2014年05月05日

二十二世紀には誰にも会えなくなるんだから

 毎朝六時に起きてバスに乗り、夜も更け始めてから部屋に帰ってくるという生活です。すぐに音をあげるんじゃないかと思っていたんですが、意外にも乗りきれているようです。もちろん消耗感もあり、味気なさもあり、自由が恋しくもあり、すんなりと適応できているとは云い難いところはあるけどね。

 シャムキャッツの新譜のタイトルトラックの歌詞に「思ってたよりもすごい早さで全てが普通になってゆく」というフレーズがあって、ああ、いままさにこんな感じだなあと思っていた折も折、風のうわさでこの「アフターアワーズ」という曲が、ぼくのことを(も)歌っているんだという話を聞きました。夏目くんはどうしてそんなことまで分かるんだろう。ちぇっ。



 ところで、いまの部屋にはレコードプレイヤーしかなくって、CDはもっぱらクルマのなかで聴きます。制限速度六〇キロの国道を長距離トラックや帰路を急ぐ人たちに交じって走るのが怖くて、通勤では自動車を使わないかわりに、帰宅のあとで友人たちの奏でる音楽を聴きたくなって、どこに行くでもなくドライブへ出かけたりしています。まさかぼくが「ドライブ」なんて単語とかかわり合いになる、なんて思いもよらなかったけれど、流れてゆくテールランプとあの子の歌声が重なる瞬間とか、一面の田んぼで大合唱する蛙とあいつのストロークのコントラストとか、けっこう素敵な時間を味わわせてもらっています。悪くないです。



 というわけで先月よく聴いた音楽は、家のなかではボブ・ディラン『アナザー・サイド・オヴ〜』とキース・ジャレット『ケルン・コンサート』そしてアメリカン・アナログ・セットの『プロミス・オヴ・ラヴ』。車内ではよしむらひらく『67年のラブソング』、白波多カミン『くだもの』、そしてこのシャムキャッツ『アフターアワーズ』でした。そういや家でもクルマでもベルセバは聴いたなあ。やっぱり疲れてんのかな、おれ。



 ボロフェスタも、いつまでも世界は…も、いまの自分に可能な範囲で参加しています。こうしたい!というような想いをぶつけ合えるほどには余力と時間がなくって、けっきょくはほとんど何もできず申し訳ないなあと思ったりもするのですが、ぼく抜きでも各主催陣は精力的にものごとを進めていて、非常に頼もしく、ちょっとだけさびしいです。みんな遊びに行ってね。

 一昨日には富山市内でサーキットイベントがあり(地元のバンド、RED JETSが主催だったとのこと)、旧知の友人たちも出演するというので、観に行ってきました。と云いつつ土地勘がまったく無くなっていて、西町の只中で道に迷ってしまい(恥ずかしい…)、どうにか観れたのは金佑龍とラブ人間だけでしたが、どちらもさらに成長を遂げたような、覚悟を背負ったような見事なステージで、ぼくもがんばらなくちゃなと、背筋が伸びる思いでビールを呷っておりました。それにしても、やっぱり富山で友人たちのライブがあるのは嬉しいです。来月はキャメル、再来月はなつやすみバンドも来てくれるみたいで、非常に楽しみにしています。

 そんなこんなで、いまのところは娑婆の空気に慣れるだけで手いっぱいな感じは否めないながらも、その分だけますます歌への思いは募るわけです。日々あたまのなかで曲の断片が流れ去ってゆくのを、必死で録りためています。こういうときにiphoneのボイスメモは便利。いい塩梅にロウファイな音質も嫌いではないし、もしかしたらこれで一枚アルバム作れるんちゃうかな。ただ、悩みは歌詞が書けないこと。自分自身がどんな景色のなかを泳いでいるのか、見たり聴いたり話したりしている現在がどんな質感と音色を持っているのか、どうやらまだうまく飲み込めていないみたいなんです。もうすこしなんだけどな、きっと。

 歌詞が書けないから、というわけではないのですが、先月はカヴァー曲のリリースがありました。レコード・ストア・デイの関連企画で、京都の板前さんが率いるバンド、ねじ梅タッシと想い出ナンセンスによる7インチ「チミに幸あれ」のB面に同曲のカヴァーで参加しています。

http://diskunion.net/jp/ct/detail/1006158360

 以前は、レコード・ストア・デイ関連作は店頭のみの販売だったんですが、いまでは通販できるようになったようです(発売一週間後から?)。興味のある方はぜひ。タッシの書く曲は飾りも衒いも一切なく、ぼくには絶対使えないようなシンプルな物云いがとても素敵で、カヴァーできることをうれしく思いました。

posted by youcan at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

スカイのうたをみんな聴きたがった

 さかなの大名盤『BLIND MOON』に入っている曲のなかでも、"SKY"が一番すきです。

 どこかの街のカフェかバーで働く男の話。素性のよくわからない、でも魅力的なことばを携え、一枚のコインを宝物のように大切にする男がその昔、ここで働いていたらしい。そいつは、スカイと呼ばれていた。みんなが彼の歌を聴きたがる人気者だった。けれど、ある日仕事を終え忽然と姿を消したスカイ、宝物だったはずのコインも磨かれた床の上に置きっぱなしにして、誰にも告げず、どこかへ行ってしまった。俺も会ったことはないんだが、でもとにかく、いまだに彼みたいにうたえるやつはいないのさ―そんなふうに語られる歌です。

 実在の人物にも、物語のなかのキャラクターにも憧れたことはないけれど、どうしたわけか、この、スカイという男にだけはとても惹かれました。ポコペンさんのうたは(さかなの曲の例にもれず)けっして多くのことばを費やしてはくれませんから、自分のなかで一生懸命、ストーリーや映像を補完したりしたものです。
 甘くてけだるいことば。ほかの誰にもうたえない歌。誰にでもためらいなく見せるたび、輝きを増す宝物。それがいったいどんなものなのか、分かったような分からないような気分で、何度も何度もこの曲を聴いてきました。



 なつなさんが、先週のライブの映像を編集してくれています。カヴァー含め五曲が収録された映像が、YOUTUBEに上げられました。「映像は下手ですよ!はっきりいって」とか云いながら、粋な導入をつけてくれたりするなつなさん。いちいち心憎いひとです。



 誰にも行き先を告げずにどこかへ去ることも、宝物を置き去りにして出てゆくことも、ぼくにはできそうにありません。時代をくだっていつか、会ったことのない人に語られるような優れたうたを歌っているわけでもないでしょう(そうだったら嬉しいけれど)。

 あの憧れに似た気持ちでスカイのように歌いたいと思いながら、どうやらそれが到底無理だと知るまでに、ずいぶんと時間がかかってしまいましたが― この映像はとりもなおさず、ゆーきゃんがゆーきゃんのように歌っているそのままの姿です(調子っぱずれなところも、エモくなりすぎてるところも)。どこかへ行ってしまうのではなくて、ここに帰ってこれたということを我ながらとてもうれしく思ったり、どんなにスマートにやろうとしてもやっぱりここに帰ってきてしまうんだと苦笑いしたり、しています。

 二十五分ありますので、お時間のあるときにでも観てみてください。さかなの"SKY"も、YOUTUBEに上がってたりしないかなと思ったんですが、どうやらないようですので(上がってたらそれはそれで問題)、お持ちでないかたはアルバム買ってくださいね。『BLIND MOON』はぼくが無人島に持っていきたい一枚でもあります。
posted by youcan at 14:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月24日

How many ordinary people change?

2014年3月23日 呉羽 Here We Are!45 cafe

<セットリスト>

空に沈む
smalltown,smalldawn
0764
天使のオード
Don't think twice,it's alright
ファンファーレ#0

地図の上の春
東京の空
明けない夜
マリー
太陽
わすれもの

サイダー
Champagne Supernova
夕方の縁石(新曲)
エンディングテーマ
Pellicule

最後の朝顔
Post Coda
Sea Of Love

 完璧には遠いライブだったとは思う。コード間違い放題だし。途中でまたも声かれちゃったし。
 それでも、いままでで一番いいライブだった気もするんだなあ、なにが「いい」のかは、その場や人によって変わってゆくものなので一概には決められないにしても。出来不出来、満足や納得というより、いろいろ歩きまわってたどりついた場所が、昔から自分のよく知っている公園だった、みたいなおかしみがあった。

 歌いだすときは、いつも自分の一番底にある<歌が生まれてくる場所>から、会場の空気のどこかにある<高い梢>に向かってロープを張ろうとするんだ。それさえあれば、どんな深いところへも沈んでいけるし、はるか高みまでも登って行ける。もちろん、うまく張れることのほうがすくない。<梢>がどこにあるのか、なにしろ歌ってみるまで分からないんだから。
 昨日は、わりあい<梢>は早く見つかった。うまくひっかけられなくて試行錯誤する時間もあったけれど、それも楽しかった。マリーのときかな。ロープが張られた感じがした。そのあとは、もうほとんど<ゆーきゃん>はいない。曲そのもの、声そのものがぼくの手綱を離れて、首輪すら外して、勝手に走りだしてゆくのだ。ぼくはそれを笑ったり泣いたりしながら見ていた(たまに間違えたりして、ちょっと慌てるのも我ながらコミカルだった)。

 「Pellicule」を読んでいるとき、自分の声のほか、声がもうひとつ聞こえた。いまだ邂逅を果たせていない(とあえて書く)ワンちゃんが、なんか変な奴が自分のカヴァー(それも朗読で)をやってると聞きつけて駆けつけてくれたんだろうか。

 来てくださったみなさん、ほんとにありがとう。十年も前、ファーストのリリースから聴いてくださっている方から、こないだ「めざめ」で初めて観たというHIP HOPが好きそうな青年まで、いろんなひとが集まってくれたということがとてもうれしいです。Here We Are! 45 cafeさん、よい機会をいただけて感謝しています。わがままいっぱい言ってごめんなさいね(宣伝しなくていいです!とか)。そしてフライヤーを描いてくれたなつなさん、つくばから駆けつけてくれて、撮影までしてくれた、あなたのバイタリティにはあたまが上がりませんわ。いつかきっと恩返しします。
 

 サイダーという曲のなかで「わすれものをきみに届けた後で何が残るんだろう」と書いたけれど、結局ぼくはまだわすれものを届けられてもいない(だってそれは街角で風に揺れているんだから)。ほんとうのエンディングテーマになるような馬鹿げた歌も書けてはいないし、そのくせほんのりと前向きな新曲なんて書いちゃったし、まだ音源化していない曲も溜まっているし、ホームタウンに帰ってきたからってそこで話が終わるわけじゃないし、どうせ春がくるたびに詩想がからだじゅうを駆け巡るんだろう(そういや昨日やった曲の半分が春に書いた)。しばらくお休みします、なんて云いながら、本人にいちばんその実感がない。みんながぼくを忘れたら戻ってこれなくなるんじゃないかという恐怖は、もう消えてしまった。

 「歌ってないときが、いちばん歌っている」−京都を離れると云ったとき、大先輩、バンヒロシさんからいただいたことば。なつなさんも「うたっていても、うたわなくても、あなたは音楽です」と言ってくださった(さすがにそれは褒めすぎ!と笑ったけど)。
 どれほど先になるか分からない(ほんとに、しれっと来月にはもうライブしてるかもしれないんだ、もしそうなっても怒らないでほしい)けれど、とにかく、きたるべきその日のために、うたの灯を絶やさないこと。感じる、考える、愛する、生きる―うたうことと同値のあらゆる営みを丁寧に続けること。そのあとでもう一度<うた>に戻ってきたら、きっとまた違う景色が描き出せるようになるんじゃないか。いまのところはそう思っている。まあ、とはいえたまにはネガティヴになることもあるだろう、そんときは電話したりその辺で飲んだくれてたりするだろうから、愚痴の一つでも聞いてやってよ。

posted by youcan at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする