2014年03月29日

スカイのうたをみんな聴きたがった

 さかなの大名盤『BLIND MOON』に入っている曲のなかでも、"SKY"が一番すきです。

 どこかの街のカフェかバーで働く男の話。素性のよくわからない、でも魅力的なことばを携え、一枚のコインを宝物のように大切にする男がその昔、ここで働いていたらしい。そいつは、スカイと呼ばれていた。みんなが彼の歌を聴きたがる人気者だった。けれど、ある日仕事を終え忽然と姿を消したスカイ、宝物だったはずのコインも磨かれた床の上に置きっぱなしにして、誰にも告げず、どこかへ行ってしまった。俺も会ったことはないんだが、でもとにかく、いまだに彼みたいにうたえるやつはいないのさ―そんなふうに語られる歌です。

 実在の人物にも、物語のなかのキャラクターにも憧れたことはないけれど、どうしたわけか、この、スカイという男にだけはとても惹かれました。ポコペンさんのうたは(さかなの曲の例にもれず)けっして多くのことばを費やしてはくれませんから、自分のなかで一生懸命、ストーリーや映像を補完したりしたものです。
 甘くてけだるいことば。ほかの誰にもうたえない歌。誰にでもためらいなく見せるたび、輝きを増す宝物。それがいったいどんなものなのか、分かったような分からないような気分で、何度も何度もこの曲を聴いてきました。



 なつなさんが、先週のライブの映像を編集してくれています。カヴァー含め五曲が収録された映像が、YOUTUBEに上げられました。「映像は下手ですよ!はっきりいって」とか云いながら、粋な導入をつけてくれたりするなつなさん。いちいち心憎いひとです。



 誰にも行き先を告げずにどこかへ去ることも、宝物を置き去りにして出てゆくことも、ぼくにはできそうにありません。時代をくだっていつか、会ったことのない人に語られるような優れたうたを歌っているわけでもないでしょう(そうだったら嬉しいけれど)。

 あの憧れに似た気持ちでスカイのように歌いたいと思いながら、どうやらそれが到底無理だと知るまでに、ずいぶんと時間がかかってしまいましたが― この映像はとりもなおさず、ゆーきゃんがゆーきゃんのように歌っているそのままの姿です(調子っぱずれなところも、エモくなりすぎてるところも)。どこかへ行ってしまうのではなくて、ここに帰ってこれたということを我ながらとてもうれしく思ったり、どんなにスマートにやろうとしてもやっぱりここに帰ってきてしまうんだと苦笑いしたり、しています。

 二十五分ありますので、お時間のあるときにでも観てみてください。さかなの"SKY"も、YOUTUBEに上がってたりしないかなと思ったんですが、どうやらないようですので(上がってたらそれはそれで問題)、お持ちでないかたはアルバム買ってくださいね。『BLIND MOON』はぼくが無人島に持っていきたい一枚でもあります。
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2014年03月24日

How many ordinary people change?

2014年3月23日 呉羽 Here We Are!45 cafe

<セットリスト>

空に沈む
smalltown,smalldawn
0764
天使のオード
Don't think twice,it's alright
ファンファーレ#0

地図の上の春
東京の空
明けない夜
マリー
太陽
わすれもの

サイダー
Champagne Supernova
夕方の縁石(新曲)
エンディングテーマ
Pellicule

最後の朝顔
Post Coda
Sea Of Love

 完璧には遠いライブだったとは思う。コード間違い放題だし。途中でまたも声かれちゃったし。
 それでも、いままでで一番いいライブだった気もするんだなあ、なにが「いい」のかは、その場や人によって変わってゆくものなので一概には決められないにしても。出来不出来、満足や納得というより、いろいろ歩きまわってたどりついた場所が、昔から自分のよく知っている公園だった、みたいなおかしみがあった。

 歌いだすときは、いつも自分の一番底にある<歌が生まれてくる場所>から、会場の空気のどこかにある<高い梢>に向かってロープを張ろうとするんだ。それさえあれば、どんな深いところへも沈んでいけるし、はるか高みまでも登って行ける。もちろん、うまく張れることのほうがすくない。<梢>がどこにあるのか、なにしろ歌ってみるまで分からないんだから。
 昨日は、わりあい<梢>は早く見つかった。うまくひっかけられなくて試行錯誤する時間もあったけれど、それも楽しかった。マリーのときかな。ロープが張られた感じがした。そのあとは、もうほとんど<ゆーきゃん>はいない。曲そのもの、声そのものがぼくの手綱を離れて、首輪すら外して、勝手に走りだしてゆくのだ。ぼくはそれを笑ったり泣いたりしながら見ていた(たまに間違えたりして、ちょっと慌てるのも我ながらコミカルだった)。

 「Pellicule」を読んでいるとき、自分の声のほか、声がもうひとつ聞こえた。いまだ邂逅を果たせていない(とあえて書く)ワンちゃんが、なんか変な奴が自分のカヴァー(それも朗読で)をやってると聞きつけて駆けつけてくれたんだろうか。

 来てくださったみなさん、ほんとにありがとう。十年も前、ファーストのリリースから聴いてくださっている方から、こないだ「めざめ」で初めて観たというHIP HOPが好きそうな青年まで、いろんなひとが集まってくれたということがとてもうれしいです。Here We Are! 45 cafeさん、よい機会をいただけて感謝しています。わがままいっぱい言ってごめんなさいね(宣伝しなくていいです!とか)。そしてフライヤーを描いてくれたなつなさん、つくばから駆けつけてくれて、撮影までしてくれた、あなたのバイタリティにはあたまが上がりませんわ。いつかきっと恩返しします。
 

 サイダーという曲のなかで「わすれものをきみに届けた後で何が残るんだろう」と書いたけれど、結局ぼくはまだわすれものを届けられてもいない(だってそれは街角で風に揺れているんだから)。ほんとうのエンディングテーマになるような馬鹿げた歌も書けてはいないし、そのくせほんのりと前向きな新曲なんて書いちゃったし、まだ音源化していない曲も溜まっているし、ホームタウンに帰ってきたからってそこで話が終わるわけじゃないし、どうせ春がくるたびに詩想がからだじゅうを駆け巡るんだろう(そういや昨日やった曲の半分が春に書いた)。しばらくお休みします、なんて云いながら、本人にいちばんその実感がない。みんながぼくを忘れたら戻ってこれなくなるんじゃないかという恐怖は、もう消えてしまった。

 「歌ってないときが、いちばん歌っている」−京都を離れると云ったとき、大先輩、バンヒロシさんからいただいたことば。なつなさんも「うたっていても、うたわなくても、あなたは音楽です」と言ってくださった(さすがにそれは褒めすぎ!と笑ったけど)。
 どれほど先になるか分からない(ほんとに、しれっと来月にはもうライブしてるかもしれないんだ、もしそうなっても怒らないでほしい)けれど、とにかく、きたるべきその日のために、うたの灯を絶やさないこと。感じる、考える、愛する、生きる―うたうことと同値のあらゆる営みを丁寧に続けること。そのあとでもう一度<うた>に戻ってきたら、きっとまた違う景色が描き出せるようになるんじゃないか。いまのところはそう思っている。まあ、とはいえたまにはネガティヴになることもあるだろう、そんときは電話したりその辺で飲んだくれてたりするだろうから、愚痴の一つでも聞いてやってよ。

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2014年03月21日

(even if)she's going to break your heart in two(白波多カミンちゃんのこと)

 カミンちゃんが、ぼくの(いったん)最後のツアーの後半三公演での共演者になる、という発表をしたとき、何人かの知り合いから意外だね、という声をもらった。

 たしかにぼくの表現と彼女のそれは、目指すところが違うようにも聴こえる。年齢もずいぶん開いているし、なにより上京後、早川義男や渋谷毅や坂田明といった重鎮たちと次々に共演を果たしていっているカミンちゃんのことを、ぼくが羨ましい気持ちで見ていたんじゃないかと思っていたらしい。どこまで嫉妬深いねん、おまえらのなかのおれは。

 いまさら、という感じがしないでもないけれど、書いておこう。

 今回のツアーは、お世話になったひとたちへお礼(と乾杯)をするという主な目的と同時に、次の世代を担うホープたち(といってもそこそこ年齢差はあるけれど)たちにバトン(ぼくがそれを持っていたかどうかは忘れてくれ)を渡したいという旅でもあった。だからこそ、名古屋でのいなはたさんと小池くんのライブに胸が熱くなったし、福岡であすかちゃんが若いバンドマン達を会場に何人も呼んでくれたのがうれしかったし、札幌でエマ・ローズくんや地球の危機のユウシンくんが駆けつけてくれたのにも感激して、京都で西くんと中村さんのライブを見て頼もしさを覚えたのだ。音楽には未来があって、だってそれは音楽を生み出す人間そのものに無限の可能性があるからなんだ。そういう証拠ひとつひとつを確かめたくて、わけのわからないツアースケジュールで西から東、北から南を飛び回った。

 カミンちゃんに高知と名古屋で共演をお願いしたのも、同じ理由による。とくに、最後の(まだ富山が残ってるけれど)二都市は「ことば」を大切にしているひとと、まわりたかった。「ことば」が描き出せるもの、えぐりだせるものと、それでも「ことば」が届かない場所を知っている(あるいは知ろうとしている)、そんなひとと共演したかった。そう思ったときに自然と頭に浮かんだのが、白波多カミンだったというわけ(とにかく随所に素晴らしい作曲家はいるし、すばらしい作詞家はいるし、すばらしいSSWもいるけれど、「ことば」に備わる能力と限界、「ことば」というものの悲しみをうたに変えている人は、じつはそんなに多くないように思える)。ちょうどコメントを依頼された彼女のセカンドアルバムが素晴らしかったこともあり、駄目もとで誘ってみたんだけど、彼女もそれを分かってくれて、返事にはこんな感じのことが―


 わたしはゆーきゃんが前衛だと思っています。それに比べてわたしのうたはポップで、たしかに、ちょっと聞いただけでは「違うのかな」とおもうひともいるかもしれませんが、でも、根っこは似ていると思いますし、じつは合うんじゃないかな。最後のツアーみとどけさせてもらいますね。


 はたして<合っていた>かどうかは観てくれた人たちの判断にゆだねるとして、ここでは彼女のうたが素晴らしかったことだけ述べておく。高知の二日間ではノンPA、至近距離からの完全アコースティックの生声によるパフォーマンスと、大きなステージでの堂々としたショウ。名古屋では初期の白波多カミンが蘇ったようなヒリヒリした感触の、けれど観客を置いてけぼりにしない包容力を身につけたライブ。いつだったか彼女は「うたそのものが感情を喚起する」というようなことを言っていたが、それを文字通りに感じさせる、その日の彼女のモードと会場の空気が反響しあった三公演だった。テンションや演奏力、音響の影響などとは違う、うたの持つ「日々の表情」を見せられたようで、とても面白かったのだ。

 高知での最終日の後、打ち上げで彼女は高知名物の「返杯」をやすやすとこなしたあと(!)、武道館で生声のライブがしたいと言った。隣に座ったバンドマンは(ここでそんな大きな夢を聞くとは思わなかったんだろう)すこし驚いた様子だったが、反対側で聞いていたぼくは、ゆーきゃんだって西部講堂のスピーカーの上によじ登って千人相手に歌えたんだ、この子だったらほんとに一万人相手でも大丈夫かもしれないな、と思った。少女よ大志を抱け、だね。
 


 さて、昨夜富山に戻ってきて、残すところはあと一本。泣いても笑っても、と云うけれど、ぼくは泣きませんよ。高杉さんに連れて行ってもらった桂浜(今回は何も流されずにすんだ)のようにからっと広々とした気持ちで歌いたいな。あっ、ただし死ぬ気でみんなを泣かせにかかるつもりではいます。たぶん少人数、至近距離、遮蔽物なしのライブになると思いますので、いらっしゃる方はくれぐれも御覚悟めされい。


「あかるい部屋」

2014年3月23日(日)富山 HERE WE ARE! 45 CAFE

 ゆーきゃん

開場 18:30 / 開演 19:30
1,500円(1オーダーお願いします)

HERE WE ARE! 45 CAFE
富山市呉羽町6927-29
076-436-6249

posted by youcan at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々、時々雨 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする