2020年05月04日

『うたの死なない日』雑記(2)グッド・バイ

グッド・バイ

季節の大きな海よ 誰もが漕ぎ出して行く
桟橋のこちら側で 手を振る年老いた春
忘れかけた傷たち浜辺に揺れて 
お別れが世界を染める
泳ぎ疲れた昨夜に まどろむ夢があれば
怒りに燃える明日に崩れぬ足場があれば
帆を開けよ 潮風 ポケットには狂いかけた磁石一つ


僕の中ではどうやら、春の海とは「ひねもすのたり(蕪村)」どころか、騒々しいものであるという思い込みが幅を利かせているようなのです。北陸の海は波と波の感覚が短いのか、いつ訪れても吠えるような音に出くわす気がします。
高岡という街に住んでいた頃、追い詰められたときには海を見に行き、あの波の音の中でいろんなことがどうでも良くなるのを待ちました。

だから、静かな海に出会うと、かえって心がざわつきます。
高岡の隣、新湊という街には潟があります。正確には「あった」というべきで、もう埋め立てられてしまったのですが、岸壁に囲まれて外海から隔てられた部分は残っており、右岸と左岸を結ぶ県営の渡し船が定期的に行き来する船着場は、寂れた待合所の佇まいも含めてとても静かな印象に満ちています。
感情を攪拌したいときには、ここにやって来ることにしていました。

春の歌、タイトルは太宰治からの拝借なのですが、中身はむしろ「グッド・バイ」ではなくて「津軽」に近い気がします。

“私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ。命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では失敬”



録音は、アコースティックギターとベースを一発録りし、さらに谷くんのマンドリンを重ねたものです。その場で「こんな感じ?」「いや、ここはトリルを効かせたフレーズを・・・」みたいなやり取りをしながら録っていきました。レコーディング当日まで曲を書き換えていたので、ちゃんとしたデモを岩橋くんに聴かせることができず、彼も?を頭に浮かべながら弾き始めたのですが、さすが長い付き合い、きっちりまとめてくれました。吉岡くんに出したミックスのリクエストも「彼岸チックな感じで」という乱暴なもの。つくづく人に恵まれています。(甘えてはいけないと知っているんです・・・ほんとうは)


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2020年05月03日

『うたの死なない日』雑記(1)烏  

飛び立って あとは濁さずに
坂道を 鮮やかに渡って
廃車置場の向こうの空に 思い出たちがはためいた頃 
ゴールラインに滲む夕暮れを 撃ち落としに行く

薄紅の遠い 遠い予感よ 
稲穂の海 黒い狙撃手は
帰る寝ぐらも忘れただろうか 羊雲たちの笑うその傍ら
鉄塔の上 息を潜めていた 瞬きもせずに

聴こえるか 鳴り響く世界が
鼓動だけを振り払おうとしてみても
失われずにその高さのまま
独りぼっちで
燃える翼抱いて 飛び続けて行けよ


『うたの死なない日」を作るにあたって集まってくれたメンバーに「カラス・クインテット」という名前をつけたのは、最初に録ったのがこの曲だったからという単純な理由でした。


集落のはずれに農業用水が流れていて、道路との境にある柵によくカラスが停まっています。その先には田んぼが国道を越えてずっと広がっている、ところどころに鉄塔が立っていて、送電線がそれらを繋ぐように伸びているー
そういう景色が出発点です。


カレル・チャペッック(“ロボット“ということばを発明した作家です)が書いた「宿なしルンペンくんの話」という児童文学に、白いカラスが出てきます。カラスは街角で出会ったルンペンの名前が「マーク・キング」であることに驚き、彼を文字通り自分たちの王様に推挙しようとする(マークは善意に溢れる正直者で、「君は鳥の中の白いカラスだ」と警察官に賞賛された経歴があります)のですが、マークはパンの切れ端を探して何処かへ行ってしまいます。それ以来白いカラスは配下の黒いカラス命じてマークを捜させ、だからカラスは「マーク、マーク」と鳴きながら空を飛ぶんだよ、というお話。


1930年代のチェコで書かれたこの話の背後には、ナチスが主張する「生産性」への抵抗が隠れていると、どこかで読みました。役立たず、はみ出し者、何を考えているのか分からず、世間からはゴミをついばんで生きていると思われていても、果たして本当に無価値であるといえるのだろうか ― そういえば、旧約聖書でノアが洪水のあと最初に放ったカラスは、陸地を見つけることもできずに方舟から出たり入ったりして、いったい何のために登場したのかよく分からない書かれようですし、ルカ伝にはもっとあけすけに「烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない」と、いわば役立たずの象徴のようにされています。そのようなカラスにさえも神の愛は分け隔てがないのだ、と。ぼくはキリスト者ではないのでこの一節を真に深く解釈することは出来ませんが、人間の社会には古くから「無益なもの、暗いもの」に対する嫌悪が根深くあったと同時に、それらを人間の本質的な一側面として受容し、共に生きようとするヒューマニズムもまた同じくらい昔に遡れる、ということくらいは読み取ってもバチは当たらないだろうと思います。


ともあれ、あの濡羽色のうつくしい鳥が太陽の位置を知っており、親切な人間に返礼を行い、仲間に危機を伝えあったり、はては死を弔うような(実際は違うにせよ)風習さえあったりするのだという話などがぼくの中に積もり積もって、カラスをこの曲の主人公として選ばせたのでしょう。京都に住んでいた頃も、東京で働いていたときも、明け方まで飲んでふらふらになりながら帰る駅前にはいつもカラスがいました。京阪丸太町駅の階段に並んで停まっていたあいつは、毎朝となりに腰掛けるぼくの顔を見て何を思っていたのでしょうか。



ベーシックテイクではアコースティックギター、ベース、ドラムを一斉に録り、ギターはその後差し替えました。岩橋のベースとrickyのドラムは三度目のテイクくらいでOKとなったように覚えています。低いところを歌っているコーラスは自分の声、ユニゾンはおざわさんです。典型的なサッド・コア調の曲で、吉岡くんのミックスが一番出したい部分をすっと出してくれています。つまりはこれがぼくの基調低音だと言えるかもしれません。
posted by youcan at 07:47| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月30日

明けない夜のために、すべての小さい場所のために


あたらしいアルバムを作りました。名前を『うたの死なない日』といいます。

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これまでの作品の中でいちばん自分から遠いところにある気がしています。何を思って書いたのかも、何を伝えたかったのかも、よく分かりません。ただ目眩のようなものを集めたら、こういう形になったのだと思います。


大学生の頃好きだった小説の描写に「ドアノブを握った瞬間に、そこから吐き気が流れ込んでくる」というのがありました。それと同じような感覚と言えばいいのでしょうか(色合いはずいぶん違いますが)目にした景色、感じた空気、聞こえた声、それらがすべて目眩となり、震えとなり、色となって降り掛かってくる−

そういうものを集めたら、こういう形になったのだと思います。


かつてぼくは、CDのレビューを書いて生計を立てていました。ツアーになればあちこちの街を飛び回り、毎日のようにステージに立っていました。「うた」を扱う職業人としてのアイデンティティに支えられて何年も(なんとか)暮らしてきましたが、いまはそういうフィールドから遠ざかってしまっています。一週間の中で、ギターを握らない日のほうが多くなりました。アンダーグラウンドの最前線にも、要注目のムーヴメントにも、ずいぶん疎くなりました。


それでも見えたということは、きっとほんとうだということです。口ずさんでみたら、はっきりと見えました。
ここには、うたが必要だということ。
うたは自粛の壁を越え、夜の裂け目を縫い、糾弾する叫びを掻き消して、誰かのところまで届くということ。



(いまから、すこし訳の分からないことを書きます。あらかじめお詫びしておきます)

自分の書いた曲に追いつかれたと感じる瞬間があります。
今作に含めた「サイダー」「風」の二曲はずいぶん前のものですが、プレーヤーを再生して聴こえてくる歌詞に、まるで後ろから駆けてきた何かに煽られ、肩をつかまれ、追い抜かれてしまったような感覚を覚えます。それが一体どういうことなのか、やっぱりうまく言えないのですが。

富山に帰ってから書いた曲たちも、既に自分を置いてどこかへ駆けて行ってしまいました。たぶん、それらがあった場所、目眩が生まれた根元へ還っていったのかもしれません。何のためにぼくのところへやってきたのか、ぼくに何を求めているのか、書き始めてからマスタリングが終わるまで、結局よく分かりませんでした。でも−

(訳の分からない話はここで終わり。このあと、大事なことを書きます。)




メンバー(カラス・クインテットという名前をつけました)と一緒に、時間をかけて作曲し、録音し、だんだん作品の輪郭が浮かび上がってくるにつれて、明らかになってきたことがあります。
それは、これらの小さく、いびつなうたでさえも、何かの役に立ちうるということです。

この作品は、OTOTOYによる企画 ”Save Our Place”の一環としてリリースされます。売り上げは全額、UrBANGUILDとK.Dハポンの支援に充てられます。京都と名古屋、ふたつの街で、それぞれの街特有の「けはい」を生み出し続けたハコを守るために、(それがほんのささやかだということは承知しながら)いま、この作品を使いたいと思っています。

https://ototoy.jp/feature/saveourplace/

東日本大震災のとき、ライブハウスは不安な人々に向けて、身を寄せ合う場所を解放しました。ミラーボールの下で思い思いに人々が集まり、音楽を通じて生きる意志と喜びを分かち合いました。しかし、今回は、解放されるはずの場所そのものが、失われようとしています。
わずかな明かりが消えそうなとき、ともしびを持ち寄り、守るのは誰の役割でしょう?

賭けなくてはなりません。

再び集まることを許された日に、帰るべき場所が、昨日と同じような姿でそこにあるように。
弱いものたちが夕暮れることなく、弱いままで、それぞれのブルースを持ち寄って集まれる場所がそこにあるように。
小さいものが、自らの小ささを恥じることなく立っていられる場所がそこにあるように。

私たちが「ありのままでも、そのようにありたい、在りたい私たちのままでも−つまりは、どのようなかたちでも」存在することが許される場所を守る必要があります。ライブハウスやクラブは、そういう場所です。

そして場所とは、私たち一人一人のことに他ありません。



そうだ。最後にもうひとつ。

ぼくは、自分自身の支援しなくてはいけないライブハウスやクラブが、ほんとうはもっともっとたくさんあるということを知っています。
カフェ、バー、ギャラリー、レコードショップや書店…つまりこれまでぼくらの生活と文化を支えてくれてきたありとあらゆる場所に対して、返さなくてはならない恩、果たさなくてはならない義理が山のように積み重なっているということも知っています。この場を借りて自分の非力と薄情さを懺悔させてください。

そして(そんな作り手のちっぽけさにもかかわらず)もしこの作品を聴いて、あなたに何か感じるところがあるなら、どうかあなたの街の小さな場所にも支援をしていただけないでしょうか。少しずつでいいのだと思います。長い目で、という点が大切なのだと思います。この長い夜を誰も欠けることなく越えていけるように、皆でゆっくりと歩きましょう。心からのお願いです。





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