2015年06月19日

7月の現状(お知らせなど)

 7月は4本、ライブがあります。どれも主催者の想いの籠った企画です。(時間があればあらためて書きます)nanoのステージに立つときはいつも特別な気持ちだし、富山のお寺での一晩なんてとびきり貴重なものになるだろうし、東京は久しぶりだし、念願のleteだし、どれも悔いのないよう、うたい切りたいと思っています。

 それから、連休をつかって、また甲府へレコーディングに行ってくるつもりです。今度は歌入れ。新しいアルバム、ゆっくりですが、すこしづつ形になってきています。9月ごろには完成に持っていきたいなあ。
 ついでに先の話をしておくと、10月には金沢でちょっとしたイベントを考えています。そしてボロフェスタがあります。11月には能楽堂でまたあいつを企画中。予定があるということはよいことですね。太宰治のようなことを言うならば、それまで生きていようと思えるから。

 そういえば、3枚目の作品『ロータリー・ソングズ』の在庫が少なくなってきているそうです。メーカーにも倉庫にもストックがないのだとか。ちなみにぼくの手元にもストックはゼロです。またどうせブックオフの100円コーナーに流れていくんだろ、というシニカルなささやきが脳裏で聞こえる気もしますが、それもまたこのアルバムが世に出た証かなあとも思います。地味です(というかそもそも派手な作品がない)が、味わいは深い一枚です。見つけたらぜひ手に取ってみてください。

◇「うたいながらいきていく」
2015年7月4日(土)livehouse nano
開場 17:oo / 開演 18:oo

歌う人魚と青い鳥(吉田峰子+金菱哲宏)
ゆーきゃん+足田メロウ
水窓(石川文子・豊原エス)+國木まちこ
川崎テツシと燃えるキリン
ドクロズ

前売 2,ooo円 / 当日 2,5oo円(ともに1ドリンク代別)

livehouse nano
京都市中京区押小路通西洞院東入ル二条西洞院町632-3
TEL:075-254-1930
http://livehouse-nano.com/


◇「ぼくら、わたしたちのお寺」
2015年7月11日(土) 射水市市井 光照寺
日没より、7月12日(日)朝方まで いつでも出入りは自由です。

ゆーきゃん
岡田彩香
たちなみえみ
石川征樹
峠祐樹ファミリー

他、宿泊、勤行、ありがたーいお説教
お寺で一晩過ごして、様々なひとたちとの交流を深める日にしましょう。

参加費は無料ですが、懇志(カンパみたいなもの)よろしくお願いします。
寝具(寝袋、布団など)、食べ物や飲み物(お酒可)持ち寄りでお願いします。
宿泊場所は本堂、又は座敷に50名泊まれるスペースがあります。
駐車場15台分あります。
テント張りたい方、BBQされたい方、肝試しされたい方、要相談おねがいします。
親子で、友達やペットと、おひとりでも、みなさんのご参加おまちしております。

主催:光照寺 くもな いたる
射水市市井(「いちのい」と読みます)275番地
http://navitoyama.com/0766-54-1604/
kumona2009@yahoo.co.jp


◇「dangerous光秀武蔵野北町riot vol.3」
2015年7月25日(土)秋葉原GOODMAN
開場 16:oo / 開演 16:3o

MUSIC FROM THE MARS
BossstonCruizingMania
ジョー長岡
Rent:A*Car
ゆーきゃん
かくら美慧
ひまつぶし

FOOD SPICE ADDICTS
cafe ササササキ

入場料 2,5oo円(1ドリンク代別)

CLUB GOODMAN
〒101-0026 東京都千代田区神田佐久間河岸55 ASビルB1F
TEL 03-3862-9010
http://www.clubgoodman.com/

◇「あかるい部屋」
2015年7月25日(土)下北沢lete
開場 19:oo / 開演 20:oo

ゆーきゃん

予約 2,3oo円 / 当日2,5oo円(ともに1ドリンク代別)

チケット予約 (6月25日より受付開始)
宛先 reservation@l-ete.jp
件名 7/25 ゆーきゃん
メール(お名前、連絡先、希望人数をご記入下さい)での受付となり、先着順に受付のご案内を返信いたします。尚、精算は公演日ご入場時となります。当日券の有無は公演日の18:00〜18:30に電話にてお問い合わせ下さい。定員になり次第、予約受付締め切りとなりますのでご了承下さい。

lete
〒155-0032 東京都世田谷区代沢5-33-3
TEL: 03-3795-0275
http://www.l-ete.jp/

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2015年06月18日

無題618

遠い風の匂いが一瞬 わたしたちを捉える
雷鳴 そして激しい雨 草原に吠える夏の暗い影

水かきを持たない丘の獣たちが 魚たちの夢を見る大洪水の前夜
大切なものが何だったのか かれらは果たして覚えているだろうか
あるいは ついぞ知ることもなく 波打つ季節の袖の奥深く 沈んでしまうのかもしれないがー

それでも言わなければらない

わたしがきみに贈るのは 栄光に輝く髪飾りでも 飼いならされた鉛の首輪でもなく
たとえば 燃えるようなたてがみの獅子が 貪欲に今日を追いかけたその眼差し
たとえば 追いすがる豹を突き放し 明日に辿りつくまで走ったガゼルの息遣い
たとえば 分厚く立ちこめる雲の向こう側 やがて一斉に芽吹くであろう青空の胞子たち
きみの首に掛かるのものは ときに早く ときに静かにはためく 自分の呼吸ひとつでよい

さあ ゆくんだ そいつを携えて
嵐を越え 夜を越えて あの美しい朝焼けに頬を染めるまで
きみ 痩せっぽっちの荒くれ者よ
腕を横たえる場所は いつだってこのちっぽけな牧場の外だ
たとえどんなに眩い危険も 磁石にも似た恐れさえも
生きることの愚かさには 打ち付ける大粒の雨のような魅力には
抗うことができないのだから


 渡辺シュンスケさんとは、折に触れてご一緒させていただいている。この詩は2011年9月、シグナレスとシュローダーヘッズのツアー中に書いた。シュローダーの演奏に合わせて、池永さんがピアニカを吹き、ぼくが朗読をした。
 前回は一昨年、ウーララの14周年。& ARTの中本さんに協力していただいた企画で、シュンスケさんは林勇気くん、ぼくはメロウくんと、それぞれビジュアルアーティストとコラボレーションをしたんだっけ。cafelonは昔から知っていたし、マネージャーの吉田さんと知り合ったのは12年近くも前のことだし、今回がまだ3度目の共演というのは我ながら意外だ。
 意外だ、と書いてすぐに手のひらを反す。この人のキャリアを思うにつけ、そしてその立場に相応しいプレイを見せつけられるにつけ、ほんとうにこんなすごい人と一緒にやっていいのだろうか、と恥ずかしくなる。だって、佐野元春とか、リヴァース・クオモとかいった名前が、すぐ向う側にいるんだよ。音楽は名声でやるものではないけれど、日本語ロックのオリジネイターや、パワーポップの神様に、このピアニストは愛されているんだよ。なにより、そんな人が今夜は大ホールではなく地元の小さな会場で、共演のバンドマンたちに囲まれて、にこやかに酔っぱらっているんだよ。

 シュンスケさんがピアノを弾くと、ピアノが楽器だということを思い出す。ぼくは変なことを書いているだろうか。文字どおり、うつわ、だ。音が湧きだす器。もっきりやの、癖のありそうなグランドピアノが歌いだすのを聴きながら、部屋中が音で満たされてゆくのを見た気がする。

 そんなシュンスケさんと、今回は金沢ということで、noidのさんちゃんをドラムに迎えて、3人でセッションをした。ゆーきゃんのステージで3曲、"0764"、"サイダー"、そしてブルーハーツ"月の爆撃機"のカヴァー。続くシュンスケさんのステージではこの"Wild Thing's Arm"を。数日前に、一緒にやろう、とメールをくださったシュンスケさんだが、いざリハーサルで合わせようか、というときに「リリック忘れたよ」と(シュンスケさんが持ってきてくださることになっていた)。東京にいるマネージャーさんから送ってもらうか、どうやって?メール?ファックス?いや、間に合わないかもなあ。仕方ない、また一から書き直すか、とあきらめかけたころ、思い出したのが、ブログの古いエントリ。一旦ホテルの部屋に戻り、PCを借りて、持ち歩いていた自由帳に書き写した(ちょっと手を加えた)。

 詩のすばらしいところは、そいつを書いた季節、そいつを読んだ年齢、そいつが載った書物やそいつを取り巻いていた音楽の中に、いつだって帰っていけるところだ。そして、にもかかわらず、いつの間にか流れ去っていった時間や、変わっていった自分を感じさせてくれるところだ。あの頃、大きな地震があり、成功への淡い期待や苛立ちがあり、あきらめきれない夢や幸福があり、出会った人や傍にいてくれた人や離れていった人がいた。それはまったく確かなこと、同じようにあれからいま、この場所にぼくがいて、ここに至るまでのあらゆる移ろいもまた、まったく確かなこと。先週の日曜日、金沢は柿木畠で、そんな真実(大げさな言い方かもしれないけれど、これ以外には思い浮かべられない。ごめんよ)が、100均で買った自由帳の一ページにでっかく、書きなぐられたことばの内側と外側でまぶしく、輝いていたのだと言ったら大げさかな。

 翻って、いま、きみの書く詩は、きみのうたう歌は、きみの描く絵は、どうだろう。いつか里程標のように、ここからきみの歩く道のりを教えてくれる日が来るのだろうか。少なくともぼくは、あの頃こんな風になるとは思わなかった暮らしの中で、またどうなるか分からない未来に向けて、きみと、ぼくと、あるいはまだ見ぬ誰かとの約束のように、書き続けよう、うたい続けようと思うよ。たとえ果たされなかった、反故になった約束も、けしてただの紙屑ではなく、なにかできたかもしれないことの設計図、それに向かってきみが何かを積み上げたとしてものたちの記念碑として、残しておいたっていいんだと思うよ。


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2015年03月18日

ぼくの白い車(で海へ行こう)、あるいは西陽が射すような音楽を

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 兄が中古車販売店で働いています。こちらに帰ってきて、就職をするお祝いに古いスズキ・ジムニーを降ろしてくれたのが、ちょうど一年前の今日、3月18日のこと。学生の頃、かたくなに「乗ったら死ぬと思う。運転は絶対にしない」と言っていたのが嘘のように、いまではどこへ行くにも車・くるま・クルマです。

 本音をいうと、ほんとうはもうすこし、ゆっくり歩く暮らしを取り戻したくもあるのです。それでも、自動車のおかげで自分の生まれ育った県をもっと好きになることができたのは確かでした。この一年、仕事で、プライベートで、つらいときにどうしたか ― 海を見に行きました。日本海は太平洋と違い対岸のある、限りのある海ですが、ちっぽけな自分にとっては充分に広い。そして能登半島のほうへ向かえば、天気のいい日には海の向こうに白い立山連峰が浮かび上がっていたりするのです。また、市街地から遠く離れた半島を北へ分け入り、ひとっ気のない海岸沿いの適当なところで車を停め、ひたすら波の音に耳をすましていると、こころの中の雑音が徐々に小さくなっていくのが分かりました。
 先日は、亀岡からやってきた友人たちに付き合って氷見の民宿に泊まったところ、漁港の向こうからやって来る朝日を拝むことができました。以前、気仙沼の朝焼けのことをこのブログに書いたことがありますが、日本海側にも太陽が昇る海があったんですね。あまりに嬉しくて浴衣ひとつ、草履をつっかけて雪の埠頭へ飛び出して行って、笑われました。twitterのアイコン、あの自殺志願の肺病持ちの書生崩れみたいな写真はそのときのものです。

 いまから十年前のぼくが、つらいときに頼っていたのは川でした。鴨川です。二十世紀の終わり、京都へやってきて以来、お金がなくてスタジオに入れずギターの練習をした春の夜も、覚えたばかりの酒よりも花火のほうが何倍も楽しかった夏の朝も、思うようにいかない誰にも認めてもらえない(と思い込んでいた)気持ちを水に流した十月の独りぼっちの誕生日も、金色に枯れた芝生に寝転んで凍えながら詩を書いたばかげた冬の午後も、あのまっすぐ下ってゆく、小ざっぱりした、歴史の鏡のような川でした。現在こちらでの暮らしについて、さして不満はありはしないものの、しいていうなら鴨川が欲しいかなあ(金沢の犀川はどこか鴨川に似ています。ちょっと嫉妬します)。
 そんな鴨川沿いの砂利道、川端丸太町から少し上がったあたりで撮影した写真がジャケットになっている、ゆーきゃんのファーストアルバム『ひかり』が、今日アナログで再発となりました。2004年オリジナル盤のリリース当時、まだCDが数千枚単位でばんばん売れていた時代にイニシャル数が300にも満たなかった作品が、ダウンロードコードも付けない不親切パッケージで100枚を越すオーダーをいただいているとのこと。ありがたいことです。
 
 ジャケットをデザインしてくれたのはIPPIという人です。松谷一飛。BOREDOMSや井上薫さんのアルバムも手掛けるこのビジュアル・アーティストは当時はまだ京都に住んでいました。主にクラブイベントのフライヤーデザインなどをしていたIPPIくん、ひょんなきっかけで、そして何故か、ゆーきゃんを気に入ってくれて、ゆーきゃんの何かデザインしたいな、と言ってくれました。嬉しさあまって「いまアルバム作ってるんだ、ぜひそいつを!」と言ってしまったものの、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、彼の作風は、ビビッドで、コズミックな世界を持つものです。どうなるんだろう、こんな地味で荒涼とした音楽と果たして合うのだろうか、気がかりでした。

 その不安を知ってか知らずか、IPPIくんがまず掛けてくれた言葉は「鴨川、一緒に散歩せえへん?」。そして、あのジャケットの写真が撮られたというわけです。

 撮影場所は、ぼくが上京したての頃に歌の練習をしていた段差の前。置かれている草履は、当時ぼくが好んで履いていたもの。揃えていないのは、そのとき二人で交わした − 自殺する人は靴をそろえる。それはきっと<行き詰まった>というメッセージなのだと思う。もし、そろえてしまった靴を半歩でもずらせたら、希望が湧いてきたかもしれないのだ − という会話にもとづいています。
 内容については、もうぼくには判断することができませんので各所のレビューを参考にしてください。ただ、おまえあんな風に言ってたやんけ!と突っ込まれないように、40日も前にtwitterで呟いた140文字を、もう一回ペーストして、今日の日記(ひさしぶりすぎてもう日記とは呼べませんね)の締めとしますね。

 「拙くて、儚くて、痛くて、ローファイ。ファーストアルバムは二度ないものですが、まさしくあの『ひかり』は2000年代はじめの、迷いに満ちていたゆーきゃんにしか作り得なかった一枚だと思います。ぼくはもう恥ずかしくてよう聴かんので、みなさん代わりに針を落としてください。」
posted by youcan at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする