今日は一日かけて水の音と足音を録っていた、と苦笑する。近所の居酒屋でコロナビールを飲みながら話を聞く。大変そう、でもとても恵まれた環境での制作。負けず嫌いの彼女のことだから、きっといいアルバムを作るだろう。

そうそう、田代君は結局、あのベースを取り置きしてもらっていた。いちおう奥さんに買っていいか確認するつもりだったらしい。返事は即「いまが買い時だよ!楽器はふたつ持っておかないとだめだよ」。おすしさんは今回のレコ―ディング中にストラトの必要性を痛感したそうだ(彼女はSGを使っているのだが、イメージしたアレンジにはこのギターの音がどうしても合わなかったのだ)。そっけないほどのやりとりが、とてもミュージシャン夫婦らしくて、可笑しかった。

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2011年05月14日

うさぎの涙

ミッフィーの生誕55周年を記念した展覧会へ行ってきた。

ぼくは、このうさぎの女の子が好きで、一時期は手帳も赤のうさこちゃんだったくらいだ(笑う友人が幾人もいたが、一年のあいだ意地と愛着で使い続けた)。ひょんなことから招待券をもらい、改装されたばかりの大丸梅田店の十五階にあるちいさなミュージアムに、ひとりで足を向けたのだった。
親子連れとバッティングしないよう平日の昼下がりを選んたのだけれど、予想を超えて客層は多彩だった。女性グループ、男女二人組、家族連れ、ブルーナさんによく似たおじいさんがひとり、ゆっくりと展示を見て回っていたりもした。

原画やデッサン、絵本に採用されなかったカットが制作時期に沿ってずらっと並んでいた。途中のモニターでは、ブルーナさんにインタビューした映像が流れていた。さらっとした語り口の中にいろいろ感銘を受ける事柄があったけれど、なかでも印象に残ったのは、先人たちに影響を受けまた次の世代に影響を及ぼしてゆく、そのサイクルの中に自分が居ると知ったときに感じる喜びについて、彼が話している短いシーンだった。
この八十歳を過ぎた現役画家は、黒のポスターカラーで丁寧に丁寧に線を描き続け、描き続けて今に至る。さらに今もなお、「これまでよりほんのちょっと、よく」ということを考え続けているのだそうだ。そしてその信条と、それを語る彼の眼差しのすばらしさを幾重にも飛び越えて、圧倒的な事実がある。それは、あのうさぎの絵本が、こんなにもたくさんのこどもに、おとなに、愛されているということだ。

泣くところなんて一つもなかったのだが。

展示の最後には、東日本大震災の知らせを受けて、ブルーナさんが描き下ろしたといううさこちゃんの絵が、そのニュースを掲載した新聞記事とともに掛けられていた。両目から大粒の涙をこぼすミッフィー。両目から涙を流したのは、大好きなおばあちゃんが亡くなったとき以来らしい。
ニッポンのために泣いてくれたミッフィー。それから2カ月、大地を汚し海を傷つけるニッポンのことはどう言うのだろうか。いや、それでも彼女は泣いてくれるだろう―ただしそれはニッポンのおとなではなく、きっとこどもたちのためだけだ。あるいは、もう彼女を泣かせてはいけないと言うべきだろうか。
なにはともあれ、うさこちゃんのことばかりを考えながら、帰りのラッシュアワーが始まった阪急電車にすし詰めになって揺られるぼくは、取り澄ました外見からは想像もつかない滑稽さだったと思う。

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2011年05月13日

タワレコ×ゆーきゃん

5月10日より、タワーレコード京都店にて
タワレコとゆーきゃんのコラボレーション企画が始まっています。

場所は、エレベーターから入って左手の、ウォーターフォール型什器のところ。
ゆーきゃん/あらかじめ決められた恋人たちへ/シグナレスを中心に、
手描きの人物相関図を描きました。
仲良くさせていただいている方々の作品に紹介コメントもつけて展開中です。

企画の対象作品(シールが貼ってあります)には、おまけCD-Rが付きます。
収録曲のほとんどが全国流通に乗っていない楽曲。
サンレインレコーズでも取り扱っていない音源もあるのです。なかなかレアだと思います。
枚数限定、期間は6月9日までの一か月です。

5月22日(日)には、この企画に関連してインストアライブも行います。
出演は、長谷川健一、OUTATBERO、ゆーきゃん with 赤井裕&岩橋真平(スーパーノア)の3組。
15時開始、入場無料です。

レコードショップは、お店である前に一個のメディアでもあったりして、
本題とは別筋の、雑学のコラムのような感じで見てもらえると嬉しいのですが。
それにしても、こんな無謀な企みを許してくださったタワレコさんに感謝。
みなさんもどうぞ覗いてみてください。
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2011年05月09日

記録

4月21日(木)渋谷WWW / 4月24日(日)京都METRO / 5月6日(金)梅田Shangri-la
シグナレス

1 さよならアメリカ、さよならニッポン
2 Y.S.S.O.
3 パレード
4 LOST
5 風
6 太陽の雨
7 朝顔
8 ローカルサーファー

enc 星の唄

3公演とも、同じセットで。
渋谷はVJにハラサチコ、京都はVJ TR3、大阪は照明にディーノを迎えてのステージ。


このユニット、ずいぶん長いことかけて作ってきたように思っていたけれど、
まだスタートラインに立とうとしているにすぎないことに気付く。
でも、すでになんとたくさんの恩を背負っていることか。返さなくてはならないなあ。


とりあえずはアナ、やけのはら、ドリアン、DE DE MOUSE、Predawn、YOLZ IN THE SKY、埋火、tobaccojuice、佐野さん、森田君、宋さん、瀧井さん、よっつさん、岡野さん、クロセさん、WWWとメトロとシャングリラ、吉田さん、平川さん、spinbox、そして来てくださったみなさん、ほんとにどうもありがとう。精算のまだ終わっていない方、急ぎます。お待たせしてすみません。


さて、池永さんはもう、あら恋のアルバムリリースを控えている(明日が入荷日)。
こっちもたくさん売れるといいな!
そしてぼくはこの間に、いいメロディといい詩をたくさん書きためておきたいところ。がんばろう。


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2011年05月04日

記録

5月2日(月)木屋町Urbanguild
「カンサイ・レーベル・アーカイヴス」司会。

FMN sound factoryの石橋さんと、元Jesus Feverのnonさんを迎えて。
ホームページを見ながら、あれこれとカタログを聴いてゆく。
もうちょっと段取りをちゃんとして、メリハリをつけて聴いていけばよかったと反省。
やっぱり3時間では46タイトルの作品全部をおさらいするまでに至らない。

それでも、山本精一さんの自称フュージョンバンド「LIVE UNDER THE SKY」や、
もうとっくに解散してしまった名古屋の「CARAVAN」というバンドのライブ盤など、
はじめて聴く、そして強烈に惹きこまれる音源がたくさんあった。

のんちゃんのライブも、素晴らしかった。
彼女がリッケンバッカ―を抱えている姿を見ると、それだけで嬉しくなる。
最後に、キツネの嫁入りのひーちゃんをピアノに迎えて歌われた
ロバートワイアットの"Shipbuilding"、あの場に立ち会えたひとは本当に幸福だったと思う。


お客さんは少なかったけれど、
Urbanguildのバー・スタッフ、辻さんが「めちゃくちゃ面白かった!」と言ってくださって、
自己満足なだけじゃなかったと、胸をなでおろす。
もうちょっと企画を練って、宣伝をしっかりして、第二弾をやりたいなあ。
石橋さん、のんちゃん、そしてひーちゃん、ありがとうございました。


それにしても、カセットレーベル時代のFMNリリースを、
石橋さんもあったことがないという人がサイトにまとめてくれていたのには驚いた。
なにかを分類したり、体系づけたりしたいという知的欲求は、
案外あちこちにその足跡をとどめているものだ。
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2011年05月02日

記録

5月1日(日) なんばベアーズ
JOJO広重×ゆーきゃん

1.空に沈む(ゆーきゃん)
2.ささやかないで(JOJO広重)
3.Can't Help Falling in Love(Elvis Presley)
4.天使のオード(ゆーきゃん)
5.いい娘だね(JACKS)
6.sang(ゆーきゃん)


JOJO広重さんがやっていらっしゃる占いのお店"future days"主催のイベント。
「合コン」と名うっていたけれど、ライブはこんなのだし、
嶽本野ばらさんと広重さんのトークショーはあるし、ゲームはじゃんけん大会だし、
占ブースはあるしで、当然の合コンにはならず。


ライブは、広重さんとあれこれ言いながら、曲順は決めずに話の流れで歌っていった。
ぼくはステージ上でわりとおしゃべりなくせに、いつも次のライブの告知を忘れる。
怒ってるときは怒っていて、悲しんでいるときは悲しくて、
そして楽しい時は楽しくて。だめだなあ。

広重さん、嶽本さん、初めてなのにちゃんとすわって聴いてくださったお客さん、
ありがとうございました。
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2011年02月05日

二足歩行の戯言

 ぼくが歩くのを好む理由は、きっと歩けばいつか家に帰れるから、なのだと思う。

 自動車に乗っても、電車に乗っても、飛行機に乗っても、自転車でさえも、移動の最中にふと、これだけでは家に帰ることができない、と感じることがよくある。どんな乗り物も最後は降りて玄関まで歩かなくてはならない、というつまらないオチなのかもしれないけれど、それにしても「帰る」という動詞の大きさに追いつくことができるのは、やっぱり「歩く」しかない気がするのだ。

 職場から家までは徒歩で30分あまり。ほの暗く燈った蛍光灯の間、この街特有の碁盤の目を、昨日はあの通り今日はこの通りとでたらめになぞりながら北上する。一度だけまたぐ丸太町通りを除けば、未知はどこも静かだ。履き潰しかけたスニーカーの薄っぺらな底から這い上がってくるアスファルトの冷たさ。ふだんは靴音よりも速度を上げて過ぎ去るものたちが、からだの中でBPMを下げてゆく。考えごとは歩みの速度まで降りてくる。もどかしくはない。ペンキを下塗りするローラーのように、丁寧に、いろんなことを思い出せるような気がする。

 歩みのなかで生まれるリズムも、歩みの中で流れ去ることばも、ときに歩みと足並みをそろえ、また気まぐれに逸れてゆくメロディも、すべてが一緒に家まで付いてくる。電車の中には、うたを置き忘れてきたりするけれど、道端にリズムを落としてきてしまった、という経験はまだない。
 でも、お酒を飲んでしまうと、だめだ。ぼくは酒には強い方だと思っているが、酔っぱらう代わりにやたらと気が急いてしまう。歩く喜びよりも、早く行かなくては、という思いが前に出てきて、歩く喜びをれてしまうのだ。これだけは、なんとかならないものだろうか。

 いまは、サンレインの事務所にいて、これからいったん家に帰り、夜になればメトロに行く。帰りは明日の明け方になるだろう。小さな頃は、帰ると言えばほとんど「夕方」を指していた。中学に上がり、塾に通うようになって夜の帰宅を覚えた。やがて明け方の帰り道の、さまざまな匂いを知るようになり、いまは家路の空が何色にでも成り得る。とはいえ今日は久しぶりの、4時台の帰宅だ。先生さようなら、みなさんさようなら、さて、うたでも歌いながら行こうかしら。
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2010年09月15日

CDのノエマ

 Jesus Feverというバンドがあった。ぼくが彼らのことを知ったのは1999年で、2004年には活動を休止してしまうので、ライブを見ていたのは5年間に満たないくらい。アルバムは一枚、コンピレーションCDをいくつか持っている。熱心なファンのひとりだったと思うのだけれど、まあ何事にも上には上がいるもので、こと彼らに関しては、こんなふうに言うひとがたくさん居る―そうはいっても、いちばんJesusのこと好きなんは、おれやで!つまり、そういうバンドだったのだ。

 今日、彼らのアルバムが発売になった。6年も前に活動を休止したバンドの2作目。2002年ごろに録音された音源が、8年の歳月を経て目を覚まし、ミックスされ、マスタリングされ、作品化に必要な手続きを経て、世に送り出された。CDの規格で定められている収録時間の74分を越えて76分間、一曲30分の大作も交え、ぎゅっと詰め込まれたこの「lemniscate」という作品は、けれどその長さにもかかわらず(あるいはその長さゆえにか)これが永遠に終わらないでほしいとさえ思わせてくれる濃度だ。ディスクの中に封じ込められた音楽たちが其処に舞っているのが見える。

 実は、リリースにあたり、ぼくもいくつかの過程でお手伝いさせていただいた。印刷会社の手配や地元店舗への営業など。そのせいもあってなおさら強く感じることは「録音」という行為がもつ呪術的な正確だ。

 エジソンが蓄音機を発明したのは、そもそも家族の声を録音しておくためだということをどこかで耳にした。真偽のほどはともかく、蓄音機の性格は、まさにそういうものだと思う。どんな音楽作品も、録音された時間の再現だということ。まるっきりバルトの『明るい部屋』みたいだけれど、ぼくがこれを聴くときには、もうこの音楽は(そしてこれを奏でていたひとは)ここにない。そんなふうに思って聴くと、CDは、まるで位牌だ。ジャケットは遺影―しかも、どちらもとびきりマジカルでポジティヴな作用を持っている。音楽が流れている間、ぼくらはいつだって其処に戻れるのだから。あの頃ののんさんも(2010年ののんさんには昨夜お会いした)、オカザワさんも、そしてちゃいなさんも、Jesus Feverというバンドは『lemniscate』のなかに、居る。さらに重要なのは、彼らはただの想い出ばなしに戻って来たわけではなく、誰かと新しく出会うためにやって来ている、ということだ。

 音源はデータになっても、音楽は絶対にデータではない。そしてCDというアイテム―身も蓋もなく言えば、データを書き込んだだけの円盤が、前時代の遺産の仲間入りを果たさずに何らかの意義を持ちうるとすれば、まさに Jesus Fever『lemniscate』のような、出会われ方と待たれ方の可能性を持った「もの」でなくてはならない。古い人間らしいことを言うけれど、たかがプラスチックと紙とで出来たデータの容器(と、さらにその容器)が録音された時間を閉じ込めたとき、その容器ゆえにこそ「録音」の価値を保証するという、なんだか儀式めいたことがあり得るのだということを、作り手や売り手が具体的に信じなくてはならないのだと思う。

 それにしても、無事店頭に並んで、ほんとうによかった。一日納期が遅れていたら発売延期、という綱渡りのスケジュール・・・どうか、たくさんの新しい出会いがありますように。
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2010年07月26日

日記らしい日記 壱

 アバンギルドでのリハーサルが終わり、「サンドイッチの美味しいお店があるから、行こう」とbikkeさん。広重さんと、マドナシと、ぼく、4人で連れだって西木屋町のグリーンという喫茶店に入った。西木屋町通に面した窓際、4人掛けのテーブルに座り、広重さんはタマゴサンド、bikkeさんはミックスサンド、マドナシはスモークベーコンサンド、ぼくは野菜サンドを注文した。それからのおしゃべり。マドナシのお母さんが渕上さん(ふちがみとふなと)に似ている、とか、アグネス・チャンの洋楽をカヴァーしたレコードがすごくいい(ファンクラブに入らなければ買えなかったらしい)とか、16歳の頃のHIDEさん(ULTRA BIDE)はそれはもう典型的なヤンキー・スタイルの不良少年だったのに、クセナキスやジョン・ケージといったイメージと真逆な音楽を愛聴していて、広重さんは驚きを通り越して呆れてしまったのだとか、面白い話をたくさん聞けた。


 ほどなくして順々に4品がやってきて、テーブルに並ぶ。タマゴサンドの具は、よくある茹で卵をマヨネーズで和えたものではなくて、厚焼き玉子だった。ミックスサンドには、その厚焼き玉子のサンドイッチと、ハムとレタスのサンドイッチが交互に盛りつけられていた。野菜サンドにはトマトとレタスをはさんだものと、ポテトサラダをはさんだもの。スモークベーコンのパンはトーストしてあった。向かい合った広重さん(タマゴ)とbikkeさん(ハム)が一切れずつ交換をする。さらに広重さん(タマゴ)はマドナシ(スモークベーコン)とbikkeさん(タマゴ)はぼく(野菜)とマドナシ(スモークベーコン)との交換。女子中学生みたいで楽しい(こう喩えるとなんだか気持ち悪いのだが、そのとき脳裏をよぎった印象なのだから、しかたあるまい)。

(つづく)
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2010年07月07日

無題

 近所の老人ホームの前庭に、とうもろこしが植えられていた。
 いつのまにか背が伸び、頭頂部のふさふさした雄蕊が揺れ、毎朝通る道なのに、どうしていままで気がつかなかったんだろうと、自分の迂闊さを情けなく思った。六、七本も植わっていただろうか。穂はどの黍にもたくさん付いていたが、この大きな老人ホームの全員に行きわたるだけの余裕があるかは分からない。虫がついたり盗まれたりしなければいいのだが。

 曾祖母の畑で作られる夏の野菜のなかでは、決まって毎年とうもろこしがいちばん出来の良い作物であったように思う。トマトも大きく、美味しかったけれど、とにかく凹凸が極端だった。茄子はところどころ紫の肌が破れて壁紙が露出したようにベージュのしみができてしまいがちだったし、きゅうりは曲がって苦くなったりもした。曾祖母は好奇心が強く、ズッキーニなどといった珍しい種に挑戦したりもしたのだが、彼女は食べるよりも作って収穫して食べるのを想像するまでが好きだったようなふしがあり、きっと自分の作ったズッキーニなど食べずじまいに終わっただろう(うちの食卓には出た。なんだかよくわからない味だった)。また一度は、畑の隅でかぼちゃが穫れたことがある。それは野菜のくずなどを捨てる穴から、種がこぼれて発芽したのだった。当然、人知れず実になった実のことだ。水っぽくてお世辞にも美味いとは言えなかった、けれど、世話もされず面倒も見られずによくもまあ「野菜」になったものだ。その事実にやたら感動したのを覚えている。

 脱線した。とうもろこしに戻ろう。とてもじゃないが自分たちで食べる以外にない容姿をしていた他の野菜の傍らで、世話が丁寧だったからだろうか、土が合っていたのだろうか、とうもろこしだけはスーパーの店頭に並べても恥ずかしくない立派な姿で収穫された。曾祖母のとうもろこしは、甘くて大きかった。
 実の魅力はもちろんのこと、それにもまして好きだったのは、あの背の高い茎が立ち並ぶ景色だ。もちろん「立ち並ぶ」と言っても大したことはない。十数本のとうもろこしが斜面の一角を占めているだけ。けれど、小学生にはそれで充分だった。一粒の種が数カ月で自分の背丈の倍ほどにもなって自分を取り囲んでいるということに、不思議な満足を覚えていたのだ。夏休みみなどはラジオ体操の後、用事もないのにとうもろこし畑の中を一通り探索してから家に帰ったりした。葉で腕や頬に切り傷を作ったり、あのひげをちぎったりして怒られたりしたことを覚えてる。

 そういえば先日実家に電話をしたときに、「こうちゃんが、とうもろこし折ってしまったが」と母が言っていた(こうちゃん、というのは甥のことです)。どうやら珍しがって触っているうちにうっかり一本やってしまったらしい。甥は子供の頃の兄(つまり父親)にそっくりである。手を伸ばして、ひょろひょろと緑のススキみたいな植物に触れ、茎を握ったはずみに、ぽきっ。思わず目を丸くして、家(兄の家は曾祖母の家の跡に建てられた)のほうに駆けてゆく。そんな光景がありありと浮かんで、とてもおかしくなった。兄は若かりし日の自分の分身に、果たしてなんと言っただろうか。

 いずれにせよ、子供たちにはどうしても、そして長い歳月を経て子供に回帰した大人たちにもたぶん、夏が必要な気がする。

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2010年06月19日

無題

 梅雨の晴れ間だった。覆いは取り払われ、もうそれは青色のキューブではなくて立派なマンションの姿をしていた。公園の欅は剪定されていた。トラックで乗り付けた年かさの男性が三人、ばっさりと切り落とされた大小の枝を拾い集めているところだった。夏は虫がつくからだろうか、それとも病葉が増えるからだろうか、あるいは広がりすぎて電線にぶつかりそうだったからなのか、ずいぶんと刈り込まれた欅の姿をみて、男性だな、と思った。幹はほっそりとして、木肌も灰白がかっているし、なだらかな曲線を描いて先端へむかってゆくのこぎり状の葉なども優雅な感じがするけれど、たとえば阿佐ヶ谷のあの圧倒的に美しい並木と違って(あの、トンネル状に通りを包み込む欅たちに、ぼくは女性コーラスグループのような華やかさを覚える)、枝をまとめてすっとそこに居る夷川公園の欅は、とても好ましい青年のように思えたのだ。雨降りが続くこの頃、今日だけは解き放たれたように青さを見せる空と、夏に向けて濃さを増してゆく最中の特徴ある鋸葉の枝を天にかざして立つ木、そのコントラストは美しかった。
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